1952グアム島沖砲撃戦5
ふとウイリー大尉が気がつくと、発艦直後にグアンタナモ艦橋の横を通り過ぎていく戦闘機の機種が変わっていた。
軽快に上昇していくF5Uから重厚なF15Cの姿になっていたのだが、姿が変わっていたのは機種だけではなく、所属航空隊を示す記章までが入れ替わっていた。今のグアンタナモには本艦固有の少数の機体の他に、原隊が異なる複数の航空隊が載せられていたからだ。
ケネディ大佐の政治力を駆使した他艦からの航空隊引き抜きだったが、その中核となる搭乗員の確保には期限があった。グアム沖で損傷したアーカム級航空巡洋艦の復旧工事が完了する頃には、機体ごと搭乗員を原隊に返さないといけなかったのだ。
ゴッサムとハイキャッスルの2隻も、ドック修理後には生き延びた要員を核として航空隊を再編しなければならないからだ。この2隻からすれば搭乗員達の操縦感を鈍らせないためにグアンタナモに作戦期間のみ出向させているという感覚なのではないか。
しかも、損傷した2隻のアーカム級航空巡洋艦から引き抜いた分だけではグアンタナモの格納庫を埋める程の機体数は確保出来なかった。ウイリー大尉は身を持ってそのことを理解していた。グアム沖の戦闘ではゴッサムやハイキャッスルの搭乗員達も消耗していたからだ。
それにも関わらずケネディ大佐は早期の出撃を主張していた。グアンタナモが編入される事となった任務部隊の指揮官であるルメット少将に今回の作戦案を説明すると共に、東海岸のエリートたちの間に根を下ろしている実家の伝まで頼って正式な作戦計画としていたのだ。
性急とも言えるケネディ大佐の作戦案は、全軍の士気に与える影響を考慮したものであることをウイリー大尉は事前に聞かされていた。
グアンタナモ乗員、特に以前からの乗員の士気は下がっていた。開戦以前からさほど高いとは言えなかったアラスカ級の評価やグアム沖の損傷による戦友達の戦死が影響を及ぼしていたようだった。
それに加えて、今回の航空巡洋艦への改装工事は、アラスカ級には元の姿に完全復旧する価値はないと海軍自ら宣言したようなものだと砲術科の要員などは考えていたようだ。
着任以来修理工事の手配の合間を縫って乗員達の様子を伺っていたケネディ大佐は、彼らの士気、ひいては停滞した米海軍の士気を上げるためにはささやかなものであっても勝利が必要だと考えていた。
想像ではなかった。ハイキャッスルから引き抜かれていたウイリー大尉は、ケネディ大佐から直々にそう聞かされていたからだ。大佐は中途半端な戦艦もどきと空母の折衷案と乗員達からすら考えられているグアンタナモの戦時改造案に可能性を見出していたのだ。
ケネディ大佐が、その時点では作戦案でしかなかった今回の作戦を、態々主計長を通り越してウイリー大尉に説明したのは、大佐に代わって足りない航空隊の宛を大尉に探させるためだった。
すでに季節は秋を迎えていた。気密が必要な水線下の工事を終えたグアンタナモは、早々に貴重な乾ドックを追い出されて艤装用の桟橋で上甲板より上になる飛行甲板周りの工事を行っていた。
艦長であるケネディ大佐が頻繁に艦を離れられる状況では無くなっていた。桟橋に繋がれたグアンタナモは、後部の飛行甲板では工事作業を進めつつも、原型を保っていた前部ではドック入りしていた間に転籍していった乗員の補充などを受けて普段通りの訓練を始めていたからだ。
ケネディ大佐も工事と航海、砲術などの訓練の監督を並行して行う状況だったから多忙を極めていた。それに代わって艦隊内部を右へ左へと出張に走っていたのがウイリー大尉だった。
修理工事の間もあちらこちらと駆けずり回っていたウイリー大尉は、陸揚げされて訓練と補充を行っていたゴッサムとハイキャッスルの航空隊がグアンタナモに派遣されてくる直前に、格納庫を満たす航空隊の宛をようやく見つけていた。
結局は残りの部隊も航空巡洋艦乗り込みの航空隊だったのだが、指揮系統が太平洋艦隊から外れているものだから、引き抜くには東海岸の米政治中枢に顔の効くケネディ大佐のコネが必要不可欠だった。
最後にグアンタナモに乗艦してきたのは、アーカム級航空巡洋艦ラクーンの航空隊だった。
正確に言えば、改造工事が完了して公試が終了した後にグアンタナモはサンディエゴからミッドウェー島に訓練を兼ねて移動していたのだが、この時になってようやく現地でグアンタナモに合流していたのだ。
ラクーンから移動した部隊は多かった。グアム沖の戦闘で半壊していたゴッサムとハイキャッスルの航空隊と違って、アーカム級航空巡洋艦本来の定数を保っていたし、哨戒機となる多座機も健在だった。
アーカム級の航空隊は単座戦闘機の搭載比率が多かった。ハイキャッスルとゴッサムの場合も艦隊の盾となるべく戦闘前に戦闘機隊を増強していたのだが、元々航空巡洋艦の狭い飛行甲板で円滑に運用する為には軽快な戦闘機が向いていた為でもあった。
哨戒機として主に運用されていた貴重な多座機もハイキャッスルとゴッサムは戦闘で消耗していたから、ラクーンから移動してきたダグラスTB2Dデヴァステイター2は大柄で運用の手間はかかるものの、索敵範囲の拡大には必要不可欠な機材だった。
アーカム級では、狭い飛行甲板で運用するために艦上攻撃機であっても単座のカーチスBT2Cなどの方が搭載機の主流だったのだが、哨戒能力を重要視して少数のTB2Dがラクーンに搭載されていたのだろう。
特に今回の作戦ではグアンタナモから離れた空域で指揮を取るために、TB2Dはレーダーなどの電子機材を追加搭載したうえで指揮官機として参加する計画だった。
グアンタナモやケネディ大佐の作戦案には渡りに船だったが、ラクーンの航空隊がこの時期に抽出できた理由は今一不明な点があった。
ラクーンは僚艦アイソラと共にハワイ防衛艦隊に編入されていた。ミッドウェー島で航空隊が合流してきたのも、艦載機部隊であるラクーン航空隊がハワイに展開していたからだった。
太平洋艦隊ではなく形式的には海軍作戦本部直轄となっているハワイ防衛艦隊は、実質的にはハワイの占領統治を行っている民政本部の指揮下で動いているらしい。
政治的な思惑で構成されたそんな胡乱げな艦隊だったから、海軍中央も貴重な新型艦を配属させるのは嫌がっていたようだ。戦闘能力の高い新造艦はアジア艦隊や、それを後方で支援する太平洋艦隊に優先させていたのだ。
ハワイ防衛艦隊は速力が低く新鋭艦と共に艦隊行動が取れない旧式戦艦を中核として構成されていた。最前線に投入するには不安のある旧式戦艦でも、その巨体でハワイの原住民を威圧するには充分過ぎる効果があるのだろう。
ラクーンとアイソラは、そのハワイ防衛艦隊における貴重な防空艦として配属されていたのだが、戦線がマリアナ諸島近海で固定されている現状では、実際にハワイに敵航空機が侵入する可能性など低いし、固定配備機の数は少ないがハワイにはB-36の中継地として整備された陸軍航空隊の基地もあった。
実際にハワイ近海で脅威となっているのは航空機ではなく潜水艦だった。英日の潜水艦は足が長いらしく、東太平洋まで進出して西海岸とハワイを結ぶ航路を脅かしていたからだ。
遊兵化しているハワイ防衛艦隊主力も船団護衛に投入すれば良さそうなものだが、鈍足の旧式戦艦はどう考えてもこうした任務には向いていなかった。
艦隊に編入されたアーカム級航空巡洋艦は、旧式化して搭載能力に劣る空母レンジャーと共に旧式駆逐艦を護衛としてハワイ近海の対潜制圧には何度か出動していたが、その動きはあまり活発ではなかったようだ。
もしかすると防空戦闘に備えて編成された戦闘機の比率が高い米海軍の空母航空隊は、対潜哨戒、制圧にはあまり向いていないのかもしれなかった。元々アーカム級には搭載予定のなかったTB2Dが搭載されたのも、長距離における対潜哨戒も考慮していたのかもしれなかった。
だが、ラクーン航空隊がグアンタナモに移動してきた経緯は事情がもう少し複雑らしい。ウイリー大尉が確認した限りでは、しばらく前にラクーンは僚艦どころか航空隊を地上に残してハワイを離れていたからだ。
行き先は不明だったが、どうも母艦を見送った航空隊によるとラクーンは本土に向かっていたらしい。
本土帰還の理由は対潜戦闘に特化した航空隊の再編成等ではなかった。その間にハワイ陸上で訓練を行っていた航空隊への指示がほとんどなかったからだが、前後の状況からするとラクーンの艦長も詳細は知らされていなかった形跡があった。
アーカム級航空巡洋艦は船体後部に格納庫を持つから、何かの輸送任務を与えられたのかもしれない。ウイリー大尉が接触した航空関係者は興味もなさそうにそう言ったが、ラクーンの動向には胡散臭さが漂っていた。
いずれにせよ、手持ち無沙汰だったラクーン航空隊の参加で、ようやくグアンタナモで臨時編成された航空隊の数が揃えられていた。今は臨時編成の部隊でも、今回の作戦で戦果をあげられれば、本艦固有の航空隊もまともに編成出来るようになるのではないか。
ただし、甲板上に配列された部隊を見ると寄せ集めという感覚をどうしても拭いされなかった。それを見るのが嫌で艦橋奥深くに入り込んでいた気がしていたが、ウイリー大尉は結局最後には興味が勝って艦橋窓に近づいていた。
グアンタナモの飛行甲板は、全長を稼ぐためと発着艦時に前方をクリアにするために船体後部から左舷前方に向けて伸ばされていた。その飛行甲板からの戦闘機隊発艦も佳境に入っていた。
最初に発艦したF5Uは特異な機体だった。主翼とも胴体とも言いかねる扁平な構造物の左右前方にそれぞれ大口径のプロペラが装備されているからだ。
愛称のフライングパンケーキという言葉がこの機体の構造を一言で言い表していたが、この形状は艦載機に必要不可欠な短距離離着陸性能に寄与していた。
真っ先にF5Uが発艦していったのもそのためだった。発艦に必要な距離が短い為に、飛行甲板の前側に配列出来たからだ。発艦直後にも関わらず飛行形態も安定していた。風を捕まえた渡り鳥の様に、F5Uは自然に上昇していったのだ。
それと比べると後続のF15Cはの飛行姿勢は重厚感が高かった。機体が重いのか、F5Uよりも長い滑走距離でもまだ離陸速度に足りないのか、飛行甲板前縁を越えたF15Cの中には、発艦直後に艦橋よりも機体を海面近くまで低く沈み込ませていた機体もあったのだ。
だが、そこからの飛行は安定していた。速度を上げながらどの機体もゆっくりとだが確実に上昇していた。F15Cの機体が重いのは、機首前方空間が殆どプロペラに覆われているF5Uには搭載不可能な対空ロケット弾等の武装や、増槽が追加装備されていたからでもあった。
F15Cの見た目は前世代の単発単座戦闘機と変わらなかったが、実際には胴体後部にジェットエンジンを追加搭載した複合動力機だった。ジェットエンジンの加速力とピストンエンジンによる航続距離を併せ持ったF15Cは、機体形状から爆装も容易だったのだ。
尤も今のグアンタナモ搭載機で追加燃料が本当に必要なのは、最後に離陸するF6Uだった。同機はF5Uと同じくチャンスヴォート・コンヴェア社製の戦闘機だったが、双発レシプロエンジン機のF5Uと違ってF6Uは大出力の単発ジェット機だったからだ。
斜めに伸ばされたことで結果的にアーカム級航空巡洋艦よりも飛行甲板長が伸ばされたことでグアンタナモではF6Uの運用が可能となったのだが、その数は少なかった。
F15Cの発艦を終えたグアンタナモからは、早くもアフターバーナーの轟音を上げながら虎の子のF6Uが発艦していった。F6Uが戦闘機隊で最後となったのは、ジェット機故の失速速度の高さから配列の最後尾になっていたからだが、それ以上に巡航速度でも燃料消費が激しかったからだ。
戦闘機隊の発艦が終了して飛行甲板がクリアになってようやく初めて空中指揮官機となるTB2Dが発艦するはずだった。後は故障機が引き返して来ない限り着艦予定海域に向かってグアンタナモは移動を開始する予定となっていた。
日本本土に進攻する戦闘機隊がどのような戦闘を繰り広げるのかは、今のウイリー大尉には想像も出来なかった。
グアンタナモ級航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cfguantanamo.html
F15Cの設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/f15c.html
アーカム級航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cfarkham.html