表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
764/813

1952グアム島沖砲撃戦4

 ウイリー大尉はグアンタナモ主計科で主に航空関係の管理を担当していた。元々アーカム級航空巡洋艦であるハイキャッスルで同様の任務を行っていた経歴を買われてのことだった。

 グアンタナモと違って元の姿に復旧する為に未だにドック工事が続いているハイキャッスルからは、ウイリー大尉以外にもかなりの人員が引き抜かれていた。

 訓練された将兵を修理工事中で出動できない艦に縛り付けて遊ばせておく余裕は今の米海軍には存在しない、そう言ってケネディ大佐が彼らが他艦に異動する前に強引に引き抜いたらしい。


 ただし、ケネディ大佐が直接引き抜いてきたのは、航空科やウイリー大尉の様に航空隊に関係していたものばかりだった。修理中の艦からは航海科や砲術科の乗組員も少なくない数が異動していたが、そちらには大佐はほとんど声をかけなかったようだ。

 グアンタナモの元々の乗員にも殆ど手をつけられていなかった。アラスカ級には、射出機と共に水上機の運用能力が与えられていたのだが、建造時の1940年代初頭の航空艤装はすでに旧式化していたから、水上偵察機を取り上げられた開戦時のグアンタナモ航空科は形だけのものだったようだ。

 そこでケネディ大佐は足りない航空関係の乗員だけをかき集めてきたのだろう。

 大規模な改造工事を行いながらグアンタナモは一から航空科将兵をかき集めなければならなかったのだが、この情勢ではそれは容易なことではなかったのだ。



 今のグアンタナモの姿は、巨人がもぎ取った第3主砲塔の跡に、大型正規空母の格納庫を引きちぎってその後ろ半分を被せたような不格好なものになっていた。

 実際には、吹き飛ばされた第3主砲塔は完全に残骸を残さずに撤去されて、船体内の砲塔基部や弾庫、装薬庫は、航空関係の機械室や航空兵装用弾薬庫、燃料庫などに転用されていた。

 主砲塔から突き出した12インチ砲がその威容を誇っていた上部甲板は、砲塔だけではなく可能な限り艤装品を剥ぎ取って水平面を作ると、そこを格納庫底面とするように整形されていた。

 ボノム・リシャール級を参考にして設けられた格納庫の壁面は拡大された上甲板の左右幅一杯まで広がっていた上に、航空機管制室に転用された後部艦橋など上部構造物を取り込む形で船体後部を埋め尽くしていた。

 その結果、飛行甲板に露天繋止される機体を含めるとグアンタナモの搭載機は軽空母に匹敵する数に達していたのだ。


 早々にケネディ大佐によって引き抜かれていたウイリー大尉には、グアンタナモの航空機搭載力は頼もしい限りだったが、同艦に搭載する分の航空隊の宛がないと聞いてすぐに顔を青くさせていた。

 海軍航空隊の上層部は、グアンタナモの航空隊に冷淡だった。そもそも太平洋方面の戦闘においては既存の空母で運用される航空隊の損耗を補充するので手一杯だったからだ。



 グアム沖で発生した戦闘は、海軍航空隊にとって悪夢だった。母艦自体は無事であっても、複数の空母を集中した米日の大規模艦隊がお互いに距離をとって激しい航空戦を繰り広げた結果、短時間のうちに航空戦力がすり減っていったからだ。

 海軍航空隊は生き延びた搭乗員達を核として戦力の回復を図らなければならなかった。

 たった一度の海戦で生じた損耗は、開戦前の想定を大きく上回っていたのだが、航空戦力、特に訓練された搭乗員達の消耗にあえいでいたのは海軍航空隊だけではなかった。


 核攻撃による短期決戦を目論んでいた陸軍航空隊も、予想外の損害を積み重ねていた。グアム島から行われる戦略爆撃は日本本土を直接叩いていたのだが、事前の予想以上に分厚い日本軍の防空体制による喪失数も少なくないらしい。

 戦略爆撃に投入されているB-36は従来機を大きく上回る画期的な機体とされていたのだが、その巨人機もジェット戦闘機やロケット弾といった新兵器の前では無敵とは言えなかったのだ。


 そうなると巨人機であるだけにB-36一機の損害は空母艦載機などと比べても大きなものとなった。中にはクルーを乗せてグアム島まで帰還した後に損傷が激しいとして廃棄されるB-36もあったのだろうが、日本上空で未帰還となれば20名弱もの搭乗員も機体と同時に一気に失われてしまうのだ。

 勿論、機体の補充生産も無視できない負担となっていた。海軍の単発艦載機と比べてB-36は自重が10倍に達するし、6発もある大出力エンジンも機体製造費用に跳ね返っていた。

 単純に考えても、B-36が一個中隊もあれば空母1隻分の艦載機に匹敵する人員、機材となるのではないか。


 この損害を抑える為に、陸軍航空隊では製造会社のチャンスヴォート・コンヴェア社にB-36の改良を命じているとも聞いていた。

 生産性を維持するために機体構造には大きく手は加えられないが、高高度飛行性能や速度を向上させる為のジェットエンジンの追加や完全ジェット化に加えて、防御火力の強化などが検討されているようだ。

 機体性能の向上は望ましいのだが、最終的にはこの措置もまた機体価格に跳ね返ってくるのだろう。



 だが、生産費用が膨大なものとなっていても、機体の製造そのものは問題なく進められる筈だった。いくらB-36が高価な機体だと言っても、補正予算で拡大された国防費全体に占める割合はそれほど大きくはないだろう。

 改良型の製造に関しても、B-36の機体構造自体は開戦前から製造工程が確立されていたから、生産工程への影響は最小限で済むのではないか。


 問題は機体の増産よりもそれを操る搭乗員の確保だった。

 大統領府や陸軍航空隊の首脳が目論んでいた短期決戦構想の元で秘匿されていた開戦日を迎えた海陸軍は、共に平時体制から慌ただしく有事体制へと移行する羽目になっていた。

 一線級部隊の予備役招集などと並行して練習航空隊の開設や訓練生の募集も行われていたが、その動きは鈍く、組織化や訓練過程の検討も不十分なままだったのだ。


 米国は航空機を世界で初めて飛行させたという輝かしい実績を持つ航空大国だったが、航空機が主兵力の一角に加えられた形で行われた2度の欧州大戦を対岸の火事として眺めていた米軍軍人の誰もが航空戦の実相を深くは知らなかった。

 報道の分析などである程度の知見は得られていたが、戦友達が続々といなくなっていく感覚には縁がなかったのではないかとウイリー大尉は考えていた。


 無論それは過去の政府や議会による賢明な中立国政策によるものであったのだが、矛盾するようだが結果的に米軍の航空隊が実戦に備えた組織構成となる事を阻害していたとも言えるのではないか。

 航空戦で発生する膨大な損害を埋める為に、英日などは有事の際には後方に大規模な補充組織を構成していた。詳細は不明だが、短期間で実戦に耐えうる最低限度の技量を持つ搭乗員を大量育成するという方針であったようだ。

 そのような未熟練者であっても、歴戦の搭乗員に率いられればとりあえずの戦力にはなるし、最初の戦闘を生き延びられれば二度目以降の実戦投入時における生存率は格段に上昇する、らしい。


 逆説的に言えば、いくら訓練時間を長くとっても運が悪ければあっさりと初陣で戦死してしまうのが空中戦闘の様相であるようだ。

 そう考えると、悠長に曲芸飛行でもない限り使わない技術まで少人数の生徒にじっくりと教え込む現在の旧態依然とした米軍の教育体系は、大量損耗を前提とする航空戦の実相にはあっていないのだろう。



 米海軍でも陸軍同様に航空教育体系の見直しが行われていたが、今のところ搭乗員の不足を完全に埋める所には達していなかった。しかも、慌ただしく練習航空隊から送り出されてくる新米搭乗員を乗せるには、グアンタナモの航空艤装配置は酷なものだったのだ。

 通常の航空母艦と違って、元々は軍縮条約の条文を厳守して計画された航空巡洋艦の配置は特異なものだった。空母は最上部の飛行甲板が船体を覆うように一杯に伸ばされていたが、アーカム級航空巡洋艦の飛行甲板は船体の後ろ半分程にしかなかったのだ。

 船体前半部には主砲塔が配置されていたが、これは軍縮条約の規定で船体長に対する飛行甲板の割合上限が定められていたからだった。


 効率的な航空機運用を突き詰めていくとこの配置に支障があることは次第に判明していた。飛行甲板長が短くなって搭乗員にとっては発着艦作業が難しくなるし、昨今の高性能機は離着陸時の失速速度が高いものだから発艦距離は長くなる傾向があった。

 単に飛行甲板をクリアにして艦尾から十分な余裕を持って発艦させれば今でも大抵の艦載機は航空巡洋艦から運用出来るのだが、少数機の運用は可能でも大規模編隊を短時間のうちに発艦させるのは困難だった。

 飛行甲板から発艦距離を確保すると、最初に発艦する機体の後方に殆ど配列スペースが無くなるものだから、下手をすると次の発艦機はわざわざクリアにした飛行甲板に格納庫からエレベーターで持ち上げて艦尾に移動させなければならないのだ。



 航空巡洋艦では搭載機の全てを注ぎ込むような大規模な攻撃隊を発艦させるのは難しいのだが、同時にアーカム級で実質的に運用が困難なダグラスTB2Dデヴァステイター2の様な化け物サイズの艦上雷撃機まで制式化する一方で、実際のところこれ迄の米海軍でこの問題を重要視するものは少なかった。

 米海軍における艦隊内の主流は戦艦や巡洋艦などの水上戦闘部隊であり、結局第二次欧州大戦でも行動中の戦艦を一隻たりとも撃沈出来なかった航空機は補助的な戦力としかみなされていなかったからだ。


 鈍足ながら多段式の飛行甲板を持つコロラド級や変則的な射出甲板を持つワスプ級などの他国では見られない独創的な米海軍の空母も主力艦隊に随伴する防空戦力と考えられていたからだ。

 航空巡洋艦は、その速力を活かして巡洋艦からなる偵察艦隊に随伴することを想定されていたが、やはり艦隊内での任務はその搭載機による防空や航空索敵というものだった。

 軽快な戦闘機であれば発艦時の飛行甲板長はさほど必要としないし、偵察機の場合も一度に発艦する機数は少ないから、航空巡洋艦の制限された飛行甲板長でも任務をこなせていたのだ。



 グアンタナモの航空艤装はアーカム級航空巡洋艦よりも更に搭乗員にかかる負担が大きかった。アーカム級の船体構造は計画当時に建造されていたブルックリン級軽巡洋艦のそれだったが、艦橋構造物などはヨークタウン級航空母艦を参考として設計されていた。

 そのためにアーカム級の艦橋は飛行甲板の脇に配置されており、発着艦作業を行う機体は船体の前後に沿って飛行する事ができた。

 ところが、損傷艦に応急修理を施したと言っても過言ではないグアンタナモは、飛行甲板の前方には戦艦に準じる重厚さを有する主砲塔と主砲射撃に必要な機材を詰め込んだ艦橋構造物が存在していた。

 初期の英国海軍空母でもこのような配置があったらしい。着艦機が飛行甲板を捉え損なうと、前方の艦橋構造物に激突していたようだ。

 流石にグアンタナモでは飛行甲板自体を斜めに延長させて発着艦機の前後方向をクリアにしていたが、それはそれで前進する母艦に対して斜めに着艦するという曲芸を搭乗員が強いられることになっていた。


 ケネディ大佐が航空巡洋艦から搭乗員達を引っ張って来たのもそれが理由だったのかもしれない。短い飛行甲板に慣れた熟練の搭乗員でなければ短期間のうちにグアンタナモの航空艤装を使いこなすことは出来なかったのだ。

グアンタナモ級航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cfguantanamo.html

アーカム級航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cfarkham.html

コロラド級空母の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvcolorado.html

ワスプ級空母の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvwasp.html

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ