1952グアム島沖砲撃戦3
グアンタナモの艦橋からは、次々と発艦していく戦闘機隊の姿が見えていたが、ウイリー大尉の位置からでは飛行甲板から実際に飛び立つ瞬間は見えなかった。
閉囲されているとはいえ艦橋からの視界は悪くはなかった。両用砲越しに前甲板に並ぶ2基の主砲塔や発艦作業中に周囲を警戒する僚艦の姿も一望出来たのだ。
その一方で後方の視界はそれほど良くなかった。見張り所に出れば後部も見えるだろうが、航海艦橋の奥深くから真後ろの視界が得られる艦は無いだろう。
だが、改装を受けたグアンタナモの特徴的な部分はその視界に入らない船体後部に集中していた。
他のアラスカ級大型巡洋艦同様に前方に並ぶ重厚な三連装12インチ主砲と同型の主砲塔が配置されていたはずのグアンタナモの後部甲板は、箱状の構造物が被せられていたからだ。
煙突から後ろの上部構造物と一体化しながら左舷前側に大きく張り出した構造物は、まるで空母のようだった。実際内部は格納庫に充てられていたし、天井は飛行甲板として機能していた。
純粋な水上戦闘艦だったグアンタナモは、船体の半分に飛行甲板を載せた航空巡洋艦に改造されていたのだ。
グアンタナモが航空巡洋艦に改造されたのは、積極的な理由があったわけではなかった。
確かに、開戦以後のグアム島沖で行われた戦闘などでアーカム級航空巡洋艦が意外な程の活躍を見せていたことがグアンタナモの改造を後押ししたとも言えるだろうが、それだけで戦時中にわざわざ大型艦を改造する程米海軍には余裕はなかった。
実際には、同じ戦闘に参加していたグアンタナモが大きく損傷していたのが改装工事が行われた主な理由だと言えた。
―――尤も、艦長の政治力がなければ、今頃我々は本国の造船所内で虚しくのんびりと進むグアンタナモの改造工事を見ているしかなかっただろう……
ウイリー大尉は、発艦機を見送りながら艦隊司令官と言葉を交わし合っている艦長の背中を見つめていた。今の状況は、全てが艦長の豪運がもたらしたものなのではないかと大尉は考えていたのだ。
グアム島沖の戦闘では、ゴッサムとハイキャッスルの2隻の航空巡洋艦は大きな損害を被りながらもそれぞれが水上戦闘能力と母艦能力のどちらかを維持していた。
それが戦隊単位で航空巡洋艦としての能力を維持し続けたと評価されたようだ。そして2隻の航空巡洋艦が強力な日本海軍の航空戦力を引きつけていたからこそ、劣勢の米海軍航空隊でも日中の戦闘を凌ぐことが出来たのだ。
引き分けに終わったグアム島沖の戦闘で、ハイキャッスルを率いて戦い抜いた艦長の名声は上がっていた。戦闘中に上級者の全滅で飛行長から艦長代行となっていたものが、異例の昇進と共に正式な艦長に就任していたのがその評価を表していた。
だが、飛行甲板を破壊されたゴッサムも、主砲塔を損傷したハイキャッスルも長期間の修理工事が確定していた。今の米海軍に英雄を修理艦の監督として遊ばせておく余裕はなかった。グアンタナモの艦長にケネディ大佐が異動したのはその頃だった。
グアム島沖の戦闘では、昼間の航空戦闘の後に接近した日本海軍との間に夜間水上戦闘が発生していた。その戦闘で後部甲板に大きな損害を受けたのがアラスカ級大型巡洋艦のグアンタナモだった。
だが、後部の第3砲塔を失ったグアンタナモの完全修理は最初からあまり考慮されていなかった。改正以前よりアラスカ級の戦闘能力には疑問が抱かれていたからだ。
そもそも半世紀前の戦艦主砲に匹敵する12インチという大口径砲を装備したアラスカ級大型巡洋艦が建造された切っ掛けは、太平洋方面の仮想敵である日本海軍で建造中と噂されていたものを含む同級艦に対抗する為だった。
既に15年も前の事だが、日本人達は軍縮条約の改悪で不当に16インチ主砲戦艦を追加建造していた。これが磐城型戦艦だったが、このクラスは建造費用を圧縮する為か、主砲塔をそれ以前の長門型同様のものを流用しながらその装備数は連装3基、つまり僅か6門に過ぎなかった。
後に日本海軍は18インチを連装砲塔3基に備えた紀伊型戦艦を建造していたから、何か彼らなりの利点があったのかもしれないが、おそらくは条約制限や建造ドックの寸法などで排水量に余裕がなかったからだろう。
この磐城型戦艦の寸法はドイツ海軍の28センチ砲艦であるシャルンホルスト級に匹敵するものだった。
シャルンホルスト級の主砲は、主に通商破壊戦に投入されるというドイッチュラント級装甲艦のそれと同一であるらしく、このクラスの戦闘艦が長距離通商破壊戦に投入されるという可能性が高いと米海軍では判断していた。
日本人達も磐城型戦艦をベースに12インチ主砲を9門程度装備する大型巡洋艦の建造を計画しているという確度の高い情報も当時あった。
アラスカ級は秩父型と命名されているという噂が流れたこの大型巡洋艦やシャルンホルスト級などに対抗する次世代の巡洋戦艦とも言える有力な艦として建造されていたのだ。
それに、欧州で建造されていたフランスのダンケルク級や英国のキングジョージ5世級等の中型戦艦に対してもアラスカ級はある程度対抗できるのではないかと考えられていた。
主砲口径は若干劣るとはいえ、戦闘距離次第では手数の多い12インチ砲で先手をうって数で押し切ることも可能ではないかとされていたのだ。
こうして欧州での戦争を横目で見ながら大戦終結までにアラスカ級大型巡洋艦は計画通り6隻が建造されたのだが、欧州大戦前における米海軍の想定は大型巡洋艦に関する限り尽く外されていた。
日本海軍は結局アラスカ級に相当する大型巡洋艦を建造しなかった。磐城型戦艦が建造された後に欧州大戦が勃発して軍縮条約自体が消滅したものだから、逆に磐城型を拡大した常陸型を建造していたからだ。
戦場となった欧州でも、開戦初期こそドイッチュラント級装甲艦を含む水上艦による通商破壊戦が行われていたものの、次第にドイツ海軍による通商破壊戦の主力は隠蔽性の高い潜水艦に移行していた。
遠隔地に出動したドイッチュラント級装甲艦の中には格下であった筈の巡洋艦と交戦して撃破された艦もあった。それどころかドイツ海軍自体が残存した装甲艦を重巡洋艦と改称していた程だった。
止めとなったのは、大戦終盤にバルト海で発生した戦闘の結果だった。この海戦には、米国の技術支援でソ連が建造したクロンシュタット級重巡洋艦2隻が投入されていた。
クロンシュタット級重巡洋艦は、12インチ砲を9門搭載したアラスカ級と類似した性能の艦だった。ソ連海軍内では重巡洋艦に類別されていたが、アラスカ級よりも排水量は大きく、その分は防御力の強化に回されているという話だった。
旧式艦を含めて戦艦の保有数には余裕がある米海軍にとってはアラスカ級は巡洋戦艦の代わりでしかなかったが、革命でその数を大きく減らした上に最近まで旧式艦の更新もままならなかったソ連海軍にとっては、クロンシュタット級重巡洋艦は戦艦の代替ともなるものだったのだろう。
ところが、クロンシュタット級重巡洋艦の戦闘結果は米ソ両国海軍の期待を裏切るものだった。
バルト海で2隻のクロンシュタット級の目前に現れたのは、同数の磐城型戦艦だった。
それまでは、12インチ砲を搭載した大型巡洋艦は、14、6インチ程度の主砲を搭載した中型戦艦に対して、勝利は難しいまでもある程度の対抗は可能であると考えられていた。クロンシュタット級と磐城型は当にこの例に当てはまるはずだった。
しかし、クロンシュタット級は1隻が撃沈され、もう1隻も這々の体で撤退していたのに対して、磐城型は戦力を残したままバルト海を抜けて北海に向かっていった。勝利者がどちらであるかは明確だった。
この戦闘ではクロンシュタット級は12インチ砲の手数を活かして多くの命中弾を得たものの、16インチ砲対応と思われる磐城型の防護区画を撃ち抜くことは出来なかったようだ。その結果、見た目はともかく主砲の発砲能力には最後まで手を付けられなかったのだろう。
磐城型はクロンシュタット級から次々放たれる12インチ砲に耐えながら16インチ砲弾を放っていたが、こちらは命中弾は少なかったものの実際に命中した砲弾の多くはクロンシュタット級にとっては致命傷となるものばかりだった。
最も頑丈であったはずの主砲塔前面の防盾でさえ安々と貫かれる状況で、短時間のうちにクロンシュタット級は戦闘能力を喪失していたらしい。
バルト海での戦闘は、特殊な状況で発生した幸運や偶然によるものではなかった。すでに太平洋でもアラスカ級大型巡洋艦であるプエルトリコが日本海軍の戦艦と交戦して撃沈されていたからだ。大型巡洋艦は純粋な戦艦を相手にするにはその防御力はあまりに弱体だったと今では考えられていた。
その後は米海軍でもアラスカ級を戦艦の代替ではなく巡洋艦を標的として運用するようにしていたのだが、夜間戦闘に投入されたアラスカ級は図体が大きいせいか、今度は集中してロケット弾で狙われて損害を被っていたらしい。
すでに米海軍ではアラスカ級大型巡洋艦は中途半端な艦種なのではないかと考えられていた。巡洋艦以下の艦艇を相手にするには運用コストも艦型も過大であるのに、戦艦の相手は務まらないのだ。
尤も、米海軍は開戦前からこうした事態をある程度は予想していた。アラスカ級に関しては新たな用法を模索している最中だったようだ。
主砲威力を活かして対巡洋艦戦闘に投入するというのが主なものだったようだが、中には上部構造物をすべて取り払って空母にしてしまえという乱暴な案もあったらしい。
アラスカ級は高速を発揮する巡洋艦の設計手法で計画されていたから、仮に空母化すればボノム・リシャール級に準ずる有力な高速空母となっていたのではないか。
後部が破壊されたグアンタナモの改造案が短時間のうちに具体化されたのは、海軍予算に冷淡だったカーチス政権時代に廃案となったアラスカ級の空母改造計画の資料が残されており、一部の詳細図面を流用出来たのも理由の一つであったようだ。
今更12インチ砲を復旧する意味を見いだせなかった米海軍はグアンタナモの空母改造案を採用したのだが、以前の完全空母案そのままというわけではなかった。2基の主砲塔を含むグアンタナモの上部構造物は大半が残されていたから、これを撤去するにはそれはそれで時間がかかってしまうからだ。
戦時中に悠長な完全空母改造案を採用するわけには行かなかった米海軍は、改造案の一つにあった部分改造案、つまり船体後部のみを空母同様の格納庫と飛行甲板とする大型航空巡洋艦案を採用していたのだ。
これならば損傷した第3主砲塔周りを撤去して箱型構造物を作り上げるだけで済む、はずだった。
だが、改造工事を進めた関係者は後に揃って複雑な表情となっていた。実はプエルトリコが沈められた開戦初日戦闘で損傷した日本海軍の戦艦も、同時期に後部に飛行甲板を設けた航空戦艦に改造されている事実が報道から明らかになったからだ。
奇しくも米日海軍は、同じような箇所を損傷した戦闘艦で、同じような修理計画案の発想に至っていたのだ。
―――案外、これがプエルトリコの改造工事が急がれた理由だったのかもしれない。
ウイリー大尉は直接は見えない飛行甲板の様子を想像しながらそう考えていた。日本人に先んじて再就役したグアンタナモの航空巡洋艦としての機能は、実際には未完成であったからだ。
グアンタナモ級航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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アーカム級航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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クロンシュタット級重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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