1952グアム島沖砲撃戦2
長距離対空捜索電探を搭載した貨物船でしかない特設哨戒艦は、特定の海域に留まって広範囲の対空警戒を行うためだけに改装された艦だった。だから本来は電探を操作する電測員達こそが特設哨戒艦旭光丸の主役であると言えた。
ところが、旭光丸の電測員は、それまでの乗艦での引き継ぎに手間取って転属が遅れていた岩渕兵曹長が乗り込んだ時も、まだ定数を大きく割り込んでいる状態だった。そして結局は定数を満たさないまま旭光丸は最初の戦闘航海に出動していたのである。
准士官の電測員長という岩渕兵曹長の立場は、定数表や直体制の中では微妙なものだった。
同型艦でなくとも正規の軍艦であればある程度配置は定まっているから自分がどの程度の立場なのか分かるのだが、特設哨戒艦として改装された旭光丸の通信科の配置がどうなっているかは事前には良く分からなかったのだ。
先行して開戦前に改装された特設哨戒艦の存在は聞き及んでいたが、平時に時間をかけて改装された同艦は電探の試験艦を兼ねたものだとも聞いていたから、定数はあってないようなものだったのではないか。
場合によっては電探などの各種機材の調整点検などを行うために民間企業や軍内部の研究所などから出向する軍属が便乗する事も多かったはずだから、直体制も変則的なものだったのだろう。
それに、新鋭艦のみならず昨今は改造によって追加される事もある中央指揮所が特設哨戒艦に設けられているのかどうかも実際に旭光丸に乗り込むまで岩渕兵曹長は知らなかった。要は自分が戦闘時にどう動けば良いのかを知らないまま乗艦していたのだ。
電探や通信機材などから得られた情報を集約して指揮官に図示する中央指揮所の存在は、各種電子兵装の発展と共に重要度を増していた。
岩渕兵曹長が海軍に入隊した頃からすれば信じられなかったが、最近では艦橋ではなく戦闘中も中央指揮所で指揮を取る艦長も珍しく無くなっていた。当然その場合は電測員長の配置も中央指揮所と考えるべきだった。
中央指揮所の存在は戦闘艦としての抗堪性を増す事にも繋がっていた。
新鋭艦や大規模な近代化改装を受けた艦であれば中央指揮所は艦内奥深くの防護区画内に設けられるから、むき出しや司令塔があっても同格の敵艦主砲弾の直撃には到底耐えられない艦橋に頼るよりも被弾時に指揮系統が維持される可能性が高いのだ。
しかも、場合によっては艦橋と共に消滅した指揮系統を継承する為に、中央指揮所の指揮官は通信科長などではなく艦長、副長に次ぐ戦闘幹部となる戦術長が配置されるようになっていた。
実際には高級幹部の不足から欠員や兼任などが多いようだが、部内でも次第に中央指揮所の重要性が評価され始めていたのは間違いないだろう。
名称は曖昧だったが、戦術長は熟練の指揮官が充てられる筈だった。戦艦などの大型艦の場合は、戦闘時の指揮を考慮したうえで敢えて通信科出身ではなく、駆逐艦長など個艦の指揮官を経験した者を充てる事もあるようだ。
電測員長として電探操作員のまとめ役となる岩渕兵曹長も、実質的には戦術長の指揮下に入ることになる、筈だった。
実際に旭光丸に乗艦してみると岩渕兵曹長の予想は外れていた。そもそも電探を用いた哨戒が主任務で、最低限の自衛火器しか持たない特設哨戒艦の配置に戦闘艦のそれを重ねたのが無理があった。
戦時中に岩渕兵曹長が乗り込んでいた特設巡洋艦が記憶に残っていたせいかもしれないが、同じ特設艦でも大型客船を武装化した特設巡洋艦との差異は大きかった。特設巡洋艦の場合は兵装を操作する砲術科などの将兵も数多く乗り込むからだ。
実際には、旭光丸には中央指揮所は存在しなかった。情報を集約して表示しても、広い視野で指揮を取るものは旭光丸には乗艦していなかったからだ。
勿論旭光丸には佐官である艦長が指揮をとっていたが、予備役招集を受けた艦長は元々貨物船の船長であったらしい。船乗りとしての技量は高そうだが、最新鋭の電子機材には疎い様子だった。
だから電測員長である岩渕兵曹長の直属上官は通信長ということになっていたのだが、旭光丸は電探と同時に長距離無線機も追加搭載されていた。電探で得られた情報を後方に送るためだった。
元々情報の集約と分析は旭光丸の仕事では無かったのだが、通信長は無線連絡を絶やさずに後方の司令部に送り続けるのが主な任務と考えているようだった。
艦長や通信長が電測員が読み取った情報の流れに口出ししてくることはなかった。電探表示面が配置された電測室に来る機会も少なかった。従来通り、通信長は無線機が置かれた通信室が配置だったからだ。
電測室と通信室は隣接していたが、区画としては独立していた。無線連絡も電測室で得られた情報を流すだけで、通信長独自の判断が入り込むすきはなかった。
結局、特設哨戒艦旭光丸は独立した戦闘単位ではなかったのだ。単に地上配置の電探が洋上に前方展開しただけの存在と言えた。艦長は単に命じられた海域で艦を航行させる為の存在であり、旭光丸の配置を最終的に決断するのは後方の司令部が直接行っていた。
しかも旭光丸は確かに海軍の所属だったのだが、実際の指揮系統は空軍が管轄する航空総軍司令部と実質的につながっていた。海軍航空隊を含めて本土防空戦の指揮統率は航空総軍司令部が行っていたからだ。
そんな状態だったから、旭光丸電測室の指揮官は実質的には岩渕兵曹長だった。この区画にも士官である通信士が一応配置されているのだが、短期現役士官制度で招集されたばかりの予備少尉だったから、とっさの際の指揮能力にはあまり期待は出来なかった。
旭光丸が電測員の定数を満たさないまま出動した理由は、しばらくしてから古参下士官が耳打ちしてくれた。
その下士官は元々先行して改装された特設哨戒艦から転属してきたものだったから岩渕兵曹長としては電測室で数少ない頼りになる古参下士官だったのだが、彼の話を聞いた兵曹長は脱力していた。
実は当初は旭光丸は電測員の練習艦を兼ねるという計画があったらしいというのだ。
通常の戦闘艦では定数表があるから電測員の数だけをそう大きくは増やせなかった。
通信科員ばかりを増員するのは難しいからだが、地上の訓練施設で電子兵装の操作は習得できるものの、洋上での実機を用いた訓練が最後には必要ではないかと部内では考えられていたようだ。
そこで居住区画が充実した特設哨戒艦は、開戦以後に急速に行われている電測員の大量育成に対応した練習艦にうってつけだと考えられたのではないか。特設哨戒艦の電測員定数は元々曖昧だったから、練習生の乗艦を前提に過大な数値となっていたらしいのだ。
ところが、旭光丸が就役する頃には状況は大きく変わり始めていた。日本本土を襲う米軍の戦略爆撃に対する防衛線の構築が最優先されて教育課程も短縮化が図られるようになっていた。
その結果、改装済の特設哨戒艦は小笠原諸島の航空基地群の支援に充てられる事になり、この措置で本土周辺の対空哨戒網に生じた穴を埋める為に、旭光丸は三陸沖への出動が決定されていた。とても練習生を乗せるような余裕はなくなっていたのだ。
岩渕兵曹長も噂では聞いていたが、特設哨戒艦の増強は旭光丸で終わりではなかった。同様の改装工事を行う船がまだあるらしい。はるか欧州への長距離護送船団の需要が低いものだから、特設哨戒艦の原型となる戦時標準規格船二型は余剰があったのだ。
だが、後続の特設哨戒艦がどの方面に投入されるかは分からなかった。小笠原諸島方面に追加投入する可能性もあるようだが、明らかだったのは後続船が安定して就役してくるまでは少数の特設哨戒艦が広い範囲を担当しなければならないということだった。
その結果、特設哨戒艦の航海期間は恐ろしく長く取られる事になった。消耗品を使い切らない限り寄港も出来ないし、繊細な電探などの機材が故障しても修理用の予備部品だけはふんだんに積み込まれていた。
一方で任務中は定点に留まる低速での航行が基本となるから、本艦の搭載燃料は余裕があるらしい。
展開する方向からしてアラスカ辺りからの片道攻撃でもない限り三陸沖から敵機が侵入する可能性は低そうだが、実際には迂回進路をとって茨城沖辺りまで北上してから洋上で西方に回頭する敵機群の反応をこの海域からを捉えることもあったらしい。
だからこの穴は塞ぐ必要があるというのが軍上層部の判断だった。
ただし、それは代えが効かない乗員のことは無視していた。居住区画は広かったが、それは計画途中で増やされていた乗員定数が見直されなかった結果に過ぎなかった。
短期間で積み込まれた野菜等の生鮮食料を食い尽くした後は、単調な保存食料ばかりの食事が続いた。しかもこの時期の三陸沖は荒天が続いており、1万トン級の大型貨物船を原型としている旭光丸でも揺れがひどかった。
捜索範囲が広い対空電探を有効活用する為に、旭光丸は陸地から離れた太平洋奥深くまで進出していた。しかも定点に留まりながら燃料消費を抑える為に航行速力は這うように遅く、結果的に波に任せるままで振幅周期の長い不規則な揺れに悩まされる事となった。
始めて長期間の実戦任務につくものだけではなく、海軍の飯を喰うようになって長い古参下士官でさえもろくに飯も喉を通らずに士気を低下させていた。
おそらく電測員として促成教育を終えたばかりの新兵達も後続の特設哨戒艦に乗り込むことになるのだろうが、今岩渕兵曹長を呼んでいる新兵の様に練習艦ではなく即実戦投入される事になる彼らがまた船に乗りたがるかどうかは分からなかった。
岩渕兵曹長は内心でため息を付きながら、呼んでいた新兵が見ていた電探表示面を後ろから覗き込んでいたのだが、すぐに兵曹長は眉をしかめていた。今更のようにこの新兵には重要度の低そうな機器を預けていた事を思い出していたのだ。
先程まで岩渕兵曹長が見つめていた対空捜索電探の表示面と比べて、新兵が担当していた表示面は反応が多かった。走査の度に顕著な反応が表示されるのだ。
それも当然だった。この表示面は何もない空に向けられた対空捜索用ではなく、海面近くに向けられた対水上捜索電探のものだったからだ。
写し鏡の様な水面ならばともかく、旭光丸を取り巻く今のような荒天では、盛り上がった海面自体が空中線から放たれた電磁波を乱反射していたから、表示面から状況を正確に読み取るには難しかった。
現在の状況で対水上電探が最初に敵を捉える可能性は低かった。日本近海には残存する連合艦隊主力が待機していたから、仮に米軍が有力な艦隊を押し立てて直接我が本土を狙ってきたとしても、水上艦を探知する前に上空援護の米戦闘機隊を捉えることになるのではないか。
だが、岩渕兵曹長は新兵が指差した点を見て首を傾げていた。確かにそこには僅かな反応があった。
「波の反射、ではないか……」
岩渕兵曹長は自信なさそうに言ったが、内心では自分の言葉を否定していた。まだよく分からないが、この反応は自然現象ではない気がする。
新兵もすぐに岩渕兵曹長の考えをなぞるように言った。
「ずっと見ていて、不規則な波で出来る反応は分かるようになってきました」
意外なほど自信のある新兵の言葉に、岩渕兵曹長は驚いて視線を顔に向けたが、新兵は真剣な目を表示面に注いでいた。
「表示面からすれば、この反応はごく小さい物に見えるんですが、段々と接近しているようなんです……」
正体を探りかねている新兵に乾いた笑みを浮かべながら岩渕兵曹長は言った。
「よくやった。こいつは潜水艦の潜望鏡の可能性が高いぞ」
周りの下士官兵達が岩渕兵曹長の声を聞いて唖然とした表情を浮かべているのを感じながら、兵曹長は通信室につながる艦内電話を取り上げようとしていた。間に合うかどうかはわからないが、直ちに報告を上げる必要があった。
その一方で、岩渕兵曹長の脳裏の片隅では電測員新兵たちの意外なほどの技量に驚いていた。彼らに必要なのは、場数だけだったが、それを今後積み重ねていくことが出来るかどうかは今の兵曹長には分からなかった。
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