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1951ハワイ―キール8

 第9親衛戦車連隊の政治委員を務めるマルケロフ中佐は、薄汚れた軍衣を見下ろしてため息をついていた。モスクワのソビエト軍参謀本部から到着したばかりのクラミン大佐が着込んだ糊の効いた軍衣とは大違いだった。

 連隊内では政治委員のマルケロフ中佐の軍衣はまだましな方だった。戦車兵も整備兵も連隊の将兵達はだらだらと続く戦闘の間に油染みた軍衣だけでなく精神も消耗していったのだ。



 傀儡ドイツ軍との交戦開始以後、最初に接敵した歩兵師団と第9親衛戦車連隊は共にろくな増援もなく戦闘を続けていた。運河にそって設けられていた境界線は既に意味を失っていた。

 消極的な命令に従って連隊は後退する歩兵師団を援護していた。戦闘状況はいつも似たようなものだった。傀儡ドイツ軍がソ連軍が撤退しただけ進出してこちらを挑発すると、自衛の為にソ連軍も反撃に出ざるを得なかった。

 ところが傀儡ドイツ軍が耐えきれずに撤退すると、その先には重装備の英日軍デンマーク軍団が待ち構えていた。そして今度は彼らの火力に耐えられなくなったソ連軍が逆襲を断念して撤退を開始していたのだ。


 幸いと言って良いのか分からないが、英日軍の追撃は執拗なものではなかった。彼らも本格的な交戦でソ連を刺激するのを禁じられているのかもしれないが、じりじりと戦線はキール運河にそって移動していた。今では親衛戦車連隊は歩兵師団と共に運河の端のキール市街地郊外にまで達していたのだ。

 このままではキール運河の支配権を英日軍という虎の威を借りた傀儡ドイツ軍に奪われてしまうかもしれなかったのだ。



 そんな時にキール郊外に設けられた第9親衛戦車連隊の幕舎に訪れたのが、以前この連隊に所属していたクラミン大佐だった。

 ソ連軍参謀本部付という立場で現れたクラミン大佐は、損害を出した親衛戦車連隊への叱責か処分を言い渡すのか、或いは駐留軍司令部の弱腰な対応の理由を説明するのではないかとイヴァーノヴィチ大佐とマルケロフ中佐は考えていた。


 だが、二人の予想に反して、連隊本部の兵に淹れさせた茶を口にしながらクラミン大佐は型式ばった挨拶をしてなかなか本題に入ろうとしなかった。前線の幕舎には似合わない香りの茶葉は、クラミン大佐が自分で手土産として持ち込んで来たものだった。

 その香りに毒気を抜かれた様子の二人に対してクラミン大佐が言い出したのは、予想外の話だった。クラミン大佐が淡々とした口調で説明を始めたのは現在ソ連軍内部で行われているという革新的で大規模な再編制計画だったからだ。



 大祖国戦争中の赤軍は、特に戦車部隊の編制が大きく変化していた。戦前に行われていた大規模編制の戦車軍団が解隊されて旅団規模の小ぶりな部隊になっていたのだ。

 大規模部隊ではモスクワに迫るファシストの勢いに柔軟に対応出来なかった為でもあるが、最大の理由は緒戦の損害で大規模な編制を数の上から維持出来なかった為だった。

 それに緒戦で経験豊かな戦車将校が摩耗していった結果、大規模な編制を活かすだけの指揮能力も奪われてしまっていたのだ。


 だが、戦時中に赤軍の戦車部隊は質量共に大きく成長していた。戦前の雑多な旧式戦車を捨て去って新世代の戦車で刷新されたとも言えるだろう。

 更に終戦時にはすでに旧式化していた大戦初期のT-34初期型などは、中国で共産党の勢力を拡大する為にその多くが供与されて赤軍から一掃されていたのだ。

 実戦で経験を積んだ戦車部隊は、戦時中に生産された画期的な性能の戦車を与えられて、終戦時にはファシストドイツ軍を質量共に大きく上回る程に成長していた。


 赤軍からソ連軍と呼称を変更した後に行われた今回の再編制作業では、この大戦中に増大した戦車戦力を中核とするものだった。というよりも、激しい砲撃戦のさなかで部隊の火力や防御力の根幹となるのは戦車しかないという現実的な視点に立ったものであったようだ。

 再編制と言っても、マルケロフ中佐がおぼろげに考えていた軍縮という認識も間違ってはいなかった。戦車部隊はその規模が概ね維持されていたものの、大戦中に慌ただしく編制された歩兵部隊はその多くが将兵の動員を解除されて解隊されていたからだ。

 要は過大な歩兵戦力を削減することで、全軍における戦車部隊の比率を相対的に高めたものと言えるようだ。



 大戦中に雑多なものになっていた戦略単位である師団編制は、今回の再編成作業では最終的に戦車師団と機械化歩兵師団の2種類の編制のみが残されることになっていた。

 勿論、精鋭の空挺師団や砲兵師団などの例外的な師団編制も存在していたが、通常の近接戦闘部隊としては2種類の師団のみが残されたと言って良いようだ。


 しかもこの2種類の編制には大きな差異は無かった。機械化歩兵師団にも戦車連隊が配属されていたからだ。師団司令部指揮下の連隊に戦車連隊が多いのか、歩兵連隊が多いのかで師団の肩書が変わる、ということのようだ。

 ソ連軍参謀本部としては、この高度に機械化された火力と防御力を併せ持つ師団編制の部隊で一挙に戦線を動かすのがこれからの戦争のやり方だと考えているのではないか。



 一見するとこれは革命期から大祖国戦争までの戦間期において流行した機動戦の焼き直しの様にも思えたが、本質的には異なるようだ。

 欧州大戦における停滞した塹壕戦への対処として考えられていた機動戦は、大祖国戦争勃発前のファシストドイツのフランス侵攻などでは成果を上げたように見えた。ファシストドイツが踵を返してモスクワまで迫っていた時も初期の侵攻速度は戦史に残るものと言えるかもしれなかった。


 だが、実際には機動戦が成り立つ条件は厳しかった。偶然に頼ったものでしか無かったと言っても良いだろう。相手にとって予想外の進攻路などそう簡単に転がってはいないからだ。

 大祖国戦争の時などは、前線兵士の必死の抵抗によって掻き集められた戦力によって侵攻速度が低下すると、あっさりとモスクワに向かっていたファシストドイツ軍の前進は停止していたのだ。



 今回の再編制作業においては、全軍の機械化に焦点が置かれていた。いくら戦車など一部の機械化部隊だけが機動戦を行ったとしても、これを支援する部隊が追随できなければ機動戦は局地的なものとなってしまうからだ。

 例えば、戦中、戦後に行われた調査によって、華々しい活躍を遂げたように見えるファシストドイツ軍も実際には多くの師団では兵站を馬匹に頼っていたことが判明していた。

 軍や方面軍などの大規模な序列では完全機械化部隊のみで構成することは出来なかったようだから、当時の赤軍同様に馬匹輸送は全軍内でかなりの割合であったようだ。

 そうなると、あれ程高速であったように思えるファシストドイツの侵攻速度は、皮肉な事にナポレオン時代の祖国戦争と今回の大祖国戦争を比べても本質的な違いはなかったのではないか。


 シベリアの帝国主義者や欧州の解放を最終的な目標とする限り、全軍の機械化は避けられないというのがソ連軍参謀本部の最終的な見解だったようだ。各師団にある程度の期間単独で行動可能な能力を与えると共に、砲兵や補給部隊も機械化することで全軍の進攻速度を均質的に高速化するのだ。



 だが、クラミン大佐の説明を聞いていたマルケロフ中佐には一つの疑問が浮かんでいた。どうやら怪訝そうな顔色からしてイヴァーノヴィッチ大佐も同様の結論に達していたようだ。

 戦車部隊は戦時中に拡大された部隊の装備を更新していけば良いとしても、補給部隊や砲兵、工兵などの支援部隊、それに削減された後も膨大な数が存在する歩兵部隊を機械化するには膨大な数の車両が必要だった。

 だが、ソ連国内の自動車生産設備は貧弱なものだった。革命の防衛に必要不可欠として集中的に社会資本が投入された結果として国内で重量級の戦車は量産できるのに、遥かに軽量なトラックの生産量は伸び悩むという矛盾がソ連国内の製造能力には存在していたのだ。

 ソ連国産のトラックは米国の型落ちトラックを原型とする車両ばかりだったから、その能力は米国純正のものよりも劣ってるというのが大祖国戦争中に米国製トラックの優秀さを身を持って知った赤軍将兵の認識だった。


 大祖国戦争終盤にソ連の影響下に入った東欧諸国も工業化は西欧に対して遅れていたし、占領地帯のドイツ人もその多くが南部に逃げ出していたから、衛星国独自の生産力も期待出来なかった。

 最近ではソ連国産の装輪式装甲車も生産が開始されたというが、その数はまだ限られていた筈だった。


 大祖国戦争において赤軍の前進を支えた膨大な数のトラックを確保出来たのは、友邦米国から送られた頑丈で信頼性の高い民生用トラックがあったからだ。中立国の建前を守るためだけに米政府援助によって安価に設定された価格は、実質的に供与といえるものだった。

 師団数の減少で師団あたりのトラック装備数は増やせたかもしれないが、ある程度はこれらも戦災復旧の為に民間にも放出されていたし、いくら米国製トラックが頑丈でもいずれは消耗していくはずだった。



 しかも大祖国戦争末期に病死したルーズベルト大統領以後はソ米関係には隙間風が吹いていた。

 短期間の中継ぎであったエレノア大統領はともかく、カーチス大統領はそもそも南北米大陸以外には無関心であったし、勝手に太平洋で戦争を始めたマッカーサー大統領は政府中枢スタッフに反共主義者が入り込んでいるという噂だった。

 ソ米間の一般的な貿易や長期的な技術供与が停止したわけではないが、ルーズベルト大統領時代の蜜月関係には遠く及ばないのも事実だった。これは大統領によってころころと国家の体制が変わっていく民主主義国家の欠点なのではないか。


 いずれにせよ、マルケロフ中佐には米国の協力がない限りソ連単体ではこのような全軍の機械化が進むとは思えなかった。編成表では機械化が達成できたとしても、実際には馬匹で燃料や弾薬を運ぶ革命期の初期赤軍と大差ないことになるのではないか。

 むしろ昨今の戦車や歩兵の重装備化を考慮すると、戦闘で消耗する膨大な物資を前時代的なやり方で輸送すれば負担は更に増すことになってしまうだろう。



 マルケロフ中佐は内心で疑問を抱いていただけだったが、イヴァーノヴィチ大佐はクラミン大佐に容赦なくそうした矛盾を指摘していた。軍上層部、下手をすると党そのものへの非難に繋がりかねない強い口調だったがクラミン大佐は平然と受け流しながら続けた。

 クラミン大佐はイヴァーノヴィチ大佐の指摘を受け入れていた。全軍の再編制作業が始まって、いくつかの師団には機械化装備を集約しているが、この調子では師団編制が完結する前にソ連軍に配備されたトラック類の在庫は枯渇してしまうらしい。

 一部の師団は司令部機能のみを残して有事の際にのみ動員された将兵を割り当てる予備部隊に指定される為に、一線級の装備は当座配備されない計画もあるらしいのだが、それでも装備の員数は揃わないようだ。


 それに予備部隊と言っても平時から完全に装備を割り当てていなければ、動員開始から戦力化までに時間がかかりすぎるはずだ。

 有事に動員された予備部隊は2線級の歩兵部隊として割り切るという考えもあるだろうが、師団編制を均一化して戦力格差を無くすという再編性の基本方針からは外れる気がする。

 更に言えば前線部隊だけではなく、軍など上級司令部付きの大規模補給部隊等にも機械化装備は必要だった。いくらある程度は単独で行動出来る能力を与えたところで、師団単独では長時間の行動は不可能だったからだ。



 だが、二人から怪訝そうな顔を向けられてもクラミン大佐は平然としていた。この程度の質問は事前に予想していたのだろう。

 マルケロフ中佐達の疑問にはクラミン大佐は直接は答えなかった。ただ、対米関係は近い将来には劇的に変化するだろう。そう言っただけだった。

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