1951ハワイ―キール5
開戦直前に行われた慣れない師団編制が原因ということは無いだろうが、開戦直後からトラック諸島攻略、マリアナ諸島攻略と差し渡し千キロにも及ぶ広大な戦域に相次いで投入されていた第1海兵師団は、開戦後半年で師団単位での交代を行わなければならないほど損耗していた。
ただし、海兵師団の基幹戦力となる海兵連隊の一部は後方のハワイに送られた第1海兵師団から抽出されて、マリアナ諸島に進出する第2海兵師団に配属されていた。
海兵隊は、開戦直前に従来最大規模だった海兵旅団を拡大して第1から第3迄の3個海兵師団を編制していた。
この内大西洋のカリブ海方面に投入されている第3師団を除く2個師団が太平洋方面に投入されていることになるのだが、師団司令部の指揮下に置かれた海兵連隊の数は、師団の数とつりあっていなかった。
米陸軍に倣って3単位制度となる海兵師団の編制表からすると、3個師団があればその3倍の数の海兵連隊が存在している筈だが、実際には師団司令部の指揮下に入っている海兵連隊の数はもっと少なかった。
今回の再編成作業で損耗の少ない海兵連隊が後退する第1海兵師団から第2海兵師団に編入されていたように、大規模編制の経験が浅い海兵隊は連隊単位のやりくりで師団編制を維持しようとしていたからだ。
尤も旧日本領のマリアナ諸島で戦闘中だった現地の海兵連隊からすれば、自分達は何も変わらないままで上層部の方がすげ替えられたという感覚なのではないか。海兵達にしてみれば馴染みのない師団編制よりも連隊の方に帰属意識があるだろうからだ。
バーク少将がミッドウェー島で確認した限りでは、第2海兵師団の他の海兵連隊などもカリブ海の第3海兵師団や艦隊勤務の海兵隊員などを抽出して再編成された部隊が多かったようだ。
大西洋では旧大陸諸国の対米宣戦布告後に心置きなくカリブ海が制圧されていたのだが、緊急に動員されて一気呵成に各島を解放していった海兵隊は、現地の防衛任務をより重装備の陸軍に譲ってプエルトリコで予備戦力となっていたというから、太平洋方面に戦力を抽出される余裕があったのだろう。
だが、バーク少将は海兵隊の再編成作業を最初に聞かされた時から奇妙に思っていた。
海兵隊の再編成は太平洋艦隊司令部を通り越して政府の意向を受けた海軍省の中央で決定されていたのだが、抽出された海兵連隊を再配置するのであれば、師団司令部までマリアナ諸島から移動する必要があったのだろうかという疑問だった。
高い情報処理能力と指揮機能を持つ艦隊や師団など大規模部隊の司令部は、それだけで固有の兵器と言える存在だった。特に前線に長く留まって経験を蓄積した状態であれば他に代えがたい高い能力を保持している筈だった。
実際に銃火を交える下士官兵が戦場で即座に経験を積んでいくのに対して、部隊全体としての経験は遅れて蓄積されていた。部隊指揮は必ずしも実体験には寄らないからだ。
作戦時の記録を見る限り第1海兵師団は開戦直後から隷下の海兵連隊と共に最前線まで進出していた。日本海軍の根拠地だったトラック諸島の占領からマリアナ諸島攻略まで前線近くを移動し続けていたのだ。
開戦直後から第1海兵師団は広い範囲に展開していたから、重要な戦域に師団長自ら飛び込んでいったのだろうが、このような状況であれば師団司令部の指揮官や参謀にも貴重な経験が蓄積されていた筈だった。
これまでの戦闘で師団司令部に大きな損害が出ているという話は出ていないから、マリアナ諸島の制圧も大部分終了した現状であれば前線の海兵連隊のみを交代させれば良かったのではないか。
マリアナ諸島から引き上げられた2個海兵連隊は、本土ではなくハワイに送られていたから、太平洋艦隊の直接管理下からは外されていた。その為に部隊の詳細は分からないが、再編成中でも陸軍1個師団、計3個歩兵連隊が駐留するハワイにとっては2個海兵連隊も貴重な戦力となるのではないか。
治安維持に関しては、命令ではなく要請という形になるのだろうが、実質的には民政部の権限で海兵連隊も動かせるはずだった。上級司令部である海兵師団司令部も在島しているのだから、旅団規模の部隊として機動運用する事も視野に入れられるだろう。
海兵連隊は陸軍の歩兵連隊よりも装備面では劣るが、新編されたハワイ防衛艦隊の艦艇で輸送や支援を行えば海兵隊ならでは機動性を活かして現地民達の意表をついた位置に展開することも出来るはずだ。
バーク少将は、あるいは再編成中で部隊を動かすのが難しいのであれば、港湾部の警備だけでも海兵隊に委譲してはどうかと言った。乾ドックの運用を海軍関係者が行うのであれば、再編成中の海兵隊を取り込むのも手ではないのか。
だが、ウィロビー長官は一瞬呆気に取られてから、すぐに冷ややかな視線をバーク少将に向けていた。
「どうも少将は状況を正しく理解していないようだ。海兵隊があまり状況をミッドウェー島に報告していないのか、アジア艦隊司令部から直接本土に情報が上げられているのか……」
バーク少将は眉をしかめてウィロビー長官の話を聞いていた。退役した陸軍少将でもある長官は、民政部の責任者に就任する前から政府中枢に食い込んでいた。
マッカーサー大統領が現役の陸軍将官だった頃からの腹心だったというから、太平洋艦隊司令部には知らされていない情報も握っているのだろう。
だが、ウィロビー長官が重々しい様子で続けた内容はバーク少将の予想を遥かに越えていた。
「おそらく第1海兵師団は大部分の将兵を入れ替えないと機能しないだろう。正直に言えば、彼らの存在はむしろハワイの治安を悪化させる原因にしかなっていないのだ。
さっきはロリフォード顧問にも随分と文句を言われたよ。海兵隊の荒くれ共が平和なハワイを荒らしまわっているのをどうにかしろとね。お陰で労働者の徴募もうまく行っていないし、雇用している労働者の意欲も乏しい……
移送されてきた海兵隊員の士気はかなり低い。師団司令部はともかく、海兵連隊では脱走や命令不服従も珍しくなくなっているようだ」
俄には信じられずにバーク少将は首を傾げていた。ルソン島で上陸した日本軍と直接対峙する陸軍部隊と比べると、海兵隊の直接的な損害は少なかったはずだ。
第二次欧州大戦中に日本人達が基地化していたというトラック諸島は、核攻撃の余波で日本艦隊と共に壊滅的な被害を受けていたらしく、盛んに開戦直後に流れた報道写真では意気軒昂な海兵隊の姿と、対象的に意気喪失した惨めな様子でハワイに移送される捕虜ばかりが写されていた。
それは日本軍の演習を取材する為にトラック諸島に訪れていた外国人記者による報道だったから正確なものだったはずだ。当初は米軍の戦果を喧伝する為に意図的に報道管制を緩めていたのだ。
外国人記者からの記事が減っていったのはこの後のことだった。トラック諸島の写真が何故か感光したものばかりになっていったとか、米軍の報道管制が強化されたとも聞くがミッドウェー島に籠もっていたバーク少将は詳細は知らなかったし興味もなかった。
いずれにせよ、ハワイ占領とトラック諸島の制圧は短時間の内に完了していた。トラック諸島の核攻撃を生き延びた日本兵の捕虜は、外国人記者と共にハワイに移送されて現地には最低限の守備隊しか残されなかった。トラック諸島を占領した海兵隊はマリアナ諸島攻略へと転戦していったからだ。
それに第1海兵師団が転戦したマリアナ諸島の日本軍守備隊も大部分は撤退していた。本格的な戦闘は発生せずにサイパン島中央部の山岳地帯にこもる残敵の掃討が続いていた程度だった。そんな戦闘に師団の全力が投入されたとも思えないから、損耗はそれほどひどくはなかったはずだ。
これまで、バーク少将は相次ぐ転戦そのもので海兵師団が消耗していったと考えていたのだが、よく考えてみればそれにしては奇妙な点が多かった。一体海兵師団は士気を崩壊させるほどどこで損耗したというのか。
押し黙って考え込むバーク少将を横目にしてウィロビー長官は続けた。
「今、海兵隊とハワイに移送されてきた日本人捕虜、トラック諸島の現地人軍属などの間に原因不明の疾病が広がっている。場合によっては看護にあたっていたものも同様の症状になる場合もあるらしい。
悪いことに当初は外国人記者の出入りも自由にしていたものだから、ハワイの住民の中にも得体のしれない病気が流行っているという噂だけは広まってしまっているようだ。今では収容所近辺には政府関係者……命じられた旧ハワイ王国の関係者以外は誰も近づこうとせんのだ。
海兵隊の中にもその病気は広がっているようだ。というよりも、例の核兵器使用直後にトラック諸島にいた人間の間に広まっているようだ。調べた所、いま戦力を残してマリアナ諸島にとどまっている海兵連隊は、師団司令部から離れて緒戦のトラック諸島占領には投入されなかったようだから……」
一旦口を閉じると、ウィロビー長官は更に重々しい調子になって続けた。
「トラック諸島には黒い雨が降ったらしい。核兵器の爆発はトラック諸島に向けて接近中の海兵隊を載せた船からも見えたらしいが、最初は単に大威力の爆発で吹き上げられた土砂が混じっていたと考えられていたのだが……
少将はトラック諸島が放棄されたことはもう聞いているな」
突然話が変わった事に戸惑いながらもバーク少将は頷いていた。
開戦直後に海兵隊が占領したトラック諸島だったが、師団主力が留まっていた時期はそれほど長くはなかったし、占領した米軍が積極的に利用することもなかった。
トラック諸島は、さし渡し百キロ程もある巨大な環礁だったから、滑走路を設けるのも苦労するミッドウェー島と比べると、泊地としての条件は格段に良かった。
外洋の荒波から広い範囲で遮られている上に、いくつかの大型艦も通過可能な手頃なサイズの水道が存在する巨大な環礁内部には、滑走路建設適地となる島が点在していたからだ。
日本人は環礁内のいくつかの島に艦隊の支援基地と航空基地を設けていたのだが、その多くは陸軍航空隊が行った核攻撃で致命的な損害を受けていた。海兵師団が短時間で巨大なトラック諸島の占領を完了出来たのもそれが理由だった。
中には抵抗を続けていた日本兵もいたようだが、艦隊が消滅した以上彼らの抵抗に意味など無かった。
核攻撃から生き延びた捕虜を移送した後も、海兵隊はしばらく小規模な守備隊を駐留させていたが、今年の半ばには守備隊も撤退してトラック諸島は放棄されていた。
開戦前にトラック諸島に存在していた戦略的な意味はすでに消失していたと言えた。米軍は、グアム島の前衛となるマリアナ諸島を制圧していたからだ。つまり彼らの本土から南下してくる日本軍をマリアナ諸島に展開する航空戦力で減衰してグアム島を防衛する体制が整っていたのだ。
そのグアム島よりも南方にあるトラック諸島を保持する意味はそれほどなかった。要はグアム島を狙う日本軍が使用できない状況であればトラック諸島は米軍には必要無かったのだ。
仮にマリアナ諸島やグアム島が陥落したとしても米軍がトラック諸島まで撤退する可能性は低かった。ハワイ、ミッドウェー島からフィリピン間の連絡線を維持するには、南方にあるトラック諸島は中途半端な位置にあるからだ。
その場合はウェーク島などを前衛として防衛線をミッドウェー島まで一挙に後退することになるのではないか。
だが、バーク少将がそう言うとウィロビー長官は曖昧に頷いていた。
「勿論そうした戦略的な背景も無視できなかったと思う。今は海軍省と陸軍省の仲介を政府中央が行っている状況だが、大統領の判断は戦略的な配置を考慮したものだった筈だ。
ただし、海兵隊司令部はこれ以上のトラック諸島への駐留は現地の海兵達が耐えられないと考えていた筈だ。実際に症状が出るかどうかが問題なのではない。敵弾に倒れるではなく、目に見えない病魔に次は自分が侵されるのではないか、そう考えながら戦い抜けるものなど何処にもいないのではないか」
ウィロビー長官は淡々と言ったが、バーク少将はふと考えていた。
―――もしかすると、開戦直後から流されていた日本軍のプロパガンダは真実であったのかもしれない……