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1951ハワイ―キール4

 民政部長官室に入ったバーク少将は、開いた扉に鋭い視線を向けたウィロビー長官の剣呑な様子に気圧されていた。ここまで案内してきた民政部職員も呆気にとられていたが、関わりを恐れるようにそさくさと退室していったほどだった。

 長官室は民政部に接収される以前は特別室としてハワイを訪れる外国の要人などを迎え入れる部屋だったというが、豪華な調度品に囲まれているとウィロビー長官はまるでハワイの王のようだった。


 だが、ウィロビー長官はバーク少将に視線を合わせるとぎこちない笑みを浮かべていた。

 ―――やはり先程のロリフォード顧問と何か険悪なやり取りでもあったのか……

 そういえばウィロビー長官の今の顔は、軍政部の玄関前ですれ違ったロリフォード顧問に浮かんでいたものと同じだったような気がしていた。



 ウィロビー長官はすぐに照れ笑いを消すと、秘書がコーヒーを持って来るのをきっかけにバーク少将と打ち合わせを始めていた。

 二人とも最初はそれ程熱意はなかった。バーク少将は太平洋艦隊の司令長官であるラドフォード大将の代理として訪問していたのだが、大半の案件は軍政部と艦隊の責任者が話し合う程のことでは無かったのだ。

 このような会談が必要だったのは、二千キロ程の距離で広大な太平洋においては隣接すると言っても良いミッドウェーとハワイに展開するにも関わらず太平洋艦隊とハワイを占領する民政部の間には正規の指揮系統が存在しなかったからだ。


 副官同士の無線連絡でも済みそうな無味乾燥な事項を確認し終えた頃には、コーヒーは冷めかけていた。だが、最後に太平洋艦隊からの要望を目にしたウィロビー長官は、コーヒー以上に冷ややかな視線を浮かべながら言った。

「現地労働力には限界がある。現在は航空隊から要望が上げられている航空基地機能の維持拡張工事を除くと港湾設備の拡充に集中して労働者を雇用している所だ。

 艦隊からのこの要請だが、これ以上乾ドック復旧工事には人は割けないな……港湾設備を拡大して効率よく荷下ろしが出来るようにならないとハワイの基地化自体のスケジュールが遅延してしまうのではないかな」

 渋い顔になりながらもバーク少将は首を傾げていた。

 連絡便の水上機から降りてから民政部に辿り着くまでの間に見てきた範囲では、現地の労働力が上手く活用されている雰囲気はなかった。あのだらけて休息している現地人を上手く管理すれば余剰労働力は容易に見つかるのではないか。



 だが、バーク少将がそれを質す前にウィロビー長官は億劫そうな声で続けていた。

「特殊技能を保持する技術者が不足する為に乾ドックの機能を復元するのに手間取っているのならば、いっそ完全状態の復旧は断念して暫定的な運用を行えばいいのではないかな。

 英日は前の戦争で地中海に浮きドックを持ち込んで戦艦まで修理していたと言う情報があるようだが、我々も本土から浮きドックを持ち込んだらどうかね。無論、海上に前進根拠地を設けるのであればより前線に近いミッドウェーやウェークの方が適地だと思われるが」


 バーク少将は曖昧に頷いていた。確かに米本土では浮きドックの建造も行われていた。開戦以後に急速に不足が明らかとなった貨物船の建造に本土の造船所の多くが追われていたのだが、その隙間を縫うようにして特殊な構造物である浮きドックも追加して建造されていたのだ。

 ただし、ミッドウェー島にも開戦前から浮きドックが運び込まれていたが、環礁内部に持ち込まれているとはいえ太平洋の荒天に揉まれて使用できない時期もあるし、狭い水道内の環礁では整備能力も限られていた。


 問題は浮きドックだけにあるのではなかった。ミッドウェー島の限られた陸地には収めきれずに倉庫代わりに予備部品などを収容する貨物船も浮きドックには随伴していたのだが、この洋上倉庫の能力は限定的なものだった。

 洋上で貨物を積み降ろしてドック内に輸送するのでさえ手間であったし、浮きドックや貨物船自体も構造物なのだから洋上に浮かべておくだけで整備の必要が何れ出てくるのだ。

 本来は、浮きドックと言えども環礁内部などではなく陸地近くで運用すべきものなのだ。英国海軍もシンガポールや香港などの海外植民地で浮きドックを使用しているが、何も無い洋上ではなく、彼らの工廠に隣接する海域で運用しているだけだった。


 ミッドウェーやウェークなどの太平洋上の環礁で浮きドックを十全に運用するには艦内工場などを要する工作艦などの支援艦艇が必要だったが、正面装備に予算が偏っていたここ半世紀程の間に、米海軍の支援艦艇の比率は戦争ばかりしていた英日などよりも低くなっていた。

 しかも貴重な工作艦など支援艦艇の少なくない数は、平時から本土から遠く離れた海域に展開していたアジア艦隊に配属されていたのだが、マニラ近郊の海軍基地に配備されていた支援艦隊はアジア艦隊主力のグアム島撤退に同行出来ずに大半が現地で行動不能になっていた。

 米海軍の艦隊型工作艦は大半が鈍足の給炭艦などから改造されていたからだ。



 それよりもバーク少将は、ウィロビー長官が言った乾ドックの暫定的な運用という言葉が気になっていたのだが、長官は工事関係通知が記載された書類を取り上げながら事も無げに言った。

「現在乾ドック内では、暫定的な復旧工事を行う為に出入り口付近を埋め立てて仮設ポンプで排水作業を行っているが、実際に修理工事を行う場合も出入り口をその都度埋め立てれば良いのではないか。

 これならば扉船や出入り口付近の修理や補修の手間は省けるから、現在行っているドック内の残骸撤去作業が終了次第運用が可能となると思うが……」


 バーク少将は眉をひそめていた。扉船の復旧を断念するというウィロビー長官の考えはあまりに消極的だった。太平洋艦隊としては受け入れがたい、というよりも乾ドックを復旧する意味が無くなるものだった。

 どのみち工期が長くなる新造船の工事を行うのならばともかく、出入渠の度にドック周辺で土木作業が発生するということは、短時間の修理工事で使用するには躊躇う事になる筈だった。

 第一、総合的に見ればドック入りの度に現地労働者を大量動員する事になるのだから民政部の方針とも逆行する事になるのではないか。



 バーク少将は険しい表情で太平洋艦隊司令部としてそのような暫定的な運用法には反対せざるを得ないと告げたが、ウィロビー長官はやはり顔色も変えずに頷きながら淡々と言った。

「少将の……太平洋艦隊の意見は理解した。では復旧工事は完全稼働を目指すように指示するとしよう」

 あっさりと前言を翻したウィロビー長官の様子にバーク少将は唖然としていたが、すぐに長官の真意に気がついていた。

 ―――ウィロビー長官は太平洋艦隊の同意が得られたと言って乾ドックの使用を遅らせるつもりなのか……

 バーク少将は険しい表情で乾ドックの使用開始時期を尋ねたが、ウィロビー長官の回答は予想外だった。


「前のグアム島沖海戦の際も損傷艦のハワイ寄港を遠慮してもらったが、乾ドックが復旧した場合も修理艦の入渠工事はその内容を慎重に検討を行うべきというのが民政部の意見だと覚えておいて欲しい。

 民政部としては前線で損傷したことが明らかな……端的に言って我が軍の不利を示すようなものはこの情勢化では出来るだけハワイ住民の目に晒したくないのだ。乾ドックの位置関係からするとオアフ島山岳地帯からの視線を遮ることは不可能だからな。

 開戦初期の核攻撃以後、意図的に戦況をハワイ住民に対する宣撫工作として流していたのだが、民政部では情報を段階的に限定して住民の意識をそらそうとしているところだ。正直に言えば、治安が悪化した場合、入渠中の艦艇の保全すら考慮しなければならんのではないかな」

 ウィロビー長官はあっさりと言ったが、バーク少将は治安戦の敗北宣言とも言える長官の弱気な言葉に目を白黒させていた。



 明け透けに言ったウィロビー長官にバーク少将が戸惑っていると、長官はやや表情を和らげて苦笑しながら言った。

「私の立場でこんな事を言うのはどうかと思うが、ハワイの治安には民政部としても確信が持てないのだ。今のところ大規模な暴動などは発生していないが、潜在的な米国への反感は根強いと思ってよいだろう」


 バーク少将は複雑な表情を浮かべていた。法的な指揮系統は米本土からになるが、ハワイには占領作戦に引き続いて陸軍の第25歩兵師団が駐留していた。

 第25歩兵師団は開戦直前に3個州兵連隊を集成して編制された急増部隊だから、本土に駐留してカナダなどに備えている陸軍の古豪師団などと比べると重装備などの比率は低いはずだが、占領地における治安維持任務に投入する分には問題ないはずだ。

 それにハワイには歩兵師団だけではなく、全米からかき集められた憲兵隊も配備されていた。民政部による占領は、軽装備ながら治安維持能力に優れる憲兵隊を歩兵師団で支援するという体制が整っていたのだ。



 開戦直後から展開する陸軍部隊に加えて、今のハワイには海兵隊も駐留していた。開戦以後相次ぐグアム島周辺の戦闘で消耗していた第1海兵師団は、マリアナ諸島の防衛任務を第2海兵師団と交代していたのだが、再編成中の同師団もハワイに駐留していたのだ。


 師団司令部や部隊の名称こそ異なっているが、第1、第2海兵師団は実際には全く異なる部隊では無かった。一部部隊が第1海兵師団から第2師団に編入されていたからだ。

 元々小規模な部隊で機動性が高かった海兵隊が、フィリピンの治安維持に投入されるという名目で3個海兵連隊と各種支援部隊からなる師団編制をとったのは、開戦直前のことだった。

 歩兵部隊から再編成された海兵砲兵連隊などは陸軍の中古品や旧式艦から降ろされた副砲や高角砲を仕立て直した火砲を装備しているのだが、師団に配属された補給や整備部隊などの支援部隊は層が薄かった。


 インディアンの大規模蜂起や半世紀前の米西戦争以後は専ら本土防衛にあたっていた陸軍とは異なり、これまでにも海兵隊が実戦に投入された機会は多かったのだが、それらは政情不安な中南米諸国への介入といった限定的な戦闘が殆どだった。

 海兵隊の相手となった勢力は相対的に装備は貧弱だったし、小規模な海兵隊が緊急投入される場合も海岸には強力な米海軍の艦隊が控えていたものだから支援火力や兵站に不安はなかったのだ。

 言い換えれば大規模な師団編制をとることだけではなく、長期的に師団単独で行動しなければならないという状況そのものが海兵隊には未知数のものだったのではないか。


 海軍からの独自性と連携のバランスを常に考慮していた海兵隊にとって師団編制は念願のものであったが、この戦争は海兵師団という大規模な部隊編制の真価が問われるものだった。

 今のところ海兵師団の評価は分かれていた。大西洋に置いては急遽行われたカリブ海制圧に関して旅団編制から急遽拡大された第3海兵師団はこれによく対応したとも言えるが、小島が多いカリブ海では師団全体ではなく、海兵連隊や更に分派されることも多かったようだ。

 そして太平洋方面に真っ先に投入された第1海兵師団は開戦直後の日本海軍の要衝トラック諸島制圧などに投入されていたものの、同地は核攻撃によって既に無力化されており大規模な戦闘はマリアナ諸島の日本領進攻からとなっていた。


 しかし、その戦闘で第1海兵師団は消耗して第2海兵師団への交代という実質的な再編成作業を行われてしまっていたのだ。

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