1951マニラ平原機動戦23
マレル少尉達はサンバレス山脈を彷徨い歩いた長い逃避行の末にようやく出撃地点であったサンメリーダ村に帰還したのだが、第1騎兵師団の作戦行動に付き合わされる間に村の様子は一変していた。
どこかのタイミングで平原を横断する路線の建設は中断されていたようだったものの、マレル少尉が見たところサンメリーダ駅はマニラからリンガエンをつなぐ鉄道からカガヤンバレー方面に向かう支線の分岐点となる筈だった。
そこでサンメリーダ駅周辺に用意されていた支線用の建設予定地と思われる空き地を開戦以後に物資集積所に転用されていたようなのだが、既に集積所の要員は後方に撤収していた。
駅前の広場に置かれていた補給物資の山は、マレル少尉達がリンガエン湾に行って帰ってくるまでの間に見る影もなく痩せ細っていた。物資を管理しているのも、マニラの極東米軍司令部直轄の兵站部隊ではなく、師団の補給部隊に切り替わっていた。
マレル少尉達が出撃前に築城作業を行っていた村落周辺の防御陣地にも既に他師団所属の部隊が収容されていたから、それらの部隊や収容された部隊と交代して撤退する部隊が物資を消費していったのだろう。
マレル少尉達がリンガエン湾に行っていた間に前線が縮小されて、前線後方にあった上級司令部付きの物資集積所が更に後方に移転していたのだろうが、陣地内にいる兵達の様子には前線といっても余裕があった。
防御構造物も格段に強化されていた。マニラ要塞の外縁部として強化工事が短時間のうちに集中して行われたのだろう。それに兵達が陣地に収容されてから陣地の補強や装備品の収容など細々とした身繕いをする時間はあったのではないか。
一方でマレル少尉達の原隊である第24歩兵連隊の姿は村落周辺から見えなくなっていた。サンメリーダ村内部に駐留している部隊のものに話を聞いても要領を得なかったのだが、どうやら司令部付きの補給部隊などに前後して連隊主力もサンメリーダ村を離れて後方に向かっていたらしい。
本来は、第24歩兵連隊はマニラ要塞外郭陣地の工事に従事する間にサンメリーダ村で補充を受けて戦力の回復に努めながら再編成される予定だったのだが、結局補充が満足に進まないまま前線が移動してきた事で再度後方送りとなっていたのだろう。
おそらくは、極東米軍か第24歩兵師団の司令部が緒戦で戦力を消耗させた第24歩兵連隊では前線任務に耐えないと判断して、マニラ要塞中核に近い箇所でまた要塞化工事などの補助任務に駆り出しているのだろう。
考えてみれば海上輸送中に喪失した第1騎兵師団配属の歩兵連隊の代理というマレル少尉達の任務も取ってつけたような補助任務であったのかもしれなかった。
―――また我が連隊は戦力外扱い、か……
山道を歩き通して疲れ果てた様子の部下達に混じって座り込みながらマレル少尉はそう考えていた。長旅の末にたどり着いたものの、サンメリーダ村は終着地ではなかった。これから原隊を探して広大なマニラ要塞地帯内部をまた彷徨わなければならないのだ。
リンガエン湾からマレル少尉達が撤退を開始したのは、甲高く聞こえた軽戦車隊の砲声がある時から全く聞こえなくなっていた事に気がついたからだった。
最初に気がついたのは、見え隠れする敵兵の姿に興奮しがちな兵達を必死で掌握していたマレル少尉ではなかった。その場で罠を仕掛けていたドラゴ一等兵が怪訝そうな顔で砲声が途絶えたといったのだ。
この時のマレル少尉達の戦闘目的は単純に敵部隊に大きな被害を与えることではなかった。負傷者が出れば救護の人数を当てなければならないから敵部隊の戦力を割くことが出来るが、戦死者は敵愾心を煽るだけだった。
相手の方が優勢なのだから、敵兵の一人や二人を殺傷するよりも、戦力外の人間を増やして足止めを図るべきだった。マレル少尉達は単独で交戦しているのではなく、自分達が暴れ回る事で敵兵の注目を集めて結果的にマーロー大尉達の戦車隊を援護するのが目的だったからだ。
普段の口数は少ないが、ドラゴ一等兵はこうした戦闘となれば古参兵達をも黙らせる不思議な迫力があった。
それまで隊内でもあまり目立つ存在ではなかったのだが、ドラゴ一等兵は時には敵兵の前に出て牽制射撃を行い、時には鉄箱の裏に罠を仕掛けて効果的にマレル少尉達を追跡してくる敵部隊の足を止めていたのだ。
―――ドラゴ一等兵の戦場は、本来こんなところでは無いのかもしれない……
戦闘のさなかに何故かマレル少尉がそう考えている時に当のドラゴ一等兵が言った言葉は、少尉を困惑させていた。
周囲の兵達にも確認してみたのだが、鉄箱の彼方で断続的に聞こえていた発砲音や爆発音はしばらく前から途絶えていた。戦闘が終わったのは確かなようだが、どちらが勝ったのかは俄には分からなかった。
戦闘音の激しさからするとマーロー大尉達は日本軍の有力な部隊と遭遇したのだろうが、対戦車能力の高いM4軽戦車であれば敵戦車を撃破して進攻を継続している可能性は否定できなかった。
だが、しばらくしてからエンジン音自体が小さくなっていると聞いてマレル少尉はマーロー大尉達が敗北したのだと悟っていた。米軍戦車隊が勝利したのであれば、作戦を継続するなりこの場から撤退するなりでエンジン音は逆に大きくなっているはずだからだ。
逆に防衛側の日本軍がマーロー大尉達を制圧したのならば、その場に留まっていることも十分考えられるだろう。敵戦車を無力化した彼らが急ぐ理由は無いからだ。
あの自信満々だったマーロー大尉達がどうなったかは分からなかった。戦死していなかったとしても捕虜にはなっているだろう。戦車から脱出する事が出来たとしても、この鉄箱の迷宮を抜けて日本軍から逃れられたとは思えない。
自分達も執拗に日本軍の追跡を受けているのだから、マーロー大尉がどうなっていたとしてもマレル少尉にはどうする事も出来なかった。少尉が撤退を決断したのはこの時だった。
マレル少尉達の脱出も困難なものだった。幸いな事に鉄箱迷宮の中で追跡していた日本軍の部隊は深追いしてこなかったのだが、それは少尉達の撤退行が困難なものとなる事を察していたからではないか。
一度海岸線に並行するようにリンガエン湾奧部を南西部に脱出したマレル少尉達は、往路を辿るようにしてサンバレス山脈の麓に達していた。
山脈を構成する山々はそれ程標高はない筈だが、数十キロに渡って山岳地帯が連続する為に大軍の通過は難しい筈だった。ましてや山岳装備も不足した敗残兵の群れでは容易に越えられそうも無かった。
往路は軽戦車の背に揺られて来たものだから、復路の選択は困難なものとなった。往路を行く間はM4軽戦車の手すりにしがみついていた中隊の誰もがずっと振動に耐えていたものだから、一度通過したと言っても周囲の光景を記憶に留めることが難しかったのだ。
逃避行は山麓と山頂の中間を並行するように中途半端なルートを辿るしかなかった。移動が容易なマニラ平原に接する山麓部に出れば、警戒中の日本軍哨戒網に察知されるのだろうが、マレル少尉達には千メートル級の山頂近くを縦走する体力も技量もなかった。
出来るだけ植生が濃く麓から観測されづらい箇所を通過していたのだが、それですら移動が困難なほどだった。
その時までにマレル少尉達は大部分がサンメリーダ村から持ち出していた兵装を捨てていた。小銃やトンプソンサブマシンガンは山岳地帯を長距離行軍するには重すぎたのだ。
その代わりに彼らは日本軍の倉庫を荒らしまわっていた時に拝借したいくつかの銃を装備していた。
軽機関銃手には日本軍の自動小銃を持たせていた。第24歩兵連隊に回ってこなかったが、米軍でも自動小銃は採用されていたのだが、日本軍の小銃には米軍制式採用品には存在しない単発と連発のセレクターが存在していた。
しかも固定式の弾倉ではなく、日本軍の装備資料にはなかったその小銃は機関部の下に多弾数の着脱式弾倉を有していた。おそらく場合によっては軽機関銃の様にフルオートでの制圧射撃も可能なのだろうが、原型が小銃だから軽機関銃に比べれば携行は容易だろう。
他にはサブマシンガンを拝借して来たものが多かった。使用する弾薬はトンプソンサブマシンガンの45口径弾よりも一回り小さい9ミリ弾の様だったが、それ以上に重量は軽かった。
トンプソンサブマシンガンの様に重い小銃の代わりとなるようなものではなく、もっと簡易な自衛火器程度の扱いなのではないか。
拝借してきたのは武器だけでは無かった。撤退を決意したときから、火付けする前に持ち出せそうな糧秣などの消耗品も可能な限り兵達に背負わせていた。それどころか背負袋の類すら有り難く倉庫の中から持ち出していた。
おかげでサンバレス山脈を縦走する集団は奇妙な格好になっていた。米軍の掻き傷や皺だらけの軍服を着た黒人兵が、日本軍の真っ新な装備や毛布などを身に着けていたからだ。
尤も、道なき道の走破によって持ち出した装備もすぐに汚れて傷だらけになっていた。
当たり前だが、マニラ平原からサンバレス山脈を越えて海岸部に至る既存の街道は山脈の鞍部に設定されていた。道路開設の工事期間を最低限に抑える為だ。
山脈と並行して通る道も普通は麓近くに設けられていた。山脈の中途半端な高度を、しかも山林部を辿るようにして縦走する意味など普段ならないから、マレル少尉達の移動ルートは険しく、場合によっては通過できずに引き返すこともあった。
高低差はさほど無いのだが、山一つを越えるたびに上がり下がりが連続していた。体力の有無などの理由で次第に中隊の隊列は伸びてマレル少尉が部隊を掌握するのを妨げていた。
それに持ち出した食料にも限度があったし、見慣れない食材でどうやって食うのかも分からないものも多かった。満足に火を使えないものだから、鍋に全て叩き込むというわけにも行かなかったのだ。
山を一つ越える度に、鞍部を通過する大小の街道を横断する必要があったのだが、日本軍の哨戒部隊を警戒して街道の通過は慎重になっていった。神経をすり減らされる行軍の連続に、中隊員達の疲労は蓄積していった。
次第に反抗的な兵士が増えていった。一夜を越す、あるいは街道一つを越える度にいつの間にか姿を消す兵士が増えていた。リンガエン湾で早々にはぐれたものもいたから、出発時に中隊にいた下士官兵の半分近くは、サンメリーダ村までに帰還するまでに脱走して姿を消していったのだ。
彼らが日本軍に投降したのか、フィリピンの現地社会に逃げ込んでいったのかは分からないが、野蛮なアジア人達の間に黒人が溶け込めるとも、まともな扱いを受けられるともマレル少尉には思えなかった。
這う這うの体でサンメリーダ村までたどり着いた面々を見回した時、マレル少尉は思わず苦笑していた。分隊規模になりながらも最後まで残ったのは少尉が率いていた小隊に元から配属されていた隊員ばかりだったからだ。
―――結局、俺は小隊長が関の山、ということか……
マレル少尉は苦笑しながらも立ち上がっていた。司令部付きの補給部隊が姿を消しているのも、この状況では都合がいいと言えなくもなかった。自分達小部隊程度ならば他師団の補給部隊も融通してくれるだろうし、正規の補給部隊であれば自分達の装備の員数不足を問いただしてくるだろうからだ。
それに直属の上級司令部がいなければ鹵獲品の提出を求められる事もなさそうだった。マレル少尉は、まだ暫くの間はこの軽いサブマシンガンだけを持ち歩いて行きたい気分だった。
M4軽戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
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