1951マニラ平原機動戦20
ベルガー大尉は、一式中戦車乙型の車長用展望塔から身を乗り出して、ドイツから持ち込んでいた私物の双眼鏡を将兵や車輌が行き交う為の空間を開けられたコンテナの集積地に向けていたのだが、すぐに双眼鏡を下ろして首を振っていた。
双眼鏡を使わなければならないほど視野は開けていなかった。すぐに次のコンテナの壁に視線が行き当たるからだった。
兵站地の空き地に作られたコンテナの集積場はまるで迷路だった。兵站部が大型トラックでも通過できるように隙間を通路として設けていたものだから、敵戦車が奥深くまで入り込んでしまっていたのだ。
そしてジャムツェ少佐が直卒する歩兵中隊と憲兵隊がコンテナ群を荒らし回っている敵歩兵部隊の対処に専念することになった結果、ベルガー大尉達はこの迷路の中で孤立無援で敵戦車と戦わなければならなくなっていたのだった。
57ミリ砲を備えていた原型車の砲塔形状を概ね維持したまま75ミリ砲を備えた一式中戦車乙型の砲塔天蓋は一部が歪な形状となっていた。設計当初の構想に無い大口径砲を搭載した為に無理が生じていたのだが、そのせいで車長の視界は悪化していた。
戦車砲に限らずに火砲をうまく設計すれば、小口径長砲身砲から軽量砲弾を高初速で発射する場合と、大口径短砲身砲から大重量弾を低初速で発射する場合の反動を同等に収めることが可能だった。
運動量は速度の二乗と重量の積に比例するから、乱暴な言い方をすれば運動量が同等であれば反動も同等となり砲架周りの流用も難しくなかった。実際に短砲身の榴弾砲と長砲身の高射砲などで反動を均質化して砲架の設計を転用するケースがソ連軍などで多く見られていた。
一式中戦車乙型も平衡機の追加や砲耳位置の変更程度で一回り大規模な野砲級の主砲を搭載していたのだが、主砲機関部の大型化は避けられなかった。
元々一式中戦車を固定戦闘室化した一式砲戦車に搭載されていた主砲を詰め込んだものだから、砲塔内部に多少の無理が生じるのはやむを得ないと判断されていたのだろう。
増大するはずの発砲時の後座量などは駐退復座機の調整などで機械的に解決出来たものの、主砲機関部の大型化は仰俯角の減少を招いていた。大角度を取ると砲塔内部の構造物に干渉してしまうからだ。
一式中戦車乙型ではこの問題を強引に解決する為に、俯角を取った際に主砲の機関部を収める空間が出来るように砲塔天蓋中央部を凸型にして持ち上げていたのだが、これが車長用展望塔からの視界を一部遮る結果を招いていた。
そもそも原型となる一式中戦車に乗り込んだことがないベルガー大尉にとって普段はさほど気にならない程の死角だったのだが、今は展望塔から大きく身を乗り出して危険を冒して視界を確保していた。この迷宮では視界が物を言う、そう本能的に察していたのだ。
双眼鏡を下ろすと、ベルガー大尉は肉眼のみで状況を探っていた。コンテナ群の外周では煙がまだ上がっていた。断続する銃声も何度か聞こえていたが、抑制されているように思えていた。
敵戦車隊の規模からして敵歩兵部隊は最大でも大隊規模と考えられていたが、この迷宮の中では数の大小はさほど大きな影響にはならないのではないか。フルオート射撃が可能な銃であれば下手をすれば出会い頭の一撃で致命傷を浴びるからだ。
米兵を攻め立てる側のジャムツェ少佐達も、満州共和国軍歩兵部隊と生き残った日本軍憲兵隊の混成部隊だったから、錯綜した状況で発生しがちな同士討ちを避ける為に慎重に行動しているのだろう。
それに聞こえてくるのは小銃かマシンピストルの銃声だけではなかった。敵戦車のものと思われる機関音もコンテナ迷宮のどこかから鳴り響いていたのだ。
ベルガー大尉が身を乗り出した展望塔の背後から聞こえてくる一式中戦車乙型のものとは明らかに異なっていた。気筒数や回転速度が著しく異なるのか、十年前に原型車が制式化された頃から変わらない一式中戦車のエンジンとは違う音だった。
ただし、敵戦車の機関音や履帯の軋みは聞こえてくるものの、正確な位置は分からなかった。低い位置にあるエンジンから放たれた音は、周囲の波板形状をしたコンテナの壁面で反響していたからだ。
いっそ耳をふさいだほうが探しやすいのではないか、そこまで考えていたベルガー大尉の視線が一点に止まると、恐ろしい勢いで振り返っていた。
先頭のベルガー大尉の様子を伺っていた後続車の車長達が怪訝そうな顔になる中で、大尉は慌てて車体の上に飛び降りると、砲塔後部から伸ばされていた無線アンテナに手を伸ばしながら後続車に向かって叫んでいた。
「目印になっているぞ。無線アンテナを折れ」
後続の各車の車長や装填手が慌てて這い出てくるのを横目で見ながらベルガー大尉も中隊長車の無線アンテナを押し倒していた。
「なるほど、先にやられた憲兵隊の軽装甲車は、コンテナの上にはみ出したアンテナを狙われたんですな……」
いつの間にか砲手席から身を乗り出したマイヤー曹長に苦々しい顔でベルガー大尉は頷いていた。
「後方警備の装甲車隊は展開する範囲が広いから、多分無線機も大隊系辺りの長距離でも使える大出力機を積んでいた筈だ。勿論アンテナも相応の長さが必要だし、砲塔上の高い位置に吊るさなきゃならんだろう。
このコンテナの高さだと、何列か挟めばもう戦車の本体は見えなくなるし音も当てにはならんが、おそらくはコンテナの上から伸びたアンテナを先に見つけられて先手を取られたんだ……」
「しかし、大尉殿もよく気が付きましたね。これで米軍戦車と条件は五分ですか」
感心したマイヤー曹長を横目に素早く砲塔内部に戻ると、ベルガー大尉は首を振っていた。
「いや……さっきコンテナの向こうに揺れ動くアンテナの細い線が見えた……数は少なかったが、おそらく敵戦車だ。戦闘機動で何台かアンテナを固縛していたのが外れたのか、それとも少数の隊長車だけアンテナが長いのか……何れにせよ敵はすぐ近くにいるぞ。
それにこの戦車から見えたということは、もしかするとこっちのアンテナを見られたかもしれん」
「そういう、ことですか……しかし、中隊内の通信はどうします。うちの兵隊はともかく、満州人の即席戦車兵を乗せた戦車は無線機無しでは統制取れませんよ」
いつ敵と遭遇するか分からない状況で照準器に取り付いたマイヤー曹長に、ベルガー大尉は諦めたような声で言った。
「短距離ならアンテナを折った状態でも送受信できるはずだ。要は送受信する電波とアンテナ長があっていれば低い位置でも無線は通じる筈だ。
それにちゃんとアンテナを張っていないと通じない程の遠距離通信を行っても、ここじゃ周りのコンテナに阻害されて通じないんじゃないか。この迷宮を出ないと多分大隊系の無線機はまともに繋がらんだろう……」
だが、ベルガー大尉は最後まで言えなかった。言い切る前に連続した発砲音が鳴り響いたからだ。
マイヤー曹長が敵戦車と叫ぶのとどちらが早かったのか分からないが、中隊長車の75ミリ砲が火を吹いていた。ベルガー大尉の真横で砲尾が勢いよく後座すると共に空薬莢が排出されて防危板に当たると、金属音と共に空薬莢入れに落ちていった。
開けたままの展望塔天蓋から発砲で生じた排煙が勢いよく流れていた。その勢いを利用するようにベルガー大尉が頭を展望塔から出して視線を砲口に向けると、急速に広がる砲口煙越しにコンテナから半身を乗り出したように見える敵戦車とその砲塔に浮かぶ赤い円が見えていた。
咄嗟に後方に一度視線を向けたベルガー大尉は、僚車のアンテナがたたまれて大半の各車長が車内に戻っているのを確認しつつ車内通話装置に向かって叫んでいた。
「戦車前ヘ、後続車両の前進を塞ぐな。次弾も成形炸薬弾。移動に合わせて砲塔旋回、後続の敵戦車に照準を続けろ」
続けざまに命じながら、ベルガー大尉は視線を敵戦車に戻していた。先程一瞬見えた赤い円状の痕跡は視界から消えていた。おそらく成型炸薬弾が着弾したことで発生した膨大な熱量が装甲板を赤熱させた跡だったのだろう。
その代わり煙が晴れた敵戦車の姿は一変していた。
擱座していたのは流麗な姿の戦車だった。旧式車体に無理やり無骨な野砲を詰め込んだ砲塔を載せた一式中戦車乙型よりも戦闘車両として洗練されている気がするが、どこか砲塔と車体が釣り合っていない印象があった。
ただし、乙型同様に車体と比べて一回り大きい気がする砲塔には既に貫通痕が生じていた。
咄嗟にマイヤー曹長が放った初弾は成形炸薬弾だった。野砲から放たれた成形炸薬弾は、最後の実戦経験から5年のブランクをものともせずに敵戦車の砲塔に命中していた。
尤もこれ程至近距離から放たれたのだから、マイヤー曹長の腕なら命中しないほうがおかしいのかもしれない。
命中した成形炸薬弾は一瞬の内に炸裂して金属流の貫通体を砲塔内部に送り込んでいたのだろう。命中した位置からして、敵戦車の砲手か車長は高温、高速の金属辺で人事不詳になっているはずだった。
だが、初撃で敵戦車を1両撃破させた興奮は一瞬で消え去っていた。敵戦車の後方にはまだ他にも同型の戦車が蠢いているのが白煙の向こうに見え隠れしていたからだ。
しかも、砲塔を振り回しながら前進するベルガー大尉の一式中戦車乙型からでは、擱座した敵戦車が邪魔になって後続敵戦車は直接狙えそうもなかった。
中隊に先行したベルガー大尉は、先程アンテナを折りたたんだばかりの無線機に向かって叫ぶようにして言った。
「後続車、敵戦車は左側だ。コンテナ一つ向こうに敵戦車だ。真横に向けて撃て。コンテナを破壊しても構わん」
マイヤー曹長が撃破した戦車が邪魔になっていたのか、視界に入った敵戦車も砲口を移動するベルガー大尉達ではなくコンテナ側壁に向けていた。ベルガー大尉達の後続車両がコンテナの向こうに潜んでいるのを彼らも察知していたのだ。
真横を向いた敵戦車砲塔から無造作に伸ばされた砲身は恐ろしく長かった。一式中戦車の原型車が搭載していた砲と同様に対戦車戦闘に特化した小口径の長砲身高初速砲なのではないか。
砲身が突き出されている砲塔前面は急角度で傾斜しているが、車体前面も傾斜しているようだから砲塔と角度も合わせているのかもしれなかった。
前方から観測する形になったベルガー大尉には敵戦車の車体長さは分からなかったが、砲塔はかなり大きかった。内部に収められている主砲の砲架が大きいのかもしれないが、砲塔後部の張出しが伸ばされているせいでそう見えるのかもしれない。
意外と敵戦車の車体規模は小さい可能性があった。車体幅に規制される砲塔リング径に余裕がない為に、大重量の主砲や砲塔前面装甲とつり合いを取るために後部張出しをカウンターウェイトとして使用している可能性があるのだ。
コンテナを1列挟んで敵戦車と対峙するベルガー大尉に後続する2号車以降の中隊各車も、コンテナに主砲を向けて当てずっぽうに発射していた。
敵味方双方の射撃を観測していたのは、コンテナの列が作り出した回廊から転車場として確保していたらしい空間に躍り出たベルガー大尉だけだったが、奇妙な戦闘はまだ始まったばかりだった。
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