1951マニラ平原機動戦7
コンテナ化政策においては最終的に民間船会社が保有する貨物船にコンテナ規格を普及させるのが企画院など政策を推進する官僚達の思惑だったはずだが、実験的にコンテナ規格の改造を受けた初期の船舶には、純粋な戦闘艦を含む軍用艦艇も含まれていた。
単に海軍の艦艇が企画院が無理を通しやすい広義の意味での官公庁船であるからというだけではなかったし、搭載されるコンテナが純粋な輸送用途を想定しているというわけでもなかった。
コンテナ搭載の改装工事を受けた艦種は様々なものがあった。大型艦では1万トン級の条約型重巡洋艦を原型とする八雲が実験艦任務の一環として改装工事を受けていたのだが、中には固有の名前のつかないような大型曳船なども含まれていた。
当然のことながら艦種や船体規模に応じて工事内容にも大きな差異が生じていた。大型艦である八雲では艦尾に12メートルコンテナ固定用の金物が左右舷に2列、計4個分が備えられていたのだが、曳船などの場合は標準より小型の6メートルコンテナ1個積みのみという場合も多かった。
固定金物は同様に取り付けられたものの、コンテナ搭載用途に関しては固定されたものではなかった。曳船などは、状況に応じて艀のように沖合の貨物船と桟橋の間をコンテナを載せて移動させるということもあり得るが、大型艦の場合は純粋に自艦の為に使用されるはずだ。
最も標準的な使い方は輸送用のコンテナをそのまま搭載することではないか。勿論戦闘艦を輸送船代わりに使用するということではない。哨戒などの長距離航行時に追加の仮設倉庫として使用するのだ。
純粋な戦闘艦でも、消耗品をコンテナ内に満載して積み込んでおけば、実質的な航行可能な日数は延長出来るだろう。
勿論本格的な戦闘があれば上甲板にむき出しとなったコンテナが破損する可能性が高い上に、固定金物と配置が近い後部砲塔の射界を制限もしてしまうが、戦闘の可能性が低い長距離哨戒任務なら価値があるのだ。
だが、小野田大佐達は搭載されるコンテナをもっと汎用的に使用することを考えていた。
輸送用に規格化された箱状のコンテナではなく、天蓋や側壁を省いた床面のみの構造に兵装などを取り付けておけば短時間のうちに兵装を追加出来るはずだ。
例えば、非武装の曳船に普段は曳航索用の枠などを予めコンテナ化して搭載しておけばそのコンテナを取り外すと後部甲板を広く使う事が出来るが、そこに機関砲や防盾を備えたコンテナを乗せれば、後方警備用の簡易な砲艇になるのだ。
その程度の軽装備ではとても正規軍同士の戦闘には投入できないが、政情不安なアジア圏の新独立国の中には治安維持用の海上警察部隊としての需要もあるかもしれない。
それに機関砲を対空射撃も可能な型式のものとすれば、同じコンテナをより大型の船に積んで対空砲とすることも可能だった。もちろん本格的な戦闘能力には期待できないが、徴用された特設運送艦の自衛火力程度にはなるのではないか。
あるいは掃海具などをコンテナ上にまとめておけば近海用の掃海艇としても使用出来るし、爆雷を載せた軌条に換装すれば駆潜艇として運用できるはずだ。聴音機などがなければ盲目で戦う事になるが、対潜機材が充実した海防艦の指揮のもとで戦闘を行えばある程度補えるのではないか。
本格的な対潜部隊が存在しなかった海域でも、海防艦一隻が進出すれば部隊単位で対潜戦闘を行うことが出来るようになると考えれば、対潜戦闘コンテナにも意味はあるだろう。
爆雷軌条コンテナは、大型艦への搭載も視野に入れていた。八雲に取り付けられたコンテナ固定金物は艦尾に並列して配置されていたが、これは元々爆雷投下軌条としても使用できる事を考慮した配置だったのだ。
八雲は日本海軍に編入された際の改装工事で日本製の聴音機が追加搭載されていた。だから爆雷軌条コンテナを搭載したあとは艦尾に電話につながった要員さえ配置すれば本格的な対潜戦闘を行うことが可能だったのだ。
ただし、この時点で既に単純な爆雷投下軌条は対潜兵器としては主流では無くなっていた。
構造が単純だから現役に残されてはいたものの、本格的な対潜艦艇であれば爆雷を艦尾に投げ下ろす投下軌条だけではなく、左右舷を指向した爆雷投射機に加えて第二次欧州大戦中には既に対潜迫撃砲などの前方投射兵器も備えていた。
しかし前方投射可能な散布爆雷などの兵装をコンテナに積み込むのは難しかった。艦内からの電話指示で爆雷を落とす程度ならばともかく、射撃指揮を受けて正確な照準をつけるなら火砲の取付位置を厳密に調整する必要があるが、コンテナ固定用の金物にはそこまでの精度は無いからだ。
コンテナに積み込むなら、高精度の射撃指揮を受けて精密に照準を行う砲兵装よりも、最新の自己誘導式兵器の方が向いている筈だった。音響追尾式の対潜魚雷である機動爆雷であれば、聴音機で捉えた敵潜水艦の概略位置に向けて射出すれば後は自律式で誘導されるからだ。
重巡洋艦八雲は、プリンツ・オイゲンと呼ばれていたドイツ海軍時代に装備されていた魚雷発射管を改装工事で撤去していたのだが、コンテナ化によって予想外の形で雷装が復活する可能性があったのだ。
八雲で行われたコンテナ搭載兵装実験の中には、噴進弾の搭載も含まれていた。元々八雲では艦中央部に装備された水上機用の射出機から大柄な対艦噴進弾を発射する試験が行われていたのだが、艦尾のコンテナを利用することで簡易に噴進弾発射管を追加しようとしていたのだ。
だが、この実験の結果はあまり良好とは言えなかった。確かに艦尾コンテナ位置から噴進弾の発射には成功したものの、膨大な熱量を叩きつけられた甲板が炙られて変形してしまっていたからだ。
噴進弾を積み込んだコンテナ自体の形状をもっと工夫することで断熱性を上げないと、この形では恒常な使用は難しいというのが実験から得られた結論だった。
それ以上に、乗員からはこの搭載方法自体に不安の声が上がっていた。コンテナ床面の上に溶接された射出方向を固定するだけの軌条の上に噴進弾が剥き出しで乗せられていたからだ。
しかも甲板の配置上、発射管と艦内の間には発射管制用の電路も仮設されていた。一応は水密布などで覆われていたのだが、僅かな被弾でも炸薬が満載された噴進弾に被害が及ぶ可能性は無視出来なかった。
さらに言えば連続発射中に先行する弾頭に炙られて電路が破断する可能性もあるのではないか。
危険物という意味では従来型の爆雷や機動爆雷でも変わり無いように思えるが、乗員の視点になるといざとなれば信管を無効化して海中に投棄すれば良い爆雷よりも、剥き出しの艦尾に対艦兵器がある方が格段に危険性が高いと思うものらしい。
それに魚雷並みの重量物が艦尾に集中するのも船体のつり合いからすると推進効率などに悪影響を及ぼしていた。
噴進弾の発射で八雲の甲板に損傷が発生したのは、ほぼ直接噴進機関の後方流が甲板に叩きつけられたからだ。
噴進弾搭載用に改造されたコンテナは床面に噴進弾の架台を溶接しただけの不格好なものだったが、最近の空母飛行甲板に装備されているような火炎流を上方に逸らす斜風板を追加するだけでも損傷は大部分防げるのではないか。
それに、この噴進弾搭載コンテナの下に空のコンテナを積んで二段積みとしておけばさらに甲板への被害は防げるはずだ。あるいは下段コンテナには適度に開口して水でも張っておけば気化熱で更に冷却効果が見込めるだろう。
ただし、現状の八雲の配置ではコンテナを多段積みするのは難しかった。倉庫代わりに1段を後甲板に置くだけでも背の高いコンテナによって後部の3,4番主砲塔の射界を妨げてしまうからだ。
平時の哨戒航行ならばともかく、対艦噴進弾を追加搭載して戦闘に赴くのに主砲の射界を塞ぐわけには行かなかった。
いずれにしても、この時に実験が行われた噴進弾は性能が中途半端であったから単なる試験発射のみが行われたのだが、統合参謀部で実験結果の書類を確認していた小野田大佐は、これを有事の際に徴用された貨物船に積込めないかと考え始めていた。
そうした状況から意外な方向にこの研究は進み始めていた。多段積みが可能な貨物船に熱対策用のコンテナと、噴進弾を満載したコンテナを多段積みして即席の噴進弾砲艦として運用するというものだった。
小野田大佐達が想定していたのは上陸支援用途だった。
防備が施された沿岸部に上陸部隊を送り込む場合は、無防備な揚陸艇を援護する為に敵火砲などを制圧する必要があった。
これまでの戦闘では戦艦や重巡洋艦などの大口径主砲の艦砲射撃も行われていたのだが、絶大な威力を発揮する一方で喫水の深い大型艦は上陸に適した沿岸部に接近するのは難しかった。
それに誤射を避ける為に上陸前には大口径砲の射撃を打ち切るか、上空の観測機の支援を受けて射撃目標を上陸岸深部に移行させていたから、上陸直前には軽快艦艇で制圧射撃を行う必要があったのだ。
日本軍ではこうした直接援護に駆逐艦や駆逐艇をあてていたのだが、水上戦闘艦としては小型となる駆逐艦でも外洋航行能力を高める為に喫水が深く、上陸艇を最後まで支援する事はできなかった。
それに、沿岸部を射程に収めていても、艦隊防空用の高射砲としても使用する高初速の駆逐艦主砲では、弾道が低伸して上陸艇を飛び越えた射撃は出来なかったのだ。
その点、陸軍が河川部警備の為に開発した装甲艇やその発展型である駆逐艇であれば上陸直前まで上陸艇随伴することが出来るし、実際にそのように運用されていた。
駆逐艇などは制圧射撃というよりも、生き残った敵沿岸砲を主砲で狙撃する様な使い方もされていたのだが、敵火砲を狙撃するのは制圧力不足の為でもあった。駆逐艇の主砲は戦車砲の転用だから、榴弾威力は野砲程度でしかないのだ。
短時間で広い範囲を一挙に制圧するには、陸上戦闘で行われているように簡易な噴進弾の一斉発射が有効と考えられていた。
噴進弾単体に大きな威力は必要無かった。野砲榴弾程度であっても、一斉に広い範囲に着弾して起爆すれば、敵部隊を撃滅は出来なくとも頭を下げさせて制圧する事は可能な筈だからだ。
実はそのような用途の為に噴進弾を大量搭載した支援艦が改造された事があった。複数の戦車を搭載可能な大型揚陸艇である特型大発の車両甲板に噴進弾投射器を並べた上陸支援艇だった。
これなら揚陸艇に随伴して上陸直前に制圧射撃を行うことが可能だった筈なのだが、実際には少数の特型大発が改造を受けたものの、第二次欧州大戦終結後に退役するか噴進弾を撤去して原型に戻されていた。
噴進弾搭載の上陸支援艇が除籍されていったのは性能面の問題では無かった。むしろ陸海軍の一部ではさらなる大型化を望む声もあった程だ。
特型大発では噴進弾の搭載数が少ない為に、海軍の二等輸送艦を同様の手法で改造してはどうかという意見もあったのだが、戦後の軍縮体制の中でこうした構想が生き残ることは出来なかった。
兵部省などから上陸支援艇の評判が悪かったのは汎用性の欠如だった。
実は座礁式の揚陸艦艇は大小を問わずに戦後も使い勝手の良さから汎用艇として使用されていた。勿論予備艦に編入されたものや退役した艦艇も少なくなかったが、港湾設備の貧弱なアジア諸国などに売却されて純粋な輸送船として運用される輸送艦や、搭載艇や雑用船となる大発などは多かったのだ。
だが、噴進弾を搭載した支援艦艇は、当分その機会があるとは思われなかった大規模な上陸作戦以外に使いみちがなかった。一挙に広い面積を制圧する為だけに考案されていた兵器だから、対艦攻撃は勿論だが、純粋な対地攻撃に使うにも射撃精度が不足していたのだ。
ある意味でコンテナ化改装を受けた大型曳船などは、こうした汎用性を確保するためのものだった。
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