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1951マニラ平原機動戦2

 ルソン島に新たに投入されたのは騎兵科が中核となる第1騎兵師団だったのだが、実際には同師団は前時代的な騎兵部隊などではなく新鋭軽戦車を主力とする高速機械化部隊だった。

 機動性に優れる一方で師団単位で見ても火力や耐久性は未知数だった。中戦車や重戦車を装備した上級司令部付きの戦車隊と比べると、軽戦車大隊が装備するM4軽戦車は装甲が貧弱だったし、機械化された師団砲兵隊も火力より機動力を重要視していたからだ。

 しかもマニラ平原で繰り広げられているのは、騎兵部隊が得意な機動戦とはかけ離れた戦いだった。上陸した日本軍は、大規模な砲兵部隊を投入して徹底した火力戦に移行していたからだ。



 当初海岸線近くに陣地を構築していた米軍に対して、上陸直後の日本軍は拙速とも思える程の勢いで攻め上がってきていた。

 極東米軍司令部は、何年もかけて構築してきたマニラ要塞での防衛戦闘を主に考えていたようだが、その一方で上陸直後の日本軍を叩くことで主力部隊のマニラ要塞収容の時間を稼ごうとしていた。

 マレル少尉達第24歩兵連隊を主力とした部隊にリンガエン湾の海岸陣地を構築させる一方で、一度はアパリに上陸した日本軍支隊に対処するためにカガヤン・バレー地方に進出し始めていた戦車を中核とする機動部隊を引き返させていたのだ。


 極東米軍司令部の思惑は、海岸の第24歩兵連隊で日本軍上陸部隊を拘束する間に、横合いから機動部隊で殴りかかるというものだった。典型的な金床とハンマーの作戦だと言えるが、この作戦を成功させるには双方の部隊に必要な条件があった。

 金床となる部隊は、敵部隊を拘束し続ける間は上陸部隊だけではなく、海上から向けられるありとあらゆる火力に耐えなければならなかった。そして機動部隊は、水際での防御が続けられている間に万難を廃して敵部隊に殺到しなければならないのだ。


 だが、今回はどちらの条件も米軍は全う出来なかった。

 金床となる第24歩兵連隊は、日本軍の圧倒的な海上からの火力に打ちのめされて早々に内陸部への後退を強いられていたし、無理な作戦に付き合わされた機動部隊は進出路と想定した街道が日本軍の艦砲射撃で破壊されていた事もあって、海岸線への進出が叶わなかったのだ。

 更に日本軍は、海岸線から後退して内陸部のロザリオでようやく機動部隊に合流していた第24歩兵連隊残余を夜を徹して追撃していた。もちろん彼らから見れば邪魔な陣地を撃破しただけだったのだろうが、マレル少尉達からすれば死神が追いついてきたようなものだった。



 M6重戦車を含む機動部隊の火力と機動性は、客観的に見れば急追してきた日本軍に劣るものではなかったのだろうが、陣地側面から日本軍最新鋭の四五式戦車が襲撃をかけてきたことで膠着していた状況は一変していた。

 次々と討ち取られる友軍戦車にロザリオの陣地は放棄されて、マレル少尉達も撤退を再開していた。海岸陣地とロザリオと短時間に二回も地獄を見た米軍将兵は追撃に怯えていたが、予想に反して日本軍戦車隊が撤退する少尉達に追撃をかけることはしばらくは無かった。

 上陸した海岸から一定の距離を一挙に確保した日本軍は、艦砲射撃ではなく陸上部隊自前の火砲による支援砲火を受けながら慎重に進撃を開始していたからだ。

 米軍はこれに対して緒戦で大損害を被った第24歩兵連隊や機動部隊を構成していた司令部直属の戦車大隊を後方で再編成しつつ、マニラ平原北東部の縦深を利用した遅滞戦闘に務めていた。


 ゆっくりと、だが着実に前進を続ける日本軍に対して、第24歩兵連隊を含む前進展開していた米軍は後方に設けられていた補給拠点であるサンメリーダ村を中心に陣を敷いていた。

 ただし、マニラとリンガエン湾方面を結ぶ鉄道の駅があるだけのサンメリーダ村は、マニラ要塞から見れば外郭陣地ですら無かった。元々極東米軍司令部は、現在の遅滞戦闘を本命であるマニラ要塞の防衛体制を構築するまでの時間稼ぎと判断しているのではないか。


 このあたりでは比較的大規模な鉄道駅や平地が確保されていたから、サンメリーダ村周辺は兵站拠点には適していたのだが、地形上長時間の防御には向かなかった。

 千メートル級の山岳が連続するサンバレス山脈を背負っている為に背後の防御はさほど考慮する必要はないが、サンメリーダ村の北東方向は中央平原に開放されていたから、急増の野戦陣地を除けば防護には限界があった。



 サンメリーダ村近くで陣地構築に従事しながら再編成を行っていた第24歩兵連隊だったが、その補充は遅々として進んでおらず、士気の低下も著しかった。

 連隊の戦力が実質的に大隊レベルにまで落ち込むほどの大損害を受けていたことも理由の一つだったが、元々第24歩兵連隊が有色人種で構成されていたからという面も無視できなかった。

 補充兵として本土から送り込まれてくるのは白人の兵隊が多く、連隊への配属は容易では無かった。連隊規模として再編成を行うのであれば、黒人大隊と白人で構成された大隊の混成とするか、逆に第24歩兵連隊としての再編成を諦めて黒人大隊として別の連隊に編入させられるのではないか。


 どちらにせよ意気が揚がらない措置になりそうだったが、大損害を被った連隊の中でマレル少尉も中隊長代理を仰せつかっていた。士官学校の卒業から然程経っていない少尉だったが、連隊の士官不足で分不相応の立場になっていたのだ。

 尤も、どの部隊も員数が不足していたから中隊と言っても、マレル少尉が元々率いていた小隊の開戦前の戦力と、今の中隊のそれでは似たようなものでしかなかった。


 おそらくマレル少尉の中隊長代理職はしばらくは続くことになるだろう。補充以前に第24歩兵連隊は最初から将校が不足していたからだ。

 黒人の兵士やそこから選抜された下士官は連隊を満たす程の数が少なくとも開戦前にはあったのだが、中流以上の家庭のものが多い士官になれる黒人は極端に少なかったのだ。

 歴代の連隊長も黒人の方が少ないのではないか。連隊長はともかく好き好んで黒人部隊の指揮を取りたがる白人の下級士官も少ないから、連隊の将校は常に欠員が出ていた。



 そんなマレル少尉率いる中隊に、唐突に陣地構築工事を中断してサンメリーダ駅前の物資集積場への移動が命じられていた。そこで待ち受けていたのが第1騎兵師団の先遣部隊である軽戦車隊だったのだ。

 既にロザリオでの戦闘でM3中戦車やM6重戦車が撃破される姿を目撃していたマレル少尉には、M4軽戦車のスマートな姿は逆に脆弱性を予想させただけだった。

 それに、第1騎兵師団が増援としてルソン島に送り込まれた理由に関しても、マレル少尉は妙な噂を数少なくなった連隊将校団の間で聞いていたのだが、それは少尉を不安にさせるようなものでしかなかった。


 上層部以外に秘匿されていた対日開戦は、米軍地上部隊の内部にも大きな影響を及ぼしていた。大童で米本土でも予備役兵の招集などの動員が開始されていたのだが、中立を宣言したカナダへの警戒に残す部隊やカリブ海の旧大陸諸国領に投入された部隊もあり、太平洋側に動かせる戦力は少なかった。

 一方で第1騎兵師団は歩兵師団とは異なり、機械化部隊であるためか開戦前からの職業軍人が多く、即応性が高かった。そこでルソン島防衛の強化として第1騎兵師団が新たに送り込まれていたらしい。


 だが、こうした正規の情報とは別に、いくつかの噂も流れていた。実際には第1騎兵師団は単に軽量級部隊だから選ばれただけだったというのだ。

 重戦車は勿論だが、中戦車であっても開戦以後の逼迫した状況では大量にフィリピンに送り込むのは貨物船の手配などから難しくなっていた。ところが、これが軽量級の騎兵師団なら移動が容易だったのだ。


 M4軽戦車の重量はM3中戦車の半分程でしかなく、M6重戦車に至っては軽戦車4両分に匹敵するのだ。言い換えればM6重戦車1個連隊分の輸送量で師団が丸々と運べるということではないか。

 実際には第1騎兵師団の編制内にも歩兵連隊や師団司令部があったから輸送船の割当はそれなりに必要だったが、重戦車部隊や、場合によっては大量の生きた人間を運ばなければならない歩兵師団と比べても輸送計画にかかる負担は低かったのだ。

 これが人間以上に細やかな世話が必要な馬匹を大量に装備していた時代であれば騎兵師団の移動は一大事となっていたのだろうが、移動中の車両部隊は手間暇がかからなかった。



 要するに第1騎兵師団は、機械化部隊であるにも関わらず兵站への負担が低いという点を評価されて増援部隊に選ばれた可能性が高いというのだが、やはりこれも歩兵科将校たちの噂だからある程度評価を割引いて考える必要があった。

 結局のところ最後は上層部が騎兵師団の戦力価値をどう判断しているのか次第だろう。単純に陣地に籠もってトーチカ代わりになるなら重戦車1個連隊と騎兵師団では前者の方が有利なほどだが、機動戦なら鈍重な重戦車では騎兵師団の足元にも及ばないのではないか。


 もしもリンガエン湾での戦いの時に機動部隊に騎兵師団が編入されていたのならば、中途半端に内陸部のロザリオにマレル少尉達が撤退する羽目になる前に機動部隊は海岸線に突入していた可能性も高いだろう。

 ただし、その場合に正面から接敵したM4軽戦車が日本軍の戦車を撃破できるかどうかは分からなかった。



 正直に言えば、自分達が物資集積所への移動を命じられるまでは、マレル少尉にとって増援として太平洋を渡ってきた第1騎兵師団の存在はどこか他人事だった。軽戦車部隊を直に見てもその印象はあまり変わらなかった。


 これまで報道写真でみた姿と、目前のM4軽戦車の印象は違って見えていた。砲塔の形状が一回り大きくなっていたのだが、それよりも砲塔前面装甲から無造作に突き出された主砲の砲身がひどく長く、砲だけならM3中戦車にも匹敵する迫力を見せていた。

 マレル少尉は興味深くその構造を観察していた。M4軽戦車は軽量級の戦車といえども戦闘能力は高いようだった。重装甲の敵戦車に対しては、高い観察能力で敵情を正確に把握し、機動力を発揮して適切な位置を確保しながら貫通能力の高い高初速砲による速射で脆弱な箇所を狙うのではないか。


 ただし、小口径高初速砲は貫通能力が高い一方で榴弾威力は低かった。砲弾を高速で飛ばすために薬莢内の装薬の燃焼によって生じる腔圧が高い分、砲身内部でその圧力に耐える弾頭自体の強度が必要だから、榴弾の弾殻を薄くして炸薬量を容易には増やせないからだ。

 これを補うためなのか、主力となるのは報道されていた初期生産型から長砲身砲に砲塔ごと換装した型式のようだったが、大口径砲を搭載しているらしい車両の姿もあった。

 尤も、砲塔が長砲身砲型よりも更に一回り大きくなっているものの、その車両もM4軽戦車であることに変わりはなかった。換装されているのは砲塔のみで車体構造は全く同一であるようだった。


 英軍の戦車の中には主力となる長砲身型と共に短砲身の大口径砲を備えた支援戦車が存在するというが、その車両もその類なのだろう。備砲も長砲身型とは正反対なものだった。

 砲塔こそ大型化されているものの、砲塔から伸びた砲身は車体前縁よりも更に後ろにあった。長砲身型はその細長い砲身を何処かに当てないか心配になりそうなものだが、支援型に関しては全くその恐れはなく丸みを帯びた大きな砲塔から僅かに突き出された分厚い砲身は愛嬌さえ感じられた。

 突き出された砲身はひどく太く見えたものの、実際には保護用のスリーブにすぎず、内装されているのは3インチ級の短砲身だった。榴弾砲よりも更に砲身が短いようだから原型となっているのは山砲なのではないか。



 備砲や砲塔形状は大きく変わっているものの、両車には共通している部分があった。砲塔にはどう見ても乗員用ではない手すりが頑丈に据え付けられていたのだ。

M4軽戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/m4ltk.html

M3中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/m3mtk.html

M6重戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/m6htk.html

四五式戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/45tk.html

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