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1951ある法務中尉の災難3

「あの効率を極めた輸送形態こそが現在我々を悩ませている要因と言えなくもない」

 案内された軍政総監部内の執務室で、挨拶もそこそこにうんざりとした顔で海保少佐がそういうのを、私達のリーダーである田中法務中尉は怪訝そうな顔で聞いていた。



 アパリ港のあちらこちらに居る軍人や軍属に訪ね歩いて私達はようやく赴任先の第二師団司令部にたどり着いたのだが、司令部内で最初に案内されたのが軍政総監部付きという海保少佐が待ち受けていた執務室だった。

 奇妙な事だった。元々司法科高等文官試験合格者として陸軍軍属となった田中法務中尉は兵部省の法務局に所属していた。それが第二師団の法務官に欠員が出たために軍法会議が滞っているとの連絡があった為に、新たに田中法務中尉が配属される事となったのだ。

 師団軍法会議に専従する法務官ということになる田中中尉にとっては、正確に言えば直属の上司となるのは師団軍法会議の長官となる師団長のみとなっていた。


 ところが、田中法務中尉は軍政総監部付きの海保少佐と同じ執務室で勤務することになるらしい。執務室には乱雑に物が置かれた事務机がいくつか並んでいたが、在室している士官は海保少佐と田中法務中尉だけだった。

 それに海保少佐の軍衣は憲兵隊を示していた。軍衣は陸軍のものだったが、三軍合同部隊である統合憲兵隊の所属なのだ。階級や軍衣からするとアパリ周辺の占領地帯を管轄する軍政総監部付きの憲兵隊長といったところではないか。



 占領地の軍政を担当する軍政総監部は、フィリピン方面軍直轄の組織だった。そのフィリピン方面軍も、台湾方面軍から改名したばかりで組織構成は曖昧なところが多かった。

 台湾で編成されていたのはルソン島攻略の為の実戦部隊が主で、上級司令部の指揮下で軍政を担当する支援部隊の編成は遅れていたからだ。


 フィリピン方面軍の基幹戦力は2個軍で構成されていた。同時に軍毎に2方向に投入されることを想定していたのではなく、単に部隊規模が大きいから別れていただけらしい。

 この他にフィリピン諸島には南方のスールー海方面で遊撃戦を遂行している部隊もあったが、そちらは国際連盟軍の混成部隊という性質が強く、航空部隊を除いて日本軍は大兵力を展開していなかった。

 だから純粋にフィリピン方面軍はフィリピン諸島の中核であるルソン島、特に行政の中心地でもあるマニラ攻略を目的とする部隊として大規模に編成されたと言って良いのではないか。

 その一方で方面軍の最終的な目的が米領フィリピンの首都であるマニラの攻略であるとすれば、ルソン島北端に位置するアパリへの上陸は支作戦と捉えるべきだった。



 フィリピン方面軍隷下の2個軍のうち、後から編成されている第2軍は他国からの部隊を受け入れた混成師団や、予備役招集途上で再編成中の部隊が多かった。

 作戦初期の実質的な主力は大規模な砲兵団まで当初から編入されていた第1軍となるが、ルソン島への初上陸となるアパリへの上陸作戦に投入されていたのも、第1軍に編入されていた第5師団だった。


 広島に師団司令部を置く第5師団は、隣接する宇品に陸軍船舶司令部があることもあってか、第二次欧州大戦以前から上陸戦を得意としていた。地中海戦線でも何度か上陸第一波に指定されて真っ先に上陸を果たしていたはずだった。

 欧州大陸における上陸作戦が一段落した後は、重装備の装備率が低く師団単位の火力が低いと判断されたことから、第5師団も他師団との戦力均衡を図るために機動歩兵師団化が行われていたのだが、師団の性質がそれで完全に変わったわけではなかった。


 ルソン島への上陸作戦でも第5師団は一番槍を務めたわけだが、最近になってアパリ駐留部隊は第5師団から同じ第1軍に配属されている第2師団に交代されていた。

 仙台に司令部を設けて東北地方を師管区とする第2師団は、第1軍主力の一翼を担ってリンガエン湾上陸作戦に投入されていた。既にリンガエン湾周辺は日本軍の占領下にあったが、アパリ周辺と第1軍主力が上陸した中央平原の間に広がるカガヤン・バレー地方は未だに米軍の支配下にあった。

 態々第2師団と第5師団の主力はルソン島北西岸を船舶で移動したらしいが、空の揚陸艦を桟橋につければ1万人規模の移動も難しくはなかったのかもしれない。

 むしろ、米軍の存在を無視したとしても、交通手段も未発達なルソン島北部を無理に陸上移動させていれば、行軍中の脱落者も多く出ていたのではないか。

 田中法務中尉は第2師団と第5師団の入れ替えが行われた理由は聞かされていなかった。ただ、両師団共に第1軍の隷下にあったから、上層部の思惑がどうであれ最終的には第1軍司令官の決心によるものと言っても良さそうだった。


 師団の入れ替えが第1軍内部の問題であるのに対して、占領地に置かれる軍政総監部は方面軍の管轄だから両者に直接の関係は無かった。

 それに憲兵隊が軍内の犯罪者を取り締まる警察官の役割であるのに対して、軍法会議に直属する法務官は検察官や弁護士の役割を担う法律家の軍属だった。田中法務中尉と海保少佐は、組織体系の上からも立場の上からも繋がる点は薄い筈だったのだ。



 ところが、田中法務中尉がそうした疑問を抱いているのを察したのか、海保少佐は薄い笑みを浮かべて言った。

「どうやら田中中尉は状況を正しく理解していないようだ。最初に言っておくが、師団法務官である貴官と軍政総監部付きである我々の上司は同じ人物なのだよ。

 アパリ駐留の師団長は先頃隷下部隊ごと交代されたが、軍政総監部の長官は師団長が兼任されている。言い方を変えれば、我々軍政総監部専任勤務のものが第5師団付きから第2師団付きに部署替えになったようなものだ。

 占領地であるアパリ周辺の統治体制強化にさほど重きを置かずに、兼任ばかりで済ませたからこうなるんだが……念の為に言っておくが、貴官の方も師団法務官と軍政総監部付法務官と兼任となっている。法務士官は占領業務でも仕事が多いからな」


 そこで言葉を切ると、疲労の浮かんだ顔で海保少佐は空席の目立つ室内を見回しながら言った。降雨が間近にあったのか、重々しい音を立てて動く扇風機は蒸し暑い空気をかき回しているだけだった。その扇風機に視線を向けたまま少佐は投げやりな口調で続けた。

「これは年長者からの忠告と考えておいて欲しいのだが……貴官が見習い尉官だった東京の省部の方ではどうだかわからんが、ここでは法務官の独自性に拘らずに我々憲兵隊と仲良くしておいたほうが良いと思うぞ。

 もちろん、俺も法律の専門家である貴官ら法務官が軍法会議における司法の独立を守る立場にあることは理解はしているがね。ここでは軍法会議の専門家である法務官はさほど好かれちゃいないから、外出する時は憲兵の護衛がいた方が安心だと言っているんだ。

 空軍の航空基地や鉄道連隊の連中は自分達の仕事で忙しいから士気も高い……というよりも機械的に作業をこなしているようなものだが、占領地帯の民度は昨今急速に低下しているし、師団の下士官兵の士気も低い……

 その前に貴官は今回アパリ守備にあたる師団の入れ替えがどんな理由で行われたか知っているかね」



 急に問われて怪訝そうな顔になった田中法務中尉が首を振ると、海保少佐は顔に浮かべていた薄い笑みを複雑なものに変えて腕組みをしながら更に続けた。

「元々アパリ周辺に展開する米軍は、徴用された現地兵中心の警戒部隊でしかなかったようだ。海空軍による上陸支援の規模は大したことはなかったが、広島第5師団は大きな損害なく上陸すると、短時間で米軍の既存航空基地のみならず基地拡張建設予定地まで進出して確保した。

 前の大戦でドイツ軍相手に何度も強襲上陸を敢行していた歴戦の第5師団からすれば、この程度の上陸戦闘は朝飯前だったといったところかな。

 尤も、第5師団の戦闘は鎧袖一触を絵に描いたようなから仕事ぶりだったが、撤退……というよりも潰走した米軍に取り残された住民は多くてな。軍政総監部として上陸した我々の仕事は、住民の炊出しをして宣撫工作を行うところからだったよ。活躍したのも師団防疫給水部や炊事班ばかりでな」


「その後は後方で報道もされていたと思うが、アパリを占領後に我が主力はリンガエン湾に上陸を図ったのだが、第2師団はその先手として上陸していた。どうも第2師団は上陸と海岸線近くを確保する際の戦闘で集中した損害を被っていたようだ。

 既にフィリピン方面軍は、満州共和国派遣の師団を含む第1軍の上陸を終えて、既に第2軍の一部部隊の上陸を始めているが、アパリ守備と方面軍予備の師団を入れ替えて再編成することになった。実質的には損害を受けた第2師団を再編成するためだな。

 今の所アパリ周辺の米軍に動きはない。というよりもマニラ前面の中央平原の手当で手一杯で、カガヤン・バレー地方にまで米軍も手が回らんのだろう。

 純粋な戦闘状況だけを見れば平穏だから、上陸作戦が一段落して空いている特型輸送艦あたりを使って第2師団の重装備補充と再編成を行うつもりではないか。

 だが、第2師団の将兵は、この方針は納得し難いと感じていたものが多いようだ。広島第5師団は日露戦争時に移動してきた大本営のお膝元という自負があるし、第二次欧州大戦では上陸戦闘を幾度も成功させていた実績もある。

 対する東北から兵を集めている仙台第2師団は、日清、日露と半世紀前の戦争では赫々たる戦果を上げたが、第二次欧州大戦では内地で待機して戦地に出動できなかった。それを前々から苦々しく思っていたものは少なくなかったようだ。

 貴官の生まれが何処かは知らんが、陸軍内には未だに隠然たる会津閥が存在している。幕末期に表面上穏当に新政府に恭順した東北の諸藩だったが、結局新政府の首脳は薩長に牛耳られたと感じたんだな。

 一昔前は良く海の水戸閥、陸の会津閥と言ったものだが、仙台第2師団の将校団や、その影響を受けた下士官兵の中にはまだ色濃くそうした雰囲気が残っておるようだ」



 海保少佐は、そこで卓上に視線を移すと何枚かの書類を掴んで田中法務中尉に見せていた。

「そんな対抗意識がある下士官兵、それに地元出身の若い将校が広島師団と交代して激戦地から遠ざかると言われればどう思うか、火を見るより明らかだったな。

 第5師団が戦果を上げて華々しい戦場に向かうように見えるのに対して、第2師団の方は逆に安穏とした、言い換えればこれ以上の戦果を上げられそうにない地域に都落ちといった状況だからな。

 移動中の第5師団と第2師団の下士官兵が出会うと、そこかしこで乱闘騒ぎだ。広島の兵も会津の兵も喧嘩っ早いものばかりで、しばらく我々憲兵隊も大わらわで、軍法会議送りも少なく無かった。空のコンテナを臨時の営倉に改造するという案を最初に出した下士官は表彰してやりたいくらいだよ」


 田中法務中尉に渡されていたのは軍法会議の記録だったが、すぐにおかしなことに気がついていた。統合憲兵隊の記録は単に軍法会議の出席者や被告人を羅列したものだったのだが、被告人の所属と関わりなく一人の法務官の名前しか記録されていなかったのだ。

 書類に落とした田中法務中尉の視線に気がついたのか、海保少佐はこともなげに言った。

「貴官が引き継ぎする第2師団の前任法務官は存在しない。上陸直後の戦闘で師団司令部にも損害が出て戦死されたそうだ。それで更に代用営倉の中にいる下士官兵はかなり不満が溜まっているようだ。

 なにせ彼らは喧嘩相手の第5師団の法務官に裁かれたと思ってるんだからな。今も総出で外回りをしている我々統合憲兵隊の苦労がわかってくれたかね」

 疲れた顔の海保少佐は、田中法務中尉の手から書類を取り戻すと手慣れた様子で追記して処理していった。私達は不思議に思いながら海保少佐を見つめていた。

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