1951ルソン島沖潜入戦6
発令所から司令塔に上がっていた麻倉大佐は、艦が緩やかに浮上していく感覚を奇妙に感じていた。元々、短距離通信用の空中線を上げて潜望鏡深度近くにいたおかげで伊406の浮上速度は遅かったからだ。
その頃になると艦内から乗組員が水上戦闘用に定められた配置につくために移動する音が聞こえていた。潜水艦乗りらしく音を立てないように移動しているのだろうが、百人以上が乗り込む伊406がいざ総員配置につくとどうしても無音とはいかなかった。
麻倉大佐が陣取った司令塔にも潜望鏡の操作を担当する兵員が飛び込むようにして入ってきたのだが、全員が揃うよりも早く下の発令所から潜望鏡深度に到達したことが伝えられた。
新鋭艦は発令所からでも潜望鏡が操作できるようになっているらしいが、伊406のような一世代前の設計思想で建造された艦にはそんな便利な機能は無かった。耐圧内穀の中央部を貫く潜望鏡周りの構造を作り変えるには初期設計段階から大きく変更を加える必要があるからだろう。
伸ばされた潜望鏡頂部が海面上に突き出されたのを担当の下士官が確認すると、麻倉大佐は潜望鏡基部に取り付いて素早く体ごと一周させていた。事前に確認していたとおり、周囲には他の艦船は存在していなかったし、同時に空中線が上げられた逆探にも反応は無かった。
麻倉大佐は、下士官に合図して潜望鏡を下げさせながら、発令所に繋がる艦内電話を取るといった。
「艦を完全に浮上させろ。浮上と同時に主砲射撃用意を開始。発砲開始は五分後を予定、陸戦隊にもそう伝えてやれ。浮上と同時に電探も作動させろ、遠慮はするな」
伊406は再び艦体を浮上させたが、今度もすぐに浮上は止まった。その前に甲板を波が洗う音とこれまで以上の揺れが麻倉大佐の体躯を襲っていた。既に伊406は完全に浮上を終えていた。見張り員がすばやくタラップを駆け上がると、司令塔の上にあるハッチを開けて艦橋に飛び出していた。
麻倉大佐も見張り員を追いかけるようにして艦橋に上がっていた。既に短い夜は明けかかっていた。背後に見える東の海は、薄っすらと左右に伸びる光が水平線を明瞭に映し出していた。
それ以上に、陸戦隊を送り出した頃は全天に輝いていた星星の光が、曙光から逃れるようにして次々と姿を消していた。
分担して周囲の監視を始めた見張り員の後ろから覗き込むようにして、麻倉大佐も全周を探ると、早くも艦橋構造物前後に設置された機銃座の持ち場に着いた兵員が見えていた。
予想よりも米軍哨戒機の行動が早ければ、彼らだけが対空戦闘の要となるのだ。些か対空火力は頼りないが、浮上行動を最小限に抑えるしか無かった。
そして、艦体前部に視線を向けると巨大な構造物が目に入っていた。自分の艦とはいえ、何度見ても麻倉大佐にはそれはとても潜水艦に搭載するような代物には見えなかった。
だが巨大な構造物である連装砲塔は、ゆっくりと砲身を上げながら着々と砲撃の準備を行っていたのだった。
原型である伊400型と比べて伊406の上部構造物は短縮されていた。
着弾観測と捜索に使用するためとして水上機用の格納筒は前後を入れ替えて残されていたのだが、搭載機は1機分に限られていたし、射出機は元計画よりも短縮したものが配置されていた。それに実際には水上機格納筒は陸戦隊や消耗品の倉庫に転用されていた。
艦橋構造物が短縮された代わりに、独立した構造物が艦橋前方に追加されていた。その全周可能な砲塔構造物からは、重巡洋艦に搭載されているものを原型とした8インチ砲が突き出されていた。
正確に言えば、それは給弾機構などの下部構造物を持つ砲塔では無かった。下部内殻に砲塔下部を埋め込むことが出来なかった為に、一部の高角砲の様に旋回機構を含めて上甲板上で完結していた砲架形式を採用していたからだ。
砲塔内部に積み込まれた即応弾を打ち尽くしたあとは発射速度は大きく低下するが、元々伊406の建造計画の想定では大口径砲を長時間潜水艦から発砲し続けられるとは考えられていなかったのだ。
実のところ、列強海軍で就役した大口径砲を搭載する潜水艦は少なくなかった。その代表格となっていたのは、軍縮条約の特例規定で建造されていた米海軍のバラクーダ級だった。むしろ1万トン近くに達するバラクーダ級の建造を認めさせる為に潜水艦の特例規定を米国が強弁に主張していたのだろう。
英海軍においてもバラクーダ級よりも大口径の12インチ砲を備えたM級潜水艦を建造していたのだが、米バラクーダ級が巡洋艦並の巨体に8インチ連装砲塔を前後2基装備したのに対して、限界旋回式の1門に甘んじることで排水量を抑えていたのだ。
だが、日本海軍では初めて建造された巨砲搭載の潜水艦である伊406は、潜水可能な偵察巡洋艦として計画されたバラクーダ級とは性格が異なり、フランス海軍の潜水艦を参考として計画された、本来は通商破壊用の巡洋潜水艦だったのだ。
伊406潜は、第二次欧州大戦においてヴィシーフランス海軍に所属して通商破壊作戦を行っていたシェルクーフ型潜水艦を参考に、連装砲を搭載する砲撃潜水艦として再設計されていた。
英仏米が、それぞれ性格は大きく異なるものの巡洋艦主砲級の巨砲を本格的な艤装で搭載した潜水艦を建造していたのに対して、これまで日本海軍の潜水艦は備砲の搭載に冷淡だった。航続距離や航空機搭載能力といった浮上時の火力よりも重要視する点が他にあったからだろう。
その方針が一転したのは、第二次欧州大戦中に欧州向けの船団に対する通商破壊作戦に従事していたフランス海軍潜水艦シェルクーフによって大きな被害を受けたのがきっかけだった。
日本海軍でも戦前からフランス海軍が建造していたシェルクーフに関する情報は得ていたが、英国のM級潜水艦同様に理論倒れで実戦の役に立つとは思われていなかったのだ。
ところが、至近距離で大口径砲の砲撃を受けたという撃沈された商船乗組員達からの証言などが相次ぐと、シェルクーフの意外な戦果に踊らされた一部の海軍将校たちによって砲撃潜水艦の建造が提言されていた。
実際にはシェルクーフの戦果だけではなく、軍縮条約が無効化となった後に米海軍が建造を開始した砲搭載潜水艦であるタンバー級への対抗という視点もあったのかもしれない。
バラクーダ級は余りに大柄であったのか、新鋭のタンバ―級は備砲の口径は抑えられていたが、軽巡洋艦級の6インチ砲を連装砲塔1基に収めた火力は無視できなかった。
当時の日本海軍には、運が悪いのか良いのか、中途半端な状態で残されていた伊406が存在していた。もしも本艦の工事が早ければ同型艦同様に噴進弾母艦に最小限の工事で就役していたろうし、逆に主機関の搭載もされていなければ伊407の代わりにシベリアに連れて行かれたのではないか。
この計画の推進者達は、半ば偶然に入手した改装母体として最適な伊406潜を、シェルクーフ同様に主砲塔と着弾観測用の水偵を搭載した砲撃潜水艦に作り変えてしまったのだ。
ところが、フランス本土の解放とヴィシー政権の講和によって明らかになった事実は、日本海軍の期待とは相反するものだった。
日本海軍がシェルクーフの戦果だと考えていたものの何割かは、実際には同時期に作戦海域にいた別の潜水艦によるものであったし、それ以外のシェルクーフが上げた戦果も慎重で有能な艦長が幸運に恵まれた為に生じた偶然に近いものでしかなかったというのだ。
しかも皮肉な事に、戦時中の大部分同艦に乗り込んでいた艦長自身は、砲撃潜水艦としてのシェルクーフの機能をあまり評価してはいなかったというのだ。
つまりシェルクーフの上げた戦果とは、決して砲撃潜水艦という設計方針によるものでは無かったのだが、それに日本海軍が気がついたときは既に伊406の改造工事は取り返しつかない所まで進められてしまっていたのだった。
結局、再就役後も巨砲をもてあましていた感のある伊406は、今その巨砲を初めて実戦で放とうとしていた。
伊406が初弾を放っていた頃、米軍基地を眼下にしながら神咲大尉はある意味で聞きなれた音がしないか耳をすませていた。
既に偵察の大部分を終えた小隊主力は、ゴムボートを隠蔽した場所に撤退させていた。その間に自分たちの痕跡を追って捜索の為に米軍が移動するであろう箇所のいくつかに罠を仕掛けているはずだった。
目前の米軍基地は、規模からしてこの近辺の哨戒を担っている基幹基地であるはずだったが、米軍基地を視界に捉える丘で待機していたのは神咲大尉と少数の観測班だけだった。
小隊の主力を先行して後退させたのは、母艦である伊406までの帰路を短縮するのに加えて、発見した米軍基地を破壊するのが特務陸戦隊の任務ではなかったからだ。
その破壊は、神咲大尉が望んでいた音響と共にやってきていた。長いトンネルの中を列車が通過する時のようなどろどろという轟音が聞こえたかと思うと、米軍基地の外郭付近に凄まじい爆発が起こっていた。
上空に吹き上がる火炎と、巻き上がる土砂の量はあきらかに重砲以上の打撃力をもつ砲撃のものだった。
だが、その光景に驚いたものはこの場にはいなかった。神咲大尉も淡々と修正値を無線機を背負った通信兵に告げていた。彼らが丘に残っていたのは、伊406から放たれた砲撃の着弾観測を行う為だった。
20.3センチ砲の打撃力は絶大だった。重巡洋艦主砲を転用した砲は海上では格上である戦艦の装甲を食い破ることは出来ないが、陸戦では無類の強さを発揮することが出来るのだ。
師団砲兵などが装備する野砲や榴弾砲と比べればその威力は言うまでも無く、射程も遥かに長かった。それどころか並みの要塞砲と比べても大威力であるといえた。
おそらく砲弾を撃ち込まれている米軍の将兵も右往左往しているだけのはずだった。射撃を行っているのが一体何なのか、それも判断できていないだろう。
これだけの巨砲は並大抵の車輌では搭載できない。牽引砲であっても射撃部隊はかなりの規模となってしまうだろう。だから陸上部隊の上陸という可能性は早々に排除されるのではないか。
しかし、水上艦の侵攻という可能性も低いと彼らも判断する筈だった。最低でも重巡洋艦以上の砲撃ということになるが、ルソン島北東部の制海権は曖昧とはいえ、そんな大型艦の接近を見逃すほど米海軍の哨戒は甘くは無いはずだ。
徴用された現地人が大半であろうこの方面の米軍将兵が哨戒部隊を潜り抜けられる潜水艦がこんな巨砲を搭載していると判断する可能性は低いだろう。
米海軍自身にも大口径砲を搭載した潜水艦が就役しているのだが、バラクーダ級は数が少なく老朽化していたから、この方面の将兵には馴染みがないのではないか。
それに新鋭タンバー級のうち米アジア艦隊所属艦は緒戦で日本海軍空母機動部隊が殲滅していたはずだから、練度の低い米軍現地人将兵が咄嗟に伊406の正体に気がつくとは思えなかった。
そう考えながらも神咲大尉はこれを戦訓として日本海軍で潜水艦の砲装備が見直されるということは無いだろうと思っていた。日本海軍の潜水艦整備方針は水中行動能力の強化という方向に向かっていたからだ。
対地攻撃のためだけに特殊な大型潜水艦を整備するのはあまりにも不経済だ。それに今回の作戦では神咲大尉たちが着弾観測を行うことが出来たが、その為だけに上陸部隊を編成するのは難しいだろう。
脆弱な潜水艦が敵前で艦体を晒しながら砲撃を行うのは危険性が高すぎた。それくらいなら他の伊400型潜水艦が改装されたように誘導噴進弾を搭載するほうがまだましだが、何れも海上に姿を表さなければならないという時点で日本海軍の方針には反する気がする。
―――やはり伊406潜のような砲撃潜水艦というのはただの奇形ということか……
そう考えていた神咲大尉の目の前に第二射が着弾した。驚いたことに第二射はすでに敵陣地の中核付近を吹き飛ばしていた。大尉がうなずくと通信兵が、効力射、同座標に続けて撃てと無線機に怒鳴るように言った。
他の兵たちは早くも撤収作業を始めていた。神咲大尉も敵陣地に背を向けていた。あとは伊406の仕事だった。同艦は早くも連装砲塔二門の斉射を始めたらしい。今までよりも遥かに早い発射速度だったから、砲側の即応弾はすぐに撃ち尽くしてしまうだろう。
順調に米軍基地の破壊を続ける砲撃の成果を見届けることなく、特務陸戦隊は伊406へと撤収を開始していた。
伊406潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ssi406.html
バラクーダ級巡洋潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/sfbarracuda.html
タンバー級潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/sstambor.html
伊407潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ssi407.html