1951ルソン島沖潜入戦5
誘導式の噴進弾に関しては、照準や誘導の方式に関する技術開発は日本軍でも未だ手探りで進められていた。どのような手段であっても一長一短があったからだ。
現行の誘導方式で一般的なのは、噴進弾に設けられた動翼を外部から操作して操縦する方法だった。誘導というよりも遠隔操縦と言ったほうが相応しいものだったが、この技術系統に関してはすでに国内外で実績があるものだった。
第二次欧州大戦中にドイツ空軍が実戦投入した対艦誘導爆弾も投弾した母機から電波による誘導を行っていたのだが、海外の例に頼るまでもなく日本海軍でも射撃演習に用いる標的艦や標的機を操作する目的で遠隔誘導技術は開戦前から確立されていたのだ。
もちろんそれらの遠隔誘導技術は未熟で、人間が乗り込んで直接操作する程の精度は期待できなかった。遠隔操縦機構の動作は鈍かったし、操作員と被操縦物の距離によって生じる視野の差異による影響も大きかった。
それでも確立された技術体系を参考にできるという利点は大きかったようだ。
ただし、これを単純に潜水艦から発射される噴進弾の誘導系に適用するのは難しかった。仮に潜水艦の低い艦橋に操縦系統を追加したとしても直接視認できる距離は短く、これが目視の代わりに電探を使用した場合でも捜索範囲は限られるからだ。
視認性の低さは相手から見ても同じだから、潜水艦でも電探は早期見張りには役に立つのだが、電探のみで噴進弾の照準、誘導を行うのは難しかった。
最近では、噴進弾の先端にカメラを接着する方法も研究されているらしいと聞いていた。画像情報を伝送して発射母艦のテレビジョンに映し出しながら操作することで誘導系と操縦者の視線を一致させるという画期的な手法となるという噂だった。
一昔前ならば単なる空想と一蹴されそうなものだったが、映像の無線送信自体は十年ほど前から研究が進められていた。小型化が進めば誘導弾に搭載するのは夢ではないようだが、仮にこれが実用化してもやはり潜水艦搭載噴進弾に搭載される可能性は低いだろう。
画像情報の型式がどんなものになるかは分からないが、母艦と噴進弾の間では画像と操縦という2系統の情報に関して相互に通信を行うことになるだろうから、発射時の火炎流並に盛大に電波を撒き散らすことになるだろうからだ。
通信相手が高速で飛翔する噴進弾となるのだから電波を指向させることは難しく、側面に放射された電波を探知するのは技術的に難しくないだろう。
結局は潜水艦の隠匿性を考慮すれば、誘導系そのものを噴進弾の内部に含ませるしかなかった。
実のところ対艦攻撃用であれば、すでに実績のあるやり方があった。対象から放射される熱線を追尾する方式だった。
魚雷の自己誘導方式には、既に水中で伝播される音響を追尾する方式が実用化されていたが、これを熱源にすげ替えたようなものなのだと解釈すれば潜水艦乗りにもわかりやすかった。日本海軍でも、対艦攻撃用の爆弾にこの誘導系を組み込んだものが既に実戦投入されているとも聞いていた。
尤も今度はこの方式を対地攻撃に適用する事が出来なかった。この誘導爆弾は、一様に温度の低い海面上に浮かぶ艦艇の機関部から発せられる膨大な熱量を追尾する事で、感度に劣る誘導系が追尾するに足りるほどの温度差を生じさせていたからだ。
おそらくは、背景となる地面そのものが無視できないほどの熱を持った地上への攻撃には原理上使用出来るようなものではなかったのだ。そもそも火災現場でも狙わない限り対地攻撃では有意な温度差など生じていないのではないか。
結局、グアム島に撃ち込まれた噴進弾は慣性系による制御が行われていたらしい。複雑な機能では無かった。ジャイロで安定化が図られた噴進弾は、予め定められた飛翔距離になると降下を開始して起爆するのだ。
この方式は、第二次欧州大戦中にドイツ軍でも開発されていたものだった。講和によって大規模な実戦投入こそされなかったものの、占領下のフランス本土などに大規模な射出基地などが建設されていたらしい。
だが、この方式にも潜水艦、というよりも移動体から使用するには無視できない欠点があった。事前に飛翔距離を設定しなければならないということは正確な測距が必要だったのだ。
第二次欧州大戦においてドイツ軍が大々的に飛行爆弾と呼ばれたこの種の誘導噴進弾を撃ち込もうと準備していたのは、大陸反抗作戦の策源地となっていた英本土だったが、当然その位置は既知のものだった。
発進地点と標的がお互いに既知であるのだから、射程距離は事前に地図上で綿密に求められていた。あとは風向きなど外的な要因や故障さえなければ設定した位置にたどり着ける筈だった。
ところが、移動体から放つ場合は、まず自らの位置を正確に把握する必要があった。標的となるグアム島の位置は正確にわかっていても、自艦が存在する洋上の一点を特定しない限り飛翔距離を設定することは出来ないのだ。
既に第二次欧州大戦中には欧州本土を爆撃する際に使用するのを前提に英本土から電波を発して爆撃機を誘導する技術が開発されていたが、投弾を開始する都市上空を大雑把に教えるならばともかく、その地点から更に長距離を飛翔させねばならない噴進弾の発射地点を伝えるには精度が不足していた。
誤差を最小限に収めるためには、念入りな天測などで発射艦の自位置を把握して初期値を噴進弾の誘導部に設定する必要があったが、それでも初期の誤差は無視出来なかった。おそらくは機能上の問題が生じていないとしても着弾点は大きくばらけているのでは無いか。
そもそも噴進弾を射出すると共に慌ただしく退避する潜水艦群は、着弾を観測する事はできなかった。決して狭くはないグアム島のどこかで起爆したのか、あるいは故障や射撃値の誤差で無駄に失われたのか、それを判定するには外部からの視点に頼るしか無かった。
米軍が日本本土に対して行っている戦略爆撃の拠点となっているグアム島は、日本海軍の潜水艦によるものだけではなく硫黄島から出撃する空軍の攻撃対象ともなっていた。
日本軍は小笠原諸島などを後方根拠地として、太平洋の孤島である硫黄島の基地化を急速に進めていた。航空部隊の他に対空部隊や迅速に復旧工事を行うための機械化工兵部隊である飛行場設営隊、そして何よりも多大な労力を欠けて補給が送り込まれていたのだ。
グアム島から出撃する米軍からみても、単なる監視哨ではなく日本本土の前衛をなす防空戦闘隊の拠点ともなっている硫黄島は厄介な存在らしく、両島間では熾烈な航空撃滅戦が繰り広げられていた。
航空戦闘の合間を縫うようにして、グアム島上空には戦果確認などを目的とした司令部偵察機が出撃していたのだが、高速爆撃機による戦果と夜間に行われた潜水艦による噴進弾の戦果を時間が経ってから正しく分離するのは困難だった。
いずれにせよ、日本本土への戦略爆撃が散発的に繰り返されている現状を考慮すると、航空撃滅戦も夜間対地噴進弾攻撃も米軍重爆撃機隊に対して十分な戦果を上げているとは言えなかった。
結局、伊400型による対地攻撃は戦果が判然としなかったが、同型の噴進弾母艦としての能力は噴進弾の性能向上によって増大する可能性は残されていた。
初期建造艦が工期を短縮する為に原型を維持した形で再就役していたのに対して、潜水空母計画が正式に中止された段階で進水前だった未完成艦は、噴進弾母艦とは異なる姿で就役していた。
後期建造艦とも呼ばれるこれらの艦は、伊400型の原型とは大きく離れて、巨大な船体を生かして一種の実験艦として改装されることになっていたのだが、伊406潜はその中でも特異な兵装を装備した形で再就役していた。
伊406潜が特務陸戦隊を送り出した後も沿岸部の浅瀬で危険を冒しながら待機しているのもその兵装のせいであると言えなくもなかった。
ただし、伊406は日本海軍の潜水艦としては異様な兵装を搭載していたにも関わらず、船体構造には大きな変更は無かった。船体工事は計画が中止される時点でほぼ進められていたからだ。浮力を保つ為の最低限の工事が行われた時点で未完成だったのは上部構造物だった。
巨大な伊400型は、非耐圧の外殻を剥ぎ取ると3本の水密構造物である内殻で構成されていた。大型化して並列に耐圧船殻を繋いで眼鏡型となった下部船体と、水上偵察機を収容する為の格納庫となる上部構造物だった。
噴進弾母艦に改造された初期建造艦ではこの水密構造である水上機格納筒内が噴進弾弾庫となるのだが、伊406は改設計によって上部構造物を大きく変更した形で建造が再開されていたのだ。
尤も、更に後期の建造艦である伊407は上部構造物が更に簡素なものになっていた上に、下部船体、特に外殻部分の形状まで大きく変更されていた。
建造が遅れていた伊407は、下部船体のうち水密構造の内殻部が大部分むき出しという異様な姿で建造船渠から引き出されていたらしい。船渠内の追加工事で内殻が漏水しそうな箇所は仮止めされていたらしいが、工事がいい加減であれば浮力を発揮せずには引き出されると同時に沈んでいたのでは無いか。
だが、伊407の再改造工事に関しては機密が多かった。上部構造物は格納庫などの独立した水密構造を廃した艦橋機能に特化した、呂号潜水艦のような簡素なものに作り変えられていたようだが、それが本当であれば内殻は船体主要部の眼鏡型構造だけとなるから、上部の水密格納筒を省く大設計変更だった。
日本本土で建造されていた伊407は、船渠から引き出された後に遥々シベリアまで曳航されていった。シベリアの研究都市で開発中の新型エンジンに換装するという話だった。
だが麻倉大佐は、元々ディーゼル機関関係の研究開発に従事していた部下から妙な話を聞いていた。新型エンジンというからドイツから接収されたヴァルター機関関係の装置だと考えていたのだが、実際にはその手の技術調査は内地の海軍系の研究所や機関学校で行われていたらしい。
しかも、取り扱いの難しいヴァルター機関の燃料系統に接した日本海軍は、早々とヴァルター機関は今のところ戦闘艦の主機として武人の蛮用に耐えうる段階にはないと判断していた。
実際、日本海軍よりもヴァルター機関に前のめりだった英国海軍でも、散々な結果に終わった実験艦の建造でヴァルター機関には懲りたという話も伝わってきていた。
元々第二次欧州大戦中に英国研究者の疎開先として大規模な開発が進められていたシベリアの研究都市は、そのような既存技術ではなく先端技術の開発や研究を行う為の施設が設けられているようだ。麻倉大佐の元部下は昨今話題の原子核に関わるものなのではないかと話していた。
何でも原子核を上手く操作すると、火薬や燃料の燃焼や爆発によって得られるよりも桁違いの反応が得られるらしい。伊406の再就役で慌ただしかったその時の麻倉大佐は話半分で聞いていたのだが、俄に開戦と同時の米軍による「核攻撃」が行われたことでその話を思い出していた。
原理原則で言えば、シベリアで開発中だったという新型機関は米軍の新兵器と同質のものではないかと麻倉大佐は考え始めていた。
米国は核による反応を爆弾として使用したが、シベリアの新型機関はディーゼルエンジンがシリンダー内の爆発をクランク軸の回転運動とするように安定した動力として取り出すものなのだろう。
そして米軍は新兵器として核爆弾を使用したが、日本海軍も既に伊407を実戦に投入していた。シベリアではその後続の艦も就役間近だと聞いていた。
―――もしかすると、従来型の潜水艦が活躍するのはこの戦争が最後になるのかもしれない……
海面上に伸ばされていた無線機用の空中線に神咲小隊からの無線が入ってきたのは、麻倉大佐が艦長席でそんな事を考えていた時だった。
待機していた通信士からの報告を聞き終える前に、麻倉大佐はその体格からは信じられないほど機敏な動きで海図盤に取り付いていた。
今回の作戦で特別に配布された海図には、簡易ながらフィリピン島内の地形も記載されていた。神咲大尉から送られてきた座標を地図に書き込みながら麻倉大佐はこれまで所在投げだった副長を呼んでいた。
「どうだろう副長、ここまで本艦の砲で届くかな」
「そうですね……海岸線から陸戦隊の連中が言ってきた座標までがざっと約5キロ、海岸線から本艦の位置までも約5キロ、計約10キロになりますから、これ以上海岸に接近することなく砲撃は可能です。あとは陸戦隊による着弾観測と本艦の測定誤差次第ですね」
「うん、そうだな……」
僅かに考え込んでいた麻倉大佐は、顔を上げると言った。
「よろしい……総員起こし、水上砲戦部署だ」
後半は発令所の隅まで聞こえるような声になっていた。奇妙な命令だったが、発令所の誰も疑問に思った様子はなく復唱していたのだが、復唱が帰る頃には、早くも麻倉大佐は上に上がるタラップを掴んでいた。
「本艦は浮上、潜望鏡深度へ、俺は司令塔へ上がる」
その身に似合わぬ速さで麻倉大佐は司令塔に駆け上がっていた。
伊407潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ssi407.html