1951ルソン島沖潜入戦2
神咲大尉達が母艦から海岸線までの移動に使用しているのは3隻のゴムボートだった。水上機用のものを転用した格納庫だから3隻もの数を確保出来たのだともいえるが、それまでの小発と比べると格段に軽量で運用性が向上したゴムボートのおかげでもあった。
特務陸戦隊で使用されているゴムボートは元々フランス軍が採用していたものだった。対独講和と同時に自由フランスに合流したフランス本国で製造されていたのを、運用の容易さに目をつけた特務陸戦隊が採用したのだ。
軍用としてはフランス海軍で先行して採用されていたゴムボートは、以前特務陸戦隊で使用されていた小発などと比べると遥かに軽量で人力で可搬が容易である上に、手間はかかるが空気を抜けば偽装も容易であるという利点もあった。
欧州の戦場では神咲大尉達も潜水艦の艦外に固縛して輸送可能な水陸両用車である特二式内火艇などを幾度か使用していた事もあったのだが、潜水艦側からは抵抗の大きい水陸両用車の艦外搭載は嫌われていた。
それに大量の爆薬などを運び込む沿岸部施設の破壊工作などに使うならばともかく、今回の様に敵地に隠密上陸を行うなら目立たない様に黒色に塗られたゴムボートは最適の機材だった。
いつもながら順調に回転を続ける簡易な船外機の音は眠気を誘っていたが、乗り込んだ特務陸戦隊の隊員達は眠気を感じるどころではなく、機関短銃を構えたままで鋭い目線を周囲に向けていた。
杞憂ではなかった。母艦を発進してしばらくしてから、舳先に陣取って海岸線を見張っていた兵が、視線を海岸線に向けたまま神咲大尉を声を押さえて呼んでいたからだ。
その兵から海岸線の一箇所を指差された神咲大尉はその方向に双眼鏡を向けた。うねりによって双眼鏡の狭い視野は安定しなかったが、そこには周囲を巡回する米軍兵らしき一団が見えていた。
ただし、海岸の警備に当たっているのだろう米兵達の練度はあまり高いようには見えなかった。
一応武装はしているのだが殆どの兵が小銃を負革で肩に担いだままか、逆に無闇矢鱈と周囲に銃口を振り回すばかりで隊内の役割も曖昧なようだった。その視線も単に恐怖心から無闇矢鱈と周囲を見回しているだけで、見張りの意味をなしていなかった。
距離があって装備品の詳細は分からないが、前線の米正規軍と比べると貧弱な気がする。体格も貧弱なものが多いから、おそらくは現地人で構成された二線級の部隊なのだろう。装備も旧式化したものが員数合わせに支給されている程度ではないか。
―――米軍は、この方面からの上陸を想定していないのか……
海岸の米兵達から気が付かれないように、ゴムボートの船外機の出力を落として惰性と櫂で海岸線まで航行するよう命じながら、神咲大尉はそう考えていた。
開戦前から米軍はフィリピン諸島の兵力を密かに増強していたようだが、その主力はマニラ要塞地帯の正面に集結しているか、スールー海方面から迂回する国際連盟軍に対応しているのではないか。
日本軍が中核となった国際連盟軍の主力は、ここから百キロ以上離れたルソン島中央平原北部を進撃していた。上陸直後に橋頭堡を固めた後はふんだんな支援砲撃のもとで慎重に南下を開始していたから、態々条件の悪い箇所に上陸してくるとは考えていないのかもしれない。
あるいは、単にルソン島の全方面を警戒するほどに米軍の予備兵力に余裕は無いのかもしれないと考えたところで神咲大尉は首を振っていた。自分達の任務は、あくまで敵哨戒部隊の無力化を手段とした米軍の撹乱だった。その過程で得られた情報を分析して敵情を把握するのは参謀達の仕事だった。
特務陸戦隊は、師団級の規模に拡充されていた日本海軍の常設陸戦隊の中でも最精鋭の陸上戦闘部隊として知られていたが、その編制だけみれば軽装備の歩兵部隊に過ぎず、その規模も全隊員を掻き集めても陸軍の一個連隊に満たないほどでしかなかった。
だが、大規模上陸戦における先行隠密偵察を主目的として設立された特務陸戦隊は、第二次欧州大戦においては英国のコマンド部隊などと共同で独飛行場などへの海岸からの攻撃等の撹乱任務をもこなしていった。
特殊戦の分野は、第二次欧州大戦で急速に進んでいた。これまでの戦闘でも少人数の部隊で後方での撹乱などが行われた事例は多いが、これを大規模に組織化した事例はなかったのではないか。
特殊戦部隊は代えの聞かない人員を補充するのも難しいし、大抵迅速に行動することから少数の編成になっていた。重装備も少ないから仮に正面から正規軍に相対すれば短時間で殲滅されてしまうだろう。
だが、正規軍がとる戦術からはかけ離れた少人数の部隊による後方撹乱や破壊工作は、場合によっては何万人もの敵兵や、国家規模の戦略を混乱させることが出来たのだ。
本来、日本海軍の特務陸戦隊は対米戦を睨んで設立した部隊だったが、ある意味での仮想敵となっていたのは先行して日本陸軍で編成された特殊戦部隊である機動連隊だった。
装甲兵車に乗り込む機動歩兵などの日本陸軍では大雑把に機械化を意味する機動の名を冠されながらも、機動連隊の将兵は己の身一つでの潜入すら訓練された部隊だった。
機動連隊という名称も全軍から下士官ばかりを集めて編成していた当初の欺瞞名称でしかなかったからだ。初期は機械化部隊への配属を夢見て意気揚々と営門をくぐった下士官が、自分より格下の兵がいなくて落胆すると言った喜劇もあったらしい。
旅団規模に拡大された今では帝都に近い習志野に駐屯地を設けていたが、元々機動連隊は遼東半島南端に日本帝国が得た租借地である関東州で編成が開始されていた。
但し機動連隊が想定していた戦場は狭い関東州ではなかった。実質的にソ連とシベリアーロシア帝国との国境線となっているバイカル湖周辺の戦線に投入される計画だったからだ。
お互いに相手に自分達の正当な領土を占領されていると主張する両国は、旧ロシア帝国がバイカル湖南部に建設していたシベリア鉄道を遮断するように永久陣地を構築していった。厳しい自然環境にも関わらず相当な土木量が投入された陣地群は、すでに要塞と呼べるようなものだった。
第一次欧州大戦と同様、あるいはそれ以上に堅固なものに進化した要塞地帯を正面から突破するのは容易ではなかった。そこで密かに敵地後方に侵入して破壊工作を行う機動連隊が編制されていたのだ。
高高度からの隠密降下など特異な技能を研究開発していた機動連隊だったが、逆にソ連軍に要塞地帯を突破された際も、占領された地域に潜伏して脆弱な後方連絡線への襲撃を行う予定だった。
密かに行われていた機動連隊の編成作業を日本海軍が知らされていたのは、予想戦場となるシベリア地方の冬季訓練に彼らが参加していたからだ。現地には、シベリア特別陸戦隊を改編した海軍第1陸戦師団が駐留しており、普段はウラジオストクに司令部を置く陸軍遣露軍団とも密接な関係にあったのだ。
シベリアーロシア帝国建国のきっかけとなった二人の皇女救出に日本海軍が関わっていたものだから、同国との外交上も同地で大規模な陸戦師団を維持しなければならなかったのだが、機動連隊に倣って陸戦隊内に編成された特殊戦部隊の予想戦場は、シベリア地方ではなく太平洋の島嶼部だった。
編成直後に投入された欧州の戦場で更に英コマンド部隊などの影響を受けた特務陸戦隊は、隠密上陸と沿岸部での破壊工作を得意とする部隊となっていたが、全体で見れば軽歩兵部隊に過ぎないという点は変わらなかった。
だが、孤立無援での戦闘を前提としている感すらある機動旅団の隊員達と比べると、本隊上陸前に密かに観測地点を確保して、艦砲射撃の着弾観測などを欧州の上陸作戦で行っていた様に、特務陸戦隊は外部の支援火力を要請することに頓着しなかった。
元々潜水艦や揚陸艦などを用いない限り辿り着くことすら出来ない孤島が特務陸戦隊の予想戦場だったのも影響しているのかもしれなかった。特務陸戦隊の戦闘は単独では成り立たないものだったのだ。
第二次欧州大戦の終結に伴って、英国軍は伝統ある正規軍の戦術に反するコマンド部隊の大部分を解散させていたが、特務陸戦隊は陸軍において同様の任務を担当する機動旅団ともども解隊されることなく、常設の特殊戦部隊として逆に拡充がはかられていた。
ソ連が戦いの矛を収めた以上は、当分は特殊戦部隊の出番も無いであろう欧州と違って、大戦後のアジアではあちらこちらで小規模な特殊戦部隊を投入するのに相応しい混沌とした紛争が勃発しようとしていたからだ。
大戦に前後して欧州列強がアジア圏に建設していた植民地は続々と独立していったが、その背景には現地知識人階級の成長による民族主義的な独立運動の激化、それにともなう統治費用の上昇という現実的な問題があった。
欧州からの入植者達によって行われた米国の独立とは異なり、アジア圏の植民地は先住の現地人に高度な教育を与えた事によるものと言えなくもなかったが、植民地を円滑に運用するには現地人官僚の育成は必要不可欠だった。
いずれは独立を求める声が現地から大きくなることは避けられなかったのではないか。
ただし、フランスが戦時中の自由フランスへの協力に対する見返りという理由、英国が冷徹な収支計算の結果として植民地の独立を容認していったのに対して、欧州大戦で疲弊したオランダは、大戦終結後も植民地からの収奪によって本土を再生させる資金を得ようとしていた。
オランダ領東インド諸島は、戦時中に王室が亡命していたことで、その護衛としてアジアで温存されていた戦力が結果的に独立運動を押さえ込んでいた。周辺諸国も物資供与などの形で国際連盟軍に協力するオランダ亡命政府による植民地統治を認めていたのだ。
だが、オランダは大戦中に密かに植民地の知識人階級の間に広がっていた独立運動を理解せずに、欧州から戦犯追求を逃れるために移住してきたドイツ系移住者を尖兵として植民地への弾圧と収奪の度合いを戦後も強化させていた。これがオランダ領東インド諸島の独立紛争の激化を招いていたのだ。
実のところ、日本帝国は自分達の裏庭で激化していた独立闘争に、当初は大した関心を抱いていなかった。
一部の民族主義的な団体は亜細亜の同胞を救えと訴えていたが、それが世論の主流となることはなかったのだが、独立闘争に英仏旧植民地から脱出した共産主義者が合流し始めると状況は一変していった。
元々英仏本土などで高度な教育を受けた現地人上流層子息の間に勢力を伸ばしつつあった共産主義は、組織化される以前に現実的な政治的権力が現地人の手に渡るにつれて、民族解放というお題目が色褪せていった。
次々とマラヤ連邦など旧植民地の独立を主導した民族主義者達から理想的な主義主張を唱えるばかりの共産主義者が排斥されていく一方で、転向を拒否した熱烈な共産主義者達はオランダ領東インド諸島に流れ着いていった。
自分達の影響圏から共産主義者を排除することに成功した一方で、広大なオランダ領東インド諸島がアジア圏に食指を伸ばそうとする共産主義勢力の聖域として確保されかねないと判断した日英の情報関係者は、両国を繋ぐ航路を確保するために積極的な独立闘争への介入を始めていた。
その物理的な手段として特務陸戦隊も投入されていたのだが、この独立運動の支援が巡り巡って日米間の開戦につながるとは皮肉なものだと神咲大尉は考えていた。
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