表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
717/814

1951ルソン島沖潜入戦1

 中天に浮かんでいるのはすり減った車輪のように薄く頼りない新月だったが、太陽の光を反射する月明かりがないせいか逆に全天に輝く星々の明かりが海面にまで達していた。

 同時に、星明りによって照らし出されたルソン島東岸も薄っすらと光って見えていた。おそらく淡く光っているのは、シエラマドレ山脈に属するどれかの山なのだろう。ルソン島東岸に走る長大なシエラマドレ山脈は、外敵から肥沃なカガヤン・バレー地方を守るように海岸線にまで迫っていたからだ。

 シエラマドレ山脈によって、ルソン島の東岸に大規模な上陸作戦を行うのは難しかった。神咲大尉が率いる特務陸戦隊1個小隊が向かうベーラー湾も本来はその例外ではなかった。



 カガヤン・バレー川の支流が流れ込む南北20キロほどもあるベーラー湾は、周辺の地形図を一見すると上陸適地に見えた。浅瀬の湾奥にはカガヤン・バレー地方を縮小したように農地が広がる平野部があったからだ。

 実際、河口近くの三角州から源流に向かって走る街道をたどっていけばルソン島の中核である中央平原に達するというから、カガヤン・バレー地方に展開する米軍と中央平原のマニラ要塞地帯とをつなぐか細い連絡線を遮断するのも不可能ではなかった。


 ただし、太平洋で発生し、南北に長いルソン島でせき止められた波浪が集中するのか、あるいはシエラマドレ山脈から吹き下ろされる風が強いのか、ベーラー湾内の波浪は強く、星明りに照らされた夜の海面も泡立って見える程だった。

 それにベーラー湾近くには大規模な港湾部も存在しないから、日本軍主力が上陸したリンガエン湾などと比べると上陸地点としての利点は少なかった。



 油断すると湾内を走る波に押し流されそうになるゴムボートの上から神咲大尉は苦労して振り返っていた。大尉達をベーラー湾の奥まで危険を冒して輸送してくれた母艦は、海面を照らす星明りから逃げ出すように既に潜航を開始していた。

 母艦は巨体の割に潜航速度は早かったが、昨今の新鋭艦と比べると艦外への突出物が大きいから、潜航深度が浅いと海面状況の影響が強いとも聞いていた。通信を確保するために夜明けまでは潜望鏡深度を保つという予定だったから、艦内は揺れが激しいかもしれなかった。


 ―――何度見てもこの光景は慣れないな。

 内心の不安を押し殺しながら神咲大尉は視線を海岸線に戻していた。第二次欧州大戦中に特務陸戦隊に配属された大尉は、幾度も敵地への隠密上陸を成功させていたのだが、潜水艦からの発進時はいつも母艦から見捨てられるのでは無いかという恐怖に囚われていたのだ。

 だが、今回の作戦でルソン島東岸に侵入するのは神咲大尉達だけではなかった。この場所からは確認できなかったが、時間を合わせてルソン島東岸では他にも数隻の潜水艦が特務陸戦隊に所属する他の小隊を発進させていたはずだった。


 敵地の奥深くにまで潜入するという危険な作戦であるにもかかわらず、特務陸戦隊を輸送したのはすべて第二次欧州大戦時に建造されていた一世代前の巡洋潜水艦ばかりだった。

 電探などの電子機材は率先して追加搭載されていたが、夜間とはいえ洋上で無防備に浮上させるには躊躇せざるを得なかった艦も多いだろう。

 使い勝手の良い中型潜水艦や、水中行動能力を高めた新鋭潜水艦ではなく、一世代前の巡洋潜水艦が作戦に投入されていたのは、それらの潜水艦が航空機格納庫を装備していたからだった。



 第二次欧州大戦時には既に水上機の運用は限定的なものになっていた。空気抵抗となる浮舟を抱えざるを得ない水上機では、格段に進化した陸上機形態に性能面で対抗出来なかったからだ。

 しかも水上機を回収するには、着水した機体が無防備となった母艦に接近してデリックで吊り上げるという手間暇がかけられていた。限定的な使い方しか出来なくなっていた水上機の為に、母艦も長時間危険に晒してしまうのだ。


 日本海軍では偵察機の枠を越えた攻勢用の機材として水上機を運用する計画もあった。巡洋艦搭載の水上機のうち軽快な複座機に急降下爆撃能力を与えて、空母搭載機と共に艦隊決戦における初期に発生するであろう空母部隊同士の航空撃滅戦に投入しようとしていたのだ。

 ところが、この戦法において要となるはずだった艦隊型の高速水上機母艦は早々と大戦中に搭載機を変更していた。

 日本海軍の高速水上機母艦は、自らが水上戦闘に突入した巡洋艦に帰還出来なくなった水上偵察機を回収する為に整備されたものだったから、本格的な水上爆撃隊を編成するには欠かせない機材だったのだ。


 大戦当初から水上機母艦は当初の想定とは異なる運用がなされていた。有力な空母を保有しない欧州諸国相手では航空撃滅戦を伴う艦隊決戦が発生する可能性が低いからだ。

 本来搭載機を格納する為の艦内容積の大きさや艦隊に随伴する為の充実した自衛用兵装、何よりもその速力を活かして高速輸送艦として運用されていたのだが、大戦末期には性能向上に限界が見えていた水上機用の運用に見切りがつけられていた。

 結局、大戦終盤の高速水上機母艦からは、水上機運用機材も陸揚げされて、より簡素な回転翼機が連絡機として運用されていた。垂直離着陸が可能な回転翼機は、ある程度の面積がある甲板さえあれば洋上でも運用は容易だったからだ。



 水上爆撃機構想を除くと水上偵察機の搭載は長距離の索敵能力を艦隊に付与するためのものだったのだが、短距離であれば対水上電探の性能向上である程度補えるようになっていたし、広範囲の索敵は空母から運用される艦上偵察機の充実によって補う方針だった。

 専用の艦上偵察機でなくとも、対水上見張り電探を装備した艦上攻撃機が索敵に投入される事も多かった。逆探による探知の危険性もあるが、むしろ索敵範囲は肉眼よりも電探の方が広がっていたからだろう。

 次第に巡洋艦からも運用に制限のある水上機は撤去されていった。中には水上機母艦と同様に連絡機や短距離の対潜警戒、艦砲射撃時の着弾観測など多用途に使用できる回転翼機を搭載機とする艦もあった。


 だが、水上艦の様にいくら使い勝手が良いからと言っても、巡洋潜水艦の数少ない搭載機を水上偵察機から回転翼機に転換する事は出来なかった。潜水艦搭載の偵察機は、索敵範囲に劣る潜水艦が敵要地の索敵を行う為の機材だったからだ。

 大戦中のドイツ潜水艦隊では、簡易な回転翼機を搭載して見張り員を上空に上げるという形の運用も検討されていたというが、そのような変則的な運用は潜水艦の隠蔽性を失わせることにも繋がるのではないか。

 実際ドイツ海軍から得られた情報では、何隻かの潜水艦に搭載されたのは回転翼機というよりも無動力の凧のようなもので限定的な使い方しかできなかった上に、乗員の犠牲を伴うものだったようだ。

 第一、単に索敵範囲を拡大するだけであれば、電探や逆探が充実していれば潜水艦内に収容できる小型化された回転翼機を無理に詰め込む必要はない筈だった。


 結局は巡洋潜水艦であっても水上機の運用に消極的になって久しかったのだが、不要となったはずの水上機を収容可能な水密格納庫は意外なことに特務陸戦隊には使い勝手が良かった。

 密かに上陸を行うとはいえ、何かと嵩張る特務陸戦隊の機材や人員を狭い潜水艦の艦内に収容するのは難しかったのだが、装備品の収容や仮設居住区を設けるのに水上機用に設けられていた格納庫を転用する事が出来たのだ。

 これが最新の水中高速潜などを母艦として運用した場合、水中での行動能力には優れるものの、とてもではないが大所帯の陸戦隊と装備を収容することは出来ないから、この作戦はもっと小規模なものになってしまっていただろう。



 実は、日本海軍には艦内に輸送用の空間を設けて輸送用の潜水艦とした伊361型も存在していた。その輸送潜水艦であれば容易に大勢の陸戦隊を輸送出来るのだが、実際には同型潜水艦が特務陸戦隊の母艦として運用されることは稀だった。

 輸送用潜水艦として設計されたために伊361型の戦闘能力は低いし、貨物倉に空間を取られて大柄となった船体では水上、水中を問わず行動能力は低かった。

 何よりも陸戦隊1個中隊という積載量は、隠密上陸作戦を行う機会の多い特務陸戦隊には過剰な輸送力だった。普段は特務陸戦隊は現在のように小隊や場合によっては分隊にも満たない少人数で行動する事が多かったからだ。


 実際には輸送潜水艦である伊361型は密かにハワイ王国方面に投入されているようだった。占領下のハワイ王国軍は、米軍との正面衝突を避けて残存する兵力で山岳地帯に逃れていたという情報だったのだが、輸送潜水艦群はその支援に従事しているというのだ。

 本国を米軍によって占領されたハワイ王国だったが、侵攻を受けていたまさにその時に国王から皇太子に指名されたアイカウ大佐が乗艦ごと日本帝国に亡命していた。当時、オアフ島は既に米軍の包囲網にあったから、皇族の中で唯一島外で行動が自由だったアイカウ大佐に希望を託したのだろう。

 そして先の欧州大戦時に英国に逃れた欧州諸国と同様に、国際連盟はアイカウ皇太子の亡命政権をハワイ王国を代表する正統政府と承認して、同国を国際連盟軍の一翼であると宣伝していた。



 太平洋の中央部に浮かぶハワイ王国から国外に逃れられたのは第二次欧州大戦後に売却されていた元日本海軍の鵜来海防艦である哨戒艦ハレクラニ一隻だけだったのだが、旧ハワイ王国軍が壊滅したわけではなかった。

 十隻程度の戦闘艦を有していたハワイ王国海軍は、脱出したハレクラニを除いて洋上で撃沈されるか無防備な入港中を拿捕されていたようだが、住民の広範な支持を受けた王国陸軍の残存勢力は、ハワイ諸島を構成する火山島に特有の険峻な山岳地帯を拠点として戦力の温存と遊撃戦に移行していた。


 だが、一般的な消耗品は住民の支援で入手できるだろうが、占領軍の手を逃れて持ち出された正規の兵器や弾薬の類は消耗する一方の筈だ。それに規模の小さいハワイ王国陸軍は、地の利はあっても遊撃戦の高度な知識は無かった。

 だから、ハワイ王国陸軍残党を支援するために、特務陸戦隊と並ぶ日本軍の特殊戦部隊である陸軍機動旅団が動いているという噂があった。輸送潜水艦で米軍占領下のハワイ王国に潜入して、弾薬や医薬品など特殊な物資の受け渡しと遊撃戦の訓練支援にあたっている、らしい。

 ハワイ王国にはすでに米軍の有力な艦隊が駐留しているというから、潜水艦といえども接近は命がけのはずだが、元々ハワイ王国には移住した日系人が少なくなかったから、一度侵入に成功すれば機動旅団の隊員達でも現地住民に紛れるのは難しくないのかもしれなかった。



 ―――鈍重な輸送潜水艦で、日本本土から駐留米艦隊の目を逃れて長駆ハワイに潜入することに比べれば、自分達のほうが遥かに楽な任務か……

 神咲大尉はそう考えながらも、格納庫を抱えた大型の潜水艦でここまで発見されること無く特務陸戦隊を送り出してくれた潜水艦乗員の苦労には頭が上がりそうもなかった。あの母艦の図体では浅瀬での操艦すら難しいのでは無いかと考えていたからだ。

 潜水艦長たちの苦労に報いる為にもこの作戦は成功させなくてはならない。接近するにつれて明瞭になって来た海岸線の輪郭を見つめながら、神咲大尉はそう決心を新たにしていた。

伊351型潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ssi351.html

鵜来型海防艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/esukuru.html

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ