1951西海岸沖通商破壊戦5
開戦直後から果敢な反撃に出ていた水上艦隊と比べると、第二次欧州大戦後の再編成に追われていた第6艦隊は、内部から見ても開戦以後の動きは鈍かった。
実際には隷下の各隊からグアム島やフィリピン沖合に偵察などに出ていた艦もあったのだが、艦隊司令部が積極的な作戦を立案する段階にはなかったのだ。
緒戦における連合艦隊の損害は大きかった。招待された友好国駐在武官を含めて、トラック諸島に在島していた人員、機材が喪失していたからだ。第1から第3までの水上艦隊から抽出されたうち、大演習で仮想敵の役割を担うはずだった部隊が丸々壊滅していたのだ。
大損害を負ったのは水上艦部隊だけではなかった。開戦直後に行われた米軍の攻勢を受けて、海上護衛総隊指揮下の警備部隊が撤退を余儀なくされた海域は広大なものだったからだ。
それらの部隊も、第二次欧州大戦終戦後の大規模な再編制によって連合艦隊から兵部省海上保安局に移管されていたものが大半だった。
実際に連合艦隊の主力と言えるのは、第1から第3までの各艦隊だったが、これらの艦隊は丸ごと作戦に出動するようなものではなかった。戦艦、空母、巡洋艦をそれぞれ主力としてこれを護衛する駆逐隊などで構成された3個の艦隊司令部は、管理部隊としての性質が強かったのだ。
第二次欧州大戦中に制度化された作戦に応じて臨時編成される分艦隊司令部や、その上級司令部となった遣欧艦隊司令部などの実戦部隊に、平時において高練度を維持していた戦力を戦隊などの単位で提供するものと艦隊司令部は定義づけされていた。
日露戦争時の日本海海戦頃とは違って、固有編制の艦隊丸ごとでは前線で指揮が取れなくなるほど連合艦隊の規模は拡大されていたし、固有の艦隊では規模が大きすぎて作戦上の柔軟性に欠けていたからこのような制度が立案されていたのだが、第6艦隊のみは少しばかり事情が異なっていた。
おそらく近い将来には第6艦隊も名称が変えられるはずだった。海上保安局に移管された警備艦隊が抜けたことで空席となった艦隊番号が割り振られるか、ただ潜水艦隊とでも名付けられることになるのだろうが、名称だけの問題ではなかった。
第6艦隊が特異なのは、他の水上艦隊とは異なり、指揮下各隊の練度維持に務める管理部隊である共に、実施部隊を兼ねるからだった。
かつての艦隊型潜水艦という思想そのものが軽視されるようになった今でも、作戦によっては潜水隊や潜水戦隊を抽出されて前衛哨戒などの任務を与えられて分艦隊に配属させる場合もあるが、第6艦隊が単独で通商破壊戦を実施する事もあるのだ。
特に昨今は大型潜水艦の配備によって潜水隊の廃止が取り沙汰される原因となる程に単艦行動の機会が多くなっており、水上艦と違って戦隊単位で演習を行う機会も少ないから、水上艦を中心とした年度の演習に参加する以外は単艦での訓練が多かった。
その第6艦隊が通商破壊戦を実施することを決断した海域は、大雑把に言うと2つに分かれていた。フィリピンからグアム周辺に至る西太平洋と、遥かハワイ王国から北米西海岸までの東太平洋だった。
この内グアム周辺の西太平洋戦域に関しては、水上艦隊やフィリピンに進出した陸軍や空軍との連絡が欠かせなかった。西太平洋では日本軍による反撃が行われているからだ。
グアム島だけではなく占領下のマリアナ諸島からも米軍は戦略爆撃を実施していたが、現在日本空軍が航空基地を置く硫黄島とマリアナ諸島間には熾烈な航空撃滅戦が繰り広げられていた。
フィリピン諸島に関してはさらに状況は複雑だった。ルソン島に師団単位で投入された満州共和国軍はともかく、スールー海に展開する部隊は英連邦諸国などから抽出された多国籍な部隊構成となっていたから、ただでさえ敵味方の識別が難しい潜水艦戦を積極的に行うのは危険が伴うのではないか。
実際には日本本土を出撃した潜水艦は、小笠原諸島で補給を受けてから南下してグアム島周辺に進出するか、台湾から出撃するとルソン島東岸を南下してグアム、フィリピン間の航路を狙うというのが西太平洋戦域の主な潜水艦の戦法だった。
そうした戦術的な制限はあるものの、西太平洋戦域に投入された潜水艦の数は多かった。雑多と言ってもよいほどだったが、それは予備艦から引っ張り出された航続距離の短い呂号潜水艦であっても、この海域に投入すること自体は難しくなかったからだ。
未だに中央平原で激戦が続いているらしいルソン島や、熾烈な航空撃滅戦に晒されている硫黄島基地といった最前線はともかく、一歩下がった位置に補給拠点が設けられていたから、本土を出撃した呂号潜水艦でも途上で補給を受ければ、作戦海域で十分な行動を行う余裕があったのだ。
長年の統治で内地並みに整備されていた台湾には整備施設を含む要港部が設けられていたし、小笠原諸島内に設けられた泊地にも潜水母艦が前進展開して通商破壊戦の支援にあたっていた。
だが、日本本土から遥かに離れた東太平洋戦域に展開している戦力は、第6艦隊に所属する潜水艦だけだった。しかも、大型の巡洋潜水艦でなければ作戦海域までの往復すら難しいから、他隊に歩調を合わせる必要がない代わりに支援を受けることも出来なかった。
この方面には適当な補給拠点を設けるのも難しかった。友好国であったハワイ王国は、中立を宣言する間もなく米軍に占領されていたが、それ以前に小笠原諸島や台湾と違って、物理的に補給拠点を設けることの可能な拠点が存在しないからだ。
北方からの米軍進出への抑えを兼ねてアラスカ準州に位置するアリューシャン列島に進攻するという作戦も以前から議論されていたらしいが、北米付近への展開がカナダの中立に悪影響を及ぼすのではないかという英国からの懸念や、何よりも戦力に余裕がないことから断念されていた。
それに逆にいえば米軍によるアラスカ準州からの攻勢も、カナダやシベリアーロシア帝国領のカムチャッカ半島から牽制されうる筈だった。自然環境の厳しいアラスカ準州は人口密集地も少ないようだから、大規模な攻勢の根拠地として整備するのは難しいのではないか。
結局、北方の警戒はカムチャツカ半島に駐留するシベリアーロシア帝国の支援を受けた警備部隊に任せられていた。以前連合艦隊指揮下にあった旧第5艦隊を再編制した警備部隊の戦闘力は低いが、荒天の続くベーリング海で行動可能な大型艦ばかりで構成されていたから、哨戒だけなら十分な戦力だろう。
仮にこの方面に米軍の大規模な侵攻が確認された場合は、西太平洋に展開している戦力を転用せざるを得ないだろう。警備部隊は言ってみればその時間を稼ぐのが目的だと言える。
第6艦隊が北太平洋からハワイ方面に隷下の潜水艦を進出する際に最も前線に近い根拠地として整備したのは、千島列島半ばに位置する新知島だった。警備部隊の背後に設けられたこの急造の前進根拠地に潜水母艦白鯨を進出させて、補給と指揮統制に当たらせていたのだ。
新知島は小さな島ではなかったが、日露間の領土として揺れ動いた歴史の中でその人口が三桁に達した事はおそらくなかっただろう。寒冷な島内の生産力が期待できない上に、自然環境が厳しく生存には多大な物資が必要だったからだ。
千島列島は日露両国にとって重要なオホーツク海の入口である要衝だったが、千島列島の警備はシベリアーロシア帝国と日本帝国の国境線に近くカムチャッカ半島からの支援が期待できる幌筵島や、逆に北海道から近い択捉島などが中心となっており、過酷な列島半ばに常駐するものは軍民問わず少なかった。
そんな僻地である新知島に潜水艦用の根拠地が設けられたのは、地球の丸みを考慮した大圏航路を用いた場合、弓状に東に伸びた千島列島中央部から南下するとハワイ周辺海域に最短で辿り着くからだった。
一旦グアム周辺に南下してから東進したり鎮守府が存在する本州近海から直行するよりも、ハワイ王国や米国西海岸との距離は千島列島からの方が近いために、日本空軍も択捉島に哨戒基地を設けていた。
単にハワイまでの最短距離であれば、更に北上してカムチャッカ半島のシベリアーロシア帝国領から出撃した方が更に近いのだが、この場合は航路途上で米領アリューシャン列島に接近し過ぎるという問題があった。
これが新知島を前進根拠地とすれことで、米本土とアリューシャン列島を結ぶ既存の航路などと交差することなく、ハワイ近海に設定された作戦海域まで密かに到達出来るはずなのだ。
だが、最短の針路を選択したとしても、潜水艦によるハワイ王国までの単独進出が過酷なものであることに変わりはなかった。
日本海軍には船体内部を貨物倉にした輸送潜水艦や燃料槽とした補給潜水艦も存在していた。洋上で魚雷等の兵装を補給するのは難しいにしても、輸送潜水艦の支援があれば作戦海域を拡げられると思うのだが、そうした特殊な潜水艦は艦隊司令部直轄で特殊任務に従事しているらしく姿を見なかった。
最新鋭の伊103も航続距離は従来の巡洋潜水艦と代わりはないし、むしろ安定した水上進行は船型から難しく、水中充電装置も使用出来ない程の荒天が続けば充電池の残量を睨みながら水中行動を強いられるかもしれなかった。
保存食や二酸化炭素吸収剤などの消耗品は定数を越える量を積み込んでいたが、作戦海域までの会敵の可能性が低い単調な航海の連続に乗員の士気がどれだけ持つかは分からなかった。
長期の作戦行動を終えた伊407と入れ違うようにして、既に伊103と同じ潜水隊に所属する伊101型の僚艦が先行している筈だったが、大型の伊407程の戦果が挙げられるとは思えなかった。
ただし、元々東太平洋戦域では大きな戦果を上げる事は期待されていない筈だった。
もしも、日本海軍が東太平洋戦域のハワイ王国に至る前で米本土とフィリピンを結ぶ船団を殲滅させたいならば、グアム周辺に展開する潜水艦のうち旧式でも巡洋潜水艦は全てこの方面に投入する筈だった。
東太平洋に投入されるのが新鋭艦や特殊な伊407などに限られるのは、戦果を上げることよりも米軍に日本軍潜水艦の存在を知らしめたいからではないか。
それならば、自分達はこの伊103潜水艦で何をなすべきなのか。以前古い友人と話した事を思い出しながら、苅野大尉はゆっくりと近づいてくる伊407の巨体を見据えていた。
振り返って、同じように呆けたような顔で、かつて海中空母とまで呼ばれた伊400型を改造した潜水艦を見つめていた艦橋の見張り員達に言い聞かせる様に苅野大尉は言った。
「伊407は特殊な潜水艦だ。同じ事を本艦が行う事は可能かもしれないが、無理に派手な戦果を目指す必要はない。我々の目的は戦果を求めることではなく、太平洋には米軍が安穏と航行できる海域がもはや存在しない事を知らしめることにあるからだ。
本艦に高い水中行動能力が与えられたのは、敵船団を襲撃する為ではない。敵艦から逃れる為のものだ。その点を無視して安直な攻撃に賭けるのはむしろ利敵行為であると言えるだろう」
だが、苅野大尉の声に、若い下士官兵が多い艦橋要員はどことなく覇気のない表情をしていた。これは危険な兆候だった。促成教育によって艦の動かし方は分かっていても、大戦の経験のない乗員達は潜水艦乗りとしての心構えが出来ていなかった。
「潜水艦乗りの我々は、狩りをする獣だ。ある種の獣は何処までも獲物を追い詰めるというが、それは獲物に逃亡を諦めさせて自分が怪我をすることなく無事に狩りを終えるためのものだ。
獣は決して手傷を負うような無理な襲撃は行わないものだ。僅かでも手傷を追えば、次の狩りの機会は永遠とやってこないことを知っているからだ」
若い乗員達を説得するように言葉を連ねながら、苅野大尉は苦笑するのを我慢していた。先の第二次欧州大戦中に他ならぬ自分が同じことを言われていたことを思い出していたからだった。
そんな苅野大尉の様子を伊407潜水艦の艦橋から眺めていた視線に彼らは気が付かなかった。
伊101潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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呂33型潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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