表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
715/814

1951西海岸沖通商破壊戦4

 平時においては、世界中の海を頻繁に行き来する米国船籍の外航船は少なかった。大恐慌以後の米国商船団は、植民地と本土からなる欧州列強の保護経済圏から締め出されていたからだ。

 実質的に米国本土と定期的に開設されている航路は、半ば経済植民地とも言うべき搾取関係にある中南米諸国を除けば、米国同様に国際連盟と対立関係にあるソ連とのものに限られているといってよかったのではないか。


 ただし、米国東海岸を出港して北大西洋を縦断し、ノール岬を通過して遥々ソ連領に至るという米ソ間の長距離航路は、有事であっても国際連盟軍が遮断するのは政治的に困難だった。

 米ソ航路は、英本土とカナダを結ぶ航路と交差していた。これまでに米加国境は幾度か緊張した関係になっていたが、米国と英仏などの利害関係が複雑に絡み合うカリブ海が戦場となった今でも奇妙なことに米加間で戦端が開かれる事はなかった。


 米国の絶大な国力に対してカナダが有する戦力は微々たるものだと言えるが、北米大陸を横断する国境線はあまりに長大であり、なおかつカリブ海諸国と違って米国でも容易に併合できる程にはカナダは人口でも国土面積でも小国でなかった。

 開戦早々に宣戦布告した英本国やアジアの旧植民地諸国などとは異なり、英連邦の一員でありながらもカナダは中立を宣言しており、奇妙なことに米国もこれを尊重していた。


 人口密集地の大半が米国との国境線近くにあるカナダにとって対米開戦は破滅的な結果をもたらすだろうが、戦争を市民生活の彼方に押しとどめたい米国にとっても、北米大陸内の戦闘は避けたい事態なのだろう。

 そして、先の第二次欧州大戦と同様にカナダの中立を保証する暗黙の了解がもたらした結果が、米ソ間航路、カナダ英本土間航路にお互いに手出しをしないというものだったのではないか。



 だが、法的な外航船を除いても、米国籍の内航船には外洋航行に耐えうる大型船は少なくなかった。

 国内輸送の鉄道比率が高く、六百総トンを越える大型の内航貨物船が少ない日本とは異なり、カナダやメキシコを除く北米大陸の大部分を占める米国は、国内輸送といっても船舶による長距離輸送量が多かったのだ。

 パナマ運河を通過して米国の西海岸と東海岸を往復するものだけではなく、外洋に出られない五大湖内限定の輸送でも一万トン級の大型貨物船が運用されているらしい。

 そもそも米国の東西両岸は、アラスカ準州を除いても日本列島を縦断するのと同程度の長さがあるのだから、国内輸送に船便が多用されてもおかしくはなかった。


 米領フィリピン諸島などを除いても、米国において国内輸送の比率が高いのは、日本や英国の様に加工貿易という経済手段が必須となる島国ではなく、北米大陸にあらゆる資源が存在する上に、国内の市場規模が大きく内需のみでも生産量の大部分を消費できるかららしい。

 米国内でも過剰となった分は、中南米諸国やフィリピンなどに押し付けられていたが、植民地として獲得したフィリピン諸島の購買力は低く、その生産力は米国本土にとっては不要だとさえする分析もあるようだった。

 それに北米大陸内部には原住民から簒奪した広大な未開地が存在していたから、移住や商売のための海外の土地も米国にとっては必要性が無かったと言える。



 だが、苅野大尉は今回の出撃前に知り合いから気になることを聞いていた。本来であれば、この時期の米国はもっと積極的に海外に視線を向けていたはずだったというのだ。

 その古い友人によれば、北米大陸中に勢力圏を広げてから半世紀の間に経済的、軍事的な成功を収めた米国は、その覇権を諸外国に広めていくはずだったというのだ。


 兵学校卒業から潜水艦乗り一筋だった苅野大尉は経済や外交の専門家ではないが、その友人の言葉に首を傾げざるを得なかった。確かに半世紀前に米国は国内原住民によって起こされていた散発的な蜂起の制圧を終えていたが、今ではモンロー主義のもと相互不干渉の外交姿勢を維持していたからだ。

 米西戦争では本土から遠く離れたフィリピンを獲得したものの、むしろその後の米国は北米大陸に逼塞して世界情勢よりも自国のみの繁栄に集中しているように見えたのだ。


 だが、そう問われた友人は、あらかじめその質問を予想していたのか即座に言った。

 二度にわたる世界大戦で、米国は中立国の立場を選んだ。だが、それは交戦国が被った膨大な被害に恐れをなしたからとは言い切れない。単に彼らは積極的に参戦する必要性を感じていなかったからだ。

 確かに米国内で前線の陰惨な光景が報道によって出回っていたが、それは参戦を否定する為の手段であって、根本的な原因は米国内の世論自体が内向きになっていたことが原因だった。

 だから実際には僅かなきっかけで北米に溜め込んでいた資産を対外戦争に注ぎ込んで、米国が国際社会における発言権と覇権を確立していた可能性はあっただろうというのだ。



 世界大戦という第一次欧州大戦の頃に僅かに報道が使っていた用語に半ば呆れながら、その時の苅野大尉は何故か顔が思い出せない友人に対して反論していた。

 では、欧州大戦を対岸の火事としていた米国は、何故今度の戦争に踏み切ったのか、米大陸内で全てを賄える米国が対外戦争を行うには相当の理由があるのではないか。


 友人は今度も間髪を入れず答えていた。それは米国内を覆う言語化できない逼塞感に対して、マッカーサー大統領が米国市民に明瞭な方向性を示したからだというのだ。

 マッカーサー大統領は、その原因を日英などの古い抑圧的な体制であるとしていた。そもそも米国が内向きとなっていった大きな原因は、自らの勢力圏と考えていたハワイ王国の併合に失敗したことにあった。

 半世紀前に予想外にハワイ王国が米国への併合に抵抗した理由は、米国には不可能だった日英による王室外交にあるのではないか。外国勢力の援助があったからこそ吹けば飛ぶようなハワイが米国に対抗することが出来たのだ。


 更に歴史を遡れば、本来は徳川政権のもとで鎖国体制にあった日本を開国させる役割は、太平洋を挟んだ隣国である米国となるのが自然だった。しかも、日本の開国は、膨大な富をもたらすであろう中国市場参入の先駆けとなるはずだったのだ。

 ところが、日本の利権を取りそこねたことが、北米大陸の西海岸にたどり着いた後に太平洋を押し渡る筈だったフロンティア精神を捨て去り、米国の外交を内向きにさせていった最初の蹉跌となった。

 だから、今回の戦争で米国の矛先が日本とハワイに向けられたのは、日本開国に乗り遅れたことが遠因となって失われたフロンティアの回復という米国の思惑があるからだ。



 だが、どこで話していたかも忘れていたのだが、確かにその時の苅野大尉は白けた目で友人の言葉を聞き流していた。観念的な米国中枢の思惑など自分には分からなかったからだ。

 重要なのは、自分達がこれから何をすべきかということだ。その時の苅野大尉は、そう言うと目前に置かれていた作戦書類に視線を向けていた。伊103の現状を考えると、作戦計画は危ういものに思えていたのだ。


 伊103は、僚艦と共に北米大陸西海岸に接近して索敵と通商破壊戦に従事することとなっていた。この内重視すべきは後者だった。おそらくは西海岸から米海軍が全力出撃することでもない限りは、作戦中の伊103が艦隊司令部に連絡をとることはないからだ。

 だが、伊103は就役して間もなかった。新鋭艦といえば聞こえはいいが、乗員が艦に熟練しているかは未知数だった。それでも戦線への投入が急がれたのは、この方面に投入出来る新鋭艦が不足していたからだ。



 第6艦隊の再編成は、欧州出動の機会すらなかった旧式艦の退役を除けば、日本海軍が想定する太平洋での運用には不適格とされた中型潜水艦の予備艦指定という形で始まっていた。

 その時点で建造中だった呂35型の多くは建造を中止されるか、建造予定期間が延長されていた。終戦直後は、どの造船所でも昼夜兼行で行われていた急速建造計画を平時体制に改めていた。予算を削減する為に工員残業の抑制が行われていたが、それで就役時期が伸びたところで戦後は誰も困らなかった。

 呂号に比べれば建造数は少なかったが、大型潜水艦である巡洋潜水艦も同様だった。建造中の潜水艦の中には超大型の特殊な潜水艦もあったが、そちらは機密度が高く艦隊内でも詳細を知らないものが多かった。


 いずれにせよ、その時点では第6艦隊の再編成計画は消極的なものでしかなかった。言ってみれば戦時中の計画が中止されないままに建造されていた艦も艦齢が限界に達した旧式艦の代艦でしかなかったからだ。

 最終的に伊101型となる次期主力潜水艦の建造計画は終戦直後から始まっていたが、当初は計画は迷走していたようだった。英国に引きずられていたのか、ドイツ潜水艦で試作されていたヴァルター機関の搭載を日本海軍でも一時期は研究されていたらしい。

 技術開発の方針に関わりなく明らかだったのは、呂35型に毛の生えたような排水量でしかない伊201型をそのまま建造していたとしても、小型すぎて将来の主力艦にはなりえないということだった。


 対米戦では広大な太平洋が仮想戦場となるから、主力潜水艦にはやはり現行の巡洋潜水艦と同程度の航続距離は必要不可欠だった。むしろ効率の悪い水中行動を多用せざるを得ないという状況からすると、燃料搭載量などは増大してしまうのではないか。

 ある意味では、様々な戦訓や新技術に振り回されて建造が遅れた伊101型は、それでもなお妥協の産物だとも言えたのだ。



 結局は実運用に支障がある事から計画は放棄されたというが、英海軍が危険極まりない過酸化水素が必要なヴァルター機関の搭載に執心していた理由も、苅野大尉にもわからなくはなかった。

 確かに伊101型は水中行動能力が著しく強化されていたが、水中で推進源となる充電池は排水量の少なくない割合を占めていた。それに充電の為には水中行動では死重量でしかないディーゼルエンジンを載せなければならないのだ。


 主動力であるディーゼルエンジンの駆動が大気に依存する限り解決手段は無かったが、実のところ伊101型の建造と同時期に試験が行われていた伊407では潜航中でも浮上時でも使用出来る主機関が搭載されている、らしい。

 新型機関の詳細はおそらく連合艦隊や第6艦隊の司令部要員を除けば伊407の乗員位にしか知らされていないのだろう。

 しかし、建造計画が中断された超大型の巡洋潜水艦、伊400型の一隻が下部船体のみが完成した状態で移送された先がシベリアだという噂が正しいのだとすれば何となく予想は出来た。


 ―――開戦直後に未知であったはずの核攻撃の詳細があれ程に出て来たのは、シベリアの先端研究都市が発信源だったのではないか。

 それに苅野大尉は以前同じ艦に乗り込んでいた機関長から聞いた話も同時に思い出していた。シベリアでは大気に依存しない、かと言って過酸化水素の様に酸素を圧縮して持ち込むわけでも無い新たな機関を開発しているらしいというのだ。

 だが、ディーゼルエンジンの専門家である機関長はつまらなそうに言っていた。このエンジンは単に潜水艦用ということではなく、新たな原理の機関となるのだろう。

 ただし、現状では小型化や安全性の確保に限界があるものだから、潜水艦に搭載するとすれば巨大化は避けられなかった。その実験搭載用に日本海軍の潜水艦としては大型だった上に都合よく建造が中止されていた伊407が転用されたのだろう。

 あの機関長の言葉は正しかった。今実際に伊407の巨体を眺めながら苅野大尉はそう考えていた。目前の伊407は全く新しい種別の潜水艦であったのだ。


 艦橋に出ていた部下の下士官が興味深げに言ったのはその時だった。

「航海長、407が高速で船団の下を潜って護衛艦の追跡を振り切ったという噂は本当なんですかね」

 苅野大尉は、戸惑った顔で振り返っていた。その下士官は、期待に満ちた目で伊407を見つめていた。

伊101潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ssi101.html

伊407潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ssi407.html

呂33型潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ssro33.html

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 大英帝国の方が気になります。史実では植民地の在る太平洋での活動を想定して、日本の巡潜に相当する比較的大型なT級の建造に舵を切ったと説明されていますけど。 太平洋を日本に任せた世界線では…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ