1951西海岸沖通商破壊戦3
第一次欧州大戦時のように英国に移動後に接収されたドイツ潜水艦の多くは、スカパ・フロー泊地で抑留されていた当時の水上艦隊とは異なり、自沈する間もなく片っ端からスクラップにされていた。
ドイツ製潜水艦の技術的な調査であれば、正式な技術資料まで入手できた後では実物は数隻もあれば十分だった。そもそも艤装、習熟期間にあった一部の先進的な潜水艦を除けば、数の多い7型潜水艦や9型潜水艦の技術的な価値は低かった。
水中で安定した充電が可能な高性能なシュノーケル装置など個々の艤装では興味深いものもあったが、結局ドイツ潜水艦隊の多大な戦果は卓越した装備などではなく、多くの乗員達の献身と予想以上に多かった犠牲のもとに成り立っていたという事実が確認されていたからだ。
日英などが積極的に調査したのは、個々の潜水艦に関するハードウェアではなかった。むしろドイツ潜水艦隊が収集していた記録の方が優先的な調査対象になっていたのだ。
国際連盟軍の調査対象となっていたのは、ドイツ国内に残された膨大な資料だった。ドイツ潜水艦隊による船団襲撃の状況や、逆に国際連盟軍による戦略爆撃を受けた各都市、工場などの被害やその復旧の状況を記録した膨大な資料が真っ先に接収されていたのだ。
国際連盟軍、というよりも日英などは敵味方の資料を突き合わせることで本格的に行われていた戦略爆撃や通商破壊戦の実態を把握しようとしているのだろう。
兵部省の軍官僚などが中心となって行われている政府中枢レベルのそのような高度に戦略的な調査分析はともかく、実物を入手したドイツ潜水艦の調査前から、日英海軍共に次世代潜水艦に対する要求が水中行動能力の強化となるのは明らかだった。
第二次欧州大戦中に国際連盟軍は、段階的に航空対潜哨戒を強化していったのだが、この空からの目を逃れるために潜水艦は次第に水中行動が増えていったようだった。
最終的には輸送船団自体に対潜哨戒機を運用する為の海防空母を組み込んでいったのだが、自前の航空戦力を展開する護送船団に対して、大戦初期にしばしば見られた様に有視界状況で潜水艦が大胆に洋上を進撃するのはもう不可能だったのだ。
しかも、対潜哨戒機の能力自体も開戦当時と終戦間際では大きく進化していた。単なる目視による哨戒から、対水上電探による海面の走査や磁気探知による視界によらない探査まで、機材が更新される度に対潜哨戒機の機能に付け加えられていった。
航空機自体の高性能化や陸上における支援機材の充実も無視出来なかった。昨今は夜間でさえ浮上した潜水艦を狙った対潜哨戒機に探知される可能性があったのだ。
勿論進化したのは航空機材だけではなかった。護衛艦艇の対潜能力も機材、教育などの面から進化していった。艦尾から爆雷を投下するしかなかったものが、探信儀によって支援された前方投射兵器である対潜迫撃砲に主力対潜兵器が切り替えられていたのだ。
大戦中盤以降は、対潜戦闘の指揮研究や教育を行う機関の大規模化と、対潜部隊の均質化によって潜水艦に大きな損害を与えていた事、それ以上に襲撃の機会すら奪っていた事がドイツ側からの資料からも明らかとなっていたのだ。
大戦で得られたこうした戦術的な調査結果を入手した日本海軍は、同時に英国からスクラップ化を免れて回航された何隻かのドイツ潜水艦を戦利艦として受け取っていた。7型や9型ではなく、講和によって本格的な出撃前に接収されていた最新鋭の21型潜水艦だった。
損害が増大していた7型に代わる次世代型としてドイツ潜水艦隊内では21型潜水艦は大きく期待されていたらしく、講和が決しなければ大量建造された同型が大西洋に出撃していたかもしれなかった。
英国海軍では、21型自体よりもドイツ海軍から接収された技術資料の中にあった同型潜水艦の原型艦に搭載された過酸化水素を使用するヴァルター機関の方に注目しているという噂だった。
技術的に見れば、21型で取り入れられた画期的と言える技術は、船体形状の洗練による水中抵抗の低下にあった。推進源は胡乱げなヴァルター機関などではなく、従来のディーゼルエンジンと蓄電池の組み合わせであったからだ。
21型潜水艦の性能自体が高く評価されていたわけではなかった。自動開閉弁などの油圧化は、ドイツ海軍の水上艦で行われた蒸気圧の高圧化等と同様に先進的ではあっても技術的な裏付けのないものであり、実際故障が頻発していたらしい。
運動性能や潜航時間の長さなど後日の修正が難しい基本的な船殻設計に起因する問題も多く、21型潜水艦の出撃が不可能だった理由を伺わせるものだったと言えるだろう。
ただし、日本海軍が21型潜水艦から新たな知見が得られなかったのは別の理由もあった。既に日本海軍でも水中高速型潜水艦を模索していたからだ。
実用化に漕ぎ着けていた21型潜水艦は貴重な資料ではあったが、戦時中に建造されていた水中高速型潜水艦の試作艦である伊201と設計手法は類似したものだったのだ。
水中での航続距離進捗が望める一方で運用が難しいヴァルター機関に乗り気になっていた英国海軍とは異なり、日本海軍の水中高速型潜水艦は従来型と同じくディーゼルエンジンと蓄電池の組み合わせを採用していた。水中航続距離は蓄電池搭載量の増大で延長させるという思想だったのだ。
従来型との主な変更点は、船首の形状にあった。従来型潜水艦の船首は水上艦と大差無い形状だった。高速水上航行で波を乗り切るためには船首のフレアやカーブが必要だったからだ。
だが、この形状は船首上部を水面上に浮かせた場合は船首予備浮力の確保や波切などの点で有利であったものの、完全に潜航した状態では抵抗が大きくなって不利だった。
当初から水中での行動を前提とするのであれば、伊201型やドイツ海軍の21型潜水艦のように、船首のフレアやカーブを前後上下から排除したヘラのような形状が有力だった。
さらに浮上時にしか使用されない艦橋の小型化や可能な限りの突出物の排除などの水中抵抗低減によって、戦時中に試験を行っていた伊201型は20ノット近い水中速力を発揮していた。
この形状でも最適解ではないと技術陣は考えているらしい。兵部省の発足で一体化された技術本部では弾道学を参考とした船体形状を考案しているという噂もあったが、それがどんな形になるかは一兵科士官でしかない苅野大尉には分からなかった。
いずれにせよ伊101型は、伊201や21型の様なヘラ型の船首構造を採用した姿で就役していたのだが、全体的な構造はそれで定まっていたものの、日本海軍において潜水艦隊として編制されている第6艦隊の整備方針はまだ不明瞭な点があった。
単純なことだった。この潜水艦で一体何をすべきなのか、そういった根本的な問題だったからだ。
日本海軍の仮想敵は、言うまでもなく米海軍だった。友邦シベリアーロシア帝国とソ連が戦端を開いた場合、ソ連の友好国である米国がロシア帝国を支援する日本を掣肘する為に後方から参戦する可能性が高かったからだ。
第二次欧州大戦終結直後から、次の戦争は国際連盟軍と米ソ連合との対峙から始まると予想したものは少なくなかったのだ。
だが、対米戦において日本海軍の潜水艦には作戦面で不利な点があった。通商破壊戦を仕掛けようとしても、交戦国の航路に対して根拠地があまりに後方にあったのだ。
高度な技術を用いて建造された潜水艦の整備を行えるのは、太平洋では実質的に日本本土に限られていた。英国海軍東洋艦隊の根拠地であるシンガポールなら潜水艦の整備能力位あるだろうが、予想される対米戦ではシンガポールに展開することに戦略的な利点はなかった。
第二次欧州大戦開戦に前後してトラック諸島の基地化も進められていたが、同地は米軍の根拠地であるグアムに近過ぎたから、平時のグアム監視には便利でも有事の際に前進根拠地とするには限界があった。
それに第二次欧州大戦では地中海などに浮揚式の船渠を持ち込んで整備を行っていたが、米国の牽制を主な目的として戦時中に整備されていたトラック諸島ではそのような本格的な整備機材は予算面からも認められなかった。
船渠工事を含む本格的な修理工事が必要であれば、日本本土に帰還するだけの話だったからだ。
これに対して米海軍は、通商破壊戦に有利な条件が揃っていた。航行量が多い南シナ海に臨むフィリピン諸島のルソン島西岸に以前から潜水艦基地を整備していたからだ。
国際連盟加盟諸国が使用する通商路の本流は、日本本土と英国本土を結ぶものだった。アジアと欧州を結ぶこの航路は、あちらこちらで分岐しながら膨大な量の商品をユーラシア大陸の東西に位置する諸国に安価に輸送していたのだ。
ルソン島に展開する米海軍の潜水艦部隊は、容易にこの通商路を遮断しうる位置に存在していたのだ。
第二次欧州大戦における戦訓調査からこうした現実を評価した日本軍は、有事の際は戦略的な判断から真っ先に台湾との間に広がるバシー海峡を含むルソン島西岸を奪取すると共に、極東に配置された米海軍の潜水艦隊を短時間で撃破するという作戦計画を立案していた。
今回の対米戦では緒戦から予想外の事態が発生していたが、概ねこの作戦案通り、というよりも開戦直後の核攻撃で動揺していた政府を他所に反射的にこの長期作戦案に従って日本軍は行動していたとも言えた。
開戦直後は、本来は演習に参加する筈だった空母機動部隊をトラック諸島やグアムではなくシナ海沿岸で暴れ回らせて米アジア艦隊隷下の潜水艦隊やフィリピン西側の航空基地などを叩いていたし、今もなおルソン島では上陸した日本陸軍を中核とする部隊が南下を開始している筈だった。
米軍による通商破壊戦の前進根拠地となりうるフィリピン諸島が国際連盟側勢力圏に大きく食い込んでいたのに対して、トラック諸島を含めて日本海軍が有事の際に使用出来そうな前進根拠地は太平洋に存在していなかった。
皇族外交の盛んなハワイ王国や、英仏などの友好国領が米海軍の予想侵攻路となる太平洋中央部に点在していたが、平時はともかく有事の際に防衛体制の脆弱な太平洋の孤島が長期間残存しうるかは疑問だった。
米軍に開戦直後に占領されたハワイ王国は、そうした懸念が現実化したものだと言えたが、戦術面に注目していた第6艦隊とは別に、統合参謀部や企画院などによる研究では米国に対する通商破壊戦の効果に関して疑問が出ていたらしい。
二度にわたる欧州大戦で国際連盟軍の後方兵站拠点として機能していた日本帝国の工業化は、半世紀程の間で急速に進んでいた。単に先進的な工場が次々と建設されていったというだけではなく、社会構造そのものが変化していったのだ。
しかし、工業化を支える原材料に加えて、工業用地に転用されていった農地減少分の食料に至るまで、日本本土への輸入量も急速に増大していた。昨今では油槽船だけでは無く、大量の穀物や鉄鉱石などを輸送する為に特化した専用設計の貨物船やその積み下ろし機構も定着していたほどだ。
食料品などを除いても、既に日本帝国は資源を輸入してそれを高価値な工業製品として輸出する加工貿易へと産業構造が転換していたのだ。
つまり日本本土は、同じ島国である英国の様に通商破壊の対象となる大量の貨物が本土を出入りするという環境が整っていたのだが、北米大陸に広大な領土を有する米国は、狭い意味では通商破壊戦の対象とはなり得なかったのだった。
伊101潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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伊407潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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