1951西海岸沖対潜戦4
ブレナム艦橋は混沌としていた。この艦でも訓練では全乗員を配置につかせる総員戦闘配置がこれまでに掛かったことは何度もあるが、実戦では初めてだった。
浮足立った乗員達をかき分けながら俺とケネディ中尉は揃って持ち場の艦橋に入るなり申告した。ケネディ中尉は主計長として記録係の仕事があったが、俺も戦闘配置では操艦指揮を取らなきゃならないのだ。
だが、珍しく険しい表情になっていた艦長は、俺達の申告を途中で遮って鋭い声で俺に言った。
「遅いぞジョニー。艦長が操艦している。操艦はそのまま。聴音急げ。」
慌てて俺は、当直についていたものに状況を質していたが、航海科の下士官は最初に彼方の船団側面を指差していた。
この時、ブレナムは船団の左舷側を防衛する配置についていた。護衛部隊旗艦の巡洋艦は数隻の護衛艦を引き連れて船団の前方についていたが、攻撃されたのは船団の右舷端を航行していた船のようだった。
船団を挟んで右舷側にもブレナムの僚艦が護衛についていたはずだから、下士官が指さしたその方向を俺は確認しようとしていた。
ところが、ブレナム艦橋からの視界はさほど良くはなかった。最近建造された艦艇の例にもれずにタコマ級は護衛駆逐艦と言えども航海艦橋は閉囲されていたからだ。
アイオワ級戦艦位までは米海軍では頑なに開放式の艦橋を採用していたのだが、昨今は環境改善だとか、英国式デザインからの脱却だとかで艦橋は天蓋を持つ閉囲構造となっていた。多分主な理由は英国嫌いの海軍らしく後者だろう。
米ソ間を往復する寒冷な北大西洋を通過する航路ならそれもありがたいのだろうが、陽射しさえ防げれば太平洋なら開放式のほうが良かったんじゃないかと俺は考えていた。
だが、無理な姿勢で見張り員の隙間から崩れ落ちようとしている水柱を見つけた俺は、背筋が凍る思いを味わっていた。
集団行動に慣れていない商船ばかりだったものだから船団は間が抜けている程に広がっていた。だからブレナムから水柱までは距離があった。多分あの水柱が出来た直後に総員戦闘配置が掛けられたのだろう。そして遅れて爆発音がブレナムまで伝わってきたのだ。
事故や暴発による砲弾の落着などではあり得なかった。水柱は魚雷か大型機雷の爆発によるものだろう。勿論太平洋の真ん中で機雷と接触する可能性は恐ろしく低かった。信じがたいが、俺も認めなければならなかった。
「こんな合衆国本土近くで日本人共の潜水艦が襲ってきたのか……」
俺がそうつぶやくと、下士官も強張った顔で頷きながら言った。
「艦長もそう判断されました。たまたま艦橋に艦長がおられたので、当直の航海士は戦闘配置発令と共に下の操舵室に降りました。触雷したのは……」
俺と下士官は、海図台の上で船団で雷撃された輸送船の位置を確認していた。被弾したのは船団の中央付近を航行していた貨物船だった。雑多な船で構成された船団だったから、俺は船名からその船が何を積んでいたのか思い出そうとしていた。
だが、俺が記憶を呼び起こすよりも早く見張りの悲鳴のような声が聞こえていた。慌てて俺が艦橋窓に顔を当てるまでもなく、閃光が海上を走っていた。何隻かの輸送船の隙間から見ると、雷撃で生じた水柱が完全に海面に沈み込む前に貨物船自らの爆発で再び水柱が生じていたのだ。
恐ろしい事に最初の水柱よりも大きく、周囲には何かの残骸らしいものまで飛び散っていた。おそらくは引きちぎられた貨物船なのだろうが、俺はその様子を信じられずに見つめていた。一体どうすれば巨大な船橋や船首までもが吹き飛ばされるというのだろう。
その光景が貨物船の積荷を俺のあやふやな記憶よりも如実に物語っていた。魚雷を食らった貨物船では火災が発生していたか、乱雑に積み込まれていた信管に衝撃でも走っていたのだろう。それで積荷の砲弾か爆弾が次々と誘爆していったに違いない。
ルソン島で戦う陸軍はマニラの要塞地帯に相当数の砲弾を開戦前から備蓄しているという話だから、確率で言えば積み込まれていたのはグアム島で荷卸する筈だった爆弾の可能性が高い。
戦略爆撃には、木と紙で出来た日本人の原始的な家を効率よく焼き尽くす為に子弾を拡散する特殊な焼夷爆弾が多用されていると聞いていた。巨大なバッファローではなく、すばしっこいが小柄な鳥を撃つのに態々大口径のライフルを持ち出す奴は居ないものだ。
そんな焼夷爆弾が船内で一斉に燃えだしたら手も当てられないはずだ。そして米国の貨物船と引き換えに日本人は一晩か二晩は家の中でぐっすり眠る権利を得たということも明らかだった。
俺はあっという間に輸送船が一隻洋上から姿を消したことに怒りを覚えるよりもまだ呆然としていた。護衛戦闘とはこうも急激に状況が変わるものだったのか。そんな俺が我に返ったのは、旗艦から護衛艦に向けた通信が行われるはずの隊内電話が一斉にがなり立てられていたからだ。
艦橋内に設けられた隊内無線に取り付いていた伝令は、要領を得ない様子で次々と言葉を早口でいったが、それでも全部は伝えきれないのかその内容は要領を得なかった。
艦橋にたった一脚だけ許された椅子から苛立った顔で立ち上がった艦長は、有無を言わせずに伝令から受話器をもぎ取ると直接艦橋スピーカーに繋いでいた。
艦長は、戦闘中には瞬時に情報をやり取りしなければならないのだから、せっかく艦橋に専用の椅子を取り付ける位なら隊内無線位近くに配置しておけば良かったんじゃないか。俺はそう考えたのだが、そんな思いはスピーカーから次々聞こえてくる切羽詰まった声で脳裏からきれいに吹き飛んでいた。
ブレナムの艦橋スピーカーに繋がれた隊内無線は大混乱状態だった。無線を使用しているのは護衛艦だけではなさそうだった。無線がついた船は一斉に自分で見たものを好き勝手に話しているようだった。
傍受される可能性も高い大出力の長距離無線が商船規格のものを含めて厳重に使用手順を定められていたのに対して、小出力でどのみち近距離しか使えない隊内無線の使用は海軍内部でも無頓着だった。
だから次々と隊内無線では触雷の報告と方位が告げられているのだが、名乗りも適当な上に声が重なって聞こえるものだから、一体全体誰から見たときの角度なのかはさっぱり分からなかった。
それだけじゃない。船団の輸送船は次々に好き勝手な事を言っていた。相手に避けろ、自分がどっちに避ける。そんな内容のことを言っているようなのだが、やはり誰が誰に向けているのかは判然としなかった。
隊列を作って船団の輸送船が航行していた中で、突然一隻の貨物船が爆発して破片を周囲に巻き散らかしたものだから、それを避ける為に後続船が次々に転舵しているのだろう。
ここから見ているだけでも統制のつかない事態になっているのは一目瞭然だった。後続船は好き勝手に右左と回頭しているのに違いなかった。残骸を避けた商船が更に後続船の障害となって海上で渋滞を作り上げてしまっているのだろう。
最初から乱れがちだった船団の列は、この回避行動で目も当てられない程に崩れていた。
しかも、速度を上げたり下げたりしてボイラーを散々に吹かしている雑多な輸送船からは不完全燃焼を起こしている黒い煙に白い煙が盛大に上がっていたから、ついさっきまでか細い白煙しか上がっていなかったこの海域を薄汚く汚し始めていた。
古びた貨客船にベテランの退役船長を乗せた船団指揮船のマストには煙を出すな、だと各船計画通りに航行しろ、だのといった意味の旗旒信号が上がってたようだが、それを船団のどれだけの船が確認していたかは分からなかった。
どこかに潜んでいるであろう敵潜水艦から視認されるのを防ぐために船団指揮船が規制しようとしていた煙の中には、さっきの爆発で生じていた黒煙もあった筈だが、そいつが収まる前に次の衝撃が走っていた。
二度目の被弾が生じる前にブレナムでは聴音室からの報告が上がっていた。尤もその報告は右舷後方に騒擾音と言う身も蓋もないものだった。ソナー自体が使えたとしても、沈んでいく貨物船、あるいはその残骸と混乱中の船団がかき回す音で水面下は一杯になっていたのだろう。
むしろ艦底から響く定期的なソナー音の方が、洋上の大混乱に比べれば長閑に聞こえてしまう程だった。俺は最近まで虚ろなソナー音を当直明けの安眠を遮る障害物としか考えられなかったのだが。
残念だが、この状況ではブレナムに出来る事はなかった。魚雷を放った敵潜水艦は、沈んだ貨物船の位置からして船団の向こう側に潜んでいるはずだったからだ。
隊内無線の混乱を遮るように、護衛艦隊の旗艦が船団の右舷側を航行している僚艦に命令しているのが聞こえたのだが、同一周波数帯で同時に多数の通信機が好き勝手に電波を飛ばしているものだから錯綜して詳細は分からなかった。
僚艦の艦長が旗艦からの命令を適切に判断している事を祈るだけだったが、その動きが確認されるよりも早く次の水柱が上がっていた。
今度は見張り員の声の直後に俺もそちらに視線を向けていた。多過ぎるブレナム乗員と艦橋構造物越しに、奇妙な程白い水柱が上がっていたのが俺にも見えていた。
そして被弾した輸送船とブレナムの距離だけ経ってから爆発音が聞こえたのだが、それまでの音も無く巨大な水柱が上がっている光景は、俺には不気味ながら美しいとさえ見えてしまっていた。
矛盾しているようだが、同時に僚艦はまだ動いていないのかと苛立ちも覚えていた。もしかすると海面下にあって敵艦の姿が見えないものだから、潜水艦に怒りを感じるよりも下手に視界にある味方を疎んでいたのかもしれない。
今度は何を積んでいた船だったのだろうか、そう考えて双眼鏡を水柱に向けていた俺は、次の瞬間に凍り付いていた。
最初に被弾した船は、船体内部に魚雷がめり込んでから炸裂したのか水柱は船体を覆い隠す様に発生していたのだが、何が作用したのか今度の船は僅かに離れた位置で信管が作動したようだった。
水柱はまだ高く沸き起こっていたのだが、ブレナムからみて反対側で発生しているものだから、水柱の先端となって沸き起こっていた海水が被弾した船の甲板を洗っている様子が伺えたのだ。
海水で覆われている船は、貨物船ではなかった。三島型の典型的な配置だったが、小ぶりの船首尾楼に対して中央楼は前後の船倉区画を覆い尽くす程前後に伸びて収容人数を増やしていた。明らかにそれは客船を転用した兵員輸送船だった。
確か船団にはルソン島を最終目的地とする兵員輸送船も含まれていた筈だった。あの船には陸軍の奴らが満載されているのだろう。
魚雷が炸裂した位置は多少舷側にずれていたかもしれないが、その船が助からないのは明らかだった。おそらくは水中で発生した衝撃によって船体側面に破孔が生じているのだろう。被弾の衝撃でがくりと速度を落とした客船はゆっくりとだが確実に右舷側に傾斜を始めていた。
商船構造では船内左右の隔壁による防御は無いはずだった。しかも、過積載状態だったのか最初のうちは沈み込んで見えなかったはずの喫水線を位置する鮮やかな朱色は、段々とブレナムの位置から見えるようになっていたのだ。
俺は、ついさっき水柱が綺麗だなどと無意識の内に感じた自分を呪いたくなっていた。あの様子では短時間のうちに左右の釣り合いを失った兵員輸送船はは沈みそうだった。
この辺りは海水温度が高く、海面に放り出されても暫くは凍死などはしないだろうが、敵潜水艦に狙われた船団が悠長に救助活動を行えるかどうかは分からなかったし、そもそも満載状態の兵員輸送船が急速に沈む前に脱出出来るものがどれだけいるか分かったものでは無かった。
この海域に広がっていたのは奇妙な光景だった。ブレナムの周りは真っ青だった。雲一つない真っ青な空の下には、薄青に光る海が広がっており、水平線は青色が混じり合ってぼやけていたから判然としなかった。
そんな幻想的とも言える日差しの中を進んでいた船団ばかりが風景を薄汚れたものにしていたのだが、船団の被害はこれで終わらなかった。
タコマ級護衛駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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