1951西海岸沖対潜戦1
そろそろ直交代の時間だったが、その前に片付けようとしていた書類仕事は全く終わりそうもなかった。おそらく眠気覚ましに呑むコーヒーが泥水のような不味さだったからだろう。
奇妙なことだった。日本人の猿共や気取った旧大陸人共は戦争の度に代用コーヒーで我慢しているらしいが、合衆国には本物のコーヒー豆がブラジルから大量に輸入されているはずだったからだ。
俺のような船乗りは詳しくは知らんが、合衆国の賢い政治家が南北米大陸の中立がどうとかなんとか理由をつけて、旧大陸で戦争をしている時にブラジルのコーヒー豆を独占契約してしまったとかいう話だった。
もちろん、旧大陸人共が羨んだだろう合衆国に入ってきた本物のコーヒー豆が我が海軍にも納入されているのは間違いない。いくらなんでもそこまでは嘘ではないだろう。だが、上等な豆は最初に陸上で無駄な事務仕事ばかりしている何とか司令部だのがごっそりと頂くことになっているのだ。
次に海上に回されるが、ここにも順序がある。最初は戦艦、次に巡洋艦群、空母は巡洋艦とどっちが上かは分からんがこの辺りだろう。そして主力艦のお守りをする艦隊型駆逐艦にお情けで回ってくる。
最後に、何処でも受取拒否された腐ったような豆がようやくこのちっぽけなボロ船に回されたのに違いないのだ。いや、ボロ船というのは正しくはなかった。我が護衛駆逐艦ブレナムは未だにペンキの匂いも取れないほどの新造艦だったからだ。いや、雑な塗り残しを除けば、だが。
海上勤務を志したアナポリス出の真っ当な海軍将校なら、誰しも最初に戦艦に乗りたがるだろう。なんと言っても巨砲を詰め込めるだけ積んだ戦艦こそは近代海戦の主力だからだ。
砲術科の士官なら一度は戦艦の砲術長を目指すものだ。巡洋戦艦まで含めても、合衆国海軍に戦艦の砲術長は百人もいないという選ばれたエリートなのだ。
戦艦より格が落ちるし、ルーズベルトが大統領だった頃に粗製乱造されたとはいえ、巡洋艦に乗るというのもまあ悪くはない。戦艦より火力や装甲は弱いが、巡洋艦は高速で小回りもそれなりに効くからだ。
俺のような航海科士官ならば、高速で航行する巡洋艦の列をぴたりと揃えるように操艦して尊敬の目で見られたいと思うものだ。実のところ、俺も最近までは巡洋艦の航海士だった。
戦艦や巡洋艦に比べたら、空母は飛行機乗り達が主役になるから航海や砲術からは人気がない。だが、艦隊を敵機から守るには必要な船だ。それに数も少ない大型艦だ。
飛行機を積み込むために大きい割に居住区は狭いし、飛行機の都合で風下にたったりと頻繁に操舵させられるが、まぁこれもぴしりと操艦を決められれば、偉いもんだろう。
艦隊型の駆逐艦は数が少ない。我が海軍ではこれまであまり重要だと考えられなかったからだろう。だが、小艦艇といえども駆逐艦には必殺の魚雷がある。ちっぽけな駆逐艦でもうまくすれば戦艦すら沈められるかもしれないのだ。ギャンブラーにはたまらないだろう。
ところが、同じ駆逐艦でも護衛と前につくと全くの別物になる。護衛駆逐艦は駆逐艦の様なふりをしているかもしれないが、実際には駆逐艦という方ではなく、護衛という文字の方がメインなのだ。
我らがブレハムという名のちっぽけな船は、タコマ級護衛駆逐艦の一隻だった。このクラスは開戦以後に建造が始まったにも関わらず、既に何隻かブレナムの姉妹達が就役しているほど急速建造が進められていた。
新鋭駆逐艦への転属という言葉に、以前配属されていた巡洋艦の士官次室でそれを初めて聞かされた俺が心躍らせたのは嘘ではなかった。無理もないだろう、士官連中の下っ端としてこき使われるのにはいい加減あきあきしていたからだ。
その巡洋艦は大西洋に配属されていた。つまりグアンタナモを根拠地としてカリブ海の旧大陸の植民地を解放して回っていたわけだが、旧大陸の勢力は南米か奴らの本国に帰還して久しかったから、戦闘は全く無かった。
要するに戦争中に暇をしていたわけだから、俺は刺激を求めてもいた。きっと新鋭の駆逐艦なら太平洋で日本人共のケツを蹴り上げる仕事に違いない。ただし、昇進と同時に航海長になるという事例には訝しいものを感じた。おそらくはそれは予兆という奴だったのだろう。
よく考えてみればわかることだ。昇進したての、しかもアナポリスの席次が下から数えたほうが早く、更に言えば戦闘で活躍したわけでもない俺のような落ちこぼれを航海長にするほど新鋭駆逐艦は余っているはずはなかったのだ。
ブレナムはとんでもない船だった。俺は今のように士官室に入るとすぐに愕然としていた。いや、その前に始めて船の外観を見た時から異様な物を感じていたのだが、矛盾は士官室にも生じていた。
前任地の巡洋艦にあった士官次室はタコマ級にはなかった。昨日今日士官になった若造から艦長間近の大ベテランまでが同じ士官室で飯を食って過ごすのだ。
それはまぁしょうがない。空間の限られる駆逐艦ならそれなりに前例があるものだ。ところがブレナムの場合は空間の圧縮が徹底していた。士官室は食堂を兼ねるが、下士官兵の食堂も士官室に隣接していた。正確に言えば、調理場を1つにしてその前後に士官室と下士官兵食堂を配置していたのだ。
因みに士官室は会議室などとしても使用する為か辛うじて士官定数の全員が着席出来るが、下士官兵の食堂は驚くほど簡素だった。場末のダイナーだってこれよりはましだろう。空間だけではない。調理場も簡素だったからだ。
もしかするとコーヒーが不味いのも豆ではなく調理場の問題か、あるいは狭い調理場を通じて僅かに聞こえてくる下士官兵食堂の喧騒のせいなのかもしれない。
巡洋艦の士官次室は、正規の士官室に比べれば質素なものだったが、ブレナムの士官室はそれ以下だった。内装と呼ぶべきものは最小限でしかなく、木材の温かみなど全く感じられなかった。もちろん下士官兵食堂もそれは同様だったが、調理場の向こうが騒がしいのはそれが原因ではないだろう。
下士官兵達が不満の声を上げているのはわかっていた。就役してからこっちブレナムは休みなく働かされていた。大西洋のカリブ海を巡る短距離船団はどうだか分からないが、太平洋を横断する船団には護衛艦が足りないのだ。太平洋艦隊では巡洋艦まで船団護衛に回しているくらいだ。
なにせ太平洋の戦線では必要とする物資は莫大なものだった。日本人共が上陸してきたフィリピン諸島だけではない。グアム島からはひっきりなしに日本人共の本土に向けて奴らの木製の小屋を焼き払う戦略爆撃が行われていたのだ。
戦略爆撃とやらが新聞が、というよりもはあの威張りくさった陸軍航空隊が言うほどの効果を上げているのかどうか俺には分からない。分かるのは戦略爆撃には膨大な物資が必要だということだけだ。
陸軍航空隊の戦略爆撃機、B-36は自重が60トンという怪物だが、離陸重量は150トンにも達するらしい。その重量の中で燃料やら爆弾やらをやりくりする訳だが、要するに一回出撃する度にB-36は爆弾でも燃料でも関係なしに百トン近くを消費するということだ。
単純に計算して十機で千トン、百機なら一万トンになるが、この百機分の数字は、大型の貨物船一隻が運んだ全部の量の物資を、たった一回の出撃で使い果たすということになる。ついでに言えば、これに陸軍の奴らが食う飯やら何やら諸々の物資もグアム島に持ち込まなきゃならない。
陸軍航空隊の腹を満たすために合衆国は膨大な数の物資を生産して太平洋をグアム島まで次々と運ぶ羽目になっているというわけだが、日本人共の眼の前で無防備に貨物船を送り出すわけにはいかないから、海軍は貨物船を守る為に護衛艦隊を編成しなければならないというわけだった。
そんな戦時中に生じた突然の艦艇不足に対応するために急速建造されたのが、ブレナムをはじめとするタコマ級護衛駆逐艦なのだが、こいつらが半年で次々と就役するにはからくりがあった。
実はタコマ級護衛駆逐艦は従来の駆逐艦の系譜には存在しなかった。艦内で俺も何度か違和感を感じていたのだが、その構造やら設計の基準だとかは商船のそれだったのだ。
要するにこのブレナムは、極端なことを言えば軍艦に見えるように作られた商船だったというわけだ。ある意味貨物船を護衛するには最適なのかもしれないが、戦闘艦としては当然頼りなくはある。
タコマ級護衛駆逐艦の原型となっていたのは、何処かの駆逐艦ではなかった。大型の捕鯨船かトロール漁船だったらしい。道理で魚臭いと思った、とはある下士官の台詞だったが、流石にブレナムは漁に出たことはなかったから、そいつは白けた目を向けられただけだった。
尤もそいつの気持ちは俺にも分からんでもない。やはり新造艦と言っても違和感を覚えたのだろう。外からの見た目はタコマ級も軍艦なのだが、これまで見慣れた艦艇とは明確にし難い違いがあるのだ。
よほど開戦で軍も人手不足なのか、設計の基準だけではなく、設計者も商船をしてる人間を引っ張ってきたらしい。そんな急増の護衛艦を何故駆逐艦の仲間にしてしまったのかは俺も知らない。
噂では本物の護衛駆逐艦、というか高価な艦隊型駆逐艦ではなく戦時急増型の駆逐艦も計画はしていたらしい。本来はそれが護衛駆逐艦となるはずだったらしいのだが、そいつの代わりにさっさと就役し始めたタコマ級が護衛駆逐艦の名前を奪ったとかいう話だった。
タコマ級では最初は士官室も無くすか、もっと狭くする案もあったらしい。幾ら何でも士官室を省いた船を受け取ろうとする艦隊の関係者はいないだろうが、元々駆逐艦のつもりで作っていなかったとしたらあり得る話なのかもしれない。
兵装も駆逐艦とは言い難い程に貧弱だ。3インチの豆鉄砲が3丁と機銃がいくつか、爆雷だけは艦尾の投下軌条に加えて、側面にドラム缶のような爆雷をぶん投げるK砲とその火薬缶がところ狭しと艦尾の構造物に括り付けらていた。
尤も、俺は気合を入れて爆雷を投下するのはブレナムにとっても危険じゃないかと考えていた。K砲のことじゃない。艦尾から爆雷をごろごろと蹴り落とす投下軌条のことだ。
このブレナムの主力兵器である爆雷とは何か。単純に言えばこいつはドラム缶の形をした爆弾だ。こいつを潜水艦のいそうな海中に放り投げて事前に調整した位置で起爆させれば、海水の圧力に締め付けられて悲鳴を上げている潜水艦の隔壁に止めを刺せるという結構な代物だ。
だが、こいつは砲弾や魚雷のように敵艦に向けて自分達から遠ざかる方に撃つものじゃない。K砲はある程度は側面に向かって放たれるが、それだってそんなに長距離じゃあない。
何が言いたいかといえば、爆雷は単に自分たちの真下に爆弾を放り投げるだけだと言うことだ。
もし馬鹿な水兵が信管の調整を誤ったら、あるいは低速で航行中に投下したら……下手をするとさっさと被害範囲から逃げる前に自分が落とした爆雷が起爆して、自分で自分の尻を蹴り上げるという器用な羽目になるわけだ。
このある種の自爆を避けようとすれば、低速でないと使えない艦底から伸ばされたソナーで聴音出来なくなるのも構わずに、さっさと爆雷を投下した場所から逃げてしまえばいいのだが、このブレナムではそいつは少しばかり難しかった。
それは何故かは分かりきっている事だ。タコマ級護衛駆逐艦は駆逐艦の癖に最高速度が20ノットしかないからだった。
タコマ級護衛駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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