1951フィリピン上陸戦46
―――いい加減、この人との腐れ縁もこのあたりで終わってくれんかね……
ぼんやりと池部少佐はロザリオの郊外で前線に向かう為に次々と通過していく友軍の車両を見送りながらそう考えていた。その中には第七一旅団に所属する僚車も含まれているはずだが、少佐達はロザリオに足止めされていた。
池部少佐が腰掛けているのは、大隊長車の四五式戦車だった。巨大な砲塔を支えるために丸みを帯びて広がっている車体中央部には、雑具箱が袖部に設けられていたのだが、その上に腰掛けて車両の列と傍らの戦車群を代わり代わりに視線を向けていた。
―――大隊長たる佐官とは言え、幹部候補生上がりの将校が腰掛けるには、こいつは高すぎる椅子かな……
池部少佐の脇では大隊長車の砲手である由良曹長もつまらなそうな顔をして腰を下ろしていた。二人が揃って眺めていた傍らの戦車群は友軍のものだけではなかった。
撃破された四五式戦車と並んで置かれていたのは、ロザリオ市街地に構築されていた陣地内で撃破された米軍戦車だったが、これらをここまで運ぶのは一苦労だった。砲塔部分に被弾して放棄されたのか車体は無事だった車両も中にはあったのだが、大部分は自走など望めなかったのだ。
大半はクラッチを切って四五式戦車で牽引するか、排土板付きの車両で押し出していくしか無かったのだが、比較的軽量であるらしいM3中戦車ならばともかく、45トンを越える重量がある四五式戦車でもM6重戦車を牽引するのは至難の業だった。
戦闘中は米軍は重戦車ばかりを投入しているのだと誤認していたのだが、実際にロザリオに布陣していた米軍戦車隊はM6重戦車とM3中戦車の混成部隊であったようだった。
二度に渡る欧州大戦でも中立を保っていた為に海外に派遣された実績のない米軍戦車の詳細は、他国では殆ど知られていなかった。日本陸軍内部でも詳細は不明だったのだが、M6重戦車は下手をすると60トン程度の重量はあるかもしれなかった。
前大戦末期にドイツ軍が開発していた重戦車群に匹敵する重量級戦車だといえるが、中戦車の発展形である四五式戦車では牽引するのは至難の業だった。自重が足りないから下手をすると履帯が泥濘地で空回りしてしまうかもしれないのだ。
結局、M6重戦車は自走を試しつつも牽引する際は効率は悪いが二両一組で行うしか無かった。できる限り先頭車が頑丈なワイヤで牽引する一方で、後方からもう一両が排土板で押していくのだ。
恐ろしく神経をすり減らす作業が続いた。相手は自動車などではなく、60トンもの鉄塊である上に、本来自走する機械だから下手に力を加えるとどう動き出すか分からないのだ。移動中の重戦車が滑り出して仮に友軍の隊列に投げ出されれば戦死者が続出してしまうだろう。
一両が一両を牽引するだけならそれほど慎重になる必要はないが、二両一組ということは僚車の動きも正確に把握しなければ移動は困難だった。操縦手一人では作業は行えなかった。周囲の監視や連絡のために操縦士以外の乗員もほぼ全員が駆り出されていたのだ。
しかも旅団司令部から指定された集積地はただの空き地ではなかった。乾燥して畝も見えなくなっていたからしばらく分からなかったのだが、どうやら耕作地であるのは間違いないらしい。おそらく進出したばかりの旅団司令部の要員は地形を十分に把握していなかったのだろう。
意気の上がらない声で最初に指摘したのは、農家出身の兵だった。今は乾ききって僅かに草が生えている程度だが、周囲の形状や僅かな段差などから集積地に指定された場所は田圃ではないかというのだ。
時期のせいか乾燥しきっていたものだから池部少佐にはよく分からなかったが、そう言われてみれば荒れているように見えて地面が平行が保たれていたし、灌木も彼方に見えるだけだった。
ロザリオに来る前に何度か青々と伸びたサトウキビ畑の脇を通り過ぎていたから、兵の言う通りここは田圃なのかもしれない。つまり収奪される換金作物ではなく、現地人にとっても主食である米の生産地なのだろう。
お百姓さんに恨まれなければいいですな。池部少佐は他人事のようにそう言った由良曹長を睨みつけていたが、他に何が出来るわけでも無かった。
逃げ出した現地民がロザリオに戻ってきて、散々破壊された市街地と戦車が捨てられた田圃を見てどう思うかは分からないが、現地民を手懐ける宣撫工作があるとすれば初手から失敗しているような気がしていた。
集積地に続々と米軍戦車や損傷した友軍戦車がかき集められる頃には、破損した戦車に技術将校達が群がっていた。兵部省技術本部から前線で敵兵器の情報収集に派遣されていた調査隊だった。
海岸で待ちきれなかったのか、前線に移動する将兵に混じって自動貨車を走らせてきたらしいのだが、調査隊の指揮官は池部少佐達が北アフリカ戦線に派遣された頃からの付き合いである服部技術中佐だった。
技術本部でも国内外の戦車研究開発を専門とするらしい服部中佐と池部少佐達との付き合いは長かった。こうした前線での調査だけではなく、最精鋭の戦車部隊である第七師団には優先して新鋭戦車の配備や新装備の研究などが舞い込んでくるからだ。
階級や経歴からしても、戦車に関しては服部中佐は技術本部内で高度な立場にあるはずだが、その印象は十年程前から代わっていなかった。佐官であるにも関わらず、技術大尉であった頃と同様に軍衣を油まみれにして敵戦車の残骸に潜り込んでいたからだ。
既にロザリオ市街地の「掃除」は終わっていた。戦車を使わなければ移動できないような巨大な残骸は敵味方を問わずに集積地に集め終わっていた。池部少佐は視線を服部中佐が潜り込んでいる米戦車から友軍の四五式戦車に向けていた。
ロザリオ市街地における四五式戦車の損害は、海岸に直結する街道から上がってきた本隊に集中していたが、池部少佐が視線を向けた四五式戦車は少佐が指揮する第一大隊の僚車だった。
大隊の二個中隊は、登坂路が破壊されたことで足止めを食っていたから、戦闘に投入されたのは池部少佐が直卒していた第一中隊だけだったのだが、撃破されていたのはその第一中隊長車だった。
池部中佐の目には第一中隊長車は無傷にも見えるのだが、実際には反対側の砲塔側面が撃ち抜かれていた。前後の状況からすると至近距離からM6重戦車の主砲による直撃を受けたらしい。
―――運が悪かったのかもしれない……
近距離から角度をつけて命中した砲弾は、結果的に砲塔側面の傾斜した装甲板に対して正撃していた。至近距離から十分な存速を抱いたまま完全貫通したせいか、貫通箇所の破孔は小さかった。
だが命中した砲弾は徹甲榴弾だったらしく、貫通した砲弾が内部で起爆した砲塔内部の損害は大きかった。おそらく戦死した第一中隊長は苦痛を感じる間も無かったのだろう。
第一中隊長車で生存していたのは車体部にいた操縦士だけだった。砲塔内にいた車長、砲手、装填手の遺体は戦車を動かす前に回収されていたが、回収された遺体の一部は誰のものなのかも分からないほどに損壊していた。
まだ第二、第三中隊は合流していなかったが、同僚の戦死を二人の中隊長に告げるのは池部少佐にとっても気が重かった。そんな陰鬱な様子を吹き飛ばすように、服部技術中佐がM6重戦車の車体から勢いよく飛び出していた。
第一中隊車と同様に米軍戦車も乗り込んでいた戦車兵達の多くは戦死していたのではないか。
もちろん怪我をして捕虜となった戦車兵もいたはずだったが、友軍戦車と比べると米戦車からの遺体回収はおざなりだった。車内に損壊した遺体の一部があってもおかしくはないし、この陽気ではすでに車内では異臭がし始めているかもしれなかった。
M6戦車の車内を這いずり回っていたのだろう服部技術中佐の軍衣も油以外で汚れているような気がしていたが、中佐は無頓着だった。四五式戦車よりも一回り大きいM6重戦車の車体上で仁王立ちすると、池部少佐達を見下ろしながら言った。
「相変わらず貴官は興味深い敵を引き付けてくれるな。事前情報通りだった。これが米軍の最新鋭戦車であるM6重戦車二型、彼らが言う所のM6A2であると思われる。
偶然かどうかは分からないが、備砲はやはり我が四五式戦車の備砲と同級、つまり五〇から六〇口径の長砲身一〇センチ砲ということだ。ただし、車内の備品に貼られた銘板には三種類あった。
M6、同A1、A2の三種類だ。このうち無印とA2が砲塔内部、同じく車体部には無印とA1が貼られていた。これが何を意味するのか、結論を出すには早いが、おそらくこの車両は暫定的な改修型なのだろう。あるいは試作中の車両を使い勝手を試すために持ち込まれたものかもしれない」
服部技術中佐は演説のようにまくし立てたが、池部少佐は白けた顔を浮かべていた。このM6重戦車の火力と装甲は身を持って既に体験していたからだ。
だが、よせばいいのに由良曹長は不思議そうな顔で口を挟んでいた。
「しかし、そんな試作中の戦車を危険極まりない戦地に放り込む奴がいますかね。実際このデカブツは俺が撃破したんですぜ」
下士官に途中で遮られたにも関わらず、服部技術中佐は不思議そうな表情を浮かべただけだった。
「何を言っているんだ曹長。君達自身が欧州戦線の末期に四五式戦車の増加試作分で中隊を編成していたのではなかったかね。あれはまさに試作中の戦車の実地試験だったのではないか。
違いがあるとすれば、当時の四五式戦車は車体はほぼ完成していたものの、主砲は暫定的に三式中戦車と同様の長砲身七センチ半砲を装備していたことではないかな。
逆にこのM6重戦車は車体はM6A1型を流用して、一〇センチ砲を搭載したA2型の新型砲塔を仮にくくりつけたということだろう。よく見たまえ、車体部分は前面装甲を貫通しているが、この防楯に命中した砲弾は貫通を許していないのだ」
嬉々として敵戦車を褒め称えている服部技術中佐に、池部少佐と由良曹長は顔を見合わせながらため息を付いていた。二人に気がついた様子もなく中佐は続けていた。
「それにここでも何両か自走可能な状態で鹵獲されているが、米軍戦車の操作系は戦訓を反映した我が戦車よりも洗練されたと言えなくもない。詳細は内地で研究を行う必要があるが、信地旋回は不可能だそうだが、クラッチ操作は楽だったそうだな。
戦闘兵器としてはともかく、自動車としては完成度が高いといえるだろう。流石に米国は自動車大国だ。もしかすると戦車にも信頼性の高い熟成された自動車技術が転用されているのかもしれんな。
ただ、米軍と言えどもこの大重量ではM6重戦車の配備数は少ないだろう。戦局に与える影響という点ではあちらのM3中戦車の方が比率が大きいかもしれない。M3中戦車は我が三式中戦車に匹敵するという想定だったが、あれの備砲も明らかに長一〇センチ砲級だ。
それに……一部の砲には英字ではなく、キリル文字が刻印されていた。もしかするとソ連から輸入された砲なのかもしれん……そうなると、やはり我が四五式戦車同様に、これから米ソも主力となる中戦車には長一〇センチ砲を搭載するという腹づもりなのだろう」
再び池部少佐と由良曹長は顔を見合わせていたが、今度はふたりとも眉間にしわが寄っていた。
「それは良いですが、これが試作で制式兵器が更に控えているとすれば、四五式でM6に対抗し続けられるんですか……いやもしかするとM3のような中戦車が四五式みたいになって返ってくるかもしれないってんでしょう」
由良曹長の愚痴のような声を聞きながら、服部技術中佐は生返事を返していた。
「とりあえず砲弾の改良は進めないと行けないな。理想を言えば砲塔もより増厚したものに変えたいが……それよりも研究中の追加装甲も促進させないとな……」
素早く書類に書付を始めた服部技術中佐から視線を逸らすと、池部少佐は遥か南方に顔を向けていた。
―――米軍の中核まで攻め込むのに、我々はあとどれだけの犠牲を払わせられるのだろうか……
険しい顔で池部少佐はそう考えていたのが、その視線の先にはスコールの黒雲が広がっていた。
四五式戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
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