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1951フィリピン上陸戦44

 旧英国植民地、保護国の連邦国家であり、現在でも英国本土との繋がりが強い英連邦に加入しているにも関わらず、マラヤ連邦軍の装備は日本製が多かった。

 近隣の大国で取得や重整備が容易であるという事情の他に、元々体格が似た日本人向けの装備だから、大柄な英国人用の装備よりも使い勝手が良いからではないか。

 あるいは、旧フランス植民地であるベトナム、ラオス、カンボジアの三王国の様に、遥か彼方の欧州に存在する旧宗主国よりも地域大国である日本帝国との関係を重要視している表れなのかもしれない。



 航空戦力も例外ではなかったが、マラヤ連邦には本来独立した空軍は存在していなかった。大戦期間中はマラヤ連邦補助空軍部隊が編制されていたが、これは英本国空軍指揮下の補助部隊に過ぎなかったから、航空戦力は戦後陸軍に吸収されてしまっていたのだ。

 その保有機材も本来はささやかなものだった。デム曹長の記憶では、日本製の一式戦闘機と九八式直協機若干数程度がマラヤ連邦陸軍航空隊が保有する機材の全てだったはずだ。

 英国式の軍制であれば、本来は独立した空軍を構築しそうなものだったが、これほどの少数機では運用に必要な地上要員も少ないだろうから、管理上も頭数が多い陸軍と統合した方が都合が良かったのだろう。

 潤沢な予算と人員が与えられた英本国とは違って、独立したばかりのマラヤ連邦は財政基盤が貧弱だったからだ。



 前大戦では何度かデム曹長もMe109で一式戦闘機と対峙したことがあったが、カタログ上のエンジン出力は大したことがないものの、機体重量が低く抑えられているためか、横方向の機動性は抜群に優れていた。

 火力も低いから、一撃離脱を心がけている限りMe109にとって大きな脅威とはならないが、一式戦闘機もひらりひらりとこちらの射撃を躱す上にMe109も火力が不足して一撃で撃破するのも難しいものだから、お互いに有効打を与えられずに戦場から揃って離脱することも多かった。


 一式戦闘機は、元々火力と機動性を併せ持った主力機となる重戦闘機を補佐するための軽戦闘機として開発された機体だったらしい。といっても安価なだけの補助戦闘機ではなかった。

 日本軍が定義する重戦闘機がある種の万能機であるとすれば、軽戦闘機は機銃のみでも撃墜可能な戦闘機に目標を絞った機体、という開発方針と聞いていた。


 日本軍のそのような開発方針がまともに機能したかどうかは分からない。大戦期間中は戦闘機であっても次第に防御装備が充実していったから、小口径の機銃では撃墜が困難になっていったからだ。

 勿論その程度のことは日本軍も把握していた筈だ。というよりも三式戦闘機や日本海軍の戦闘機が最初から長砲身のエリコン20ミリ機関砲を装備していた様に、日本軍は戦闘機搭載機銃の大口径化には比較的熱心な方だった。

 本来身軽で安価な軽戦闘機として開発されていたはずの一式戦闘機も、後期に製造された型式では短砲身ながら20ミリ機関砲を装備した上に、Fw190Aに匹敵するほどの大出力エンジンに換装されていたはずだった。


 ここまで来ると初期に計画されていた7.7ミリ機銃を装備する軽戦闘機とは全く別の機種とも思えるが、マラヤ連邦に配備されたのは確か12.7ミリ機関砲を装備する中期生産型だったはずだ。

 最後期型の20ミリ機関砲ならばともかく、12.7ミリ機銃では二丁を抱えていても高速のジェット戦闘機が行き交う現代戦では通用しないのではないかとも思えるのだが、軽快で運用も容易な機体だったから限定的な運用と割り切れば問題はないのだろう。


 相手が国境を侵犯する反政府組織や共産主義勢力程度であれば、むしろ使い勝手の点では中途半端な一式戦闘機よりも九八式直協機のほうが有力な機体かもしれなかった。

 地上部隊の目となる短距離偵察機から簡易な地上攻撃機までの多彩な前線での運用に加えて、マラヤ連邦では複座の高等練習機としての役割まで果たしているのが九八式直協機だった。

 日本陸軍ではとうに旧式化している上により短距離離着陸性能などに優れるヘリコプターが直協機の主力となっているようだが、マラヤ連邦軍の規模では九八式の方が使い勝手が良いのだろう。



 部外者であるデム曹長の目で見ても、マラヤ連邦の航空戦力はいずれも中古品ながら生産数が多く予備品なども入手しやすい国情や身の丈にあった堅実な機種を選択しているといえるが、その数は少なかった。

 混成の一個航空隊を構成するにも足りない程度の機数ではこれまで通り独立編制の空軍を構築するのは無謀に思えたのだ。だとするとエアアジアを徴用するというマラヤ連邦空軍とは一体どのような存在なのか。


 だが、実際には既存の陸軍航空隊を含めて再編制されることになっているマラヤ連邦空軍とは、実質的には徴用されるエアアジア、つまりデム曹長達の方が主力のような扱いになっていた。

 国防省の管理下に独立したマラヤ連邦空軍が構築されることになるのだが、組織上で既存航空隊と徴用されたエアアジアを再編成した部隊との間に指揮系統は存在しなかったのだ。

 上級司令部の機能も貧弱だったから、エアアジアを再編成した輸送部隊は支援無しで単独で動くことになるらしい。そして再編成される国際連盟軍のなかでは、マラヤ連邦空軍はフィリピン南部方面の後方支援を担当する事が予定されていた。

 本来主力機材であるはずの一式戦闘機などもその援護に投入されるのかとも思ったが、実際には若干の連絡機程度は運用されるものの、国際連盟軍の拠点となる英領北ボルネオに派遣されるのは実質的に旧エアアジアの機材と人員ばかりだった。


 要するにエアアジアの徴用とマラヤ連邦空軍の独立とは、国際連盟加盟国として前線に大戦力を派遣できるほどの国力のないマラヤ連邦でも、国際連盟軍に戦力を派遣して貢献しているという証明代わりに過ぎないものであるようだった。

 姑息な手段である様だが、勿論これは英本国も承知の話なのだろう。エアアジアの本拠地は確かにアジア圏の新独立国家群の中でも中心近くにあるマラヤ連邦に設けられていたのだが、会社の経営幹部や資本は英本国に握られているからだ。

 英本国の経営陣が承知しなければ、政治力に劣るマラヤ連邦が独断で徴用など出来なかったはずだ。



 デム曹長にしてみればとんだ災難に巻き込まれたものだった。まさかマレー人の代わりに自分が再び最前線送りになるとは思わなかったのだ。

 エアアジアの機材はともかく、人員は些か複雑な経緯で徴用されていた。現地雇用のマレー人はそのまま空軍の将兵扱いとなっていたのだが、一応はまだドイツ国籍だったような気がするデム曹長の扱いは難しかったのだ。

 結局デム曹長は外国人の顧問ということに書類上はなっていた。大型貨物機の機長が務まる操縦員が貴重だったから外国人と言っても外すことは出来なかったのだろう。

 確か一瞥しかしていない書類上は士官待遇の軍属扱いということになっていたはずだが、実際には二式貨物輸送機の機長として最前線でパイロットを務めていた。


 厄介なことに、副操縦士以下の搭乗員は現地採用のマレー人で固められていた。彼らの教官を勤めたのは、会社に雇用されていた先の大戦に従軍したイラン空軍の退役将兵だと聞いていた。

 イラン人とマレー人は同じムスリム同士だからという宗教や人種にこだわる英国系企業らしい判断だったが、実際には言葉の壁や、同じムスリムでも宗派の違いなどがあったようだ。

 ムスリムと言っても古来より独自のペルシャ文化を保っていたイラン人と、アジア化したイスラム文化では差異が大きいらしい。同じ宗教といっても、キリスト教徒もカソリックとプロテスタントで過去に血みどろの宗教戦争まで行っていたことを英国人は忘れていたのではないか。

 イラン人教官はともかくマレー人の搭乗員達がどの程度「使える」人材なのかはまだデム曹長にも判断がつかなかったが、これからは戦地上空を飛行することもあり得るというのに搭乗員達を信用しきれないという時点で危険性は高かった。



 別れてから僅かな間しか経っていないが、かつての相棒が懐かしかった。デム曹長が危険な傭兵搭乗員稼業でも大した危険を感じなかったのは、自分と変わらないほどの実戦経験を持つ相棒がいたからだ。

 フランス空軍出身のプレー中尉は、デム曹長と同じく下士官搭乗員として経歴を始めていたのだが、終戦時にはヴィシー・フランス空軍で士官に昇進していた。それだけではない。自然と従いたくなる指導者の素質を持ち合わせているようだった。

 歳は少しばかりデム曹長よりも若かったのだが、戦時中にずいぶんと労苦を重ねていたのか、浅黒い肌に深い皺が刻まれた顔立ちは老成して見えていた。


 だが、プレー中尉はエアアジアが徴用される直前に退社していた。その頃既にドイツ国内では駐留ソ連軍とドイツ軍との小競り合いが始まっていた。フランス空軍も目前で行われている紛争の拡大に備えるために戦時動員を開始していた。

 そこで旧ヴィシー・フランス空軍出身の搭乗員にも招集がかかっていたらしいのだが、エアアジアの徴用と同様におそらくは英本国もこうした動員計画は承知していたのだろう。

 やはりデム曹長と同じく敗北した側に所属していたプレー中尉がエアアジアに流れ着くまでにはそれなりの紆余曲折があったのだろうが、中尉は首を一度すくめただけで、むしろ清々とした表情を浮かべて帰国していった。


 ―――あるいは、プレー中尉は死地を求めていたのだろうか……

 デム曹長にはよく分からない感覚だった。命あっての物種と言うではないか。そこまで考えてデム曹長は思わず首を振っていた。どうにもこのクルーで飛行を始める様になってから悲観的な気分になることが多い気がしていた。



 先ほど見えた貧弱な管制塔は早くも視野の外に出ていた。エアアジア、もといマラヤ連邦空軍輸送部隊の初仕事となるホロ島への輸送は、今のところ往路は無事にたどり着けたと言って良さそうだった。

 デム曹長は、わずかに残っていた機速を使い切る様にして、誘導路の端にたどり着いた二式輸送機をその巨体とは不釣り合いなほどの軽やかさで旋回させていた。

 平然とやってのけてみたが、実際には熟練の操縦士でなければ難しい操作だった。機体が持つ運動量と地上の抵抗を読み切って惰性だけで停止して見せたのだ。

 ただし、あまり誇れるような技術でもなかった。単に高価な二式貨物輸送機では予備部品が潤沢ではないものだから、消耗品であるブレーキをあまり掛けずにうまく停止できるように工夫していったと言うだけの話だったのだ。


 既に誘導の車両は必要なかった。駐機所の端には二式輸送機を待ち受けているように大勢の作業員が待機していたからだ。デム曹長は機内の貨物を待ちわびていたのだろう作業員の眼の前で機体を停止させていたのだ。

 日本軍の重爆撃機を原型とする二式貨物輸送機は、大口径の空冷エンジンを四基も装備していた。操縦席からは主翼とそれにへばり付くエンジンナセルによって下方の視界が利かないから彼らの顔は見えなかったが、地上要員は驚いた顔をしているかもしれなかった。


 そう考えながらデム曹長は機長席から側面に視線を向けたのだが、その時になってようやく奇妙なことに気がついていた。推力を発生させないために可変ピッチプロペラは駐機所の直前で既に平行としていたのだが、プロペラの一枚一枚が見分けがつくほどに回転数が落ちていたのだ。

 その様子に愕然としながらデム曹長は慌てて操縦席から振り返っていたが、不思議そうな顔をしたマレー人の機関士は何の躊躇いも見せずに全てのエンジンを切っていた。

二式貨物輸送機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/2c.html

一式戦闘機二型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1lf2.html

一式戦闘機三型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1lf3.html

三式戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/3hf1.html

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