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1951フィリピン上陸戦40

 池部少佐が初弾から特別弾を装填する指示を行ったのは、戦車兵の常識からすると異様なものだった。実戦において戦車が使用する砲弾の大半が榴弾であるという状況は大戦中から変わっていないし、四五式戦車なら大抵の戦車は通常の徹甲弾で撃破できる筈だからだ。

 ましてや敵陣地への迂回挟撃を命じられているこの状況では、相手がどんな目標であってもある程度は有効に働くであろう榴弾を装填しておくのが常識的な考えのはずだった。



 第七一戦車旅団の四五式戦車が搭載する備砲は、戦車用として新規開発されていた10センチ砲だった。

 正確には105ミリ口径の砲となるこの戦車砲は、三式中戦車の一部で採用された支援用の榴弾砲などでは無く、元々三式中戦車と同時期に計画されていた砲戦車用に開発が開始された長砲身砲だったのだ。


 一式中戦車に装備された長砲身57ミリ砲は、高初速によって貫通力を高めた一方で榴弾威力が低かったから、75ミリ野砲を備えた一式砲戦車が支援戦車として開発されていたのだが、三式中戦車は初期型でも75ミリ野砲を装備していたから、自らの榴弾射撃で敵対戦車砲陣地の制圧が可能だった。

 しかも、その後三式中戦車は長砲身75ミリ砲に続いて105ミリ榴弾砲を搭載した火力支援仕様も採用されていたから、限定的な運用を強いられる固定式戦闘室を備える砲戦車の開発計画に代わって、長砲身10センチ砲のみが戦車砲に生まれ変わっていたのだ。


 長砲身砲故の腔圧の高さから、同口径の短砲身榴弾砲と比べると同時に開発された榴弾の炸薬量は少ないのだが、それでも75ミリ級砲よりも格段に威力は高かった。

 勿論だが通常の徹甲弾も極めて強力だった。大戦中の中戦車などは前面装甲を貫通して車体後方に突き抜けてしまうのではないかとまで言われていたほどだった。



 大戦中であれば過剰とも言われただろうそのように強力な砲が採用されたのは、ソ連軍の重戦車に対抗するためのものだった。

 大規模な戦車部隊を運用していた大戦中のソ連赤軍は、大量の中戦車で戦線を突破した地点に集中的に重戦車連隊を投入していた。この戦線の破口を塞ぐには、どこに現れるか分からない重戦車群を撃破しなければならなかったのだが、それは困難だった。

 大戦末期に投入されたソ連軍重戦車が装備する120ミリ程度の長砲身カノン砲は、格で言えば軍団級の砲兵が運用するレベルの砲だった。当然だが装甲もこれに対応する程度のものを有していた。

 実際には火力に装甲の強化が追いついていないのではないかという推測もあったが、それはソ連軍重戦車の装甲が弱体であると言うよりも、単に備砲の強化に装甲が追いついていないだけであって、単体で見れば中戦車が装備する75ミリ高射砲弾道程度で貫通するのは難しいだろう。


 シベリアーロシア帝国では、この独立運用される重戦車連隊への対策として重戦車を計画していたのだが、戦線の綻びの全てに友軍重戦車を投入することは困難だろうと日本陸軍は判断していた。

 だから四五式戦車に本来そのような重戦車に対抗するためだった砲戦車用の105ミリ砲を装備すると共に、重戦車が出現した際には特別弾で対抗すると定めていたのだ。



 怪訝そうな顔を向けた由良曹長を無視するように、通話装置につながる無線機を大隊系に切り替えた池部少佐は、集結している第一中隊の各車両に向けて言った。

「大隊長より各車、車長は大隊長車後方に集合。あと近くにいるもので誰か歩兵中隊長も連れて来るんだ」

 乱暴にそう言うと、池部少佐は再び通話装置を車内系に切り替えて言った。


「先行して偵察していた機動旅団の隊員からの報告だ。ロザリオの敵陣内でM6重戦車を目撃したそうだ……」

 思いがけない池部少佐の言葉に由良曹長は眉をしかめて日下上等兵と顔を見合わせていた。言ってみれば、米陸軍のM6重戦車こそが自分達第七一戦車連隊がルソン島に投入された理由だったからだ。



 米陸軍のM6重戦車自体はすでに旧式化しているのではないかとの声も強かった。第二次欧州大戦序盤の頃には既に制式化されていたからだ。制式化された時期で言えば日本陸軍の一式中戦車と同世代ということになるのではないか。

 その一方で、就役当初から3インチ高初速砲を備えていた車格の余裕は無視出来なかった。単純な車体規模の大きさからか、発展余裕があったようだからだ。


 いわば急造の高速戦車であった一式中戦車が大戦期間中に早々と日本陸軍の主力装備の地位を追われていったのに対して、M6重戦車は今でも米陸軍の制式装備の地位を保っていた。

 しかも、M6重戦車は初期型が3インチ砲を備えていたのに対して、より大威力の90ミリ砲にすげ替えた型式もあるという話だったが、最近になって配備された新型では一挙に長砲身105ミリ砲に主砲をすげ替えたという情報が入っていた。


 それだけでは無かった。米陸軍に配備されているM6重戦車の数は当初の予想よりも多いのではないかとも考えられ始めていた。マニラ周辺の写真偵察や諜報活動などによって、ルソン島に配備された複数の戦車隊に長砲身105ミリ砲を装備した戦車が確認されていたからだ。

 装備転換の途上なのか、従来の3インチ砲装備型と同時に行動していたものだから、大口径長砲身の主砲を装備した改良型が含まれているのが明瞭だったらしい。


 情報が確認されたのは開戦前後の事だから詳細は不明な点が多かったのだが、何枚かの不鮮明な写真を分析した結果、砲塔が大型化しただけではなく、車体にも変更点がある事が分かっていた。

 よくは知らないが、さほど米陸軍は開戦時まで防諜に熱心ではなかったらしい。米本土から輸送されて陸揚げされた重戦車には幌もかけられていなかったという話だった。

 もしもその場に国際連盟側の軍関係者がいればさらに詳細も判明していたのだろうが、運び込まれた戦車はその後マニラ周辺の演習場で遠望されたくらいだった。

 どうやらマニラ周辺の要塞地帯を仮想戦場として訓練を行っていたようだったが、その後は開戦によって情報は途絶えていた。



 M6重戦車自体は、以前からルソン島に少数が配備されていることは公表されていた。第二次欧州大戦中にマニラ要塞地帯に大々的な報道を受けて送り込まれていたのだが、当時配備されていた数はごく少数に過ぎないことは諜報活動で確認されていた。

 報道によって公表されていたのも、日本軍に対する抑止力としての効果を狙ったものだったのではないか。それに大戦序盤に就役した初期の型式であれば主砲は3インチ級のものだったから、同級主砲を装備した三式中戦車の数を揃えれば撃破は難しくないと考えられていた。

 ところが105ミリ砲を装備した改良型の性能は未知数だった。見た目では機関部に大きな変更はないというから、重量増によって機動性は悪化しているのかもしれないが、重戦車らしく移動トーチカとして運用するのであれば多少の速度低下があった所で大きな支障はないだろう。


 その一方で、大戦終結後の軍縮体制の中では、本来こうした重戦車に対抗するために長砲身105ミリ砲を備えた正規生産型の四五式戦車を定数一杯まで装備している戦車隊は少なかった。

 次世代の標準型戦車として開発が進められていた四五式戦車は、大戦終結間際にようやく暫定的に長砲身75ミリ砲を装備した初期型が欧州に少数送られた程度だったから、終戦後に戦車生産数が絞られたことで部隊への配備が遅れていたのだ。

 それに対して三式中戦車は戦時中の主力として既に数多く生産されていた。戦後も生き残った三式中戦車は、輸出に回されたものを除いても第二師団の戦車連隊のように日本陸軍戦車隊に多く残されていたのだ。


 四五式戦車が優先して配備されているのは、シベリアーロシア帝国に駐留している部隊や、日本本土に駐屯している部隊が使用する為の機材としてウラジオストクや大連の郊外に設けられている事前集積所だったから、米国の友好国であるソ連への抑えとしても容易に動かすことは出来なかった。

 元々ソ連軍重戦車に対抗する意図があった為だが、四五式戦車を装備した部隊の中で日本本土にあってルソン島に投入出来そうなのは、富士の教導旅団を除けば北海道に広大な演習場を抱える第七師団だけだった。

 寒冷地での戦闘を想定して北海道に駐屯していた第七師団が、先の大戦における欧州派遣に引き続いて高温多湿のルソン島に投入されたのはそれが理由なのだろうが、重装備の第七師団のうち上陸作戦決行までに輸送が完了したのは師団の半分だけだった。



 由良曹長はため息を付きながら文句を言った。

「まさかこんな所で噂の重戦車と遭遇するとは思いませんでしたよ。しかし、初手から特別弾はやり過ぎじゃないですか」

 池部少佐が何かを返す前に日下上等兵が抜弾と装填作業を終えていた。

「特別弾装填、特別弾は残り9発」

「あれ、そんなに馬鹿高い特別弾積んでいたんだっけかな」


 由良曹長がとぼけて言うのを無視するように池部少佐は言った。

「取り敢えず各小隊長車のみ特別弾を使ってみるか。今回は曹長も降りて各車長との打ち合わせに参加しろ。M6重戦車の位置を機動旅団の偵察からよく聞いて叩き込んでおくんだ。特別弾はM6重戦車に向けて撃つんだぞ」

「記憶力には自信が無いんですがね……」


 砲声が鳴り響く中で由良曹長は更にとぼけていたが、池部少佐は眉をしかめたまま言った。

「考えてみれば、俺達の正面にM6重戦車が出現することは予め予想されていたのかもしれんな……そうでなければ特別弾を別働隊の俺達にこんなに分けてくれるはずはないんだ……」

「誰です、俺達に苦労ばかり負わせようとするそんな意地の悪い奴は。例の大隊長殿が出くわした参謀とやらですかい」


 しばらく池部少佐は押し黙っていたが、怪訝そうな顔の由良曹長に視線を向けながら言った。

「いや、この内陸部への早期進攻作戦を最初に立案したのは第二師団の参謀なのだろうが、向こうから接触してきた機動旅団はともかく、我々第七一旅団、それも戦車連隊のみが単独で協力出来るとは思えない。

 まだあの時点では沖合にいた連隊長の代理でしかない根津中佐が、そんな独断専行をする様には見えないからな。

 作戦を立案したのは第二師団でも、第一軍の司令官はその作戦計画を承認した筈だ……第一軍の司令官は前の親父だぞ」

「親父……ああ、大将閣下は前の師団長でしたっけ」


 はるか雲の上にいる将官の話だからか、由良曹長はぞんざいだったが、池部少佐の続きを聞いて嫌な顔になっていた。

「第一軍の司令官は露口大将だが、その参謀部には辻井参謀がいたはずだ。あのローマ降下作戦を強行した機甲参謀なら、俺達を緒戦で敵重戦車にぶつけようとしていてもおかしくはないぞ」



 由良曹長はため息をついていた。

「辻井参謀の話は俺達も色々と聞いてますがね。随分と勢いがある人だそうで……ちょくちょく現場に顔を出すものだから兵隊からは人気があるそうですが……

 なるほど、あの人の意向なら、混乱した海岸の補給部隊に無理を言い聞かせても都合よく特別弾を用意できるというわけか……」

「機甲将校の間の噂じゃ、なんでも辻井参謀ははったりが効く将官に進級したらさっさと軍を辞めて政治家を目指すんだとか言う話もあるらしい。この作戦が上手く行けばこいつも手柄話にでもするのかもな」

「俺たちはそれに付き合わされてるってことですかい」


 由良曹長は情けなさそうな顔になっていたが、池部少佐は諦めたように苦笑していた。

「まぁあの人に付いていけば、上手く行けば出世できるさ。周りからは一緒に恨まれるかもしれんがな。少なくとも、今は特別弾の補充があった事を単純に喜んでおくとしようか。

 こう言うのは由良さんよ、あんたの領分じゃなかったか」

 二人は、顔を見合わせて苦笑いしながら集まって来た戦車長達と打ち合わせする為に四五式戦車から降り立っていた。

四五式戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/45tk.html

三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/03tkm.html

一式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01tkm.html

一式砲戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01td.html

M6重戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/m6htk.html

M3中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/m3mtk.html

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[良い点] 懐かしの辻井参謀が登場いたしましたねw ローマ降下戦以来の登場なら7年ぶりですか…もうそんなに時間が経ってしまったんですねぇ まためちゃくちゃに現場は振りまわされてしまうんですかね?楽しみ…
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