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1951フィリピン上陸戦39

 結局、歩兵を戦車から降ろすことが出来たのは、予定の攻撃発起点に何とか攻勢開始直前にたどり着いた時だったのだが、池部少佐の指示を受けた中隊長の号令で慌てて降車する歩兵達の動きは鈍かった。


 もしかすると彼らの何人かは、敵陣に突撃する最後まで自分達は戦車に乗り込んで戦うのだと考えていたかもしれないが、池部少佐は単純に坂道を越えられずに車両を置いてきた歩兵を攻撃発起点まで輸送しただけのつもりだった。

 とてもでは無いが戦車に跨乗したまま戦闘に突入できる程の練度は機動歩兵化が行われたばかりの第二師団に所属する彼らには期待出来なかったのだ。むしろ、攻撃発起点とされた箇所までの移動中に振り落とされなかっただけでも上出来と考えるべきだった。



 日本陸軍の仮想敵であるソ連軍にはタンクデサントなる単語があった。無理に日本語に直訳すれば戦車挺進兵といったあたりになるらしいから、今の第二師団の兵達の様に別部隊の歩兵が単に戦車に便乗するのではなかった。


 どこから日本陸軍が入手したのかは知らないが、以前池部少佐が見たソ連軍の編成表によれば戦車隊と跨乗歩兵部隊は旅団か師団に相当する部隊に含まれていた。

 独立編制の戦車旅団中に中隊規模で歩兵部隊を持つことも多いようだったが、この場合は跨乗歩兵専門の部隊ということになるのだろう。

 そうした跨乗歩兵の装備は、今四五式戦車から降りた兵達の様な軽機関銃と自動小銃の様な野戦用の一般歩兵部隊装備では無く、火力は高いが射程は短い短機関銃ばかりのようだった。

 ただしソ連軍の短機関銃は構造が複雑なのか、日本陸軍の小銃に劣らない程の重量があった。その点では、塹壕戦における消耗を考慮して生産性を重要視した結果として、生産途中から次第に簡素化していった日本陸軍の一式短機関銃などとは事情が異なるのだろう。


 ソ連軍跨乗歩兵が短機関銃を装備しているのは、野戦における長距離の射撃を行う事をそもそも想定していないからだろう。市街戦などの短距離戦闘のみを考えているということではなく、遠距離での戦闘は彼らが乗車した戦車の方が行う筈だからだ。

 軽機関銃などの支援火器を装備していないのも同じ理由なのだろう。戦車と跨乗歩兵を組み合わせた場合、短機関銃の決戦距離を越える火力の根幹は戦車砲にあるのだ。

 では、跨乗歩兵部隊に火力を供給する戦車には何の利点があるのかといえば、錯綜した市街戦など近接戦闘における索敵警戒能力の獲得にあるようだった。戦車に乗車した歩兵部隊は、敵対戦車部隊などを早期に探知して始末することで自分達の火力を防護するのだ。


 つまりタンクデサントと言う概念は片務的なものではなく、戦車、歩兵双方の利点を活かし合う為の戦術と捉えられているのだろう。

 実戦をくぐり抜けたタンクデサント戦術自体はソ連軍だけのものとは言えなかった。ソ連軍と対峙していたドイツ軍には突撃砲なる固定式戦闘室に戦車砲相当の火砲を備えた戦車があったのだが、その突撃砲を集中配備された旅団にも歩兵隊が固定配置されていたからだ。

 結局戦車砲を小部隊の火力根幹として活かすためには、そのような戦術、編成に収斂されていくということかもしれなかった。



 だが、タンクデサント戦術には練度の高い、というよりも戦車との共同戦術に慣れた歩兵が必要だった。戦車にしがみついて行動するだけなら体力自慢の兵がいれば出来るだろうが、戦車側の動きを読み取り、よく連絡をとるには専用の訓練が必要だった。

 しかも、低初速の歩兵砲などを装備していた大戦中の突撃砲などとは異なり、野砲どころか高初速、大口径の火砲を装備した四五式戦車などは発砲時の衝撃が大きくなっていたから、歩兵を跨乗させたまま主砲を連続発砲するのは既に不可能ではないか。

 結局歩兵を新鋭戦車に協同させるとすれば、戦車に直接乗り込むのではなく装甲兵車、それも戦車同様の機動力を持つ完全装軌かつ、装甲に覆われた車内からの射撃が行える車両が必要だった。


 単なる歩兵部隊としての練度はともかく、第二師団の歩兵は装備も練度も欠けていた。四五式戦車の機動に平地では追随出来たかもしれない一式半装軌装甲兵車は道中に置き去りになっていたし、連携の取れない歩兵が戦車にしがみついていた所で索敵の役には立たなかった。

 彼らは戦車隊の後から距離を取って追随させて、戦車砲で無力化した相手を制圧させるしかないのだ。


 幸いな事に、池部少佐達に命じられたのは正面攻撃ではなく別動の助功部隊だった。主力部隊が正面から攻勢を開始した後に時間差を設けて進出すれば、案外呆気なく敵部隊が崩壊する可能性もあった。

 海岸に通ずる裏街道を越えて池部少佐達がバギオ方面の街道から進出してくると米軍が予想して待ち構えているとは思えないから、少なくとも第二次欧州大戦で最も多くの戦車を屠ってきた対戦車砲の奇襲射撃を食らう可能性は低いだろう。

 夜間行軍の光を確認して迂回挟撃を察知された可能性はあるが、先行して偵察している機動旅団の兵達の前で陣地変換していれば事前に確認できるだろう。



 池部少佐がそう考えていると、中央山脈の稜線を越えて曙光がさし始めたロザリオ市街地上空に、列車がトンネルを越える時のようなくぐもった音が聞こえていた。そしてわずかに遅れて家屋のいくつかを薙ぎ払うように爆発が発生していた。


 座礁も恐れずに海岸線近くにまで接近した巡洋艦群による艦砲射撃が始まっていた。おそらくは大急ぎで道路の補修を終えた本隊に随伴する砲兵情報連隊の前進観測で着弾修正が行われているのだろう。

 戦車から下りた第二師団の兵達は、集合しながらも艦砲射撃の大威力を予想させる炸裂音にざわめいていたが、同じ光景を見ながら池部少佐は冷めた目でロザリオの市街地を眺めていた。


 市街地では次々と爆発が起こって家屋が倒壊していったが、土壌が安定しているのか、巡洋艦の主砲では地形が変わるほどの変化はなかった。

 むしろ倒壊した家屋が障害物となる可能性があった。どんな砲撃でも塹壕に潜んだ歩兵部隊を殲滅することは難しかった。攻勢準備射撃には長時間の射撃で破壊効果を狙うか、移動弾幕射撃で敵陣を制圧し続けることが重要だった。

 だが、現状ではそのどちらも難しいだろう。塹壕に籠もった敵部隊に破壊効果を狙える程の長時間で艦砲射撃を一点に集中させるのは難しいだろうし、着弾点のすぐ後ろを友軍が前進する移動弾幕射撃は、誤射を避ける為の高い射撃精度と綿密な射撃計画が必要だったからだ。



 艦砲射撃は威力は大きいが、短時間で終わる筈だった。その後は瓦礫の中に紛れた米兵の掃討が続くだろう。池部少佐はそう考えていたのだが、攻撃発起点となる丘の影で動きが生じていた。

 ロザリオ市街地を直接視認できる位置に進出していたのは大隊長車と随伴する第一中隊長車だけだった。敵陣から直接見えない位置に他の四五式戦車は潜めさせていた。

 その後方に歩兵中隊が集結していたのだが、大隊長車に険しい顔立ちの小田桐中尉が近付いていた。


 ルソン島に上陸部隊本隊に先んじて潜入していた機動旅団は、島内の要地確保や撹乱を行っていた。小田桐中尉達は米陸軍航空隊の根拠地だったバギオ基地の確保が主任務だったが、ロザリオに側面から接近する経路の情報を携えて池部少佐達に合流していた。

 既に、池部少佐の指示で撹乱射撃の為に擲弾筒を抱えた機動旅団の隊員達は周囲に散っていたが、小田桐中尉はその任務を与えた隊員とは別のものを連れていた。


 二人の機動旅団隊員は大隊長車に音もなく飛び乗ると池部少佐に言った。どうやらもう一人の隊員はロザリオ近くに先行して観察を続けていたらしい。顔まで黒く塗って偽装していたから海岸であった誰だか分からなかったのかと思ったのだが、実際に池部少佐に初めて会う隊員のようだった。

 機動旅団の隊員たちは小田桐中尉以外誰も名乗ろうともしなかったが、欧州で特殊戦部隊の任務と態度に慣れていた池部少佐は何も思わなかった。というよりも先行偵察を行っていた隊員の目撃情報に耳を奪われていたのだ。


 ロザリオ市街地から鳴り響く破壊の槌音を聞きながらも、小田桐中尉から報告を受けて一瞬目を見張った池部少佐は、ため息を付きながら車内に体を滑り込ませていた。

「装填手、榴弾抜弾、代わって特別徹甲弾を装填しておけ」

 池部少佐の指示に、装填手の日下上等兵は危険を伴う抜弾作業を慎重に始めていた。一旦装填した砲弾の抜弾は難しかった。下手をすると弾を抜き出す途中で暴発してしまうから、砲口を明後日の方に向けて装填済の砲弾を発射してしまう事も珍しく無かった。

 側面攻撃を意図して奇襲効果を狙っているのでなければ池部少佐もそうしたかもしれないし、そもそも初弾は榴弾を使用する事が多かった。



 第二次欧州大戦の戦況を分析するまでもなく、戦車砲弾の使用率は榴弾の方が多かった。これは遭遇率の低い敵戦車よりも敵陣地の制圧に発砲することが多いという事を示していた。

 撃破された戦車の多くは対戦車砲や噴進弾や無反動砲などの近接対戦車兵器によるものだったからだ。


 その一方でドイツ軍の重戦車や、後により洗練されたソ連軍の重戦車の情報を入手した日英軍は、これらに対抗可能な貫通力の高い特殊な徹甲弾も開発していた。

 高価な特別弾の開発は、砲自体の大型化が容易ではない以上は、砲弾を工夫するしかなかったとも言えた。装薬の改良や充填率の向上も行われていたが、砲身の設計によって腔圧が定められている以上、それを大きく越える事は出来なかったのだ。

 腔圧が定められているという事は、砲弾が受け取るエネルギー量が同一であるということを意味していた。自らが持つエネルギー量を敵装甲に叩きつける徹甲弾も発射された時点でエネルギー量は変えられないということになるが、特別弾はエネルギー量はそのままで高速化を行っていた。


 特別弾と呼ばれている硬芯徹甲弾の構造は二重になっていたのだが、実は発射される砲弾全体で見ると無垢の鋼材で製造された通常の徹甲弾よりも軽量だった。このからくりは二重構造の材質が異なる為に生じたものだった。

 内側の芯とも言える部分は、密度の高いタングステン鋼などの重金属で構成されており、重量の大半はこの内芯が担っていた。重金属をそのまま無垢の砲弾としないのは、単に砲弾が重くなって同量のエネルギー量を受け取っても初速が低下するだけだったからだ。

 物体の運動エネルギー量は重量に比例する一方で速度の二乗に比例することを考えれば、単純に砲弾重量を増大させるよりも、着弾時の存速を向上させた方が有利なのだ。

 そして速度面の向上に寄与するのが軽金属で構成された外殻部だった。内外殻を合わせた弾頭底部全面で薬莢内に蓄えられた全エネルギー量を受け取った特別弾は、内外殻の比重差から結果的に重量が無垢徹甲弾よりも軽い分だけ高初速を発揮するのだ。



 ただし、特別弾にはいくつか欠点もあった。外殻の軽合金部分は、砲身内での加速にこそ寄与するものの、砲口を出た瞬間から着弾までは単なる空気抵抗にしかなっていなかった。

 外殻部を廃したり、エネルギーを受け取る底部のみの構造とするような改良も計画されているというが、それがどのようなものになるかは池部少佐には分からなかった。


 そうした構造的な問題だけではなく他にも欠点があった。外殻の軽合金はともかく、比重の大きい内芯用の重合金は高価な上に製造も困難だった。高度な機械切削用に使用されるタングステン鋼などが想定されているのだからそれも当然だった。

 その結果、特別弾は極めて高価なものに仕上がっていた。第七一旅団には切り札として各車に数発づつが支給されていたが、一般師団の戦車隊では一発も搭載しない戦車も珍しくないだろう。



 高価な特別弾を初弾に装填するという奇妙な指示に砲手の由良曹長が妙な顔を向けてきたのも当然だったが、池部少佐はただ苦々しい表情を返していた。

四五式戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/45tk.html

九九式自動小銃の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/99ar.html

一式短機関銃の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01smg.html

一式半装軌装甲兵車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01ht.html

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