1951フィリピン上陸戦37
早くも後続の一式半装軌装甲兵車が隊列から脱落しようとしていた。大隊に追随しているのは第四歩兵連隊から配属されてきた機動歩兵中隊だったのだが、歩兵としては兎も角、まだ操縦手が装輪車両などとは挙動が異なる機械化装備に習熟していない様子だった。
出力を絞られた無線で機動歩兵中隊の後尾についている僚車から送られた連絡は要領を得なかったが、無線が通じにくくなるほど隊列の間隔が間延びしているという時点で状況を察した池部少佐は、無意識の内にため息をついていた。
池部少佐が率いる第七一戦車連隊第一大隊は、フィリピン北部を中央部と分離している中央山脈に続く道を登っていた。五十トン近い戦車が連続して登坂するには険しい道程だった。ここは元々自動車用の道路ですらない裏街道だったからだ。
道路の規格は貧弱というよりもあってないようなものだった。四五式戦車が踏み潰す前に確認した轍の跡からすると、交易を目的としたものなのか一応は現地の馬車か牛車くらいはそれなりな頻度で行き来しているようだが、もしかすると米国製の地図にも道路自体が記載されていないのかもしれない。
道案内を務める機動旅団の隊員達は、米軍から鹵獲した単車を自らの手足の様に操って身軽に地元民しか知らない坂を駆け上がっていったが、それと同じ事を戦車に求められても困るのだった。
だが、それでもまだ四五式戦車は強引に不整地を突き進む為の大出力エンジンと、幅広い履帯を持ち合わせていた。本当に登坂が困難だったのは、第四歩兵連隊の機動歩兵連隊に配備された半装軌装甲兵車だったのだ。
池部少佐は、一応の等高線が描かれていた地図上で示された裏街道の勾配を計算したときから半ば予想していた事態に、天を仰ぎながら力なく司令塔から頭だけを出して周囲に視線を向けていた。
進むべき道のりは月明かりによって薄く照らし出されていたのだが、周りの木々の間は鬱蒼としていて昼でも視界はきかないだろう。月光の淡い光が作り上げた白い道は幻想的と言えなくもなかったが、夜間行軍に適した道とは到底思えなかった。
―――こんな事なら、通過は不可能だともっと強い口調で反論すべきだったのかもしれない。
既に手遅れの事を池部少佐は考えていたが、そもそも払暁を期しての攻勢は第二師団側からの強い要望だった。ペリスコープ式の監視装置からの限られた視界では不安だったのか、操縦手の木村伍長も直接頭上の扉を開けて道路を目視していたが、他の車両も同様なのだろう。
これでは攻撃発起点に時間通りにたどり着けるかどうかも分からなかった。
すでに日付が変わっていたが、昨日の夕方に第七一戦車連隊の本部に顔を出した池部少佐は、すぐに白熱した議論に巻き込まれていた。尤もそれを議論と言ってよいかどうかは分からなかった。
連隊長は不在だったから、その場の最上位者は第七一旅団の参謀を兼任する副連隊長の根津中佐だった。機甲科発足時からの生え抜き将校である根津中佐は、幹部候補生上がりの池部少佐とは違って陸大を出たエリートだったのだが、その場では珍しく根津中佐は押されていた。
相手は第二師団の参謀だった。その歩兵科中佐は根津中佐にまくしたてるように言葉を繋いでいたのだが、途中から話を聞いていた池部少佐は段々と内容が分かってくるとげんなりとした表情を浮かべていた。
第二師団は内陸部に後退した米軍の追撃を計画していた。海岸での抵抗を諦めた米軍は、上陸岸から東側に10キロ程のロザリオという村落に集結している様子だったが、これを叩くというのだ。
だが、池部少佐は第二師団の攻勢は拙速に過ぎると感じていた。第二師団が上陸岸で大きな損害を受けてから殆ど時間もたっていないのだ。再編成も無いままですり減らした戦力を連続した作戦に投入できるとは思えなかった。
勿論その程度の事は根津中佐も考えていた筈だった。中佐は慎重に言葉を選びながら第二師団の損耗を指摘して作戦の中止を促していたのだ。
それだけでは無かった。第二師団の攻勢作戦では、米軍が撤退時に使用した街道を進攻路に設定しているのだが、この海岸と内陸部を結ぶ街道は上陸支援で行われた艦砲射撃によって一部が破壊されているのが確認されていたのだ。
これでは緊要地形まで進出することすら出来ないのではないか。
しかし、理を説いた根津中佐に対して、第二師団の作戦参謀は強気の態度を崩さなかった。
今日の上陸作戦に投入されたのは、第二陸戦師団を除けば第二師団の二個歩兵連隊だったが、この二個連隊が上陸時に大きな損害と指揮系統の混乱を生じさせていたのに対して、第七一旅団と同じく第二波に指定されていた第四歩兵連隊はほぼ無傷で上陸していた。
ロザリオへの攻勢作戦は、この第四連隊を主力として計画されたものだった。海岸線で損耗した残りの部隊は、再編成を終え次第追随して予備部隊として復帰する事になるだろうというのだ。
持ち込んだ地図に手をついて乗り出しながら、口角泡を飛ばす勢いで第二師団の作戦参謀は大きな身振り手振りを加えながら根津中佐に作戦参加を要請していた。
根津中佐は、むしろその勢いに辟易とした様子で頷いていた。
「連隊長が戻り次第話をしておきましょう。それと例の別働隊は彼に率いさせますがよろしいですな」
―――体何の話だ……
唐突に指さされた池部少佐は咄嗟に申告していたが、第二師団の作戦参謀は満足そうに頷いていた。
「配属させる中隊は直ぐにこちらに寄越す。それでは願います」
他に回るところでもあるのか、説明もなしに作戦参謀はせかせかと足早に立ち去っていった。取り残された形の池部少佐は、困惑した顔で根津中佐に向き直っていた。
「この状況でさらなる攻勢作戦は焦り過ぎではありませんか。少なくとも部隊を再編成してからでないと手がつけられないことになる気がしますが……下手をすると予備兵力の第四連隊も喪失して第二師団は立ち直れなくなるかもしれませんよ」
混乱した様子の上陸岸の光景を思い浮かべながら池部少佐は言ったのだが、根津中佐は首を振っていた。
「少佐はまだ状況を把握しとらんようだな。その程度の事はさっきの参謀だって、作戦計画を承認した第二師団長だって理解しとるさ。だが、第二師団も引っ込みがつかないだろう。このままでは主攻を満州軍に奪われかねんからな。
ただ、ロザリオに撤退した部隊が海岸から移動していった敗残兵なのも確かだ。間髪を入れず我が第七一戦車連隊の主力を投入できれば、あっけなく戦線が崩壊する可能性は否定出来ない。一度負け癖がついた兵隊は、逃げ出す時の壁が無くなってしまうからな」
機械化装備を使いこなす機甲科将校には精神論は似合わなかった。或いは根津中佐やさっきの参謀は、上陸岸の日本軍も混乱した光景を自分の目で見ていないのではないか。
白けた顔の池部少佐は、淡々と尋ねていた。
「支援火力はどうするんです。我が大隊もやっと上陸したところですから、あの様子では砲兵連隊はどの部隊も満足に上陸していませんよ」
「第一砲兵団主力はまだ沖合のはずだが、砲兵観測連隊の先遣は上陸している。連隊主力に観測戦車を同行させるから、彼らに艦砲射撃を誘導させる。火力管制を担当する砲兵団司令部も船舶に座乗したたまま機能しているはずだから、運が良ければ空軍機の援護も望めるだろう」
「しかし……この距離では艦砲射撃と言っても届くのは巡洋艦の主砲くらいなのではないですか。いくら何でも大発どころか輸送艦まで往復している上陸岸近くの浅瀬まで大型艦を接近させるわけにはいかないでしょう」
「海軍は第二師団からの要請を受けて沖合の重巡洋艦群と戦艦比叡を投入すると確約しているらしい。重巡洋艦の主砲は20センチ級の攻城砲並だから、威力は大きい……比叡の主砲に関しては、池部少佐もエルアラメインで実感しとるだろう」
北アフリカでドイツ軍先鋒を吹き飛ばした戦艦主砲の威力を思い出しながら、渋々と池部少佐も頷いていた。ただし、艦砲射撃、特に巡洋艦以上の大口径砲の散布界は大きかった。
本来彼らが撃つのは何百メートルもある戦艦なのだからそれも当然だが、陸上の観測からの間接砲撃では友軍への誤射を避ける為に接近前は射撃を中止して貰わないといけないだろう。
「しかし……米軍が撤退に使用した街道は、その艦砲射撃で破壊されていると聞きましたが……そんな道路を連隊規模で進撃できるのですか」
「勘違いするな。攻勢は明日の払暁を期して行う。作戦に参加する各隊は夜間行軍で攻撃発起点まで進出するものとする。
道路の啓開も、所属師団を問わずに集中投入される工兵隊の夜を徹しての修復作業で行う予定だ。既に旅団の工兵隊も道路が決壊した箇所に先発させている」
「随分と手回しがいいんですな……」
鼻白んだ様子で池部少佐は言ったが、根津中佐は苦笑を返していた。
「少佐は何か勘違いしているようだが、上陸直後の追撃自体は軍司令部の了解を得た作戦だ。最先任の第二師団長が指揮官となるが、我が第七一旅団も戦車連隊全力で参加する。
第二師団の残余再編成が終わる頃には旅団後続の機動歩兵連隊も投入出来るだろう」
「では……海岸の防備はどうするのです。その間再編成中の部隊しか橋頭堡を防衛する部隊が存在しないことになりますが……」
「言っただろう、追撃だと。米軍主力は我が攻勢方向にある。彼らが逆襲を試みるなら野戦で受けて立つまでだ。それに満州の第10独立混成師団、あのウランフ将軍率いる猛者が直ぐに上陸してくる。むしろ、放っておいたらあの将軍も俺達を追いかけてくるかもしれんがな」
淡々と説明する根津中佐に池部少佐はため息をついていた。
「もう決まっている事なのですね……しかし、これから夜間行軍で後退して防護を固めているだろう米軍を強襲、ですか」
「いや、状況からして撤退した米軍は満足に陣地構築も出来ておらんだろう。この後の内陸部への進攻を考えても、艦砲射撃が届く範囲ぐらいからは早々に米軍を追い払っておきたいのは確かだな。
それに純粋な強襲とはならないだろう」
意味有りげに、根津中佐は視線を天幕の隅に向けた。その時になって始めて気がついたのだが、根津中佐の他にもう一人の男がいた。おそらく池部少佐が入ってくる前の作戦参謀との議論にも立ち会っていたのだろう。
存在感が希薄な上に表情を読みづらい男だったが、一度気がつくと発散する雰囲気は異様だった。通常の軍衣ではなく、男は大戦中のドイツ軍の様な迷彩衣を着込んでいたからだ。
池部少佐に敬礼した男に顔を向けながら根津中佐が言った。
「機動旅団の小田桐中尉だ。バギオに降下して同地に存在する米軍航空基地を制圧する予定だったが、既に米軍は航空機を後方に退避させて撤退していたそうだ。
中尉達は撤退した米軍を追跡していたのだが、途中で海岸とバギオからロザリオをつなぐ街道を連結する裏道を発見してこちらに合流してくれたんだ。第二師団長はその報告を受けてロザリオ進攻にその情報を組み入れたのだ。
さっきも言った通り、池部少佐には別働隊を率いてもらう。連隊主力はロザリオに直進するから、別働隊はその裏道を逆進して北方からロザリオの敵陣地を挟撃してくれ。
細かい所は道案内の中尉と相談して欲しいが、別働隊は本隊よりも進出距離が格段に長いから、第四連隊から機動歩兵が到着したら第一大隊はすぐに出発してくれ」
小田桐中尉は、階級の割に歳がいっているような気がしていた。おそらくは部内で選抜された下士官上がりの将校なのだろう。特殊戦部隊である機動旅団が上陸作戦に投入されていることは聞いていたが、機密度が高い部隊だったから具体的な任務を知るものは少なかった。
機動旅団は、どことなく胡散臭い部隊だった。平時から正確な編制や任務を知るものは少なく、外部の一般部隊との交流も少なかった。隊員は歩兵や工兵などから一本釣りされる傾向が強いと言うから、機動の名を冠しながらも機械化部隊である機甲科将校とは縁のない存在だった。
根津中佐も、どことなく池部少佐の第一大隊に機動旅団の将兵を付けて厄介払をしたいといった感がしていた。
だが、ふと池部少佐はシチリア上陸作戦で偶然にも一緒になった満州騎兵達の事を思い出していた。
「小田桐中尉は、満州の特務遊撃隊という部隊のことを知っているか」
池部少佐はさり気ない様子で聞いたのだが、小田桐中尉の顔からは一瞬のうちに古参下士官らしいふてぶてしい表情が消えて、その代わりに狼狽の色が浮かんでいた。
根津中佐は、そんな二人を興味深げに見つめていた。
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