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1951フィリピン上陸戦36

 リンガエン湾への上陸に際して、台湾方面軍第一軍から上陸第一波として投入されたのは、海軍から同軍に配属された第二陸戦師団と、第二師団の二個師団だった。


 ただし、海軍第二陸戦師団の中身は、第二次欧州大戦で幾度も上陸作戦を敢行した歴戦部隊のそれではなかった。シベリアーロシア帝国に常駐している第一陸戦師団とは異なり、第二陸戦師団は平時の際には最低限の司令部要員しか配置されていない陸軍の予備師団と同様の存在だったからだ。

 第二陸戦師団は、常設の陸戦隊を有事の際に集約して編成されるものだった。というよりも、平時から師団単位の陸戦隊を抱えていれられるほど海軍陸戦隊には人員の余裕がなかった。

 大戦後の軍縮に向かう雰囲気の中では、平時に必要な艦艇の維持すら日本海軍は四苦八苦していたのだから、頭数の多い陸戦隊は真っ先に削減していったのだ。


 急遽招集された第二陸戦師団の実戦力は、陸軍師団隷下の歩兵旅団相当でしかなかった。日本海軍では常設の陸戦隊といっても大規模なものは第一陸戦師団しかないのだから、同師団から抽出された部隊を除けば、寄り合い所帯にしかならないのだ。

 陸戦隊が水陸両用戦に長けている為に今回の上陸作戦にも第一波として投入されていたのだが、重装備に欠ける為に機動歩兵師団化された第二師団が支援部隊として同時に上陸していたのだ。

 ところが第二師団の上陸は、結果的に作戦通りとは行かなかったらしい。陸戦隊支援に分派された部隊はともかく、上陸作戦の経験が無かった為なのか、師団主力は作戦計画よりも上陸地点が流されて、敵主力前面に強襲する形での上陸となってしまっていたらしいのだ。



 ―――これならば、戦慣れした満州のモンゴル騎兵を初手から投入したほうが良かったかもしれないな。

 大戦中に同じ戦域に投入された満州共和国軍人から、満州第10独立混成師団は中国共産党に支配された南モンゴルから亡命してきたモンゴル人が中核となっていることを聞いていた池部少佐は、海岸で撃破された第二師団の三式中戦車を一瞥しながらそう考えていた。


「この三式は米軍対戦車砲の直撃を食らったんですかね。それとも連隊砲のタ弾かな」

 砲手扉から頭を出した由良曹長の声に池部少佐は首を振っていた。

「どうかな。米軍は歩兵連隊の連隊砲に10センチ級の榴弾砲を配備しているらしいから、側面からなら三式でも抜かれてしまうだろう」

 そんな重火器の存在に気が付かずに側面攻撃に晒された第二師団戦車隊の練度を、池部少佐は疑っていた。あるいは、歩兵の援護が得られずに対戦車砲に気が付かなかったのかもしれなかった。


 ―――部隊編成だけ整えた所で、結局は即席の機動歩兵と連携が取れていなかったのか……

 そんなこと考えていた池部少佐に、由良曹長は続けた。

「この三式は側面から連隊砲で滅多打ちを受けたということですかね。こんな目は願い下げですなぁ……

 しかし、北アフリカで始めて少佐殿と自分達が乗り込む三式を見た時は、無敵の戦車に見えたもんですがね。こうしてみるとあれから十年も経っておらんのが信じられん位ですが、もう三式でさえ旧式化してしまったんですかね」

「その無敵の戦車を見た直後に虎戦車を見てブルってたのは由良さんよ、お前さんじゃなかったか。それにまだボケるに早いぞ先任曹長。

 戦車が……いや、あらゆる兵器が出現してから此の方無敵の兵器なんぞ存在したためしはないんだ。どうせこの世界も突き詰めればじゃんけん勝負だ。歩兵を欠いて側面から10センチ砲を連続して喰らえば我が四五式でも虎戦車でも穴だらけの棺桶にされちまうさ」

「結局、最後にものを言うのは兵隊の腕ですかねぇ……しかし、この四五式戦車の方が三式より装甲が厚いのは事実でしょう。それに三菱じゃもう三式は予備部品を細々造ってる位だと聞きますから、第二師団も四五式で再編成ですかね」

 池部少佐は、頷きながらもどれだけ第二師団の戦車連隊には再編成の中核となる要員が生き残っているのだろうかと考えていた。



 海岸で撃破されていたのは、三式中戦車の中でも初期生産型とも言われていた75ミリ野砲弾道の砲を装備していた型式だった。

 戦車師団である第七師団には、初手からより長砲身の高射砲弾道砲を装備した型が配備されていたのだが、使用する砲弾の直径は変わらないものの、野砲弾道よりも低伸するから、遠距離の対戦車戦闘でも精度が高く徹甲弾の貫通距離も大きかった。


 その一方で、長砲身によって高初速を実現するために装薬が大量に詰め込まれた薬莢の寸法は大きく、砲弾の搭載数は少なかった。しかも長砲身砲の高い腔圧に耐える為に砲弾の弾殻が分厚くなっていた結果、榴弾の炸薬量は短砲身砲で使用される砲弾の方が多かったのだ。

 結局これらの特性から、初期生産型という俗称にも関わらず三式中戦車の生産は短砲身砲と長砲身砲を搭載した両型式が並行して行われていた。

 後に更に強力な大口径榴弾を発射する10センチ榴弾砲を装備する支援型の配備が進められたことで短砲身型は生産数が絞られていた筈だが、歩兵支援任務が多い師団戦車隊には既存生産の短砲身型がまだ数多く配備されていたのだろう。


 日本陸軍では配備が少なくなっていても、フランス製の近代的野砲を原型とする38口径75ミリ野砲は、現在でも砲弾の生産が続いていたし、積み上げられた在庫も多かった。

 三式中戦車だけではなく輸出された重装甲車や一式中戦車、砲戦車などでも広く採用された砲だったし、対戦車戦闘には心もとなくなっていたとしても対トーチカ戦などの歩兵支援には使い勝手の良い砲だった。


 重防御の要塞地帯に設けられた機関銃トーチカであったとしても、通常は継続的に撃ち込まれる少銃弾か、榴弾破片程度に耐えられる強度で設計されていた。それ以上の防御力をベトンで実現すると非現実的な寸法に膨らんでしまうからだ。

 だから75ミリ野砲級の炸薬量の大きな榴弾は、トーチカや機関銃陣地などを撃破するには有効な砲となるのだが、同時に砲弾がより小さいと言うことはそれだけ狭い戦車内に数を持ち込めるということでもあった。


 由良曹長の言うとおり、在庫の三式中戦車を回してこない限りは、この部隊の再編成には現行生産されている四五式戦車が投入されるはずだった。その主砲は格段に強力な上に榴弾の炸薬量も10センチ級榴弾に匹敵するだろう。

 しかし、これから先に装備の改変を受ける第二師団の戦車連隊の戦車兵達は戸惑う事になるだろう。結局戦車砲は敵戦車以外を撃つ方が圧倒的に機会が多いのだが、強力な砲を持っていても四五式戦車の砲弾搭載量は三式中戦車よりも少なく、使い所の判断が難しいからだ。



「戦車が棺桶になるのも嫌ですが、ああなるのも願い下げですな。ほら、あのアメリカさんなんて黒焦げになってるじゃないですか」

 突然聞こえてきた由良曹長の痛ましそうな声に池部少佐が振り返ると、上陸岸の守備隊だったのであろう戦死した米兵の遺体が一箇所に集められて、第二師団の兵が乱暴な様子で認識票を外していた。

 よく見ると報道班か上級司令部に提出する報告書用なのか、遺体処理の様子や海岸の光景を撮影しているものも何人かいた。そろそろ暗くなってきたせいか、撮影の度に焚かれる眩いストロボの光が妙に遺体の山から現実味を奪っていた。


 敵兵のものとはいえ陰鬱な光景だったが、カメラのストロボ光に照らし出された遺体が纏う軍衣の様子に、池部少佐は違和感を覚えていた。

 野戦時に使用される米陸軍の軍衣は、報道写真などから池部少佐も色味を覚えていた。上衣やシャツは薄いカーキ色だったが、トラウザーズとかいう洋袴はやや色が濃い茶色に近い色味のはずだった。

 池部少佐は首を傾げていた。遺体の多くは上半身と下半身で軍衣の色が変わっていたからだ。仕様通りなのだから当然だが、由良曹長が言う通りに焼かれた遺体なら軍衣の色の境目が見えるはずは無かった。布地も全て黒焦げになっていないとおかしいのではないか。



 しばらくしてから由良曹長が勘違いした理由が分かると、池部少佐は苦笑していた。

「まだ船酔いしてるのか。よく見ろよ曹長、あれは焼けてるんじゃなくて元の肌の色じゃないか。この海岸に陣取っていたのは黒人兵だったんだな……」

 目を丸くした由良曹長は、遺体やその先の捕虜らしい人影をまじまじと見つめてから放心したように言った。

「ありゃ、本当だ。北アフリカで肌が黒い兵隊さんも見た気がしますが、それともまた色が違うんですな。アメリカさんも肌の色は分からんなぁ……」


 由良曹長が言っているのは、アルジェリアから来たという自由フランス軍の兵隊の事だったのだろう。そのことを思い出して、池部少佐は苦笑したまま続けた。

「米国の黒人は、アフリカのあちらこちらから連れて来られた子孫だという話だったかな。

 アフリカ大陸と言っても、アラブ人が住んでいる俺たちが戦った北アフリカ辺りから、英領南アフリカの入植者が住んでいる南端までとんでもない広さがあるからな。肌の濃紺だってあるんだろう。

 どうせ奴らにだって俺達のようなアジアの端にいる日本人と、イランやトルコ辺りの中央アジア人の区別だってついてないだろうよ」

 そう言って池部少佐は、力無く海岸に座り込んでいる捕虜達の方を顎で示していた。



 海岸の混乱を証明する様に、まだ米兵の捕虜も一塊にして監視の兵が周囲に立っているだけだった。黒人の表情は見分けが付き難いが、不安そうな目だけは何故か明確だった。

 だが、池部少佐と目があった一人の捕虜は、四五式戦車を見つめながらすっと右手を上げて敬礼していた。

 それは無意識の動作だったのかもしれない。装填手の日下上等兵の誘導でゆっくりと進む四五式戦車の上から、池部少佐と少佐に釣られたように由良曹長も黒人兵の捕虜達に敬礼を返していた。


「随分と立派に戦った兵隊ですな。米国じゃ黒人兵は虐げられて無理やり戦わされているって書いてあったんですが、ありゃ嘘だったんですかね」

 捕虜達の姿が見えなくなってからそう言った由良曹長に、池部少佐は笑いながら言った。

「そりゃお前さんがカストリ雑誌ばっかり見てるからさ」

 戦時色の濃かった第二次欧州大戦期間中の反動なのか、戦後一斉に発行されては消えていった安っぽい大衆紙の総称を池部少佐が言うと、由良曹長は眉を一瞬しかめてから、何かを見つけて指差しながら言った。

「そりゃおいらは大隊長殿や大学さんの様に学がないもんでしてね」


 池部少佐は、怪訝そうな目で由良曹長が指差した方に視線を向けていた。曹長が大学さんと呼んでいたのは、戦時中の一時期に池部少佐や由良曹長と同じ戦車に無線士として乗っていた事もある三保木少尉だった。

 当時は志願した兵卒だったのだが、その後高等学校に復学したにも関わらず予備士官課程を経て少尉として軍に復帰していたのだ。

 だが、連隊に戻ってきた三保木少尉は戦車乗りでは無くなっていた。語学能力を買われて連隊本部に勤務していたのだ。池部少佐は嫌な予感を覚えていた。三保木少尉が彼ら以上に険しい表情で誘導役の日下上等兵を捕まえて大隊長車を停めていたからだ。


 連隊本部付の三保木少尉の態度から状況を察した池部少佐は、素早く司令塔から身を乗り出しながら車内に向けて言った。

「操車指揮は砲手に任せる。大隊長は戦車を離れるぞ」

 復唱しながらも辟易した様に由良曹長は言っていた。

「了解ですがね。連隊本部で妙な土産は持って帰らんでくださいよ」

 由良曹長の声に、苦笑を返しながらも何か特大事の土産を抱えるような気が池辺少佐はし始めてた。

四五式戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/45tk.html

三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/03tkm.html

四四式重装甲車ボアハウンドの設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/44rsvh.html

一式中戦車改(乙型)の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01tkmb.html

一式砲戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01td.html

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