1951フィリピン上陸戦33
隊列の前方の方からざわめきが伝わってきていた。隊列といってもまとまりはそれほどなかった。海岸線で手酷い目にあった小隊には欠員が数多く生じていたからだ。
ドラゴ二等兵は不審そうな目を前に向けていたが、周りの兵達の様子から差し迫った危機ではなさそうなだと判断するとすぐに興味を無くしていた。既に海岸線でいくつもの死に触れていた彼らからは感情が抜け落ちていたのだ。
既に日本軍が上陸を開始してから半日近くが過ぎて、日は西に沈みつつあった。尤もリンガエン湾の彼方が鈍く輝いているのが日没前の残光なのか、海岸線の戦闘によるものなのかは判別がつかなかった。
海岸線で友軍の逆襲部隊が来援するまで耐久するという第24歩兵連隊の作戦は破綻していた。連隊長が撤退を決心して命令を下したのが少しでも遅れていれば、戦線が全面崩壊していてもおかしくはなかった。
ここに顔が見えない兵達がどうなったかは分からなかった。日本軍の戦車に踏み潰されたり戦車砲で吹き飛ばされた塹壕はドラゴ二等兵も目撃していたのだが、撤退命令が出る前に逃げ出したり、撤退中にはぐれた兵も少なくないはずだった。
そうした原隊からはぐれた残兵を収容して立て直せば、内陸部に日本軍を引き込んでまだこの連隊は戦える。日本軍の支援火力は艦砲射撃やロケット弾と言った海上からの投射に依存しているから、艦砲射撃の射程外となる内陸部であれば条件は互角以上となるからだ。
打ちひしがれた様子の兵達を鼓舞するつもりなのか、そんな風に威勢の良いことを言う下士官もいたが、彼らに向けられた目は大半が白けたものだったし、それ以外のものは単に生き延びることだけを考えているのか無関心だった。
ドラゴ二等兵もその下士官の言うことには同意できなかった。確かに内陸部に移動すれば日本軍の火力は減衰するかもしれないが、その頃には彼らも火砲を陸揚げして陸上部隊自前の火力を向けてくるのではないか。
それに対して、残兵を回収したところで連隊の戦力は大きくは回復しないはずだった。ドラゴ二等兵は、撤退中も小銃を含む装具は手放さなかったのだが、少しでも背負う物を減らしたかったのか、支給されたスコップやワイヤーカッターなどをサスペンダーごと捨てていた兵は周りにも少なくなかった。
ドラゴ二等兵が肩を貸しているジャクソン二等兵も赤黒くなった包帯を肩に巻いていたが、手当する時に装具の大半を外していた。二人とも小銃は手放さなかったが、半ば杖代わりにしていたから重量のある小銃を捨てなかっただけの話だった。
指揮官であるマレル少尉が健在なこの小隊でさえ、海岸線から僅かな距離の撤退行の間にこのような姿になっているのだから、軍紀の崩壊した残兵達などは小銃を含めて何もかも装具を捨てているのではないか。
それに、個人携帯火器だけではなく、連隊の重火器は海岸で大部分が放棄されていた。連隊に配備された火砲は、いずれも兵隊達の膂力で移動可能な重量に抑えられているというのが建前だったのだが、実際には長距離の移動は車両や馬匹による牽引が不可欠だったからだ。
第24歩兵連隊には移動に使える車両が不足していたから、時間のかかる牽引作業を行うよりも負傷兵などの回収に回されるか、早々に撃破されていた。そもそも足を取られやすい砂浜では、車輪が沈み込んで火砲の移動自体も困難だっただろう。
第一、ドラゴ二等兵の目の前で吹き飛ばされた塹壕の重機関銃の様に、海岸線に展開していた重火器は上陸の妨げになる為に日本軍から集中的に狙われていた筈だった。火砲だけではなく、海岸線から撤退出来ずに兵員ごと捕捉撃破された部隊は相当数に上るだろう。
このような状況では、戦意を喪失した残兵達をどれだけ回収できたところで、装具や兵装類を再装備しなければ部隊としての戦闘力は回復しないと見るべきだった。
ふとドラゴ二等兵は、サンメリーダ駅前に設けられていた大規模な兵站集積所の光景を思い出していた。あのとき見た物資の量があれば連隊を立て直す事もできるだろうが、サンメリーダ駅はまだ遠すぎた。
歩き続けている間に、先程から聞こえていたざわめきが大きくなっていた。それどころか遅々としながらも進んでいた行列の足取りが止まっていた。先頭の方で何かの動きがあったらしい。
負傷のせいなのか、土気色のような顔になりつつあるジャクソン二等兵と顔を見合わせたドラゴ二等兵の脇を、先頭にいたはずの小隊の兵が駆けていた。どこにそんな余裕があったのかと思ったが、その兵は慌てた様子で小隊長のマレル少尉を探しに来ていたのだった。
要領を得ない兵の説明に最初は怪訝そうだったマレル少尉の表情は、すぐにひどく複雑な顔になっていった。矢継ぎ早に捲し立てる兵によれば、街道の合流点であるこのロザリオ村で憲兵が待ち構えているというのだ。
だが、彼らが友軍なのは間違いないが、残兵を収容していると言うよりも、脱走兵を片っ端から捕まえて回っているようなのだ。既に三々五々脱出してきた連隊の兵達は捕まって脱走兵扱いされているらしい。
話を聞き終わる前に、マレル少尉は険しい顔で隊列の先頭に向かって走っていった。少なくとも連隊の撤退命令を受領した小隊長が隊をまとめているのであれば、集団脱走兵などとは扱いが変わってくる筈だったからだろう。
だが、走り去るマレル少尉を見送りながら小隊の兵達の多くは露骨に安堵した顔になっていた。仮に脱走兵扱いになったところで、友軍と合流出来たのは間違いないからだろう。
鋭い目でにらみつける憲兵隊の脇を通りながら、ドラゴ二等兵達はいくつかの街道が交差する村落の中心地に入り込んでいた。しかし、既に戦闘の気配を察したのか、周辺の家屋には現地人の姿は無かった。
尤も煮炊きを行っている様子はあちらこちらから上がっていた。既に兵士達がそれぞれ夕食の支度を始めていたのだろう。そこにいたのは第24歩兵連隊だけでは無かった。見慣れない顔の白人の兵士達は、家屋の内外で煮炊きしながら無遠慮な視線をドラゴ二等兵達に向けていた。
彼らは何処の兵なのだろうか、ドラゴ二等兵がそう考えていると、脇から急に声をかけられていた。
「そこの兵隊、海岸陣地から下がってきたのか」
慌てて振り返ると、家屋の前で火にかけた鍋を囲んでいた将兵の中から、知らない顔の少尉が笑みを浮かべながら立ち上がっていた。ドラゴ二等兵は戸惑ったまま何も言えないでいたが、その少尉は腹を立てた様子も無くジャクソン二等兵に視線を向けていた。
「何だ、負傷兵を連れているのか。伍長、手当してやれ。持ち出したファーストエイドキットはまだ残っていただろう」
自分達の焚き火のそばにジャクソン二等兵を座らせると、呼ばれた下士官は汚れた包帯を切り裂いて手慣れた様子で手当をしていた。
彼らは医療部隊なのだろうか、ドラゴ二等兵はそう考えたが、その割には車座の中心になっていた少尉の軍衣はそれ程汚れておらず、軍医には見えなかった。
素早く少尉やその部下らしい下士官兵の記章を確認したドラゴ二等兵は困惑していた。周りのものは第24歩兵師団ではなく、陸軍航空隊の所属だったからだ。
様子を伺っていたドラゴ二等兵の様子に気が付いたのか、少尉は苦笑しながら言った。
「陸軍航空隊のボイド少尉だ。この辺のものはバギオから撤退した整備隊だ」
ようやくドラゴ二等兵はこの街で分岐する街道の一つが陸軍航空隊の航空基地が建設されていたバギオに通じていたことを思い出していた。慌ててドラゴ二等兵は申告しようとしたが、ボイド少尉は手で制していた。
「海岸にいた第24歩兵連隊だろう。お前さんは装備からするとライフルマンだな。俺も大学に行って予備役将校課程になる迄は奨学金目当てで兵隊だったからな、新米少尉でも記章の読み方くらいは出来るぜ。
まぁ大学を卒業する前に予備役将校に引っ張られちまったがね。よほど軍隊は俺のことを好きと見えるな。挙句の果てに新妻を置いてこんな地球の果まで連れ回してくれたんだからな」
ドラゴ二等兵は何とも言えずに作り笑いを浮かべていたが、ボイド少尉が続けるとすぐにその顔は強張っていた。
「しかし、海岸線に展開していた第24歩兵連隊は、黒人部隊のバッファローソルジャーだと聞いていたんだが……お前さんはどう見ても黒人には見えんな。俺達のように原隊からはぐれてここに来るまでに合流したのか」
ドラゴ二等兵は僅かに言い淀んだが、手当をされながらも苦笑していたジャクソン二等兵に視線を向けてから言った。
「第24歩兵連隊は、黒人部隊じゃなくて有色人部隊、の筈です。俺ももう少し赤い肌をした親父の血が濃ければ、立派なカラードですよ」
―――尤も自分には父親の記憶など無いのだが……
そんなドラゴ二等兵の内心には気が付かなかったのか、ボイド少尉は納得したように頷いていた。
「なる程な、じゃあお前さんには先祖伝来の北米大陸に生きたインディアンの血が流れているというわけだな」
ボイド少尉はさり気なく言ったが、ドラゴ二等兵は言葉に詰まっていた。自分には父親の血が流れている筈だが、先程のボイド少尉の言葉ではないが、ならば何故自分はこんな所にいるのかそれが分からなくなっていたのだ。
やはりドラゴ二等兵の困惑に気がつくことなく、だが周りには聞こえないような声でボイド少尉は焚き火の上に顔を乗り出しながら続けた。
「それで、24連隊の様子はどうなんだ。昼過ぎから海岸線から逃げ出した兵達がひっきりなしに押し寄せて、憲兵共も忙しなくしていたんだが……」
ドラゴ二等兵が、ジャクソン二等兵と共にしどろもどろになりながらも自分達が目撃した日本軍の様子を語ると、周囲の下士官兵は顔を見合わせ、ボイド少尉も考え込んだ顔になっていた。
押し黙った彼らに向かって、今度はドラゴ二等兵が訪ねていた。
「この部隊は……少尉殿は航空隊の様ですが、憲兵はどこの部隊なのですか……自分達を後方で収容するには随分と手際が良すぎる気がしますが……」
予め自分達の敗北を予見していたのだろうか、そう考えながらドラゴ二等兵はいったのだが、ボイド少尉は何でもないように後ろを指差していた。
「俺達はバギオからの撤退組だが、この部隊は元々海岸線に押し寄せる筈だった逆襲部隊だよ。憲兵隊は言う事を聞かん現地人や現地兵対策だったんじゃないか。
見てみろよ、この三叉路で敵を食い止める気なのか例の重戦車が街道を狙っているぜ」
慌てて振り返ったが、ドラゴ二等兵は暫くボイド少尉が何を指差しているのか分からなかった。だが次の瞬間に沈みゆく太陽光の欠片が何かに反射していた。
確かにボイド少尉が指差した先には、M6重戦車が街道に主砲を向けて小山のような姿を隠していた。いつか見たM3中戦車を一回り大きくした巨体に目を奪われていたが、ドラゴ二等兵はふと気がついていた。
「しかし、ここから海岸までは10キロかそこらでしょう。ここまで進出していたのなら、何で作戦通りに海岸に突入してくれなかったのですか……」
そうすれば第24歩兵連隊の仲間達が無駄死にする事も無かったはずだ。ドラゴ二等兵はそう考えたのだが、ボイド少尉は苦々しい顔で言った。
「そうか、お前さん達は街道を外れて重戦車が通過できない裏道を伝って来たんだな……その憤りも理解出来るがな。海岸線に通じる街道は日本海軍の艦砲射撃で破壊されて、歩兵や軽車両はともかく重戦車は坂道を駆け下りるのが出来なさそうだったんだよ。
その代わり、日本軍も街道を直しながらじゃないとここ迄来れんはずだ。艦砲射撃の危険はまだあるかもしれんが、射程の長い日本軍の戦艦は大半こっちには来ていないだろう。
それに日本軍の艦砲射撃が届くか届かないかのこの辺りで一線交えて日本軍の先鋒を挫いてから撤退しなけりゃ、無駄に走り回された俺達はマニラに帰れない。この部隊の指揮官はそんな風に考えてるのさ」
考えるのは結構だが、その戦力にこの連隊もあてにされても困るな。ドラゴ二等兵はうんざりとしながらそう考えていたのだが、ボイド少尉はあれこれと悩んでいる様子の二等兵を面白そうな顔で眺めていた。
M3中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/m3mtk.html
M6重戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
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