1951フィリピン上陸戦24
宇品で詰め込まれた二段目のコンテナで行われている作業の様子を艦橋から見下ろしながら物思いに耽っていた伊東予備大尉は、自分を呼ぶ声に気がつくと慌てて顔を上げていた。
何度か声をかけていたのか、不思議そうな顔をしていたのは台湾で乗艦してきた砲術長の羽田中尉だった。操作盤の通電確認釦を押し下げた中尉は、船倉内の部下に手を上げて合図しながら言った。
「艦長、通電試験は終わりました。しかし既に本艦は湾内に入り込んでいます。発射予定の水域まで僅かしかありませんから、このまま発射塔扉は開けたままとしたいのですがよろしいですか」
伊東予備大尉は曖昧に頷いていた。どのみち兵装に関しては、事前連絡無しに台湾で乗り込んできた羽田中尉と、その部下である砲術科下士官兵に任せるしかなかったからだ。
それでも伊東予備大尉は艦橋窓から不自然な体勢で上空を見上げながら言った。
「この様子ならしばらくはスコールもないだろう……尤もこの辺りまで足を伸ばしたことが無いものだから、天気がどう変わるかはこの船の人間にはよく分からないがね」
「分艦隊司令部の気象長からは特に気になる情報は入っていませんね……まぁスコールが見えたら扉を遠隔で閉めますよ」
事も無げに羽田中尉は言ったが、伊東予備大尉は恐ろしげな目で第三山城丸の船倉に満載されたコンテナを見つめていた。上部扉が開け放された上段のコンテナには噴進弾が満載されていたからだった。
広島港で二段のコンテナを積み込んだ特設砲艦群は、特設戦隊に編入されると次に台湾に移動を命じられていた。しかも、今度は艦隊周囲に駆潜艇がついていた。
この移動自体が訓練のようなものだった。編隊を組んでの行動が求められたのだが、前大戦で護送船団に所属した経験が有るものはともかく、これまで単船での行動しかしていなかった伊東予備大尉のような内航貨物船一本の人間には神経をすり減らす作業が続いていた。
僅かでも針路をふらつかせてしまうと、たちまち周辺を航行していた駆潜艇から叱責の通信が入っていた。駆潜艇の艇長は、大尉か下手をすると中尉が務めていたから、多くの特設砲艦艦長は立場が格下のものから叱責されたということになるのだ。
尤も、生え抜きの海軍士官からみれば、召集された予備士官などは上級者にならないのだろう。それほど通信からは上級者を叱りつけるといった気後れのようなものは感じられなかったのだ。
台湾に移動してからも訓練は続いていたが、その段階になっても上級者は現れなかった。特設砲艦群だけが教官のような駆潜艇に率いられて編隊を組んでの航行や素早く離合、再編組を行うという兵装を持たない特設砲艦にとっては何のためなのかが分からない訓練を続いていた。
訓練が行われていた海域は、台湾島南東側の主要航路からやや離れた海域が設定されていた。訓練の合間に寄港する際も、大陸に面した台湾で人口の多い西岸側ではなく、山岳地帯が迫る東岸に限られていた。
自分たち以外の姿を見ることがないそのような寂しい海域での訓練は、次第に乗員達の精神をすり減らせていった。
その頃になって、ようやく特設砲艦群に次第に補充として正規の軍人が乗艦してきたのだが、彼らの口から説明されてようやく自分達の内航貨物船が特設砲艦に改造された理由や追加された兵装の事を乗員達は知らされたのだった。
伊東予備大尉が率いる特設砲艦第三山城丸に新たに砲術長として乗艦したのは、海軍兵学校を卒業して間もないという羽田中尉だったが、彼の部下となる砲術科下士官兵も十名足らずでしか無かった。
元々この型の貨物船は乗員定数が2、30名程度な上に、召集を受ける前から第三山城丸は船員の定数を割っていたから、その程度の人員を収容するのは容易だった。
しかも、彼らは殆ど私物も持たずに身一つで乗艦してきたのだった。その様子からも長期の作戦行動を想定していないのは明らかだった。
これは妙なことだった。本来は、特設艦船の兵装要員は搭載される兵装別に乗員の追加定数が定められていたのだが、彼らと共に第三山城丸に追加された兵装は何も無かったのだ。それに、定数表に従えば、十名という数は僅か砲一門の操作員程度に過ぎなかったのだ。
奇妙なことは他にもあった。砲兵装であれば、監督や照準作業といった中枢を下士官が担う一方で、装填や旋回といった単純ながら力がいる作業には普通は若い兵が配置されるのだが、第三山城丸に乗り込んできた羽田中尉の部下には下士官が異様に多かった。
それに砲術科の下士官といえば、火砲を知り尽くした職人か陸戦隊上がりの屈強な兵隊という印象があったのだが、羽田中尉以下第三山城丸砲術科の面々はどちらかというと線が細く、職人といっても電気技師のような印象を与えるものが多かった。
だが、乗艦の許可を得るために艦橋に上がった羽田中尉に、伊東予備大尉が首を傾げながら兵装はどこで積むのかと聞くと、中尉は不思議そうに言っていた。
自分達は既に本艦に搭載済みの兵装を管理する為に乗艦してきた。そう羽田中尉は言うと、部下たちに命じて上段コンテナの点検に加えてコンテナ天蓋の開放を行っていた。
その時になって初めて伊東予備大尉達元の第三山城丸の乗員達は知ったのだが、上段コンテナの中身は噴進弾だった。次々と点検を受ける噴進弾の数は多かった。12メートルもの長さが有るコンテナの床面一杯を使って斜めに据え付けられた鉄製の軌条の上に噴進弾は載せられていた。
まるで夏の打ち上げ花火のようなものだったが、一度引火すれば被害は花火どころではなかっただろう。
コンテナ搭載時に火気厳禁と聞いてはいたが、それ以前から船倉区画で喫煙するものは厳しく注意されていた。伊東予備大尉には喫煙の習慣はないが、第三山城丸では喫煙場所は居住区後部に厳重に定めて煙草盆が常備されていた。
場合によっては船倉には引火性の貨物を積むこともあるから、そのような体制となっていたのだが、そのせいで火気厳禁と言われても最初から違和感は感じなかったのだ。
だが、知らない間に巨大な打ち上げ花火の脇で寝起きしていたという事実は、乗員達の心胆を寒からしめるのに十分だった。
コンテナ床面に敷き詰められていた噴進弾一発一発はそれほど大きなものではなかった。斜めに詰め込んだせいかコンテナの天蓋に干渉せずに収まる程なのだから、本来は艦載用に開発された大型噴進弾では無いのだろう。
推進機関を詰め込んだ部分が頼りない程細長い一方で、弾頭部は太く、短かった。重量のある弾頭部に対する辻褄合わせのように最後部には安定翼がついていたが、いかにもバランスが悪そうで遠距離での精度は望めなさそうだった。
ただし、一発辺りの精度や威力を補うためなのか、コンテナに詰め込まれていた数は恐ろしく多かった。
その時に点検作業の為に天蓋が開けられたコンテナは一つだけだったが、残りの上段コンテナ一杯に噴進弾が詰まっているのだとすれば、第三山城丸1隻で三、四百発程度は同じ噴進弾が詰め込まれているのではないか。
伊東予備大尉は恐る恐る周囲の特設砲艦群を見ていた。この全てが第三山城丸と同じ仕様のコンテナを満載しているとすれば、5隻毎の小隊4個が並んだこの特設砲艦群だけで六千発以上の噴進弾が詰め込まれているという事になるのだ。
確かにこの兵装配置では特設砲艦としか言いようがなかった。もちろんこの特設砲艦は噴進弾をただ輸送しているわけではなかった。軌条は噴進弾を固定するだけではなく、発射までその姿勢を維持するためのものでもあったのだ。
艦橋に追加された操作盤は、噴進弾を詰め込んだコンテナにつながる発射装置なのだろう。つまり第三山城丸は、内航貨物船からこの恐ろしい数の噴進弾を放つ戦闘艦に、乗員達が知らない間に改装されていたのだ。
伊東予備大尉は周りの特設砲艦群が見慣れた貨物船ではなく、得体のしれない怪物に変身したような頼りない感覚を覚えていた。
やはり羽田中尉の部下達が真剣な顔で噴進弾を一発一発点検している様子は、がさつな兵科下士官というよりも技術下士官のように見えていた。
ところが最初のコンテナで噴進弾の点検を終えた彼らは、次に下段コンテナを確認してから不思議そうな顔で他の乗員に言った。何故遮熱用のコンテナに水を張っていないのか。そう言われても、伊東予備大尉達は、顔を見合わせることしか出来なかった。
噴進弾が詰め込まれたコンテナと船倉床面の間に挟まれた一段目のコンテナは、本来は冷却水を注入する運用を行う筈だった、らしい。噴進弾を詰め込んだコンテナと同様に特に改造されたものだったのだ。
これ程多くの噴進弾が一斉に点火した際に生じる熱量は、計算上膨大なものとなるはずだったのだ。この熱量を船体側に伝えないために、下段側のコンテナに注水することで発熱を冷却水の気化で抑え込む、という設計方針だったらしい。
甲板長の指揮で下部コンテナに水を張り始めた様子を見ながら、伊東予備大尉は羽田中尉にたずねていた。この艦が腹の中に恐ろしい程の噴進弾を溜め込んだことは理解できたのだが、肝心なことが分からなかったからだ。
―――この噴進弾で一体どうやって敵艦を攻撃するというのか。
コンテナに据え付けられた軌条の上に噴進弾は固定されていた。爆雷投下軌条の一方を持ち上げたようなその軌条には、特別な機能が携わっているようには見えなかった。
よく見ると、噴進弾の直後には噴流を遮るためなのか鋼板が固定されていたが、申し訳程度の面積しかないから後方の噴進弾に噴流を直撃させない程度の機能しか発揮出来ないだろう。
それに覆いが外された艦橋の操作盤も恐ろしく単純な機構だった。筐体も汎用の配電盤を流用したのか、外寸に対して配置された釦や計器の数は少なかった。しかも釦の1つは既に通電確認用であるのは明らかだった
噴進弾の発射は、予め定められた順番にしか出来ないのだろう。あるいは、連射中の機銃のように釦を押し続ければ連射でもされるのかもしれない。
操作盤には大した機能は期待出来そうに無かった。発射以後の操作に関しても噴進弾の形状からも不可能だろう。つまり第三山城丸から放たれる噴進弾は、単に発射時に定められた放物線を描いて飛翔していく他ないのだ。
コンテナの据え付け精度や噴進弾の製造等による誤差を除いても狙える地点はある一点だけだが、散布界はかなり広いはずだった。しかも、照準自体が特設砲艦自体が動いて行わなければならないのだから、移動目標への命中は全く期待出来ないのではないか。
一体この特設砲艦は何の目的で改装されたのか。あるいは、単に実用可能な技術を投入しただけだったのだろうか。そのような意味を込めて伊東予備大尉は問いただしたのだが、今度も羽田中尉からは不思議そうな顔が帰って来ていた。
特設砲艦に詰め込まれたコンテナに敷き詰められたのは、元々は対地攻撃用の航空機搭載型のものだった。ただし、計画時は対大型機向けに用途を絞っていたとはいえ、空対空戦闘に投入される意図もあったらしい。
それが対地兵器として限定されたのは、推力が不足して高速の目標には適していないと判断されたからだった。特設砲艦に詰め込まれていたのは、そのような曰くのある噴進弾だったのだ。
戦時標準規格船一型の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji.html
戦時標準規格船二型の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji2.html
戦時標準規格船三型の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji3.html