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1951フィリピン上陸戦22

 日本海軍は、徴用された特設艦船を原則的に軍艦に準ずる規定のもとで運用していた。

 回航してきた船員を軍属としてそのまま乗員とする場合もあったが、それは特設運送艦など普段の行動が商船と変わらないような任務のものに限られている筈だったし、その場合も指揮官は軍人が新たに任じられていた。

 その艦船の乗員が正式に任命された士官の指揮下になければ、国際法上の軍艦として扱われないただの不法な武装商船になってしまうからだ。


 哨戒や警備など戦闘の可能性を前提とした特設巡洋艦や特設砲艦においては、正規の艦艇に準じた定員表が定められていたから、乗員は軍属ではなく海軍軍人が新たに配属されるのが当然だった。

 それ以前に船の運行だけならばともかく、戦闘時の指揮や火砲を実際に操作するのは軍属どころか招集されたばかりの予備士官、予備下士官でも難しいのだから、訓練を受けた正規の軍人が行うべきという考えだったのだ。



 だが、特設砲艦として徴用された第三山城丸は、商船時代の船員が引き続き乗り込む事が求められていた。日本海軍は、船だけでは無く乗員まで徴用していたからだ。

 彼らの立場は、招集された予備士官、予備下士官と雇用された軍属に分かれていたが、その配置は徴用前、つまり一般商船として内航輸送に携わっていた頃と何一つ変わらなかった。

 これは奇妙なことだった。特設運送艦の乗員達が軍属として雇用される場合と違って、予備士官などが招集を受ける場合は元の所属などとは切り離されて正規の将校同様に配属先に異動していくものだからだ。


 法的には第三山城丸の徴用と伊東予備大尉達の招集を関連付けるものはなかった。

 伊東船長達船員は、民間企業である山城海運の社員として、徴用される予定の第三山城丸を大神工廠まで回航しただけだった。その上で予備士官、予備下士官として召集された彼らは、海軍の軍艦となった特設砲艦第三山城丸に配属されたという形になるのだ。

 つまり、実際には一度も下船する事なく内航貨物船の第三山城丸船員達は、特設砲艦第三山城丸の乗員として法的には立場が入れ替わっていたということになるのだろう。

 乗り込んできた法務担当官の説明に狐につままれたような顔をしていた彼らだったが、驚くことは他にもあった。伊東予備大尉達と同じ立場に立たされたものは、第二、第三山城丸の他にも大勢いたのだ。



 第三山城丸が回航された大神工廠は、広大な敷地を有していた。第二次欧州大戦に前後して急速に巨大化した大型艦艇の建造に対応するために、手狭となった呉工廠に代わる海軍造修の一大拠点として整備されていたのだ。

 庶民的な感覚としては突如として九州東岸に誕生したようなものである大神工廠は、ただ敷地が広いだけではなかった。大型ブロックの建造に対応した大重量門型クレーンや、最新の電気溶接機などが完備された陸上の先行艤装工場など、新時代の造艦技術に対応した配置で計画的に建設されていたのだ。


 大神工廠も第二次欧州大戦終戦後は海軍の再編成で幾ばくか仕事量が減っていた時期もあったようだが、閑古鳥が鳴くようになった他の工廠と比べると工事量の縮小は少なかったようだ。割増となる残業の抑制程度で抑えられたのは、ここでしか受け入れられない大型艦艇の建造が行われていたからだろう。

 そして今度の開戦を受けて全力操業体制に突入した大神工廠では、今でも機密度の高い大型艦の建造が行われているらしく、予備士官に召集されたとはいえ部外者も同然の伊東予備大尉達は工廠の中心に立ち入ることは出来なかった。

 彼らに出入りが許されたのは、実質的には第三山城丸やその僚船が係留された桟橋だけだった。


 建造機能に劣らずに、大神工廠の艤装、修理機能は充実していた。以前は船殻のみを建造した後に大型艦の艤装が可能な別の造船所に態々曳航していた事もあったそうだが、新規に建造された大神工廠では効率を重視してよほど特殊な艤装品でなければ内製する体制が整っていた。

 付近には工廠付の海上クレーンも幾隻か浮かんでいたし、喫水の深い大型艦の為に深く掘り込まれた艤装用の桟橋には楽々と戦艦の主砲でも持ち上げられそうな大重量クレーンが用意されていた。

 それに艤装用ではない一般の桟橋も多かった。普段は修理艦を留めるために使われているらしく、第三山城丸が到着した時も直前に戦闘でもあったのか、あるいは船渠入りを待っているのか繋留中の損傷艦が使っている場所もあった。



 だが、集められた特設砲艦は桟橋に係留出来ないほど多かった。第三山城丸の後ろにも、桟橋につけられずに沖合に錨泊するものが場所を開くのを待っていたのだ。

 徴用された特設砲艦は第三山城丸と同型の戦時標準規格船一型ばかりだったが、その中では早い方に到着した伊東予備大尉は唖然として僚船の数を数えていた。数十隻もの中途半端な特設砲艦を一体何に使うのか分からなかったのだ。


 尤もすぐに彼らはそんな事を考える余裕を無くしていた。大神工廠が人手不足なのか、改造工事には乗員達も駆り出されていたからだった。それに工事内容は、他人事の様に漠然と予想していたものとは反するものだった。

 最初に船倉内壁に施されていた木製の保護材が全て撤去されていた。船倉内壁はコンテナ固定用の金物が露出する形状となっていたが、そちらには手は加えられなかったし、他の箇所も改装は限定的だった。

 例外的に大きな工事としては船倉と船橋の間に防護された電路が追加されていた。ただ、防護と言ってもカバーにはさほどの強度は無さそうだった。

 その代わり防護板の内部には断熱材が詰め込まれていた。船倉内部の末端は接続金物の取り付けで終わっていたのだが、断熱材の配置からすると、この改造によって船倉内部が灼熱地獄となっても断線は免れるのではないか。


 電路の敷設はともかく、保護材の撤去などは人手は必要だったものの高度な技量が必要な工事内容ではなかった。そのせいなのか第三山城丸に乗り込んできた大神工廠の技師や技手や工員の数は少なかった。しかも彼らは桟橋に並んでいた同型船の工事を掛け持ちしていた。

 一つの工程を終えると、技手に率いられた集団は、残作業を乗員達に指示するとさっさと次の船に移っていた。そして後始末を乗員たちが行っている間に次の工程を行う工廠要員が乗り込んでくるという状況だった。

 つまり、大神工廠で行われた改造工事は、仕掛品ではなく作業者が移動するという点を除けば、流れ作業による大量生産の工程に酷似していたと言えるだろう。



 作業の全容を理解していたのは技手を監督する技師だったが、彼やその部下たちが工事に伴って用意された設計図を第三山城丸の中で確認する事は滅多に無かった。作業一つ一つは単純なものであった上に、電路敷設などは現状を確認しながら進めていたからだ。

 それにコンテナ固定金物を厳密に据え付けていたときとは違って、取り付け誤差はかなり大きなものであったらしい。電路の先がどうなって何につながるかは分からなかったが、接続されるのは十分なたるみを持たせた仮設電線などなのだろう。


 彼らが設計図を参照する時は、原設計になかった海運業者で独自に追加した箇所を見つけたときだった、らしい。

 山城海運は独自の改造を行うほど持ち船にこだわりがなかったから第二、第三山城丸は汎用貨物船形状のままだったのだが、限定された顧客を持つ会社の中には取り扱う貨物が半ば固定されることから、特定の形状をした貨物の搭載に適するように船倉内部の構造を改造するものもあったようだ。

 ところが、船内に乗り込んでそうした改造箇所を発見した技師は、即座に待機していた別班を呼び寄せていた。火気工事専門で切断機材などを持ち込んだ彼らは、即座に改造箇所を切断して原設計の形状に船倉内部を戻していた。

 ただし、彼らの工事は荒々しく、切断後の整形などはおざなりなものだった。専用の治具を使ってまで確認されたのは船倉底面のコンテナ固定金物周辺の形状のみで、その他の箇所は放置されたも同然だった。


 改造工事の仕上げに船橋内部には何かの操作盤が追加されていた。いくつかの押釦がつけられた操作盤はさほど大きなものではなかった。

 船倉内部から引き込まれた電路は最終的にこの操作盤に接続されていたが、特に乗員に説明されることもなかった操作盤の形状や規模からしてもさほど高度な機能はなさそうだった。

 小さな操作盤だったが、この取り付け工事が一番丁寧だった。慌ただしく作業を続けていた乗員達も、作業後は保護布を被せられたこの操作盤だけは後始末をさせられることはなかった。

 この機材に関しては、操作方法どころか使い途すら分からなかった。様子を見ている限りでは、工事にあたった技師達ですら用途までは知らないようだった。工事担当者が持ち込んだのは取付け工事に関する図面だけで、取付後に行われた試験も、単に通電を確認しただけだったようだ。



 大神工廠の桟橋で行われた工事は短時間で終わっていた。いくつかの機材や工具はクレーンで搬出入されていたが、同時に複数船で工事が並行して行われていたものだから、クレーンの専有時間は短かった。

 傍から見ていても技師たちの手際は際立っていた。むしろ普段から寝起きして船のことを知り尽くしているはずの乗員達の方が足手まといになっていたほどだった。


 次が控えているせいか、船橋に追加された操作盤の通電確認試験まで終了した戦時標準規格船一型は、早々と桟橋から解き放たれていた。そして沖合で待機していた僚船が桟橋に次々と係留されていった。

 だが、桟橋を離れる前に第三山城丸には塗装缶と刷毛の束が渡されていた。どうやら特設砲艦としての塗装は自分たちで刷毛塗りしろということらしい。


 塗料缶は一隻まるごと塗り尽くせるほど大量に渡されていたが、種類はいわゆる軍艦色とも呼ばれる鼠色の一つだけだった。

 よく見ると、第三山城丸より先に工事を終えて桟橋を離れていた僚船の多くも、乗員達が各船会社ごと色鮮やかだった商船らしい塗装色を目立たない軍艦色へと塗り替えている最中だった。

 もちろん船内からでは塗装できる箇所は限られていた。水線近くの舷側には船内からではどうやっても手が届かないからだが、そこは搭載艇を使って船外から塗りたくられていた。



 しかし、第三山城丸の搭載艇は貧弱なものしかなかった。有事の際には陸軍の歩兵を乗せることも想定された戦時標準規格船一型には、本来は全乗員を載せても足りる大発動艇を搭載可能だった。

 大発ほど大型のものではないが、就役した当時には第三山城丸にも人員輸送専用の小発動艇が載せられていた。だが、民間にも多く下げ払われていた揚陸艇である発動艇は使い勝手が良かったものだから、何年か前に船上から取り上げられて本社で行う作業船に転用されてしまっていた。

 その代わりに辻褄合わせのように搭載されていたのは無動力の小舟だったから、船外作業の効率は著しく低下していた。


 だが、特設砲艦長である伊東予備大尉を含めて、第三山城丸の乗員達は塗装作業に高をくくっていた。船倉内と船橋の操作盤取り付け工事こそ終わって桟橋から早々に追い出されていたものの、これは第一期工事に過ぎないと考えていたからだ。

 根拠がないわけではなかった。原設計から上甲板に用意されていた兵装搭載箇所は手つかずのままだったのだ。


 今の第三山城丸には兵装と呼べるようなものは何一つ無かった。しかし、傭船料の安価な特設運送艦ではなく、態々特設砲艦に指定されたということは、更に何らかの兵装を搭載する工事が控えているはずだった。

 搭載される兵装が威力不足から海軍の正規戦闘艦から降ろされつつある多連装機銃であったとしても、安定した射撃を行うためには上甲板構造材への溶接工事は不可欠だった。

 もちろん溶接工事が終わった後は、散乱した溶接のろなどを除去した上で焼け焦げた跡を再塗装しなければならないのだから、この時点で全ての箇所を再塗装することに乗員達は躊躇していたのだ。

 貧弱な搭載艇で外板の塗装をするという重労働を行わなければならなかったことが、伊東予備大尉の黙認のもとで半端な塗装作業を行わせていた。どのみち再塗装するくらいならば、溶接工事後に行ったほうがマシだった。


 結局、第三山城丸は外板こそいい加減に塗装し直したものの、上甲板は手つかずのままだったのだが、彼らが判断を誤ったことに気がついたのは、それから暫くしてからのことだった。

 特設戦隊に編入された二〇隻もの戦時標準規格船一型を原型とする特設砲艦の改造工事を終えた大神工廠は、特設砲艦群に今度は広島への移動を命じていたからだった。

 伊東予備大尉達が予想していた第二期工事など存在していなかった。全く何の兵装も追加されなかったが、第三山城丸の特設砲艦への改装はこれで終了していたのだった。

戦時標準規格船一型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji.html

戦時標準規格船二型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji2.html

戦時標準規格船三型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji3.html

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