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1951フィリピン上陸戦21

 不足する各種支援艦艇に充てるために、有事の際に日本海軍が民間から徴用する船舶が特設艦船だった。平時から整備されている専門性の高い軍艦だけでは、巨大化した現代の軍隊を支えるのは不可能だったからだ。

 巨大な戦力を持つ日本海軍であっても、前線の艦隊を満足に運用するためには補給兵站や戦闘艦の整備支援などには多くの徴用された特設艦船が必要不可欠だったのだ。


 予め指定された高速優等客船を改造した特設空母などであれば正規空母に準じた特別な艤装が施される場合もあるが、多くの特設艦船は原型となった貨物船や客船の姿を保ったものが多かった。

 ところが、多岐にわたる特設艦船の中には支援艦ではなく一見すると戦闘艦のように見える種別もあった。特設巡洋艦や特設砲艦といった戦闘艦の艦種が付けられたものだった。



 幕末の混乱期に可能性があった大乱に備えて編成された幕府海軍は、その大多数が新政府に恭順していた。この幕府海軍と雄藩海軍の集合体として明治期に再編成されたものが日本海軍の原型だったが、それよりも歴史の長い欧州海軍の黎明期には、軍艦と商船の構造や性能に大差がない時代もあったらしい。

 そのような時代においては、商船に武装を施して軍艦とすることは珍しく無かったし、そもそも海上の治安など無いも同然な野蛮な時代だったのだから商船も武装するのが当たり前だったようだ。

 つまり、当時は軍艦と商船の境目が性能上だけではなく法律や慣例の点からも曖昧なものだったから、徴用された商船も海軍で運用するのに支障がなかったのだろう。


 勿論、そんな大航海時代のような時期は、遥か昔に過ぎ去ってしまっていた。軍用艦に限らず近代的な艦船は特定の目的に特化していたから、現代の商船に武装を施したところで正規の戦闘艦とは勝負にならなかった。

 その一方で、近代的な特設巡洋艦の運用には特色があった。徴用された優秀船に兵装を施した特設巡洋艦は、国によっては全く異なる使い方をされていたのだ。



 第一次、第二次欧州大戦のどちらも敵国に対して海上戦力が不利な状況で開戦した独海軍は、特に開戦初期において特設巡洋艦を積極的に通商破壊艦として前線に投入していた。その任務は英海軍が独海軍艦に商船襲撃艦という呼称を与えていたことからも明らかだった。

 同時期に通商破壊作戦に投入された独海軍の潜水艦が海中に潜む事で秘匿性を発揮していたのに対して、独海軍に編入された特設巡洋艦は実際に襲撃が行われるまで兵装を隠しておき商船に欺瞞する事で秘匿性を保とうとしていたのだ。


 これに対する英海軍やその影響を受けた日本海軍の多くの場合は、正規の巡洋艦が不足する中で独海軍のように偽装を施すことなく長距離哨戒艦として運用されていた。英海軍の特設巡洋艦を直訳すると補助巡洋艦となるらしいが、まさに正規の軍艦を補助するというものなのだろう。

 長距離哨戒艦として運用される場合の特設巡洋艦の利点は少なくなかった。正規巡洋艦並の船体規模を持つ大型貨客船を原型とする特設巡洋艦であれば、航続距離や居住性はむしろ大多数の軍艦よりも優れていたから、長期間の哨戒が可能だったのだ。


 その一方で、多少の兵装を施した所で、装甲を有する正規の戦闘艦と戦闘になれば勝ち目はなかった。仮に巡洋艦並の大口径砲を装備した所で、射撃指揮能力や損害を被った時の損害復旧能力が比べ物にならないからだ。

 勿論その事は日英海軍でも承知していた。あくまで特設巡洋艦は数が足りない正規軍艦の補助を行うものに過ぎなかったからだ。


 日本海軍は哨戒艦として特設巡洋艦を運用することはなかったが、その代わりに特設巡洋艦を日本本土と欧州を往復する長距離船団の護衛部隊に編入していた。

 第二次欧州大戦中盤以降に護送船団の中核を占めるようになった戦時標準規格船二型と比べると、特設巡洋艦として徴用された客船は戦前に優秀船舶建造助成施設法の助成を受けて建造されたものばかりだったから、船団を組んで航行中でも他の船団構成船よりも余裕があった。

 そこで原型譲りの大きな搭載量を活かして、船団や護衛部隊の旗艦、或いは撃沈された船から救出された溺者や捕虜などの収容船に指定されたものもあったようだ。



 だが、大きいものとなると一万トン級の大型優等商船から改造された特設巡洋艦と比べると、それよりも格段に小さい三千トン未満の雑多な貨客船から改造された特設砲艦の扱いはおざなりなものだった。

 このクラスの商船になると、量産性を最優先された戦時標準規格船二型と比べても外洋航行能力は限定的だった。大戦序盤の手当たり次第に船腹をかき集めていた時期ならばともかく、戦時標準規格船が大多数を占めるようになった船団に随伴しても足手まといになってしまうのだ。

 実際には、第二次欧州大戦で徴用された特設砲艦や小型の特設巡洋艦は、欧州本拠地周辺の警備任務以外は純粋な輸送任務についていた。船団を組む程ではない距離の緊急輸送が主任務となっていたのだが、そのような運用は結局特設運送艦とほとんど変わらないものだった。


 戦時標準規格船の計画で建造されたとはいえ、自分が乗り込む六百総トン級の内航貨物船でしかない第三山城丸を特設砲艦として徴用するという話を初めて聞いた伊東予備大尉が困惑するのも当然だった。

 先の大戦でさえ中途半端な存在に過ぎなかった特設砲艦に今更意味があるとは思えなかったのだ。



 太平洋の開戦に続いて、独国内やカリブ海でも戦闘が行われていると聞いていたが、まさかこれから内航貨物船を大西洋に送り込むということはないだろう。

 そうなれば特設砲艦に改造された第三山城丸の運用海域は太平洋となるのだろうが、強大な米海軍の正規戦闘艦に対して特設砲艦が何かしらの意味がある任務を行えるとは思えなかった。


 どう考えても、内航貨物船が進出できる距離、つまり我が本土近くまで接近出来るだけの能力を持つ敵艦が存在するとすれば、米海軍の大型戦闘艦か、或いは密かに潜入する潜水艦となるだろう。

 伊東予備大尉は、ちっぽけな第三山城丸が船首に僅かばかりの機銃座を構えて、米海軍の何万トンもある戦艦や海中の潜水艦に凄んでいる姿を想像しようとしたが、結局うまく行かなかった。これでは自分の弱さも知らない幼子が大人達に凄んでいるだけではないか。


 戦時標準規格船計画に含まれて建造されたことから、第三山城丸の構造上は確かに兵装を搭載すること自体は可能な筈だったが、目的は対空自衛戦闘が可能な程度、具体的には多連装の機銃座が船首尾一箇所ずつの構造材上に取り付けられるという程度だったはずだ。

 その程度の兵装では、平時の警備程度ならばともかく改装する手間のほうが掛かりそうだった。あるいは船倉区画を改造してレーダーを備えて哨戒艦として運用する可能性もあるが、そうした任務であれば搭載量に余裕のある大型貨物船である戦時標準規格船二型の方を原型とするのではないか。


 ―――それほど日本海軍は船腹不足なのだろうか……

 伊東予備大尉は乗員達と共に首を傾げていたが、徴用に関する書類は本物だったし、回航場所や日時も書類には明示されていた。第三山城丸は、第二山城丸と共に指定された大神工廠に向かうしかなかったのだ。



 いきなり3隻しかない持ち船のうちの2隻を徴用される事となった山城海運の経営陣は、今回の通知に渋っていると思ったのだが、久々に伊東予備大尉が本社に顔を出すと、実際には社内には諸手を上げて歓迎しているような雰囲気すらあった。

 旧知の本社勤務社員に事情を確認すると、経営陣は徴用に伴い海軍から支払われる事になっている傭船料の金額にほくそ笑んでいたらしい。

 伊東予備大尉は僅かに首を傾げていた。確かに徴用に伴い月毎に支払われる傭船料は魅力的だろう。営業能力の乏しい山城海運が自ら仕事を探しに行く手間も省けるからだ。それに民間企業から支払われる傭船料と比べても徴用船の場合はかなり割増になっていたはずだ。


 しかし、社員の態度に不審なものを感じた伊東予備大尉が問い詰めると、彼はあっさりと経営陣が納得した理由を言った。山城海運に支払われる傭船料の内訳だった。

 通常のトン数から換算される基準比率や装備品によるものに加えて、特設運送艦ではなく危険度の高い砲艦であった為か、かなりの額の危険手当が割増されていたのだ。単なる海上トラックに対するものとしてはありえない、大型高速船の優秀船扱いにも等しいものだというのだ。

 それに、もしも第二、第三山城丸が戦地で沈んだとしても、海軍は船価に割増された補償金を支払うという話もあったようだ。


 実はこれまで徴用とは縁のなかった山城海運では、やはり当初は海軍への徴用を渋る声もあったらしいのだが、この補償金制度のことを知るなり経営陣の多くは手のひらを返していたらしい。

 結局、山城海運としては自分達の懐が傷まなければ、持ち船の危険性には考慮していなかった。金額交渉の後に山城海運はもみ手をせんばかりの勢いで傭船契約を結んでいたのだ。


 尤も伊東予備大尉は眉をしかめたものの、その時には特に経営陣に文句をつけることはなかった。どのみち自分達も大神工廠に第三山城丸を届ければそこでお役御免だと考えていたからだ。

 元が商船であったとしても、通常は徴用された特設艦船には正規の海軍士官や下士官が乗り込んでくるはずだったからだ。

 特設運送艦のように単なる徴用貨物船として運用される場合は、若干の軍人が乗り込んでくる他は本来の乗員を軍属として徴庸することもあるようだが、特設巡洋艦や特設砲艦は特設軍艦として扱われるから、正規の乗員と海軍軍人が入れ替わる裸傭船契約となるはずだった。



 だが、大神工廠にたどり着いた伊東予備大尉を待っていたのは意外な知らせだった。彼自身も予備士官として召集を受けた上に、予備中尉から階級を昇進した上で特設砲艦第三山城丸の指揮官に任ずるとの辞令が渡されていたのだ。

 これまで法的には自分が予備士官であることは知っていても、縁のなかった階級に唖然とせざるを得なかった。しかも召集を受けたのは伊東予備大尉だけではなかった。第三山城丸の船員のうち、高等商船学校卒のものは予備士官として、商船学校卒のものは予備下士官としてもれなく召集を受けていたのだ。


 尤も、第三山城丸の乗員の中で、正規に予備下士官として召集を受けたものはそれほど多くはなかった。近代的な航法術や機関などの知識が必要な高級船員はともかく、普通船員の育成過程は制度化が未熟だったからだ。

 卒業と同時に予備一等海曹に任命される逓信省隷下の商船学校は、高級船員に準ずる知識を叩き込まれる正規の中級船員教育過程だったが、そうした正規の過程を経由して船員になる方が稀だった。


 特に山城海運のような中小、あるいはいい加減な船会社の多くは碌な経験も無い船員も多かった。先の大戦において不足する船員の即性教育のために設けられた海員養成所を卒業したものどころか、同族経営であれば一族の子弟を船員に仕立て上げることも珍しくないだろう。

 そうした俄船員は正規の教育を受けていないものが大半だから、徒弟制度の様に経験者から船内で教育を受けているのみだった。


 普段はそうした練度の低い船員の扱いは悪かったのだが、召集対象外の船員は召集令状と辞令を受け取った予備士官、予備下士官達を気の毒そうな目で見ながら退船しようとしていた。

 ところが、彼らの大半も実際には第三山城丸から降りられなかった。予備士官でも予備下士官でもないものは、それとは別に即座に軍属に登録されていたからだった。

 つまり、大神工廠に辿り着いた第三山城丸は、特設砲艦となっても元の船員達で運航されるものと定められていたのだった。



 異例の事態だったが、おそらくは山城海運の経営陣は予めそのことを知らされていたのではないか。

 考えてみれば、実際に裸傭船となって特設艦船に第三山城丸が徴用されるのであれば、傭船料の他に俄に失業する元の船員達に対する臨時の手当が発生するはずだったが、そのような話は一度も出なかった。

 元から薄かった会社への信頼が、派手に崩れていく音を伊東予備大尉は聞いたような気がしていた。

戦時標準規格船一型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji.html

戦時標準規格船二型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji2.html

戦時標準規格船三型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji3.html

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