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1951フィリピン上陸戦20

 戦時標準規格船の計画に含まれていたとはいえ、その端緒となる一型は膨大な派生型が建造された一大建造計画の中では習作のようなものだった。本命が欧州とアジアを往復する一万トン級の大型貨物船であったのに対して、戦時標準規格船一型は僅か六百総トン級の内航貨物船でしかなかったからだ。


 戦時標準規格船一型が当初から建造計画に盛り込まれたのは、このクラスの貨物船の需要を鑑みたものというよりも、電気溶接やブロック建造といった新時代の手法を広く国内造船所に取得させることが目的であったと言ってよかったのではないか。

 高価な大型貨物船の建造にいきなり前例のない技術を導入することに躊躇する造船所や船会社も、このクラスの貨物船なら導入はやりやすいからだ。

 尤も使い勝手という点では、海上トラックと俗称される内航貨物船の有用性は無視できなかった。浅く貧弱な港湾設備しか持たない地方の港や工場に隣接するちっぽけな桟橋でも横付け出来るからだ。



 だが、そんな内航貨物船に対するコンテナ化工事は、伊東予備大尉には不条理なものに思えた。というよりも実質的な効果はないのではないか、と考えていたのだ。

 工事の際に行われた説明によれば、コンテナ化の狙いは荷役速度の向上にあるらしい。港湾部で行われる荷役作業は、これまで大半が人力で行われていた。船倉に運び込まれた貨物を作業者が一つ一つ固縛していくのだ。

 しかも、広大な船倉内に好き勝手に荷物を置いていくわけではなかった。船体と貨物の重量配分を見極めながら固縛していく位置を熟練作業者が決めていくのだ。


 それに対してコンテナの場合では、陸上の工場や倉庫から出荷される際に、予めコンテナの中に荷物を放り込んでから港湾部に貨物列車などで運び込まれていた。

 陸上輸送されるにはコンテナは大きな貨物だったが、コンテナ化改装工事を受けた貨物船にはこれを固定する金物や軌条が船倉区画に配置されていたから、専用のクレーンさえあれば荷役速度は速かった。


 荷役が短時間で終わるのは、予め確認された重量からコンテナの搭載位置が入港前に定められるからでもあった。

 荷役作業に必須だった単価の高い熟練労働者はもはや不要となるはずだった。クレーンの運転手は予定された位置にコンテナを下ろし、船内の作業員は固縛作業に必要な使い捨てのワイヤーや紐を持ち歩く事なく、コンテナを専用の金具で固定するだけだったのだ。


 従来、1万トン級の貨物船の荷役を行うには一週間程度はかかるというのが常識だったのだが、コンテナ化工事を行った同級船の場合は一日もあれば入港から出港まで可能となるらしい。

 つまりコンテナとは、船員の立場から考えると、取り外し式の船倉区画を陸上に持ち込んで、より有利な条件で先行して荷役を行うものと考えて良さそうだった。



 担当者の説明が本当なら、現在の船舶輸送に大きな比率を占める荷役作業を一新させる革新的な技術だと言えるが、高等商船学校を卒業してから内航輸送一本で歩んできた伊東予備大尉は懐疑的な目で海上トラックに対するコンテナ化工事を見ていた。

 コンテナ化輸送には、当然だが送り先と送り元の両方がこれに対応している必要があった。必要なのは港湾部の改造だけではなかったのだが、船積するのはともかく、コンテナの寸法は陸上輸送には大尺過ぎる貨物だった。


 国鉄は既にコンテナ輸送専用の貨車を製造していた。船内に用いられるのと同じ規格の金物を取り付ける事で高速荷役が可能なものだったのだが、全ての港湾部に国鉄の引き込み線があるわけではないし、クレーンの可動範囲まで引込線を伸ばすのも現実的ではないだろう。

 それに国鉄の貨物駅から最終的な発送先、元に輸送する為には、最終的にはコンテナを積み込める大型の自動貨車で運ぶしかないのではないか。

 だが、国鉄の貨車に匹敵する寸法の大型自動貨車の保有数は日本国内を見回してもそれほど多いとは思えないし、各地に敷設された道路の規格がどれだけそのような大型車が入り込めるかも分からなかった。



 それ以前に、コンテナ化工事が進められた港湾部の数自体が少なかった。今のところ試験的に専用のクレーンなどが設けられたのは国内では名古屋港と広島港、海外ではウラジオストクと大連程度でしかないらしい。

 しかも、名古屋港はともかく、広島港では実際にはコンテナ専用の設備が新設されたのは隣接する陸軍船舶司令部に隣接する軍用区画の宇品地区に限られていたというから、実際には軍需品の輸送を試験していたのだろう。


 他には共同開発した英国の手でカナダの太平洋と大西洋側にもコンテナ積み下ろし設備が設けられたというが、これは北米大陸を横断する試験目的に設けられたものに過ぎなかったようだった。

 この数ではコンテナ輸送が正式に導入されたとしても実質的には日本本土と満州、シベリアーロシア帝国を繋ぐ航路に限られるのではないか。それ以上に国内輸送に限れば広島の軍港と名古屋の商業港しかないのだから、まともな輸送が成り立つとは思えなかった。



 それとは別に内航貨物船がコンテナ化する意味も薄いのではないかと伊東予備大尉は考えていた。コンテナ化工事は海運業を所管する逓信省あたりが主導して進めているいるらしいが、中央省庁の官僚達は内航貨物船が運んでいる荷物の実情など知らないのではないか。

 内航貨物船が運ぶ荷物の中には規格化されたコンテナに収まりきらない大寸の貨物も多かった。というよりも、本州と他の島間の長距離輸送ならばともかく、本州内でコンテナに収まるくらいの貨物ならば、全国に行き渡った国鉄の貨物列車との猛烈な費用競争になっていたのだ。

 内航貨物船しか入れないような港から港に運ぶような貨物の場合、そのような小口の輸送では海上輸送では利益が出ないのだ。結局、内航貨物船が運ぶ品は相当地形の影響が大きく貨物列車よりも運賃が有利になるものか、鉄道では運べない大尺のものが増えていた。


 実質的には内航貨物船のコンテナ化改造工事は、大型の外航船が運び込んだコンテナを、大規模港から小規模港に移し替えるという輸送を想定していたらしいが、そのような大規模コンテナ港自体が少ないのにそのような状況が訪れるかは分からなかった。

 大体、日本本土と欧州を結ぶような長距離輸送の場合は、一隻当たりの搭載量が多くて荷役時間は無視出来なくなるのだろうが、元々搭載量の少ない内航貨物船では多少の荷役時間を短縮した所で所要時間に大きな差異は生じないのではないか。

 さらに言えば、長期間の荷役は高価な大型貨物船を無駄に遊ばせていることになるのだが、元から荷物の都合で待たされることも少なくない内航貨物船の荷役が一日や二日長引いた所でかかる費用はさほど大きなものにならないのだ。



 補助金があったとはいえ戦時標準規格船一型を保有する中小海運業者が積極的にコンテナ化工事を受けたのは、何時でもコンテナ輸送から従来の汎用輸送に切り替えられるという改造工事の条件があったからだ。

 山城海運とすれば、コンテナ化の流れが実際に起きなかったとしても、自分の懐は傷まないという目論見なのだろう。


 改造工事の内容は、一言で言ってしまえば戦時標準規格船一型の船倉底部及び側面にコンテナを固定するための金物を取り付けるというものだった。

 底部に取り付けられるものは大型貨物船や国鉄貨車に備え付けられるものと同規格のものだったのだが、多段積みされたコンテナの列を側面から支える金物は、専用品ではなく個縛用の鋼索を繋ぐ為の簡易型金具に過ぎなかった。

 完全にコンテナ化改造が行われた大型貨物船ではコンテナの寸法に合わせて船倉区画全体が改造されていたのだが、それよりも格段に小さな内航貨物船ではコンテナを搭載しても空間が中途半端に余ってしまうのだろう。

 六百総トン級の貨物船の船倉をコンテナに合わせてしまえば今度は未使用区画が増えて経済性が悪化してしまうはずだった。

 ただし、どちらの金具もコンテナ搭載時には荷重がかかることから、応力を分散させる為に既存の構造材裏に頑丈に溶接されるか、分厚い補強材が追加されていたようだ。


 既存構造材を慎重に選択して取り付けられた結果、船倉区画に飛び出た追加部材の寸法は最低限に収まっていた。これにより普段は貨物保護の為に張り巡らせていた木製の保護材で金具を隠すことが可能だった。

 つまりコンテナを運ばない時は、通常のばら積み船として運用する事が可能だった。山城海運や他のコンテナ化工事を受け入れた海運業者も、この措置が合ったからこそ将来性のなさそうなコンテナ化を受け入れたのだろう。


 尤も山城海運の2隻は、長い間ろくな整備もしてこなかったことから、所管官庁の検査項目外である船倉区画の保護材は半ば腐りかけて撤去された部分も多かった。

 保護材が草臥れて貨物に傷をつけることがあったとしても、検査の目的である船舶の安全な航海そのものには支障が出ないからだ。


 もしかすると会社の上層部は、補助金が投入された工事を利用して、これ幸いと保護材も刷新させてしまおうと小狡いことを考えていたのではないか。普段の会社経営陣の動きを見るとその程度のことは考えていそうだった。

 船倉区画内で火気工事を行う為に破損の有無に関わらず保護材は一旦撤去されていたのだが、第三山城丸には会社側が要求した原状回復工事の一環として保護材の再装備作業も行われていたからだ。


 ところが、白木の匂いも芳しかった保護材が第三山城丸の船倉に施されていた期間はそれほど長くはなかった。コンテナ化工事が行われてから暫くして、日本と米国との間で戦争が勃発していたからだ。

 そして第二山城丸と第三山城丸は揃って乗員ごと特設軍艦として徴用されて、同時期にコンテナ化工事が行われていた戦時標準規格船一型と共に特設砲艦として再度の改造工事を行っていたのだ。



 元々戦時標準規格船は建造時に助成金が交付されると共に有事の際に優先的に徴用されるという契約だったのだが、実際には戦時中に建造が開始されたようなものである二型と違って、伊東予備大尉は内航貨物船を原型とした一型が徴用されたという話を聞いたことはなかった。

 そんな事もあって、山城海運の社員達の多くは開戦に対する危機感は薄かった。トラック諸島に駐留していた日本艦隊は大きな損害を受けたし、その後はグアム島からの戦略爆撃が日本本土を襲っていたのだが、内航貨物船の乗員達の生活には大きな変化はなかったからだ。

 むしろ開戦によって民需化が図られていた日本本土の生産力が再度軍需品の生産に傾けられれば、第二次欧州大戦時のように内航貨物船の仕事量も増大するのではないかと会社の経営陣は不謹慎にも考えていた形跡があったほどだ。

 いち早く仕事を受けようとして、最近になって僅かばかり拡大されていた山城海運の営業が軍需工場に回り始めていたのだが、結果的に彼らの営業努力は大半が無駄になっていた。


 山城海運の船員達が安穏としていられたのは開戦から僅かな間に過ぎなかった。山城海運に送られてきた海軍への徴用を命じる書類が彼らの運命を一変させていたのだった。

戦時標準規格船一型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji.html

戦時標準規格船二型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji2.html

戦時標準規格船三型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji3.html

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[一言] かなり昔、友人の挫折した仮想戦記漫画に、小型タンカーの船体に六七式ロケット弾を並べた特設砲艦を出した事があったのだが、今考えると発射炎とかどうするつもりだったんだろう……?
[気になる点] コンテナ規格のロケットランチャーと弾薬庫&揚弾機でしょうか? そのうち垂直発射……アーセナルシップ……う、頭が……
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