1951フィリピン上陸戦18
八雲から発射された誘導噴進魚雷弾は、後続の2隻から放たれた8発の同弾から見れば露払いの様なものだったのかもしれない。いずれにせよ敵艦に向けて伸びていくように見える弾体の後部から沸き起こっている白煙の彼方から、発砲炎と思われる閃光が見え始めていた。
八雲の見張り所からは、何処か間の抜けた声で敵艦が射撃を開始した模様と報告が上がっていた。反航する形で高速で接近していた敵艦隊は、八雲が急回頭した事で相対的な接近速度が著しく低下していた。
しかも、敵艦隊も更に回頭していた。八雲に合わせたように西方に艦首を向けているようだったが、明瞭に同航戦に移行することを敵艦隊の指揮官が決心したものかどうかはまだ判断がつかなかった。
30センチという大口径砲を備えているアラスカ級は分からないが、まだ巡洋艦艦隊同士の夜戦には距離がありすぎるのだ。
おそらくは、敵艦隊の機動は単に対空戦闘の為なのだろう。八雲と後続する利根、筑摩から放たれた噴進弾を航空機と誤認したのではないか。
その証拠に、敵艦隊は側面を晒しながら猛烈な勢いで舷側に配置された高角砲による対空戦闘を開始していた。
高角砲による砲口炎によって敵艦隊の姿が浮かび上がっていたのだが、距離があるせいか最大でも5インチ砲程度の高角砲では迫力には欠けていた。それに無人の噴進弾に対する対空砲火によるものと分かっていたから、見張員達も何処か遠くで見える花火の様に他人事に思えていたのだろう。
しばらくしてから、噴進弾の反応が電探から喪失したと中央指揮所を経由した捜索電探からの報告が上がっていた。まだ飛翔速度と時間からして敵艦には達していないはずだった。
「撃墜、されたのか……」
報告に思わずといった風に声を上げていたのは、今のところ水雷科ばかりが作業を行っているために手持ち無沙汰にしていた砲術長だった。尤も実際には八雲艦内で配置についている砲術科員の少なくない数が既に戦闘を開始していた。
塔型マスト頂部の射撃指揮装置は、誘導噴進魚雷弾の次弾発射に備えて敵艦への照準を続けていたが、他の射撃指揮装置も既に照準を開始していた。指定されている射撃指揮装置に不具合が発生した場合や戦闘による破壊に備える体制をとっていたのだ。
おそらくは主砲塔や両用砲も配置についた乗員達によって何時でも発砲可能な状態になっているのだろうが、皮肉なことに砲術科員の中でも、八雲に備わった主砲の実用射程外であることから砲術長達主砲指揮所の要員だけは特段作業がなかったのだ。
独り言の様な砲術長のつぶやきに答える声は無かった。射出機への再装填作業を確認した駒形大尉も、淡々とした調子で言った。
「不明です。噴進魚雷弾の挙動は撃墜された時のそれと類似したものですから、この距離では確認のしようがありません」
他人事の様な駒形大尉の声に、思わずと言った様子で砲術長は眉間にしわを寄せていたが、背後の砲術長の調子には気がつかずに大尉は続けた。
「そもそも海面落着後の誘導魚雷は自立稼働しますから、発射艦側から観測する手段はありません。あとは戦果が上がるかどうかで判断するしかありません」
砲術長は不機嫌そうな声になっていた。
「それは分かっているがな。どうにもこの噴進弾は魚雷を放り込むだけにしては仰々しいのではないか……」
―――その点は同感だな……
操作盤を確認しながら駒形大尉は砲術長の言った事を考えていた。
誘導噴進魚雷弾という取ってつけたような名前は、異なる2つの技術体系をつなぎ合わせた、というよりも強引に重ね合わせたこの新兵器の実態を意外なほど正確に表すものだった。
音響追尾式魚雷の欠点を解消すべく旧海軍系列の研究所が出して来た案の1つが、敵艦近くの空中から魚雷を投下するという機動爆雷初期の運用に近いものだったのだ。
ただし、機動爆雷の投下は対潜哨戒機か、その指揮下にある爆撃機などから行われていた。昨今の対空兵装を強化した敵戦闘艦近くに仮にそんな友軍機を送り込めるならば、最初から航空魚雷として使用するだけの話だった。
この案が異様だったのは、高い精度を持つ音響追尾式の魚雷を運搬する手段としてだけ噴進弾を使用するというところにあった。
名称通り誘導噴進魚雷弾は親子式の巨大な兵器だった。あまりの重量に加えて研究開発中で外寸も頻繁に変わるものだから、専用の発射架台ではなく水上機用の射出機が転用された位だった。
それまでに水上機用の射出機は十分な運用実績を重ねていたし、発艦する機体重量等によって火薬缶の容積を変更すれば加速度をある程度は調整することも可能だったから、大型の噴進弾を投射するのに使い勝手が良かったのだ。
ただし、射出機が用いられたのはか細い噴進弾の初期推力を補う為でもあった。巨大な弾体にも関わらず噴進機関の推力が乏しかったのは、主機関を持つ母機の下側に容積の大きな音響追尾式の魚雷がそのまま積み込まれていたからだ。
射出機で初期加速を与えられた弾体は、射撃指揮装置の指示を受けた誘導装置から放たれた電波によって誘導されて飛行していた。だが、この弾体の噴進機関は、他の誘導弾と違って敵艦に命中する最後まで稼働するわけではなかった。
誘導にそって敵艦の手前近くまで達した噴進弾は、そこまで得られた速度を無駄にするように一気に減速をかけていた。役目を終えた誘導装置を機密保持も兼ねて焼き尽くしながら、誘導装置直後に設けられた噴進機関が最後の燃料を使い果たしながら前方に向けて噴流を放っていたのだ。
減速装置の起動から僅かに遅延して、仕事を終えた噴進機関を持つ胴体の下部に備えられた投下装置が起動していた。むしろこちらの方が本体と言うべきなのかもしれないが、海面落着と同時に音響誘導装置が作動した魚雷が投下されるのだ。
強引な減速は撃墜されたと見間違えるほど派手な光景だったが、これは魚雷の構造限界を考慮したものだった。それだけに速度を落としてから投下された魚雷は破壊される事なく、海面に落着していたのだ。
射撃指揮装置と誘導装置が万全に作動しているのであれば、魚雷が投下されたのは敵艦の近く、聴音機で捉えられる範囲の筈だった。
ただし、駒形大尉がそう認識していたように、特に夜戦ではその作動を確認するのは不可能に近かった。それに八雲に搭載された誘導魚雷噴進弾の数は動翼を取り外して格納しても2発きりだった。大柄な噴進弾だったから、以前格納庫内に収められた水上機以上の数を詰め込むことは出来なかったのだ。
水上偵察機を運用していた際には、射出機にも待機中の機体を合わせて3機が搭載されていた。八雲だけではなく、多くの水上機搭載艦が同様の措置をとっていたのだが、誘導装置などに繊細な電子部品を多く含む誘導魚雷噴進弾を長時間整備の困難な暴露状態に置くことは出来なかったのだ。
しかも、誘導魚雷噴進弾の特性からして次弾の発射までには時間がかかってしまうのだから、攻撃はどうしても散発的なものになってしまうのだ。
僅か2射線では、いくら誘導魚雷が驚異的な命中精度を持っていたとしても敵艦、特に水雷防御が充実した戦艦級の大型艦に致命傷を与えられる可能性は低かった。
実際には八雲に誘導魚雷噴進弾が搭載されたのは、あくまで噴進弾自体の実射試験を行うためと考えるべきだった。中央指揮所の直上に設置されたままだった射出機を用いて何度か行われた発射試験も、あくまで実績を重ねて要領を得るためのものだったのだろう。
そして八雲の中央指揮所改装と同時期に本格的な対艦噴進弾の搭載艦として改装を受けたのが、利根型と大淀型の2型4隻の軽巡洋艦だった。ただし、利根型と大淀型で搭載された噴進弾の種類は異なっていた。
大淀型の場合は誘導魚雷噴進弾ではなく、直接艦上からの誘導で敵艦への直撃を狙う誘導噴進弾が搭載されたらしい。
一旦艦隊指揮艦としての改装を受けていた大淀型は、元々は潜水戦隊旗艦として構想されていた。
実際には、大型で単独行動が多くなる巡洋潜水艦の増加によって、水上艦を潜水戦隊の旗艦とする構想そのものが時代遅れとされてしまったのだが、少なくとも建造時の大淀型は充実した航空艤装と水上偵察機で隷下の潜水艦を支援する一方で、直接戦闘を行う可能性はさほど高くはないはずだった。
その様な経緯から、この時期に建造された日本海軍の巡洋艦としては珍しく建造時から雷装を有していなかったから、艦上での誘導魚雷整備に不安があったことが、大淀型に誘導魚雷噴進弾ではなく誘導噴進弾を搭載した理由だったのかもしれない。
それに大淀型に搭載されるはずだったのは、画期的な性能の長距離水上偵察機だった。これを収容するために大型の格納庫を有していた為に、これを司令部用の空間や誘導噴進弾の搭載に転用できたのだが、射出機の数は中央の1基しかなく、連続発射能力は八雲同様に無かった。
尤も利根型の改装工事の内容が大淀型と比べて進歩しているとも言い難い所もあった。
利根型は大淀型よりも一回り大きい船体を有していたが、空母部隊の直掩として主に活動することを想定されていた同級に要求されていた戦闘能力はより高かった。
ただし、利根型には格納庫は無いから機体の整備性は悪かった。というよりも整備性の向上も考慮して大淀型では戦闘能力を削減しても大型の格納庫が盛り込まれたとも言える。
大型格納庫内に噴進弾を収容する大淀型とは違って、利根型の場合は射出機毎覆うように簡易型の格納庫が設けられていた。軽量な上に折りたたみが出来るものだから、今頃は利根型2隻の艦内に収容されているか海上に廃棄されたのではないか。
利根型に追加されたのはそれだけではなかった。従来の射出機甲板に加えて、一段下がった艦載機繋止甲板両舷にも射出機が追加されて、計4基もの射出機が左右を睨む異様な姿になっていたのだ。
他艦から撤去されて倉庫にしまわれていた機材を探し出してまで射出機を追加したのは、同時発射数を確保するためだった。
その一方で、一応両舷4基の射出機上に加えて船首尾線にも予備弾2発を搭載する計画になっていたのだが、実際には噴進弾から放たれる高温高圧の噴流による影響を受けることから、今回の出撃で予備弾は搭載されていないと駒形大尉は聞いていた。
黎明期の空母は軽量の艦載機を高速の合成風から保護するために遮風柵が設けられていたが、昨今は噴進機関搭載機の増大によって、逆に艦載機の噴流から他機や乗員を守るために遮風壁が射出機近くに設けられるようになっていた。
短時間のうちに4発もの大型噴進弾を発射する利根型にもこれに似た遮風装置が設けられていたが、それでも利根型が4発の噴進弾を短時間の内に発射すると中央付近には高温高圧の排気が滞留するらしいから、誘爆や故障の危険を犯して予備弾を搭載することは出来なかったのだろう。
つまり、第17戦隊が発射可能な雷数は、八雲が次弾の発射に成功したとしても10射線に過ぎないし、この内同時に敵艦に殺到するのは利根型の8射線に限られていた。
いつの間にか後続の利根と筑摩と合流した八雲の魚雷指揮所で、再装填作業を待ちながら駒形大尉は戦果を待ち続けていた。投入されたばかりの誘導魚雷噴進弾の信頼性はさほど高いとは言えなかった。
噴進弾本体は十全に機能を発揮したとしても、落着時の衝撃で魚雷の方が故障したとしてもおかしくはないのだ。
―――この10射線の戦果に今後の水雷攻撃の将来がかかっている、のかもしれない……
そして、駒形大尉の視線の彼方で、巨大な水柱が発生したような気がしていた。
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