1951フィリピン上陸戦16
中央指揮所からの指示がある前に、八雲艦橋射撃指揮所の片隅に仮設された魚雷指揮所で魚雷戦時の配置についていた駒形大尉は、照準作業を行う射撃指揮装置を選択していた。
連合艦隊編入後の幾度目かの改装工事で、八雲の射撃指揮所はその機能を大きく変更されていた。本来砲術長が主砲射撃に関する指揮を行うために配置されていた艦橋の射撃指揮所は、従来のように主砲や副砲の射撃指揮そのものを行う場所では無くなっていたのだ。
方位盤と射撃盤が統合されたことで単独で照準作業を行うことが可能となった四七式射撃指揮装置の搭載によって、照準作業を行う射撃指揮装置群を管理するのが今の射撃指揮所の機能だった。
従来魚雷発射の管制を行う魚雷指揮所は羅針艦橋などに付随する簡素なものだったが、改装工事後の八雲では射撃指揮所の改装と共に魚雷指揮所としての機能も追加されていた。
元々八雲の原型となったプリンツ・オイゲンを含むアドミラル・ヒッパー型重巡洋艦は、射撃指揮所を上部に有する艦橋後部の塔型マスト基部に魚雷指揮装置が配置されていたのだが、ドイツ製の魚雷発射管と共に原型の指揮装置は撤去されて久しかった。
水雷長の駒形大尉とその部下たちが操っている機器は、原型に搭載されていたものとは全く機能も性能も異なるものだったし、そもそも大尉たちが管制すべき兵器が魚雷かどうかも怪しいものだった。
制式化された際の名称は魚雷となっているが、これまでとは全く異なる技術体系が投入された為に射撃指揮所に間借りして射撃指揮装置を使用する必要があったのだ。
そのせいで当初からさほど広い訳では無い射撃指揮所内は、四七式射撃指揮装置を管制するための機材に加えて魚雷戦関係の機材まで追加されたものだから狭苦しくてかなわなかった。
しかも魚雷戦の際には、砲術科に加えてこれまで八雲では傍流だった水雷科の将兵まで入り込むのだから、以前から射撃指揮所にいた者たちは面白くもなさそうな顔をしていた。
砲術科員の中には、水雷科が運用することになった新兵器の扱い自体を砲術の延長線上と捉えて砲術科で行うべきと主張するものも少なくなかった。実際、似たような兵器を搭載された第25戦隊の大淀型2隻では砲術科が運用に当たっているらしい。
ただし、大淀型軽巡洋艦は竣工時から雷装を有さずに、爆雷投下軌条も自衛戦闘用の最低限のものしか搭載していなかったから、水雷科の人員自体が元から小規模なものでしか無かったはずだ。
今回の改装工事と同時に行われた乗員定数表の改正によって消滅寸前だった航空科を吸収した八雲の水雷科とは違って、大淀型では新兵器を運用できるほど水雷科の人員規模には余裕がなかったのではないか。
後続する利根型軽巡洋艦の場合も水雷科に吸収された航空科の要員が実際には操作しているという話だった。
駒形大尉も、無闇と余計な軋轢を生むために砲術科の縄張りに踏み込んでいる訳ではなかった。ただ八雲に搭載された新兵器の運用には従来の簡素な魚雷戦管制用の機材ではなく、夜間の長距離照準が可能な四七式射撃指揮装置が必要だったから魚雷指揮所がこんな場所に追加されていたのだ。
ただし、今の集中した駒形大尉はそのような砲術科と水雷科の軋轢は脳裏から綺麗に消え去っていた。大尉が魚雷戦の管制に指定したのは、塔型マスト天頂部、つまり射撃指揮所の真上に配置されている射撃指揮装置だった。
下命と同時に僅かな唸りが聞こえていた。予め予想していたのか射撃指揮装置の筐体が旋回した時の反応は最小限だった。
元々艦首方向に向けられた射撃指揮装置は、射撃管制用電探でやや八雲の右舷よりを接近してくるはずの敵艦を捉えるべく最小限の角度をとっていたのだが、同時に艦橋天蓋、つまり塔型マストの前方に追加された誘導装置も射撃指揮装置に連動して旋回しているはずだった。
電探表示面のリピーターや射撃指揮装置からの反応に加えて、魚雷指揮所には船体中央部の射出機と連動する角度指示器が設けられていた。
その上に載せられる弾体は最新鋭のものなのだが、射出機自体は汎用性を考慮してドイツ製から日本製に換装されたものの、不要機材として返納された従来型のものが載せられていた。
実際には新機材の試験の為に搭載されたものだったのだが、射出機の性能自体は従来とさほど変わってはいなかった。単に最後まで弾体と繋がっている回路と射出機自体の方位角を計測する機材が追加された程度だった。
射出機の厳密な角度が必要なわけではなかった。弾体は射出後にある程度の操縦が効くから、内蔵されたジャイロによって自ら針路を修正する魚雷の様に射出時の角度がそのまま飛翔時の軌道とはならないからだ。
だが、煙突と後部マストの間に挟まれた八雲の射出機は、両舷に配置された日本海軍の大型巡洋艦に装備された射出機と比べても前後の死角が大きかった。大角度でなければ射出が出来ないのだが、角度指示器は自艦への誤射を避けるための安全装置として搭載されている側面も無視できなかった。
駒形大尉とその部下たちの慎重な操作によって、八雲中央部の射出機もその上に載せられた弾体ごと射撃指揮装置に連動して角度を取りつつあった。同時に八雲でもっとも最上部に備えられていた四七式射撃指揮装置は、その広い視野を活かしていち早く敵艦の反応を射撃管制電探に捉えていた。
射撃管制装置と誘導装置、射出機の三者が連動していることを魚雷指揮装置は示していたが、射出機と連動する角度指示器には未だに赤灯が灯ったままだった。接近する敵艦とはほぼ反航戦となっているために煙突や艦橋が邪魔になって射界が取れないのだ。
短期間の内に集中的に叩き込まれた訓練時の行動そのままに、駒形大尉は半ば無意識の内に、射界を確保する為に左舷側に艦首を向けるように航海艦橋につながる指示器を操作していた。
駒形大尉は気が付かなかったが、背後では砲術科員達が息を呑む気配がしていた。すでに八雲はルソン島の海岸線を左舷に見ながら航行していたからだ。
沖合から接近するはずの敵艦から見た際に背後に陸地を背負う形とすることで電探波を欺瞞する為だったが、高速で航行する今、取舵を安易にとってはルソン島に座礁する可能性が高かったのだ。
だが、よほど操艦に自信があるのか八雲はするりと僅かに左舷に艦首を向けていた。その一瞬で十分だった。射撃指揮装置、誘導装置、射出機の連動と、射界が確保されたことを確認した駒形大尉は、間髪入れずに短く発射とだけ命じていた。
わずかに遅れて八雲の中央部に設けられた射出機から誘導噴進魚雷弾が射出されていた。駒形大尉は発射と言ったが、その言葉が正しいのかどうかは分からなかった。
実際には、従来どおりに射出機上に載せられた弾体は、火薬の炸裂によってごく短時間のうちに発生した圧力を受けて八雲の右舷前方に放り投げられていた。それはやはり射出であったのかもしれない。
ただし、以前は頻繁に行われていた艦載機の射出とは大きく異なる点があることも無視できなかった。
通常は射出前から射出機上の架台に固定された水上機はエンジンを起動させてプロペラを回していた。内燃機関に必要な暖気運転の他に、射出機によって得られる初速は一瞬のことでしかないから、射出直後から自力で上昇しなければならないという事情があるからだ。
ところが、今回八雲に搭載された新兵器である誘導噴進魚雷弾の場合は、実際に射出が開始されるまでエンジンが回されることは無かった。
噴進機関の中には燃料移送系などに回転するポンプなどがあるのだが、直接的な推力を生み出すのは高速回転するプロペラが生み出す後方流ではなくエンジンの排気そのものだと言えた。暖気は最小限で済むし、それ以前に一瞬で最大推力を発揮する噴進機関は射出前に起動できなかったのだ。
それにも関わらず、噴進弾は盛大な火炎流を後方に残しながら射出されていった。これまでの水上機の射出よりも遥かに迫力は大きかった。すでに旧式化した水上偵察機の多くよりも射出時の重量は小さいはずなのだが、轟音と炎を伴う噴進弾の射出は巨大な質量の移動そのものと感じられるはずだった。
日本海軍が重要視していた時期の水上機の多くは空力特性を限界まで見極めて設計されていた。射出時の挙動も自然で、まるで鳥が羽ばたくように浮き上がっていったのだ。
その様に技術の粋を尽くして揚力を稼いでいた水上機と比べると、有翼形態とはいえほぼ空力制御のための動翼しか有していない噴進弾は強引に推力で飛翔するしか無いのだから、優雅さとは全く縁のない無粋な存在だったのだ。
射出された噴進弾が艦に残す影響は大きかった。射出時に発生する高速かつ高温の排気は、これまで電探発振を陸地からの雑音に紛れさせて潜んでいた八雲の姿を闇の底から浮かび上がらせていたからだ。
それに射出機周辺も火炎流にあぶられてしまうから、装填作業を行う科員は全員が待避所を兼ねた格納庫内に待避していた。
これから八雲は次発装填を行う予定だった。格納庫内にはまだもう一発が残されているからだが、その前に火炎流を正面から受けた射出機の冷却と点検を行わなければ危険物である火薬缶の交換など不可能だったのだ。
射撃指揮所からでは直接視認できないが、射出機上での再装填作業は手間取りそうだった。噴進弾の発射と同時に八雲は大角度の変針を行っていたからだ。
もしかすると航海長の栗賀少佐からすれば、先程の駒形大尉の指示は当て舵の代わりだったのかもしれない。指示器の操作から噴進弾の発射は僅かな間だったから変針角度は僅かなものだった。
ルソン島の海岸線に僅かに接近していた八雲は、その船体規模に見合わない小回りで海面をえぐりとる様にしながら、短時間のうちにほぼ90度近くの回頭を終えて真西に艦首を向けていた。
だが、駒形大尉は発射された噴進弾の軌道を確認するよりも前に、慌ただしく射出機の連動を解除させていた。
射撃指揮装置、誘導装置と連動した射出機の手動操作への切り替えは、変針中は即座に行わなければならなかった。そのままでは射出機が高速で旋回して操作員が取り付くこともできなくなるからだ。
僅かに駒形大尉が目を離していた間も順調に噴進弾は飛翔していた。これまでの発射実験結果から、噴進弾に不具合が発生する場合その大半は発射直後に発生していたから、初陣にも関わらず噴進弾はうまく作動してくれたようだった。
その噴進弾を追いかけるように、射撃指揮装置と誘導装置もそれぞれの位置で急速に旋回したように見えているはずだが、実際には前後関係は逆だった。
四七式射撃指揮装置に搭載されている射撃管制用の電探には追尾機能があった。要は、子供が蜻蛉を捕まえるときに指で目を回させるように、電探空中線を螺旋状に旋回させるようにして最も反応の大きい箇所に動かしていくという原理らしい。
実際には、対水上捜索の場合は背後の雑音などをいかに影響しないように操作するのかといった問題があるらしいが、八雲の中でも電子兵器に習熟した手練の操作員を配置したマスト上部の四七式射撃指揮装置は微動だにせずに敵艦への照準を続けていた。
同時にそれと連動した誘導装置が発する電波に導かれるようにして、噴進弾は闇を切り裂きながら飛翔していった。
それまでルソン島の海岸線に潜んでいた八雲は、自位置を暴露しながら西に艦首を向けて敵艦隊の前に船体側面を晒していた。次弾が発射されるとすれば側面に向けられる事だろう。
だが、その頃には八雲の周囲でも連続して大きな動きが起こっていた。最初に回頭したばかりの八雲の舳先を掠める勢いで次々と噴進弾が南へと飛び去っていったのだ。
報告を待つまでもなく、後続する利根と筑摩も一斉に噴進弾を放っていた。だが、その数は2隻合わせて8射線と八雲を圧倒していた。
だが、2隻から放たれた噴進弾が行先では、早くも敵艦隊による対空射撃が開始されていた。
八雲型重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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