1951フィリピン上陸戦15
中央指揮所の艦長席に陣取った村松大佐は、態勢表示盤を見つめながら自分が指揮する八雲周辺の状況を脳裏に思い浮かべようとしていた。
ルソン島の北端を回り込んで南下を開始してから随分と時間が経った気がしていたのだが、実際にはそれほどの距離ではなかった。全艦隊の先頭を行く八雲は、ルソン島西岸を左手に見ながらひたすら南下していた。
だが、八雲の姿を思い浮かべようとした村松大佐は、ふと矛盾に気が付いていた。艦内奥深くにあって更に厳重に水密扉を閉鎖されていた中央指揮所は、遮光の必要もないことから室内は蛍光灯で照らし出されていた。
だが、気象情報や今日の月齢からして今の八雲を照らす光はごく薄い筈だった。淡い光に包まれた八雲はシナ海を驀進しているはずだが、戦闘配置が発令されてから中央指揮所に籠もり切りである村松大佐には、その姿を客観的に想像するのは難しかった。
「この米艦隊は、先遣隊である第5師団の上陸を我が主力によるものと考えて出撃してきたのでしょうか……」
艦長に中央指揮所指揮官の座を追われた戦術長が、村松大佐の脇で態勢表示盤を見つめながら首を傾げていた。大佐も少しばかり考え込む素振りを見せたが、すぐに首を振っていた。
「その可能性は低いだろう。ルソン島北端から中央部の首都マニラまでは四百キロ近く離れている。その上、米国によって行われている交通網の整備はマニラ周辺に集中しているらしい。
陸軍主力の上陸地点も、最終的には付近に鉄道が敷かれているから選択されたのでは無かったかな。尤もマニラから北方の路線はそこが終着点近くだという話らしいが……
とにかく、北端のアパリから四百キロもの後方連絡線を維持するのは、現地の交通網が使用できないのであれば我が陸軍の全力を上げる必要があるだろう。
それ以前に上陸地点……アパリ港湾部の規模からしても大部隊の兵站を維持するのは難しいのではないかな。その程度のことは米軍だって承知している筈だろう」
「しかし、先の欧州大戦における北アフリカ戦線では、陸路を使った補給線で英独が大規模な機動戦を演じたと聞いていますが……」
思案顔でそう言った戦術長に、最初は巡洋艦の通信長として、後半は艦隊参謀として間近で行われていた北アフリカ戦線の様子を見聞きしていた村松大佐は苦笑を返していた。
「確かに北アフリカ戦線が盛んだった時期には百キロ単位で部隊が移動したものだが、陸上に設定された補給線の他に海岸線に点在する港湾都市に危険を犯して寄港した船団から送り届けられた補給があったのも無視できないだろう。我が国が参戦した後は制海権は国際連盟軍側に傾いていたからな。
それに北アフリカの海岸線沿いには地中海文明が幾世代もかけて作り上げた通商路だという街道が存在していた。我が国の東海道やら中山道に相当するようなものとでも考えればいいのか……そんな街道が昔から整備されていたのだから、妨害さえなければ陸上交通でも大量の物資を運べたはずだ。
だがな、長い間スペイン人が支配していたとはいえ、フィリピンの都市間を繋ぐ道路網がそれほど整備されているとは思えんな」
そう言いながら村松大佐は中央指揮所に掲げられていたルソン島の地図で北部を示していた。そこには盆地に築かれたいくつかの都市が記載されていたが、険しい山脈に遮られて交通路が貧弱な箇所も少なくなかった。
「米統治下の街道も、マニラ周辺以外は未整備か貧弱な規格でしかないのは航空写真でも確認済だ。それに現地の人間が島内を縦横無尽に行き来する需要があるとは思えない。
戦術長、知り合いの陸さんから聞いたんだが、我が陸軍の機動歩兵師団というのは、湯水のように大量の物資を消耗する大規模な戦闘が無かったとして、つまりそこらでただ野営しているだけでも五百トンもの物資を消費するんだそうだ。
そんな大量の物資を百キロ、二百キロという長大な距離を輸送する手間暇を考えてみたまえ。貨物船なら20人かそこらの乗員の船でも輸送出来る量だが、これを陸路で運ぶとなると大変だぞ。
目の前にいれば怪物のように見える5トン積みあたりの自動貨車でも、最低百人の運転手が必要というだけでも不経済の極みだな。第一、全部が全部を自動貨車で運んでいては自動車自体が際限なく燃料を食ってしまうだろう。
フィリピンの現地で輸送手段を徴用出来たとしても大半は馬匹に限られるだろうから、今更秣を運び込むわけにもいかんしな……」
そこで村松大佐は視線を地図から手元の書類に落としていた。台湾方面軍に配属された各部隊の戦闘序列を眺めながら大佐は続けた。
「満州共和国軍あたりの一般師団ではまだまだ馬匹がいるだろうが、満州が送り込んできたのは前大戦でも欧州に派遣された精鋭の第10師団だから機械化率では我が機動歩兵師団に匹敵すると考えていいだろう。
現実的には百キロ程度なら師団自前の輜重兵連隊で輸送出来るかも知れんが、物資の積み下ろしを行う港湾部から前線近くの兵站地までは輸送力を強化するために最低でも軽便鉄道を敷設するか、大規模な方面軍直轄の独立輜重部隊を送り込まなければ輸送も出来ないだろう。
昼間の艦砲射撃中に艦橋から上陸地点の周りを見てみたが、実際には後方連絡線に使えるような道路自体を新たに建設するところから始めないといけないのではないかな。現地の街道が自動車交通を考慮して最初から建設されているものばかりとは限られないからな。
勿論建設した道路に大重量の物資を通すならば、輜重部隊だけではなく補修や維持に工兵部隊を後方に残しながらの進軍となるだろうが……陸軍さんも、米軍も未開の土地で何百キロも離れて大規模な陸戦を行うことは想定していないだろう」
村松大佐の説明自体には戦術長も頷いていたが、更に疑問を口にしていた。
「そうだとすると、なぜ米軍はこの瞬間を捉えて仕掛けてきたのでしょうか。昼間に偵察機が発見した数からして、これはマリアナ諸島の戦闘に抽出されなかった米アジア艦隊の全力出動ではないかと思われます。
しかし、米軍側から見れば先遣隊の迎撃に中途半端に残存艦隊を投入するよりも、戦力を温存して近い将来におけるわが軍の主力上陸を阻止した方が効果は上がるのではないですか。
その頃にはマリアナ諸島の残存艦隊も再編成出来るでしょうから、我が方を挟み撃ちできると考えてもおかしくは無いと思いますが」
「だが、マリアナ諸島の米艦隊が動かせるようになる頃には、硫黄島沖まで後退した第11分艦隊の残余も再編成と母艦乗り込み航空隊の入れ替えが済んでいるのではないかな。連中からすれば横合いから我が海軍の主力と思われる第11分艦隊に襲われるのを警戒しているのかもしれん……
それに今回の上陸作戦に合わせて、大西洋でも遣欧艦隊を始めとする艦隊がカリブ海の奪還に見せかけた陽動を掛けているはずだ。
米海軍のアジア艦隊や太平洋艦隊の指揮官連中の思惑は分からんが、米国政府からすれば本土から遠く離れたフィリピンの防衛よりも、米国中枢に隣接する大西洋情勢の方が切実な問題ではないか。
大西洋には遣欧艦隊の信濃と周防の2戦艦がまだ配属されているが、これに再建中の英仏艦隊を加えれば米国政府には大きな脅威となるはずだ。少なくとも大西洋艦隊配属艦のこれ以上の太平洋回航は阻止できるというのが統合参謀部の判断らしい。そうなれば残存する太平洋艦隊は早々には動かせまい。
何れにせよここで米艦隊の思惑を考えても、大きな意味はない様に思えるが……とにかくここで我々は目前の艦隊を叩くしかない。逆に相手からすればここでルソン北端の我が橋頭堡を叩かねば、航空基地を開設されていずれはマニラ湾で待機中の艦隊も行動不能になると考えたのではないかな……」
「結局、目前の艦隊の主力であるアラスカ級を沈めない事には我々も今後うまく行かないということですか……それでは艦長はこのまま中央指揮所で指揮を取られるのですか」
戦術長が本当に言いたかったのはこれなのかもしれない。そう考えた村松大佐は頷きながら言った。
「戦術長には悪いが、最新鋭の機材が集まっているからここが一番情報が入るからな。偶然だったのだろうが、艦政本部が主導した改装工事の時期は本艦にとって幸運だったのかもな。
勿論、改装工事の実施は例の新兵器があってのことだろうが……」
村松大佐は、連合艦隊に八雲が編入された当時の改装工事で中央指揮所に転用されていた艦載機格納庫のことを思い出していた。
主砲発令所を改装した今の八雲中央指揮所に比べれば格納庫を転用した指揮所の方が床面積は確保されていたのだが、機材が洗練された為か移設後の中央指揮所も息苦しさは感じなかった。
あるいは、現在の中央指揮所が主防御帯の内側に収まっている事が、配置についた将兵に安心感を与えているのかもしれなかった。この場所であれば8インチ以上の大口径砲弾が直撃でもしない限り一挙に機能の人員を失うようなことはないはずだった。
ただし、今回の中央指揮所の移動工事は、各種指揮機材を撤去された格納庫がある意味で元の用途に戻されたからでもあった。戦闘配置がかけられた時点で格納庫から引き出された1基目は射出機上に収まっていたのだ。
しばらく戦術長は口籠っていたが、意を決したのか村松大佐にだけ聞こえる様に小声で続けた。
「本艦の現在位置はルソン島の海岸線に近すぎるような気がしますが、本当に艦橋は……操艦は航海長に任せてよろしいのですか」
声にならない疑惑の色を感じ取った村松大佐は、眉をしかめて一旦目を閉じていた。まだ航海長に不信の念を抱くものがいることは分かっていた。そもそも異例中の異例である配置なのは間違いないのだ。
「これまで本艦で行われてた実験の結果から、海岸線……というよりも陸地を背負った場合、地形からの電波反射が発生して欺瞞効果が発生することは戦術長も理解しているな。
この辺りの海岸線は崖を背負っているから効果は大きいはずだが、海岸線に近い程効果は大きいはずだ。それに航海長……栗賀少佐以上にこの八雲の操艦に慣れた人間はいない。それも戦術長は理解していると思うが……」
渋々といった様子で戦術長が頷いたのを見ながら、村松大佐は内心ため息をついていた。同時に大佐は僅かに皮肉げな笑みを見せていた。帰化した元ドイツ海軍軍人である栗賀ことクリューガー少佐を八雲航海長として迎えるという話を初めて聞いたときは、他ならぬ大佐自身も同じ様に考えていたからだ。
「君の不安も分からなくはないが、航海長の人事は前任艦長の吉野大佐が骨を折ったものだからな。帰化した人間を佐官待遇で迎えるのも、お抱え外国人がいた頃の例まで探してきたほどだ。
それに、この人事は分艦隊の伊崎司令長官も承認されている。吉野大佐とは旧知の仲らしいが……いずれにせよ、そうした伝手を辿って法的には認めさせたんだ。
これは異例の人事である事くらいは戦術長も分かっているだろう。栗賀少佐が他の艦に転出することはありえない。八雲の航海長という縛りで認められた栗賀少佐は、この艦が廃艦となるか、沈められるまで航海長を務め続けるしかないんだよ」
―――あるいは、八雲が元のプリンツ・オイゲンの名を取り戻すならば、栗賀少佐も元の名前を取り戻して艦長あたりになれるのかもしれないが……
村松大佐はそう考えたが、口には出せなかった。それよりも早く逆探についていた兵が声を上げていたからだ。
「ようやく来たな。やはり米軍も盛大に電探を使用してきたか。この角度なら、まだ敵電探はこちらを探知していない筈だな……」
村松大佐が言い終わる前に、今度は南方から接近する敵艦の姿を八雲の電探が捉えていた。北東から南西に向けて敵艦隊を見る八雲の電探表示面は、シナ海の海上に鮮明に目標を見せていた。
「よろしい。射撃指揮所の水雷長に連絡、中央指揮所指示の電探探知目標に照準、射撃は水雷長に任せる。続いて艦橋伝令、航海長に誘導噴進魚雷発射後に右舷回頭、方位270に変針しろと伝えろ。本艦で敵艦隊の頭を押さえつつ次弾装填の時間を稼ぐぞ」
俄に慌ただしくなった八雲の中央指揮所の中で、村松大佐は態勢表示盤を見つめながら八雲の姿を想像し続けていた。
八雲型重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cayakumo.html
信濃型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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