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1951フィリピン上陸戦10

 最低限の機能を発揮させるために用意したものだから、設備は急ごしらえの上にやたらとやり辛い配置だった。駒形大尉は重巡洋艦八雲の魚雷指揮所で険しい表情を浮かべながらずっとそう考えていた。

 駒形大尉や部下の水雷科下士官兵は、砲術科員の鋭い視線に晒されていた。八雲の魚雷指揮所は、砲術科の領地である射撃指揮所の片隅に設けられていたからだった。



 駒形大尉が水雷長として乗り込む八雲は、元々日本海軍が建造した艦では無かった。ドイツ海軍の重巡洋艦プリンツ・オイゲンを戦利艦として受け取った日本海軍が改造工事を行った上で艦隊に編入したものだったのだ。

 だが、今でこそ半ば最新機材の実験艦として徹底した改造を受けた八雲だったが、戦利艦として受け取った当初は日本海軍ではこの艦を持て余し気味だった。

 ドイツ海軍最新の重巡洋艦として喧伝されていたアドミラル・ヒッパー級だったが、休戦後に明らかとなった正確な諸元は海軍関係者の予想を裏切るものだったからだ。


 軍縮条約の制限に準じながらも優れた技術で軽量化を成し遂げたはずの船体構造は、密かに一部の造船関係者が戦時中から試算して弾いていた通りに単に条約制限を大きく上回る排水量を増加させていただけだったのだ。

 実のところ日本海軍でも排水量に関しては多少の条約違反がないとは言えなかったのだが、ドイツ海軍のそれは単なる計算違いなどで済ませられる範囲を大きく超えていた。


 条約制限を超越した排水量は、設計当初から意図したものでは無かった。その証拠に、一部の大型艦などでは排水量の増大で喫水が計画時よりも沈み込んでしまったことから、本来は喫水線上に命中した敵弾を食い止めるはずの垂直装甲が海中に没してしまっていたのだ。

 排水量が過大となった原因は、第一次欧州大戦以後の制限によってドイツ海軍の大型艦建造技術が途絶していたことに加えて、漫然と新技術を実証もなしに投入していった為ではないか。

 あるいは、建造計画時のドイツ海軍では各部署からの要求をまとめる強い指導力がドイツ海軍の艦政関係者に不足していたのかもしれなかったが、ドイツ海軍の組織上の調査はさほど進んでいなかった。


 アドミラル・ヒッパー級に限らずに、大戦中に投入されたドイツ海軍の大型艦は対空火力の安定化が図られていた。他国海軍では左右舷方向の動揺に対してのみ行われていた安定化が船首尾方向を加えた3軸安定化がなされていたのだ。

 しかも、この安定装置は小は高射装置や探照灯から、大は大口径の高射砲に至るまで取り付けられていた。それだけを聞けばドイツ海軍の先進性という話になりそうだったが、実際には適用範囲の広さに反して信頼性が低く実戦では容易に故障していた。

 万事がこのような調子であったから、技術的な調査対象とはなっても、戦利艦を日本海軍の実戦部隊である連合艦隊に編入して長期的に運用するのは難しいと当初考えられていたのも当然だった。



 連合艦隊司令部の意向に反して八雲が正式に艦隊に編入されたのは、本を正せば第二次欧州大戦中に中立を保っていた米国で大量の巡洋艦が就役していたからだった。

 従来艦隊の中核戦力だった巡洋艦戦力の充実が、大戦で疲弊した日英など国際連盟側にとって大きな脅威と映っていたのだ。


 この巡洋艦戦力の不均衡に衝撃を受けたのは、実際に彼らと相対する海軍よりも議会の方だった。

 帝国議会は海軍に八雲の戦力化を要請したのだが、実際に行われた改装計画は終戦後の軍政改革の中で誕生した兵部省の下に集約された各研究所の意向が強く働いていた。ドイツ海軍時代の姿で一通りの試験を終えた八雲は、徹底的に装備を引き剥がされていたのだ。

 最初に主砲である8インチ砲が廃棄されていた。どのみち砲弾や砲身を製造していたバルト海に面するドイツ海軍の工廠や企業はソ連占領下にあるのだから、試験射撃を終えた後は使い道もなかったのだ。

 主砲は弾薬庫や旋回装置などに所要の改造工事を行って同級の日本海軍重巡洋艦が主砲としていた三年式20センチ砲に換装されていた。実際には正8インチの20.3センチとなる主砲自体は日独間に大差は無かった。

 アドミラル・ヒッパー級の主砲は60口径とされていたが、日独間では砲身長の計測点が違っていたから50口径の三年式二号砲と外寸上も差異は小さく、砲塔ごと入れ替えた改装工事は限定されたもので済んだのだろう。



 艦隊側は、当初八雲はこの程度の改装でお茶を濁すものと考えていた。議会対策で連合艦隊に八雲を編入したものの、残りの艦歴は練習艦とでも運用すれば良いと判断していたはずだ。

 流石に主砲が使い物にならないのでは練習艦としても運用は難しいが、航行さえ可能ならば大戦で消耗した練習巡洋艦の代わりくらいにはなるだろうからだ。

 ところが、軍縮の気配が感じられる中で、むしろ大戦中に構想、計画された新技術を実証する実験艦を欲していた兵部省の研究部門では予想外の改装計画を立案していた。


 八雲は主砲に引き続いて各種対空兵装を取り外されていた。小口径高角砲のような明らかに使いみちのないものは勿論、高射装置に至るまでが信頼性の低い安定化装置ごと撤去されていた。

 その一部は研究の為に持ち去られていたのだが、この撤去作業で重量のある対空火力周りがなくなると八雲の喫水線は目に見えて下がっていた。日本製の高射砲や高射装置を積み込んでもまだ排水量には余裕があったのだ。

 この余裕を利用して八雲には各種の新機材が積み込まれては試験を行われていた。日本海軍にとっては久方ぶりに取得された外国産の大型艦であるにも関わらず、試験航海と改装工事が連続した八雲は平時におけるものとしては稼働率が高かったほどだ。



 八雲で試験が行われた中には、今後の日本海軍では必須の装備となるだろう四七式射撃指揮装置のようなものもあったが、水雷科の装備はその中では不遇をかこっていた。

 そもそも、日本海軍は第二次欧州大戦で得られた戦訓から従来よりも雷装を軽視するようになっていたから、対空火砲と違って同時に撤去された魚雷発射管の代わりとなる機材は長く搭載されなかったのだ。


 日本海軍が開戦前までとは違って雷撃という攻撃手段を軽視し始めた切っ掛けとなったのは、海空における参戦直後の戦闘経緯があった。

 間接的な理由ではあったが、ルーマニアのプロエスティ油田地帯への爆撃では従来長距離攻撃の要であった陸上攻撃機部隊が大きな損害を受けていたのだ。

 重量のある魚雷を装備して大遠距離の敵艦を叩くはずだった陸上攻撃機は、実際には迎撃網に突っ込ませるには防御が心もとない歪な機体でしかなく、装備が充実した陸軍の重爆撃機と比べるとあまりに脆弱であると捉え始められていた。

 爆撃作戦に投入されていた一式陸上攻撃機は、その後はその航続距離を活かして専ら対潜哨戒機として運用されていたのが日本海軍の同機への評価を示していたのではないか。



 航空雷撃ではなく、水上戦闘でも同時期に雷撃の実用性を疑わせる戦訓が得られていた。マルタ島をめぐる戦闘で独伊仏3ヶ国と日英の大規模な艦隊が夜間に交戦に及んでいたのだ。

 この戦闘において、日英海軍は戦前に想定されていた通りに部隊を二分していた。戦艦群とその護衛が敵主力を引きつけている間に、反対側から密かに接近した水雷部隊で遠距離隠密雷撃を敢行しようとしていたのだ。


 ところが、水雷部隊の襲撃は中途半端なものとなった。当時から列強各国の海軍はある程度の性能を有する電探を搭載していたから、夜闇に紛れるはずだった水雷部隊も長距離から発見されて迎撃を受けたからだ。

 敵主力艦への射点にたどり着くことも出来ずに、有力な迎撃部隊との交戦で魚雷を使い果たした艦は少なくなかった。しかも、独伊仏の軽快部隊を突破した水雷部隊による雷撃も最大射程近くという腰の引けた攻撃となり、発射数に対して命中弾は少なかった。


 日本海軍は高速、長射程の酸素魚雷を実用化していたのだが、この時は態勢が悪かったと言えるだろう。敵艦隊から分派した迎撃部隊によって押し出された水雷部隊は、敵主力と自軍主力を結ぶ先からの雷撃を行っていたからだ。

 長射程の酸素魚雷を敵艦隊に肉薄して発射した場合、敵艦に命中しなかった魚雷がそのままの針路を保ったままであれば砲撃中の友軍戦艦の隊列を襲いかねなかった。誤射を恐れた水雷部隊は友軍を射程に収めない様に遠距離雷撃を行ったことが魚雷命中率の低下に繋がっていたのだろう。



 これらの戦闘による戦訓がもたらした影響は大きかった。

 実際には長距離からの隠密雷撃が非実用的ではないかという疑いは以前から出ていた。水雷科将校が主導する形で次世代型駆逐艦の試作艦として計画していた丙型駆逐艦の島風は、予備魚雷を廃して一度の肉薄雷撃で全魚雷を発射するというある意味で一世代前の戦術に戻るはずだったのだ。

 ところが雷撃という攻撃手段そのものが疑問視されたせいで、水雷科期待の雷撃艦となるはずだった島風は、その姿を計画時とは大きく変えて就役していた。


 大型駆逐艦として計画されていた島風は、対空巡洋艦に準じた駆逐艦に搭載されるには大きすぎる大型電探を備えた哨戒艦として艦隊に就役していたのだが、その代わり五連装発射管を三基も備えて15射線を同時発射するはずだった雷装は僅か1基5射線しか残されていなかった。

 駒形大尉が、水雷科将校が憧れていた島風に当時新米の中尉ながら水雷長として着任したのも、その様な雷撃戦能力であれば新米中尉でも務まると軽視されていたからだったのだろう。



 影響は水上艦隊だけではなく航空隊にも及んでいた。低空低速で敵艦に肉薄しなければならない航空雷撃が疑問視されていたものの、それに変わる攻撃手段は模索され続けていたからだ。


 電探技術の飛躍的な進化だけではなく、八雲に搭載された四七式射撃指揮装置に結実したように射撃指揮関係技術の発展が戦艦や巡洋艦主砲の長距離砲撃における精度を向上させていたのだが、大戦で疲弊した国際連盟勢力よりも中立を保っていた米国海軍の方が結果的に大型艦の保有数は増えていた。

 結局は何らかの手段で敵主力を削り取らなければ艦隊決戦は一方的に不利となる事が予想されたのだが、米海軍の主力に辿り着くには膨大な数の米巡洋艦を突破しなければ不可能であり、その手段が航空攻撃となるのは間違いなかった。

 航空兵装も決め手を欠く状況で様々な手段が模索されていたが、その母機側はそれに振り回されていた。結果的に大戦後期に就役した四四式艦攻は特定の兵装に縛られることなく設計する為に爆弾倉を廃するというある意味開き直った戦闘機の様な姿となっていたのだ。



 こうして一撃必殺の威力を持つはずだった魚雷は海軍部内で軽視されていったものの、艦隊勤務の水雷科将兵が暇になっていったわけではなかった。むしろ第二次欧州大戦の期間中を通じて水雷科程に任務の変容と規模の拡大を経験した兵科は存在しなかったと言ってよかったのではないか。

 水雷科の職務は大戦中に大きく変化していた。従来は余技扱いだった対潜戦闘に関わる負担が拡大し続けていたからだった。

 大戦中盤以降は、大規模な水雷部隊が一斉に雷撃を敢行しなければならないような有力な敵艦はその大半が沈むか出撃を避けるようになっていたから、艦隊型駆逐艦の任務は友軍大型艦の護衛ばかりになっていた。

 しかしながらその一方では船団護衛部隊に続々と駆逐艦級の護衛艦艇が配備されていったのだ。


 長距離護送船団に配備された護衛艦艇の主力となったのは、量産型駆逐艦とも言える松型駆逐艦だった。松型駆逐艦の雷装はそれまでの陽炎型などと比べると貧弱だったのだが、対潜兵装は充実していた。

 開戦当初に日本海軍が装備していた対潜兵装は第一次欧州大戦当時とさほど変わらない爆雷投射機や爆雷投下軌条しかなかったのだが、前方投射可能な散布爆雷や、音響追尾式の魚雷である機動爆雷など大戦中に追加搭載されていった新兵器は少なくなかった。

 大戦中の日本海軍水雷科将兵はその様な多岐にわたる対潜兵器を駆使してドイツ海軍潜水艦から船団を護衛する形で激戦を繰り広げていたのだ。



 ただし、対潜戦闘が重視されていったのは、小回りが効く護衛艦艇ばかりのはずだった。本来であれば護衛される方の大型巡洋艦には禄な対潜兵装は積み込まれなかった。

 改装された八雲もそれは同様であり、魚雷発射管を撤去した後も水雷長に留まっていた駒形大尉は肩身の狭い思いをしていたのだが、それがこの戦闘で大役を任される事が分かったのはつい最近のことだった。

八雲型重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cayakumo.html

島風型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddsimakaze.html

四四式艦上攻撃機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/b7n.html

松型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddmatu.html

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