1951フィリピン上陸戦9
実質的にはアブドラー達はムスリムで構成された傭兵団だったのだが、ホロ島への上陸作戦では表向きはスールー海の虎と呼ばれる彼らこそが主力と言うことになっていた。つまり今回の作戦は、開戦に伴って再度激化したスールー王国復興運動という建前だったからだ。
重車両は後続する貨物船に載せられていたが、組織の主力は銀河丸に乗船していた。アブドラー達スールー海の虎に与えられた兵器はこれまでより格段に強力なものだったのだ。
それに組織の構成員達は、手にした小銃の使い方や分解法、近代的な歩兵戦術などを短時間の内に叩き込まれて一端の兵士に全員が再教育されていた。
これまでスールー海の抵抗運動に対してはアブドラー達自身が教官となって銃の使い方を教えていたのだが、作戦前に行われた訓練内容に比べればあの時の教練など遊びのようなものだった。
ただし、銀河丸に乗船しているのはアブドラー達スールー海の虎の構成員だけでは無かった。むしろこの船に乗り込んでいるのは寄せ集めとも言える集団だった。共通点を見つけ出そうとすれば、いずれも社会から外れたはぐれ物だということだろう。
アブドラー達から隔離されるように船首側の居住区が与えられたのはドイツ人傭兵だった。アブドラーも欧州のことはよく知らないが、ドイツ本国は敗戦時の大疎開と北東部の大部分をソ連軍に占領されたことで膨大な数の難民が発生しているらしい。
以前からのドイツは首都ベルリンを追われてもベルギー国境近くのボンに遷都していたのだが、彼らに残された南部の領域だけでは国内で発生した膨大な数の難民を収容することは到底不可能だった。
開戦時の経緯などから周辺諸国からも難民の受け入れを拒否されたドイツ人たちは、国際連盟と敵対関係にある上にソ連の友好国である米国にも逃れることは出来なかった。
白人人口の増大を望むオーストラリアや南アフリカなどはドイツ系住民の受け入れを行っていたが、アルゼンチンなどと並んでオランダ領東インドなどに移住するドイツ人も少なくなかった。
だが、オランダ本国よりも移住の条件が緩やかなオランダ領東インドに逃れてきたドイツ人の中には、単に戦犯指定を避けるために移住した元親衛隊やナチス党の関係者も少なくない、という噂があった。
何年か前にはイタリア王国などから手配されていた親衛隊の大物が逮捕されたという話も聞いていた程だ。
その様な素性の怪しげな移民をオランダが受け入れたのは、第二次欧州大戦中から始まった周辺諸国の独立に感化された東インド諸島の治安悪化に対抗するためにドイツ人達を投入するためだったのではないか。
オランダ領東インドへの入植開始と同時に、ドイツ人を主力とする自警団が編成されていた。建前は移民たちが自発的に組織した自衛組織ということだったが、実際には本国の財政状況から大部隊を投入できない現地軍を補完する傭兵団だったのだ。
しかも、治安維持に用いるには、何世紀かぶりに編成されたドイツ人傭兵団はあまりに物騒な存在だった。中には戦犯に問われるのを恐れて部隊ごと移住した武装親衛隊の部隊もあったらしい。
彼らは戦時中にオランダ軍に供与されていた日英製の兵器を手にすると、自警団の名とは裏腹に現地の独立運動を叩き潰すために積極的な索敵殲滅戦に乗り出していた。
戦意が低く、オランダ領東インドの総督府があるバタヴィアなどの拠点から出撃する機会の少ないオランダ正規軍よりも、ドイツ人自警団の方が主力と考えても良かったのではないか。
アブドラー達ムスリムからすれば、ドイツ人自警団の成れの果てであるドイツ人傭兵達は不倶戴天の間柄だとも言えたのだが、ドイツ人自警団の戦闘能力がどれだけ高くとも情勢を捻じ曲げるだけの力は無かった。というよりも歴史の流れを変えることは誰にも出来ないというべきだったのかもしれない。
火力と練度で独立運動を押し留めようとしたドイツ人自警団は、彼らを上回る組織力を持った支援者と、住民の広範な支持を受ける独立派の勢いを止めることは出来なかった。
それ以上に独ソ戦で行われた残虐行為を東インド諸島の独立派索敵殲滅戦で繰り返したドイツ人自警団の活動は、周辺諸国のみならず日英露満など国際連盟有力国からの国際的な非難の対象となっていたのだ。
国際世論に押されたというよりも、治安維持費の莫大な増加に音を上げたオランダ領東インド総督府は、本国の了解の下にアチェなどの独立を認めてジャワ島やパレンバン油田などの確実に利益が出る要地に撤退していった。
多くのドイツ人自警団も入植地ごとジャワ島などに後退していったはずだったが、あまりに問題が多い部隊はそれも拒否されてマラヤ連邦などに独立傭兵として逃れていったらしい。
銀河丸に乗船したドイツ人傭兵達も元は自警団さえも弾かれた者たちらしい。練度は高いという話だったが、どれだけ戦力になるかは分からなかった。アブドラー達と違って金で雇われただけだから不利な状況になれば容易に戦意を喪失してしまうかもしれない。
それ以上にオランダ領東インドでドイツ人自警団が行ったような残虐行為を彼らが行えば、戦闘には勝利したとしても作戦は瓦解してしまうはずだった。上陸地点であるホロ島を警備しているのは現地人で構成されたフィリピン師団だったから、必要以上の殺傷だけでも地域住民の離反を招くのは必然だった。
ところが、アブドラー達スールー海の虎とドイツ人傭兵に挟まれるように中央楼の居住区があてがわれた傭兵団は、ひどく楽観的な集団だった。その傭兵を率いる厨川少佐は他のものほど陽気ではなかったが、戦闘の推移そのものには不安をいだいていない様子だった。
厨川少佐率いる部隊は奇妙な集団だった。厨川少佐は明らかに日本人なのだが、日本軍の軍衣ではなくアブドラー達の様に現地民の服を着込んでいた。正規軍ではなくこの部隊は傭兵に見せかけていたのだが、愚連隊的な態度とは裏腹に彼らの練度は高かった。
実質的にアブドラー達を含む雑多な戦闘団を率いているのは厨川少佐だった。偽装戦闘艦である銀河丸の船長はもっと高位なのかもしれないが、銀河丸や後続する貨物船を含めた集団を統率できるのはこの怪しげな男だけだった。
厨川少佐は、現地民のように見せかけた服の上から無造作に拳銃や弾薬を吊った弾帯を付けていたのだが、他のものとは違って負革には小銃や短機関銃ではなく一振りの刀が吊るされていた。
単なる指揮刀などではなかった。その証拠に、アブドラー達には傍若無人に振る舞うドイツ人共が刀を背負った厨川少佐の姿が見えた瞬間に蛇に睨まれた蛙の様に大人しくなっていたからだ。
厨川少佐達によって行われる作戦の内容は、かつてスールー王国の首都が置かれていたホロ島の奪取だった。米国統治の初期において発生した抵抗運動でも拠点となっていた為に米軍によって徹底した弾圧を受けたらしい。
勿論、現地民の記憶にも米国の容赦のない戦闘様子が残っているはずだから、現地守備隊を叩いた後は住民の支持は受けやすいはずだったのだが、今回の作戦には長期的な占領の計画は無かった。
部隊の攻撃発起点となったのは英領北ボルネオだったが、英米間に宣戦布告がなされた後も両国共にスールー海周辺の防備強化はおざなりなものだった。だから本格的な攻勢作戦の拠点とはなり得なかったのだ。
広大なボルネオ島はブルネイ王国、サラワク王国、英領北ボルネオとオランダ領東インドの一部に分断されていたのだが、未だに各島の独立運動を相手にするので手一杯のオランダ領は勿論だが、何れの勢力も米国に対抗する力はなかった。
サラワク王国などは動員体制をとっていたのだが、元々同国は国土面積の割に人口が少なかったから、正規軍を総動員しても沿岸の防備を固めるくらいのことしかできなかった。
ブルネイ王国や英領北ボルネオも事情は同様だった。この方面の英国軍は香港及びシンガポールといった航路の中継点となる箇所に集中していたが、彼らもその拠点を警戒する程度の戦力しか無かった。
対する米領フィリピンも、人口が集中するルソン島やミンダナオ島などの防衛に手一杯で到底英領まで侵攻する余裕はなかった。米本土の内懐とも言えるカリブ海で積極的に英仏領の奪取を実行しているのとは大きな違いがあった。
スールー海では、お互いに戦争準備など整っていないのだから、散発的な襲撃は可能でもその後の補給が続かなかった。米国にとってもフィリピンは補給線の限界点にあったのだ。
英領北ボルネオからホロ島までは、銀河丸の行程でもほぼ丸1日の航海だった。その間も上空援護は期待できなかったから徹底した事前の捜索と偽装でやり過ごしていたのだが、そんな変則的な作戦が成立するのは最初の奇襲攻撃だけだ。
のんびりと後続の補給船団を繰り出しても攻撃対象になるだけだろうし、そもそもこの方面に展開できる高速補給船にも余裕は無かった。結局は銀河丸に満載された物資を使い果たした時点でアブドラー達も撤退することになるのではないか。
食糧ぐらいは現地調達出来るかもしれないが、米領フィリピンでも辺境である上に僅か半世紀前の弾圧で大きく人口を減らしたはずのホロ島では余剰生産量がさほど多いとは思えなかった。
結局、スールー王国復興運動は建前でしかなかった。今回のホロ島奪還は日本軍の戦略、その歯車の1つに過ぎなかったのだ。しかも、ホロ島を一時的に奪取する事が日本軍にとってどのような利があるのか、それ自体もアブドラーには分からなかったのだ。
ところが、いい機会とばかりに銀河丸の船尾楼でアブドラーがその事を質すと、厨川少佐はあっさりと言った。
「悪いが俺も知らないな。俺が聞いていたのは独立運動を支援しろと言うことだけだ。その為に君達を鍛え上げたのだと思ったが……
歯車と言う事なら、俺達だって変わらんよ。君達よりももう少しばかり深い所にいるのは否定しないが、実施部隊に全てが教えられることなど無いと考えるべきだな」
厨川少佐の冷やかな調子に絶句しているアブドラーに少佐は続けた。
「悪いが俺はあの問題児共を仕切るので手一杯でね。だが、結局俺達は否応なく日本人なのだな。それを捨て去ることは出来ないんだ」
「それではまるで呪いではないか……」
アブドラーの不満げな声に厨川少佐は苦笑を返していた。
「言っておくが、俺も十年程前にあの問題児共のお守りを押し付けられてからは裏稼業の毎日でね。日本に帰国したのも数える程度だ。これでは俺ももう奴等の一族のようなものだが、それでもこうしてお偉方の陰謀の手先としてあちらこちら走り回らなければならんのだ。
だが、ここは本来は君達の戦場じゃなかったのか」
アブドラーが不承不承といった顔で頷くと、厨川少佐は真剣な顔になって続けた。
「それなら最後まで戦い抜くんだな。君等の戦いはここで終わりではないのだろう。最低限の生き残る術は君等の体に叩き込んだつもりだ。
ここから先、情勢がどう変わるかは分からん。また君達は国際情勢に取り残されるかもしれんのだ。だが、今は君達を利用しようとするものを利用して力を蓄えてはどうかな」
アブドラーは無言で曙光が差し始めていた空を見上げていた。
―――自分達だけの戦いが始められるまで、まだ随分と時間が掛かりそうだ……
死んでいった仲間達にそう語りかけながらアブドラーは空を見上げていた。




