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1951フィリピン上陸戦5

 英領センポルナから出航してスールー海を北上しているのは奇妙な船団だった。先導しているのは一万トン級の大型貨物船なのに、その航跡にしがみつくようにして続航しているのは僅か千トンにも満たない総トン数しかない近距離用汎用貨物船1隻でしか無かったからだ。

 奇妙なのはそれだけではなかった。2隻とも元々の派手な商船仕様の塗装を入念に塗りつぶすようにして迷彩が施されていたのだが、それは速力や針路を欺瞞させるために水上戦闘艦の舷側に施されるようなものとは違って、上空から見たときに森林の一部と見紛う様に主に甲板に塗られたものだったのだ。



 ただし、2隻とも慌ただしく迷彩が施されたものだから塗料は疎らだった。艤装品の稼働部を覆い尽くすほど塗膜が分厚く塗られていた場所もあれば、迷彩色が剥がれかけて元の色が見え隠れしている箇所もあった。

 それ以前に、貿易の拠点としてある程度は整備されていたとはいえ、ボルネオ島北部の英領でも僻地にあたるセンポルナでかき集めた塗料は製造元の統一もされていなかったから、同一色でさえも色味が異なっていいた。

 慌ただしい出航からこれまではこの迷彩が役に立つ事は無かった。フィリピンを飛び回っているはずの米軍の哨戒機に接近された場合は、スールー海に点在する島影に隠れてやり過ごすといういい加減な計画だったのだが、実際にはこれまで哨戒機を船団上空に出迎えることは無かったのだ。


 ただ荷物同然に運ばれているだけのアブドラー達にはどんな技術かは分からなかったが、先導する銀河丸には敵機の存在を感知する術があるらしい。

 それは自ら電波を発振するレーダーでは無かった。そんなものを使えば、相手がまともな軍隊ならはるか彼方から察知されて、ここに不審船がいると告げまわっているようなもの、らしい。

 どんな手段でレーダーを探知するかどうかといったことはわからないが、この辺りを縄張りにする商船がまともなレーダーを備えているとは思えないから、レーダーの使用はむしろ危険なのだそうだ。


 第一、そんな大出力レーダー用の空中線を展開していては、哨戒機ではなくその辺りの住民相手に目立ってしょうがなかった。

 銀河丸という名前だけは仰々しいが、この船の外観は進水してから十年も経っていないはずなのに、みすぼらしい迷彩を除いても既に草臥れた戦時標準規格船にしか見えなかったからだ。

 もしこの船が普段からそんなレーダー用の空中線を立てていたならば、あからさまに密輸船であると証明するようなものではないか。おそらくは米軍機のレーダーを逆探知する空中線も周囲から目立たないように偽装して搭載しているのだろう。



 銀河丸の原型となっていたのは第二次欧州大戦開戦に前後して大量に建造が始められた戦時標準規格船2型の1隻だった。それに続航するのも同じく戦時標準規格船1型の600トン級汎用貨物船にしか見えなかった。

 戦時標準規格船2型は、大型の1万トン級貨物船として計画されていた。独海軍潜水艦隊による通商破壊作戦に苦しめられた第一次欧州大戦の戦訓から、戦時中に大量喪失する船腹を補うと共に、同型船で船団を組む事で船団の大規模化と編隊行動を容易にする為だった。

 厠や給食設備を増設した兵員輸送型や船倉底部の構造を強化した重量物輸送用等の派生型も少なくないが、外観上は汎用貨物船から大きく逸脱したところは無かった。

 というよりも、量産性を落とさないためにも外観を大きく変えるほどの特殊な派生型は許されなかったと考えるべきかもしれなかった。


 そこまで量産性を追求した戦時標準規格船は、何よりもその就役数からなる輸送量によって国際連盟軍の勝利に貢献していたのだが、戦後は早々と払い下げられたものも少なくなかった。

 戦時標準規格船2型の多くは就役した端から日本籍の船会社に運用を委託されていたのだが、特異な派生型ではない汎用貨物船の多くは終戦後に返納されていた。

 船会社にとって余剰船腹となっていたことに加えて、その頃には既に外観的には典型的な三島形貨物船である戦時標準規格船2型を発展させた3型が就役していたからだ。

 戦後における日本船団の貨物船は、終戦間際になって大量建造が開始されたこの戦時標準規格船3型が貨物船の主力となっていたのだ。



 戦時標準規格船2型は、船首尾楼と船橋や居住区を含む中央楼からなる三島形を基本形状としていたのだが、実際には戦時中に起こるであろう金属不足や建造期間の短縮を考慮した設計が行われていた。

 特殊鋼の塊である推進軸の短縮を狙って、主機関を収めた機関室が中央楼ではなく煙突と一体化した船尾楼下部に存在していたのだ。


 出力、重量に比して容積の小さいディーゼルエンジンの採用がこのような変則的な形状の設計を可能としていたのだが、戦時標準規格船2型の運用が開始されてからは更なる構想が持ち上がっていた。

 従来形式船では機関室を内蔵していた中央楼は、2型でも居住区と船橋しか存在していなかったのだが、これを船尾楼と一体化する事で船倉区画の効率化が図れるのではないかというのだ。


 1万トン級貨物船の船倉区画は長大なものだったのだが、これまでは隔壁を除いても巨大な中央楼によって前後が分断されていた。だから居住区や機関室を船尾楼に押し込めて一体化出来れば、船首部分から機関室までの巨大な船倉区画を有効利用出来るはずだった。

 従来は外洋船では船首尾楼の居住区は動揺が大きくなる為に忌避される傾向にあったのだが、船倉区画の効率化という需要と、昨今の商船大型化による動揺の軽減という効果が合わさってこのような船型の採用を可能としたのだろう。


 ただし、船尾楼居住区を採用した戦時標準規格船3型は、従来の三島形船型と比べると高級仕様とも言えるものだった。これまでは機関室や居住区によって保たれていた船体中央部の強度を純粋な船殻のみで負担しなければならなかったからだ。

 それに空荷状態では船首方向の浮力が過大となるから、船倉区画の周囲には吊り合い用のタンクと注排水機構の強化が必要だった。空荷や軽量貨物を搭載している際にはタンクに海水を注入して水平を保つためだった。

 自然と戦時標準規格船3型の船殻構造は特殊鋼や補強材の使用率が高くなっていた。それを上回る程の荷役効率の良さもあったのだが、それを活かせるのは高価な貨物船の購入を楽々と行える大資本の船会社に限られていた。

 逆にその様な進化した設計の戦時標準規格船3型を運航できるならば、旧式な設計の2型を使い続ける意味はないから、余剰船腹の2型を返納しても惜しくはないのだろう。



 最初から意図していたかどうかは分からないが、これは日本人が他国の海運業に仕向けた悪辣な罠なのかもしれなかった。船会社から返納された戦時標準規格船2型は、余剰船として解体されたほか、その少なくない数が再整備の上日本国外へと売却されていったからだ。

 元々、戦時標準規格船は戦時中の利用を前提としていた為に耐用年数などは低く抑えられていたのだが、戦時中に建造された船齢の若い船ばかりだったから、再整備を行えば十年や二十年程度運用し続けることは不可能ではなかった。


 それ以前に欧州を中心とした造船業界をめぐる状況は十年前から一変していた。英国を除く第二次欧州大戦期間中の大半を占領下に置かれていた多くの欧州諸国では造船業は大半が閉業したも同然の状況だったのだ。

 欧州各国の労働力は復興作業に集中して投入されていた。ドイツなどは旧国土の半分以上を占める北東部がソ連に占領されていた為に、とりあえず国民を食わせる為に重工業から農業への転換すら行われていたらしい。

 それ以前に、ドイツの海岸は大半が占領地域に含まれていたのだから造船業の工場自体が無くなってしまったも同然だったようだ。


 しかし、欧州の復興事業自体にも多くの物資が必要だった。復興需要を受けて日本やアジアなどから多くの物資が輸送されていったが、日英などの他に欧州の船会社も自前の船腹量回復が求められていた。

 その需要に対して、優先順位の低い自国造船業の復旧ではなく欧州諸国の船会社は安価に払い下げられていた日本製の戦時標準規格船2型に飛びついていたのだ。


 しかし、船会社が中古船で運行している間に、おそらく欧州諸国の造船業の多くが事業再開の見込みがなく廃業していってしまうのではないか。

 少なくとも戦時標準規格船3型を原型とした次世代の貨物船の建造、運用ノウハウを手中にした日本船籍船に中古船で甘んじた欧州諸国が太刀打ちするには難しい状況が続くはずだった。



 正直に言えば、長い間アジアを散々食い物にしてきた欧州諸国が落ちぶれることなどアブドラーには知ったことではなかったのだが、余剰の戦時標準規格船は東南アジアにも押し寄せていた。

 第二次欧州大戦を契機にしてアジアでもいくつかの保護国や植民地が独立を果たしていたのだが、多くの新独立国には工業力が不足していたからだ。


 植民地に根を張っていた旧宗主国の資本や工業力は、母国復興の為に多くが引き上げていた。アジアに残された数少ない植民地を未だに支配するオランダなどは戦前以上に植民地からの収奪を強めていたのだが、周辺諸国の独立を目の当たりにした現地民族による独立運動は過激化を増していた。

 既にオランダ領東インドは解体が始まっていた。

 最後期に植民地化された為に独立運動が最も盛んだった、というよりもここ半世紀の間ずっと燻り続けていたアチェ王国などは、自警団扱いのドイツ人傭兵団まで投入したにも拘わらずに、統治費用の際限の無い増大に現地政府も音を上げて周辺各国の介入を口実に再独立を許していた。


 オランダ領インドの中枢であるジャワ島などでは本国の意向を受けた総督府が支配圏を何とか維持しようとしていたのだが、すでにドイツ人傭兵団の人手がなければ最低限の治安すら維持出来なかった。

 オランダ人が守っているのは、首都バタヴィアの他は交通の要衝やパレンバンの油田地帯など確実に利益が上がる箇所ばかりになっていた。



 このような状況だから、新独立国も植民地政府も自国内で近代的な船舶建造を行うような余裕はなく、その隙間を埋めるように余剰の戦時標準規格船が日本から中古船として流れていた。

 尤も植民地政府はともかく、新独立国は経済基盤も貧弱だったし、海運の需要も大して大きくはなかったから、1万トン級の戦時標準規格2型ではなく使い勝手の良い600総トン級の貨物船である同1型の方が人気があった。


 だが、安価な中古船の購入は将来における自国資本の成長を抑制してしまうかもしれなかった。

 直にアブドラーが見た範囲でも、現地民運輸業者の中でダウやジャンク船といった伝統的な構造の船から近代的なディーゼルエンジン駆動の貨物船に乗り換えるものもあった。

 小規模な現地民運輸業者からすれば、600総トンの戦時標準規格船1型ですら過剰輸送量なのだが、3型やそれに押し出されて輸出された中古船が安価に出回っていたことから飛びついてしまったのだろう。

 目先の利益に飛びついた彼らには、同胞の船大工達が廃業する姿は目に入らなかったのかもしれないが、アブドラーにはその姿がここしばらく日本帝国に翻弄されていた自分達と被って見えてしまっていた。



 与えられた寝床から抜け出したアブドラーは、銀河丸の後部楼から僅かな月明かりに照らされた必死になって続航してくる僚船を見守りながらふとため息をついていた。

 続航する僚船の船倉には彼等にとっての切り札が載せられているのだが、あの調子では船酔いで苦しむ乗員達が上陸直後からまともに動かせるか分かったものでは無かった。妙なことばかりを考えていたものだから、不吉なことばかりを想像してしまうのかもしれない。


 溜息を聞いていたのか、唐突にアブドラーの背中から声がかけられていた。

「君もモハマド商会の船の方に乗りたかったのか」

 慌ててアブドラーは振り返ると、気配もなく後ろに立っていた厨川少佐に咄嗟に首を振っていた。

「いや……あっちも心配だが、主力はこの船に乗っているから、俺はこっちで指揮を取らないといけない……」

 アブドラーはそう言ったが、厨川少佐は僅かに笑みを見せていた。

「やはり君は日本人だったのだな」


 厨川少佐が日本語で話しかけてきた事にアブドラーが気がついたのはその時だった。

戦時標準規格船の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji.html

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji2.html

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji3.html

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