1951グアム島沖陽動戦25
ミッドウェー島の泊地に指定された海域で遊弋している艦艇は、どれもひどい有様だった。太平洋艦隊からアジア艦隊に配属されていた艦艇のうち損傷艦ばかりが一足先に送り返されていたからだった。
米国はアジア艦隊の勝利を内外に向けて宣言していた。我が方の損害はともかく、サイパン島沖に最終的に留まっていたのはアジア艦隊だったからだ。
だが、司令部建屋の屋上から艦隊、というよりもその残骸を眺めていた太平洋艦隊参謀長のバーク少将は暗澹たる表情を浮かべていた。
ミッドウェー島司令部の建屋は滑走路や駐機場を集中的に配置したことで結果的に島内では数少ない建造物となってしまっていたから、高さの割に見晴らしは良かったが、そこから見える光景は勝利したものとは思えなかった。
文字通り太平洋の中間点に浮かぶミッドウェー島は米国の太平洋、アジア戦略を支える拠点としてこの半世紀もの間集中的に整備されていた。
実際には、ミッドウェーという名前の島は存在しなかった。環礁内部には滑走路や各種施設が所狭しと並べられたサンド島とイースタン島、そして地上施設どころか気象条件によっては全面を波が洗うような小島がいくつか浮かんでいた。
この小島で構成された環礁そのものを指してミッドウェー島と呼称されていたのだが、損傷艦の多くは穏やかな環礁内の泊地ではなく外洋側で待機していた。
サンド島とイースタン島の間には大規模な浚渫工事が行われた水道も整備されていたのだが、環礁内の海域は狭く大型艦を受け入れるには能力が不足していた。
ミッドウェー島には浮きドックも在泊していたのだが、太平洋の嵐に耐えて環礁内に収めなければならない浮きドックの規模は小さく、精々根拠地隊に配備された小艦艇の整備にしか使えなかった。
その根拠地隊に配備された作業艇は、損傷艦が到着してからいずれも大忙しで稼働していた。特に燃料を満載した港湾用のタンカーは、地下に埋め込まれたミッドウェー島の燃料タンクと残燃料に乏しい艦艇の間を何度も往復して燃料を移送していた。
「参謀長、こちらでしたか。ひどいもんですね、これは」
物思いにふけっていたバーク少将に、同じ様に陰鬱な表情を浮かべた後方参謀が屋上に顔を出していた。
「支援船による燃料の移送はいつまで掛かりそうかね」
挨拶抜きでバーク少将は言ったが、後方参謀も気にした様子もなくそらで答えていた。
「根拠地隊は今日中には終わりそうだと報告しています。明日にはこの艦隊も出港できるでしょう。まぁ次の損傷艦がもうサイパン島を離れてこちらに向かっているそうですが……その前に補給用のタンカーが本土から来てもらわないと、この島の燃料タンクは空になってしまいますね。
しかし妙な具合です。我が艦隊司令部は合衆国海軍の半分を率いているというのに、実際に開戦以後に我々がしているのは前線のアジア艦隊をどうにか稼働させるための補給のやりくりばかりなのですから。こうして損傷艦を見るまでは戦争をしている実感が湧きませんね……」
懸念顔の後方参謀にバーク少将は黙って頷いていた。二人の目の前では、損傷したアラスカ級大型巡洋艦からゆっくりと港湾用のタンカーが離れる姿が見えていたが、燃料を移送し終えたタンカーの喫水は危険な程下がって船腹を晒していた。
先のサイパン島沖で発生した戦闘で損傷した艦艇が直接米本土の西海岸を目指さなかったのは、アジア艦隊の多くが海兵隊による上陸戦闘の支援と日本艦隊の襲撃に対応するために膨大な燃料を消費してしまったからだ。
今もアジア艦隊はサイパン島沖で展開中だったから、後退する損傷艦に艦隊に随伴していた徴用補給艦から燃料を融通する余裕がなく、多くの艦が中間点のミッドウェー島までの燃料だけでサイパン島を離れていたのだ。
アラスカ級などの大型艦は燃料タンクの容積には余裕がある筈だったが、中には現地に留まる僚艦にむしろ燃料を移送していたというから、それほどサイパン島周辺海域の補給状態は悪化しているのだろう。
しかも、奇妙な事に中間寄港地となっているのはミッドウェー島だけだった。損傷艦のハワイ諸島への回航は大統領府から海軍長官を通じて禁じられていたのだ。
未だにハワイ占領時に旧王国軍によって破壊されていたドックの修復は終わっていなかった。爆破されていた扉船部分を一旦埋め立てた後に、ドック底部に残骸を晒している英国製の巡洋艦一隻分のスクラップを撤去するという大工事が行われていたからだ。
それにハワイに投入された土木量の大半は、陸軍航空隊の強い要求で航空基地、というよりも本土と前線となるグアム島を結ぶ為の中継用滑走路と支援設備の建設に回されていた。
その余剰で復旧工事が行われていたものだから、ドックの修復は思うに進められていないようだった。占領直後にバーク少将が視察した時の見積もりよりもハワイ現地民の雇用も進んでいないとも聞いていた。
しかし、ドックでの修理工事が難しかったとしても、ハワイ諸島の港湾機能はミッドウェー島よりもは充実しているはずだった。
確かにミッドウェー島の港湾機能は米国の優れた技術と工業力を惜しみなく投入したものだったが、ミッドウェー島よりも遥かに面積の広いハワイ諸島には歪な形とはいえ整備された港がいくつもあるはずだった。
ハワイ島の港湾設備は米国規格に則っていない貧弱なものだったようだが、仮にも王宮が置かれていたホノルルあたりの港湾部はそれなりの機能を有していた。
ドック内で旧ハワイ王国海軍自身の手で破壊されたのは英国海軍のダイドー級軽巡洋艦だったのだから、少なくとも巡洋艦の母港となるだけの能力がハワイには存在していたのだ。
本来であれば、全艦とは言わなくとも損傷艦の幾らかはハワイを中継地とさせてミッドウェー島の負担を分散させるべきだったのだ。
だが軍事的には正しくとも、政治的にはハワイへの回航は認められなかった。占領直後のハワイ現住民に米国軍艦の傷ついた姿を見せる事は避けたいというのが大統領府の意向だったのだろう。
火山島であるハワイ諸島はいずれも人口密集地が海岸線に接していたから、どこに入港しても原住民の目から逃れるのは難しかった。それに拡張工事中の港湾部にも多くの現地労働者が雇用されていたのだ。
バーク少将も、何度かウィロビー民生長官に呼び出されて、ミッドウェー島の艦隊司令部からハワイに赴いていたのだが、現地の労働不足は明らかだった。
米本土から派遣された正規の工兵隊も集中投入されていたのだが、これまでのろくな産業がなく貿易量が限られていたのか現地のインフラは貧弱なものだった。そのせいで工事量は当初の見積もりよりも肥大化しており、単純労働には原住民が雇用され始めていたのだ。
ただし、原住民の雇用は、米国の威信を示す為の宣撫工作という視点も無視できなかった。その為に労働者の質を問わずに民生本部主導で原住民が雇用されている傾向があるとバーク少将は工兵隊の指揮官から聞いていた。
投入された労働者の数と時間の総数である工数に対して、作業進捗を意味する出来高が米本土で行われた公共事業などと比べると著しく劣るというのだ。要するに素人ばかりを雇用しているか、原住民の労働者としての能力が最初からさほど高くなかったのだろう。
古参の工兵隊指揮官は、この数値はフィリピンで行われた要塞化工事の実績よりもだいぶ悪いのではないかと愚痴をこぼしていたのだが、その一方でやはり民生本部の指導で現地労働者の単価は米本土とフィリピンの間に設定されていた。
占領者である米国に従えば良い思いができる、そのような経験を原住民に植え付けて結果的に統治費用を抑えようというのだろうが、それが結果的に工事の足を引っ張っていた。
占領以後、ハワイには短時間の内に膨大な量の物資機材が注ぎ込まれていた。対日戦を継続する後方拠点として急速に整備する為でもあったが、最初から大統領府や国務省あたりでは戦後を見据えて動いているようだった。米国の国力を見せつけることでハワイ原住民から敵愾心を奪うのだ。
その証拠にハワイに運び込まれた物資は軍需品だけでは無く、民生品も多く輸送されていると聞いていた。おそらく民生本部で雇用された原住民の生活水準は占領前よりも格段に向上しているのではないか。
これが平時であれば、米本土の膨大な生産力は距離の隔たりを加えてもハワイ諸島程度の人口なら軽く養える筈だったが、有事の今は米国の輸送力は飽和していた。
占領政策を加味したハワイへの輸送を除くと、ミッドウェー島経由の輸送力ではグアム島やフィリピンに展開する前線部隊を維持する程度の量にしかしかならないのだ。
ハワイの基地化が進んで中継点として機能するまでは綱渡りの様な補給計画が続くはずだし、今のように前線で大きな損害が生じた場合は補充に手間がかかりすぎる結果を招いていた。
―――補給線への負担を考慮すれば、前線に戦力を集中せずに艦隊主力をサンディエゴに待機させ続けるラドフォード大将の判断は正しいのかもしれない……
バーク少将は皮肉なものを感じていた。米国には有力な艦隊とそれを動かすのに足りる物資を直接的には併せ持っているにも関わらず、それを実際に活かす手段に欠けているのだ。
しかも、日本本土を攻撃しうる爆撃隊を維持する為にも多くの補給船が太平洋を半ば以上まで横断する長大な航路に投入されていた。現状の戦場の姿は、かつて立案されていた対日戦計画との乖離があまりに大きかった。
「しかし、巡洋艦相手の戦闘だったと言う割にはグアンタナモの損害は随分大きいですね」
眉をしかめたまま考え込んでいる様子のバーク少将に後方参謀はアラスカ級を指差しながら言った。バーク少将も物憂い表情を浮かべたままアラスカ級3番艦として建造されたグアンタナモに視線を向けていた。
キャラハン大将率いるアジア艦隊は、配属されたアラスカ、グアンタナモの2隻を巡洋艦級艦艇を駆逐する為に友軍巡洋艦を率いる形で夜戦に投入していた。
開戦直後に発生した戦闘では、戦艦同士の戦闘に巻き込まれた同級艦のプエルトリコが戦艦主砲に耐え切れずに撃沈されていたことから、キャラハン大将は雷装を有する日本軍の巡洋艦を短時間で駆逐する為に巡洋艦群と組ませていたのだろう。
戦艦と巡洋艦の境目に位置する性能を与えられたアラスカ級大型巡洋艦は、旧式戦艦と同口径の12インチ主砲と部分的にそれに耐えうる装甲を有していた。無理に戦艦と直接交戦するのを避けても格下の巡洋艦に相手を絞れば有利に戦闘を進められるはずだった。
ルーズベルト政権期に大量建造された米海軍の巡洋艦が誘爆の危険性などから雷装を廃していたのに対して、日本軍の巡洋艦は大口径の魚雷発射管を装備し続けていた。
だから戦艦相手でも大威力の雷撃で逆転の一撃を食らう可能性はあったが、砲撃戦においては格上の12インチ砲に長時間耐えることは出来ないはずだったのだ。
ところが、予想に反してグアンタナモは魚雷によって船体を食い破られるのではなく、船体上部構造物から第3主砲塔にかけて焼け焦げた様な跡があったから、雷撃ではなく水線上に大きな損害を受けたのは明らかだった。
被害の中心となっているのは第3砲塔だった。新鋭戦艦の主砲塔を一回り小型化したようなアラスカ級の主砲塔は、中央部に大きな破甲を生じさせていたのだ。
今のところグアンタナモの船体後部を大破状態と言えるまでに破壊した砲は分からなかった。グアンタナモの状況はむしろ大重量の爆弾を被弾したようにも見えていたからだ。
だが、後方参謀はグアンタナモの損害そのものにはあまり興味がなさそうに言った。
「結局、アラスカ級は本格的な戦闘に投入するには中途半端な存在に過ぎないということですかね……夜戦においてもむしろ重巡洋艦以下の行動を阻害していたというから、艦隊内で正規に運用するのは難しいのかもしれませんなぁ
兵站面から言わせてもらえれば、小型のコネチカット級戦艦よりもアラスカ級の方が補給は楽なんですがね……」
バーク少将は無言でグアンタナモの姿を見つめていた。後方参謀が言うことも分からなくはないが、サイパン沖の戦闘ではそのコネチカット級戦艦もミシガンが撃沈されていた。16インチ砲戦艦でも耐えきれない戦場ではアラスカ級は開戦直後の戦闘のように一蹴されてしまっていただろう。
かつて観戦武官としてソ連海軍に派遣されていた時のことをバーク少将は思い出していた。バルト海での戦闘では、アラスカ級の準同型艦とも言えるクロンシュタット級重巡洋艦がそれまで同格と考えられていた日本海軍の磐城型戦艦に打ち負かされていたのだ。
―――結局戦艦相手には戦艦をぶつけるしか無いということが再確認されたというだけのことか……では、アラスカ級にはどの様な戦場がふさわしいのだろうか……
バーク少将はそんな事を考え始めていたのだが、慌てた様子で通信参謀が彼らを探す声が聞こえていた。後方参謀と顔を見合わせながらバーク少将は振り返っていたが、駆け上がってきた通信参謀の顔は明らかに凶報を告げる顔だった。
コネチカット級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbconnecticut.html
クロンシュタット級重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cakronstadt.html
磐城型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbiwaki.html