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1951グアム島沖陽動戦23

 米陸軍航空隊の重爆撃機隊は、以前から航空要塞計画という仰々しい名前で増強が図られていたのだが、この航空要塞という呼称は個々の重爆撃機自体を指す言葉ではなかった。



 大西洋と太平洋という両洋に囲まれた上に、英国の手先であるカナダと、独立当時から摩擦が耐えないメキシコという油断ならない隣国と陸地を接する米国は、長大な国境線を独力で守らなければならなかった。

 しかし、四方に仮想敵に備えた防衛戦力を常に配置するのはあまりに効率が悪かった。

 そこで長大な航続距離と多数の乗員からなる哨戒能力を有し、更には高い打撃力で米国に押し寄せる敵国の手先を粉砕する重爆撃機でもって米国本土を防衛する新世代の要塞を構築しようというのが航空要塞計画の本来のあり方だった。


 米国に押し寄せる尖兵として真っ先に想定されるのは、敵国から送り込まれる侵攻艦隊だった。長大な国境線を接するカナダを除けば片道の自爆攻撃でもない限り直接米国を攻撃できる航空機などあり得ないからだ。

 それに国力において現在の米国に遥かに劣るカナダやメキシコが単独で米国に侵攻する事態は考え難かった。両国を北米大陸外の勢力が使嗾させるとしても本隊は海から現れるといってよいだろう。


 仮に米国に到達できる重爆撃機が存在したとしても、航空要塞計画の構想が持ち上がっていた当時の航空技術では、それは航続距離に特化した鈍重な機体にしかならなかったのではないか。

 そのような想定のもとで、以前米陸軍で本土防空用に制式化されたFM-1エアラクーダやP-39などの迎撃戦闘機は、重爆撃機が装備する小口径の防御機銃の射程外から一方的に射撃出来る大口径の機関砲を搭載する機体として開発が進められていた。

 操縦士以外に実質的に装填手である砲手などを加えた5人乗りのFM-1は、それ自体が双発の重爆撃機に匹敵する大型機だったから単座の軽快な戦闘機が相手の場合は一方的に翻弄されていたのだろうが、仮想敵を自機以上に鈍重な重爆撃機と想定していたから陸軍航空隊内部では問題視する声は少なかった。



 何れにせよ、優れた米国の航空技術で本土を防衛する航空要塞計画を実現するためには、構想の中心となる重爆撃機には哨戒能力だけではなく敵艦に打撃を与えて侵攻を阻止する攻撃能力が必要不可欠だった。しかも、その機体には艦隊の主力をなす重装甲の戦艦を沈める兵器を装備する必要があったのだ。

 三十年も前に米国陸軍航空隊は複葉爆撃機による水平爆撃で戦艦を撃沈することに成功していたが、二千ポンド爆弾を用いて行われた当時の例は条件の整った非現実的な実験でしかないという認識も広まっていた。

 実験で沈められた戦艦は軍縮条約の制限で廃棄予定の旧式艦だったし、当然無人で静止状態なのだから据物斬りでしかなかったというのだ。

 それに戦艦とはいっても、当時の戦艦は排水量で二万トン程度で防御の基準となる主砲も12インチ砲程度だったはずだから、現代ではアラスカ級大型巡洋艦にも劣る程度の戦力でしかなかった。

 現実には高高度飛行能力と高い搭載能力を併せ持つB-36と、ソ連経由でもたらされた対艦誘導爆弾の技術体系が揃うまでは大威力の水平爆撃で航行中の現役戦艦を撃沈できるとは当の陸軍航空隊ですら考えてはいなかったのではないか。



 対艦誘導爆弾が実現化する以前に陸軍航空隊が対艦攻撃の切り札と考えていたのは航空魚雷だった。他国でも同様に考えていたようだが、敵艦隊を哨戒機が発見した場合は、複数本の航空魚雷を抱えた重爆撃機を雷撃機として投入して一斉投下による雷撃で敵戦艦すら沈めようとしていたのだ。

 実際にヘイル大尉もB-18やB-23に乗り込んでいた頃に模擬魚雷を抱えて雷撃の訓練を行っていた事もあったし、より搭載量の大きいB-24の雷撃訓練を目撃したこともあった。


 だが、陸軍航空隊では航空雷撃は次第に下火になっていった。時期に関しては良く分からないが、B-24はB-23よりも雷装の比率は低かったようだし、より大型のB-32などは殆ど雷装の準備はなされなかったのではないか。

 一搭乗員としてはその辺りの経緯は推測するしか無いが、重爆撃機自体が高速化、大型化する中で低空を低速で敵艦間近まで接近しなければならない航空雷撃の実用性が低下していったからではないか。


 B-32などでは緩降下爆撃や大編隊を投入した水平爆撃が対艦攻撃の主流となっていったようだが、当時のコンヴェア社の重爆撃機は機体強度が低いという声があったから、単発機による急降下爆撃程ではないにせよ、緩降下爆撃で肉薄して投弾した後に機体に引き起こしを行う時は搭乗員は恐怖しただろう。

 どのみち当時のルーズベルト政権は、公共事業の一環として軍備の長期的な調達計画を行っていた。経済に波及する効果の大きい民間造船業に予算を集中するために海軍艦艇の建造に軍事費が割り当てられてられる一方で、航空産業への投資額は低かったのだ。

 このルーズベルト政権後期は航空要塞計画の構想がもっとも弱体化していた時期だったのではないか。



 ところがルーズベルト政権とは航空関係予算が逆転して重要視されていたカーチス政権期に開発計画が進められていたB-35、そしてその発展形であるB-49にも雷撃用の装備が存在していた。

 B-36が従来機を圧倒する巨人機として誕生したために目立たなかったが、B-35やB-49もそれまでのB-32と比べれば搭載量は大きかった。B-49がB-36の前衛となる戦術爆撃機の様に運用されていたのは、単に相対的に軽量級であったというだけのことだったのだ。


 そしてB-36には航空魚雷を搭載する為の装備は存在していない、らしい。実際には魚雷を積み込むためのラックぐらいは試作されていたかもしれないが、巨人機だけに鈍重なところもあるB-36には低空で魚雷を投下する姿は似つかわしくなかった。

 少なくともB-36を装備する第20爆撃群に魚雷搭載用のラックが常備されているとは思えなかった。


 陸軍航空隊が魚雷に代わる対艦攻撃の切り札として開発していた誘導爆弾を最初に搭載したのはB-32だったが、実際には大重量の貫通爆弾を抱えた場合B-32の性能は大きく低下していた。

 カーチス政権時代に行われた実験結果などは、抑止力となる事を期待されたのかむしろ誘導爆弾の威力が誇張されていたほどだったが、実運用となるとB-32では投弾高度が中途半端で想定した威力は期待できなかった。

 B-36の搭載量は機体規模に見合った巨大なものだったが、それは同時に大重量の対艦誘導爆弾を抱えて高高度まで上昇するための余裕分でもあったのだ。



 では何故B-35やB-49に雷撃用の装備が開発されていたのかといえば、ヘイル大尉はおそらく積極的な理由からではないだろうと考えていた。単にB-36では高高度からの誘導爆弾投下が常用化されることになったために、在庫となってしまった航空魚雷はB-49に回したというだけのことではないか。

 航空魚雷は高価な兵器だった。勿論命中すれば遥かに高価な艦艇を撃沈できるのだから費用対効果は高いと見るべきだから、会計上まだ使用できる航空魚雷を安易に廃棄するのは議会から問題視されるのではないかと判断されたのだろう。


 逆に航空魚雷をB-49部隊の定数に含めてしまえば、実際の使用実績がどうであれ有効利用されているという言い訳が立つのだ。

 B-49の爆弾倉に細長い航空魚雷が収まらずに主翼、というよりも胴体下にラックを取り付けて懸架することで速度は低下するのだが、ジェットエンジンの大出力ならばそれほどの問題はない筈だった。


 そのような消極的な経緯があるものだから、実のところ第21爆撃群でもまともに雷撃の訓練を行った経験のあるものは少なかった。今となってB-35から乗り継いでいた数少ない操縦士となってしまったヘイル大尉ぐらいのものかもしれない。

 そのうえにB-35をジェット化したB-49の速度性能は極めて高かった。かつてヘイル大尉が操縦したB-23などとは比べ物にならない、戦闘機並みの速度なのだ。

 しかも、順調に回っているときのジェットエンジンが吐き出す余剰出力は膨大なものだったから、爆弾倉外に空気抵抗となる航空魚雷を懸架した状態でも速度はさほど低下はしなかった。

 高速で敵艦に接近できるのは良いが、単純な構造の爆弾と比べると、推進機や操縦機構を内包する航空魚雷は繊細な兵器だった。従来機のように低高度で投下しても、存速が高すぎて海面に落着した衝撃で自壊してしまうだろう。

 半ば辻褄合わせのようなものだったとしても、いくら何でも投弾出来ない兵器を制式化は出来なかった。B-49が制式化される際の実験結果から、航空魚雷搭載時には、従来機からいくつかの変更点が折り込まれていた。

 だが、実際のところB-49からの魚雷投下が実戦で行われるのはこれが初めての事だった。それまでヘイル大尉もグアム島に最近になって進出した第21爆撃群が航空魚雷懸架用のラックや航空魚雷搭載時の追加装備まで持ち込んでいたことを知らなかったのだ。



 ふと気がつくと、ヘイル大尉の視界に敵艦のマストが現れ始めていた。接触機の観測は正確だった。その敵艦は、アジア艦隊との夜戦で被った損傷が激しいらしく動きは鈍かったし、マストもどこか不細工に折れ曲がっているような気がしていた。

 ただし、直接視認しているのはまだヘイル大尉だけの筈だった。先行する3機は海面に溶け込むように低空飛行を続けていたからだ。僚機の高度はマニュアルに従えば60メートル程だったから、B-49の全幅とさほど変わらない程度の高度でしかないのだ。

 その高度では機体そのものよりも後方のジェット噴流が巻き起こす飛沫のほうが確認しやすいほどだった。


 ―――この飛行を長時間続けられる乗員はそう多くはいないな……

 脳裏の片隅でそう考えながらも、露払いの任務を帯びた3機に向けて、ヘイル大尉は針路を微妙に修正させていた。

 敵艦の全形が見えるようになるまでは僅かな時間だった。幸いな事に、低い位置にある太陽を背にするように急接近するB-49編隊と標的の間を遮るように航行する敵艦は無かった。


 最初に低空飛行を続けていた3機が一斉に爆弾を投下していた。それに遅れて敵艦からの対空射撃がようやく開始されたが、その勢いは弱かった。

 既に接触機の存在は確認されているだろうから敵艦の乗員も配置についていた筈だが、敵艦の損傷に加えて黎明時の太陽を背にしたB-49編隊による奇襲に対応しきれていないのだろう。

 爆弾の投下位置は敵艦より手前だった。低空で投下された爆弾は高速で海面に叩きつけられたのだが、B-49から与えられた速度を手にした爆弾は勢い良く海面を飛び跳ねて敵艦の側面に向かっていった。

 僚機が行ったのは反跳爆撃だった。水面を小石が飛び跳ねていくように、遅延信管を取り付けた爆弾が海面に何度も飛び跳ねて敵艦の側面に次々と当たっていったのだ。


 だが、3機の目的はあくまで露払いだった。反跳爆撃自体もマニュアルはあったものの、各機の乗員達が実戦で試すのはこれが初めてだった。そもそも分厚い装甲を持った主力艦の垂直装甲表面で在庫の百ポンド汎用爆弾が起爆したところで、致命傷とはなり得なかった。

 それに汎用爆弾の加工も急増だったから、水面に叩きつけられた衝撃で構造を破断させたり、命中しても遅延信管が作動せずに水中に落下した爆弾もあっただろう。あるいは、敵艦目前で角度が深くなって海面に沈み込んでいったり、逆に浅すぎて敵艦を飛び越えていってしまった爆弾も少なくなかった。


 しかし、百ポンド爆弾自体の効果は低くとも、すでに敵艦を飛び越して退避する僚機によって行われた反跳爆撃は、敵艦の乗員を混乱させる効果は十分に発揮していた。

 そのつかの間の爆炎に照らし出された特徴的な塔型艦橋を持つ敵艦を見つめながら、ヘイル大尉も魚雷を投下していた。

 ―――主砲塔が上部構造物前後に4基……識別帳によればこいつは常陸型戦艦か……これでB-49が役に立つと証明出来ましたよ少佐……

 ヘイル大尉が戦死した隊長の事を考えていた頃にはアロー号も敵艦上空を通過していたが、追加された巨大な落下傘を後方に引き釣りながら急速に速度を落とした航空魚雷の先端は、確かに敵艦に向けられていた。



 夜戦で損傷した後に航空雷撃で撃沈されたこの艦が重巡洋艦であった事をヘイル大尉が知ったのは戦後のことだった。

FM-1エアラクーダの設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/fm-1.html

P-39エアラコブラの設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/p-39.html

常陸型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbhitati.html

石鎚型重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/caisiduti.html

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