1951グアム島沖陽動戦19
アジア艦隊主力の前衛として編成されたアーカム級航空巡洋艦ゴッサムを先頭とする4隻の巡洋艦からなる艦隊は、全艦対水上レーダーを作動させたまま予想戦場海域に突入しようとしていた。
早くも日付が変わろうとしていた。サイパン島沖合から艦隊が北上を開始した時はハイキャッスルを月明かりが右舷側から照らし出していたはずだが、既に月は中天にあった。
そのせいでハイキャッスルの艦橋からは、左舷側の何も置かれていない飛行甲板や前方を行くゴッサムの航海灯を淡く照らした艦尾が見えていたのだが、艦橋窓から差し込む月光は乏しく、灯火管制の為に最低限のインジケーターを除いて消灯された艦橋深部は手元も見えないほど暗かった。
だが、ウイリー中尉には姿は見えなくとも艦橋要員の顔に浮かんだ表情は手に取るように分かるような気がしていた。おそらく中尉自身も彼らと同じように緊張して強張った顔になっているはずだったからだ。
ハイキャッスルを取り巻く状況は、戦闘が開始された初日だというのに全く酷い有様だった。航空機運用の関係で偶発的に艦隊主力の前方に突出していたのだが、アジア艦隊の司令部はこれ幸いとばかりにハイキャッスルとゴッサムに僅かな増援を送り込んで囮としていたからだ。
実際には被害妄想であったのかもしれない。ハイキャッスルが艦隊主力からはぐれてしまったのは、搭載機が旧式で重量のある複合動力機のF15Cであったことと風向きの関係だったから、当初からアジア艦隊司令部の思惑で突出していたわけではなかったからだ。
むしろ、アジア艦隊司令部からすれば戦闘機隊を展開させた防衛網と艦隊主力間の中途半端な位置に取り残されてしまったハイキャッスルとゴッサムを援護するために貴重な護衛艦を割いたのかもしれない。
だが、理由はどうであれハイキャッスルは僅かな僚艦と共に防空戦闘と戦闘機隊の発着艦作業に一日中追われていた。しかも最後の空襲では艦長を含む艦橋要員の多くが戦死する程の損害も受けていた。
部署によっては文字通り休む間もなく当直態勢が続いていた。総員配置を解除する間も殆ど無かったし、仮に配置から解除されたとしても安穏と休んでいられるような余裕はなかった。
直接火砲や航海に関わっていたわけではない主計士官であるウイリー中尉も例外ではなかった。特に艦長代行となったケネディ中佐からの特命で艦長付き代行を命じられて艦内を走り回っていてからは、艦橋に戻るまで息つく間も無かった。
艦内には相次ぐ損傷であちらこちらに駆り出された応急員が腰を下ろしていたところもあった。精根尽き果てた様子で停止させたばかりでまだ熱を持っている様子のガソリンポンプに身を預けていた応急員は、士官であるウイリー中尉に視線もくれずにいたのだ。
おそらくハイキャッスルの艦内は、あの応急員の様に力を使い果たして倒れ込んでいるか、あるいはウイリー中尉や他の艦橋要員の様に緊張している乗員ばかりなのだろう。
勿論見張員などは疲労を防ぐために頻繁に当直を交代させていたが、こんな態勢は長くは続けられなかった。全員が各部署に配置についている戦闘配備は乗員の疲労が激しい為だ。
戦闘が連続した上に乗員の戦死が相次いでいたハイキャッスルの艦橋に規律が保たれていたのは、艦長席に座ったケネディ中佐が泰然とした姿勢を崩さなかったからだろう。
―――これが国や大企業を動かす立場になるのが当たり前の東部エリートの姿なのだろうか……
ウイリー中尉はそう考えて艦長席の方を盗み見たのだが、思いがけずケネディ中佐は視線をあらぬ方に向けていた。
「何か……光らなかったか」
ケネディ中佐の声は小さく、おそらく脇に控えていたウイリー中尉にしか聞こえなかったはずだった。中尉は慌てて反応しようとしたが、それよりも早く見張員の報告が聞こえた。後方のクリーブランド級から発光信号が送られているらしい。
よく考えて見るとおかしな事だった。無線傍受をおそれていたのか、艦隊司令部は戦場が想定された海域に進入した時刻から無線の使用を厳禁としていた。
だから眼の前の僚艦にも発光信号を送るしか無かったのだが、艦隊主力が完全な無線封止を行ってレーダーの発振も切っていたのに対して、前衛の4隻は敵艦を早期に発見するために盛大に対水上レーダーを使用していた。
それならば今更前衛部隊で無線封止を律儀に守っても意味がないのではないか。そもそも光量を絞って発光信号を送るのと、小出力の隊内無線を使用するのではどちらが察知されやすいのか、そうした実験結果や戦訓はなかったはずだ。
ただし、前衛までもが無線封止を徹底されるにはある条件があった。敵艦を発見すれば即座に艦隊司令部に報告しなければならないのだから、その時点で無線封止の命令は解除されると考えるのが妥当だった。
そして、クリーブランド級からの発光信号はまさにレーダー反応を報告するものだった。
搭載されているレーダーそのものはアーカム級もクリーブランド級も変わらないはずだったが、航空巡洋艦として建造されたアーカム級よりも純粋な水上戦闘艦として設計されていたクリーブランド級の方が艦橋が高く、レーダーアンテナも高効率なのだろう。
この報告によって、本当にこの海域に敵艦が存在するのか、そのような思いを抱きながら続けられていた索敵が終わろうとしていたのだ。
艦橋内に生じたざわめきを聞きながら、これから本格的な水上戦闘が開始されるのかもしれないという危機感を束の間忘れたウイリー中尉は、いつ敵艦が出現するかわからない緊張感が霧散する方に喜色を浮かべて見張員の報告にも無言でいたケネディ中佐に言った。
「信号をゴッサムに転送しますか」
ウイリー中尉には当然の問いかけのつもりだった。発光信号は宛先の特定は出来ないが、当然この場の旗艦であるゴッサムに向けたもののはずだった。ただし、単縦陣で航行していたクリーブランド級とゴッサムの間には他ならぬハイキャッスルが航行していた。
こちらは幸いとは言えないが、単縦陣といっても艦隊陣形は乱れていたから、ハイキャッスルの船体越しにゴッサムも発光信号を確認していた可能性は高いが、船体に隠されていたか、減光された信号機を読み取れなかった可能性はあった。
予想に反してケネディ中佐はウイリー中尉の問いかけを無視して水上の一点を睨みつけていた。
「見張員、左舷30度、何か見えるか」
状況を無視したようなケネディ中佐の声に、艦橋内部には戸惑いの声が走っていた。中佐が見張員に言った方角は後続のクリーブランド級が送ってきた発光信号の本文とは無視できない角度差があったからだ。
ところが、艦橋内の微妙な雰囲気はすぐに吹き飛んでいた。次々と予想外の事態がハイキャッスルを襲っていたからだ。
最初は見張員の声だった。ケネディ中佐が指摘した方角を担当していた見張員が戸惑ったような声で光が見えると報告していたのだ。
だが、その光は相当弱いものであるはずだった。見張員の戸惑いだけではない。他の乗員でその光に気がついたのはケネディ中佐だけだったからだ。
―――まさか……自然現象で無いとすれば、こちらと同じく減光した発光信号を発した敵艦なのか……
呆然としてウイリー中尉は口を開けていた。アジア艦隊が展開していたマリアナ諸島と日本艦隊が確認された硫黄島の間にはいくつかの島嶼が存在していたが、大半は無人島だったし、そもそもハイキャッスルの現在位置からは右舷側に見えているはずだから自然現象や陸地という可能性は低かったからだ。
艦橋内で落ち着いていたのは予め予想していたケネディ中佐だけだった。中佐は伝令に振り返って口を開きかけていた。おそらく見張員の報告をゴッサムに送ろうとしていたのだろう。
ところがケネディ中佐が実際に何かをいうよりも早く事態は再度動いていた。艦内電話に取り付いていた伝令の方が先に声を上げていたのだ。
―――今度は近距離で不審電波、だと……
通信室からの電話内容を繰り返していただけの伝令の声は淡々としたものだったが、ウイリー中尉には通信室内の困惑が伝わってくるようだった。
流石にケネディ中佐も眉をしかめている雰囲気があった。
「先手を取られたか……敵艦隊のほうが先にこちらの情報を送っているな。日本人はよほど目がいいのか、それともこちらのレーダー波を感知しているのか……半世紀前のロシア人相手の戦争の頃から無線で戦闘をやってる連中の方が一枚上手だったか。
まぁいい、おそらく相手もこちらと同じく前衛だ。それに無線封止など無意味だ。伝令、通信室に連絡、先程の発光信号の位置と後続からの信号もゴッサムに転送してやれ」
伝令は直ちに通信室につながる電話でケネディ中佐の命令を伝えようとしたが、すぐに口を閉じていた。どうやら同時に通信室からも連絡があったらしい。だが、正規の艦橋伝令の戦死で夕方から配置についていた伝令は予想出来なかった事態におろおろと視線を彷徨わせていた。
「伝令、通信室からの報告知らせ」
ケネディ中佐の声はさほど大きくはなかったが、力強く艦橋内に響いていた。叱責も同然の声に伝令は慌てて言った。
「ゴッサムからの通信です。敵艦の反応を確認、方位は……先程の本艦が発見した発光位置、及び後続のレーダー情報と同じです。それと……ゴッサムからの無線は隊内無線ではなく長距離無線機で行われたとのことですが……
いや、隊内無線でも通信がありました。本艦に続け、戦闘用意射撃自由とのことです」
ケネディ中佐は大きなため息をついていた。
「流石にウェイン大佐には隙がないな。結構、既知の情報を送ってもしょうがない。通信室への指示は取り消し。諸君仕事の時間だ。左舷に砲撃用意だ」
艦橋内が騒がしくなると同時に、ゴッサムの艦尾から伸びていた航跡が大きく左舷側に曲がっていくのが見えていた。すかさずケネディ中佐は取舵を操舵員に命じていた。
「艦長代理が操艦する。取舵、以後ゴッサムに合わせて適時転舵する。操舵員は航跡に注意せよ……ウェイン大佐はやる気だな。敵艦隊の頭を抑えるつもりか」
不敵な笑み浮かべたケネディ中佐は、ゴッサムの姿を視線で追い続けていたのだが、その姿はハイキャッスルが勢いよく転舵したことで隠れていた。
アーカム級航空巡洋艦の艦橋は飛行甲板の右舷側にあるものだから、取舵を勢い良く取ると右舷側に船体が傾斜することで左舷側海面近くの視界はせり上がった来た飛行甲板に覆い隠されてしまうのだ。
だが、元水上機乗りで艦隊勤務の経験は然程無いはずなのだが、ケネディ中佐の操艦は巧みなものだった。回頭を終えて新たな針路に整定された時、ハイキャッスルの艦首はぴたりとゴッサムの艦尾に向けられていたのだ。
むしろ後続のクリーブランド級の方が突然の先導艦の回頭に混乱している感があった。原型がブルックリン級軽巡洋艦とはいえ、艦上の艤装が大きく異なるアーカム級航空巡洋艦の挙動をクリーブランド級の操艦を行っている指揮官が読み切れていないのかもしれない。
4隻の巡洋艦は僅かな痕跡に向かって勢いよく向かっていた。そこには指揮官であるウェイン大佐の逡巡は全く感じられなかった。大佐は敵艦隊の存在を確信しているようだった。
ハイキャッスル艦橋でもケネディ中佐が海図盤に取り付いていた航海士に素早く計算を命じていた。先程の僅かな反応を敵艦と想定して針路を予測させていたのだ。
敵艦の行動を予測するには観測が足りないが、そこは大胆にケネディ中佐が予想を告げていた。中佐の脳裏には既に戦場の姿が描かれているようだった。
アーカム級航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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カーチスF15Cフェニックスホークの設定は下記アドレスで公開中です。
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