1951グアム島沖陽動戦18
アーカム級航空巡洋艦ハイキャッスルの狭苦しい艦橋内で、ウイリー中尉は日没からの僅かな間に生じていた状況の変化に戸惑っていた。本当に自分が乗り込んでいるハイキャッスルが水上戦闘に投入されることなどありえるのか、そう考えてしまっていたのだ。
昼間の激しい迎撃戦闘が繰り広げられていた頃から、ハイキャッスル周囲の艦影には大きな変化が生じていた。
ハイキャッスルに付き従っていた新旧4隻の駆逐艦はあっさりと日本軍機から放たれたロケット弾で撃沈されていたのだが、ゴッサムを臨時旗艦としたアーカム級航空巡洋艦、クリーブランド級軽巡洋艦それぞれ2隻からなる小艦隊は航行に支障のない損傷を除けば健在だった。
ただし、戦闘途中から加入したクリーブランド級以後の増援はなく、今もこの残存する4隻だけが艦隊主力に先行して索敵を行う前衛部隊を編成していたのだ。
4隻の巡洋艦は、この場の最先任士官であるゴッサム艦長のウェイン大佐が指揮をとっていた。
日没直前にはハイキャッスルへの帰還機収容作業は完了していたのだが、実際にはそれより以前からこの4隻の艦隊はウェイン大佐の命令で水上戦闘の準備を行っていた。
どの艦も、日中の戦闘で損傷した箇所のうち応急修理が不可能な箇所は無造作に穴を塞いだだけで放置されるか、被弾時の二次災害を恐れて注水されたハイキャッスル第2主砲塔弾薬庫の様に容赦なく機材ごと投棄されていった。
損傷を負ったハイキャッスルの状況を把握する為に戦闘が一段落してからずっと艦内を這いずりまわっていたウイリー中尉は気が付かなかったのだが、ハイキャッスルも徐々に水上戦闘の用意を進めながら予想戦場に向かう為に転舵していたのだ。
太陽が沈んだ今、ハイキャッスルの前方には旗艦ゴッサムが、そして後方にはクリーブランド級軽巡洋艦2隻が続いて月明かりに淡く照らし出されながら単縦陣を構築していた。
ただし、普段から行動を共にしているのであろう2隻のクリーブランド級はともかく、ゴッサムとハイキャッスル、それに後方の2隻を結んだ陣形は乱れがちだった。
この部隊は、艦隊前衛を務めていた2隻のアーカム級航空巡洋艦を援護する為に、今日の航空戦闘中に急遽臨時編成された艦隊だったから、編隊行動時の練度には不安があったのだ。
だから視界の効かない夜間航行では、衝突を回避するために頻繁に舵を切ったり、必要以上に編隊間の間隔を取らなければならなかったのだろう。
それ以前に、航空艤装を優先して設計されていたアーカム級航空巡洋艦でまともな水上戦闘は可能なのか、その点がウイリー中尉にはよく分からなかった。
日が暮れる前に、ゴッサムの飛行甲板からは人影が消え去っていた。捲れ上がった甲板の修理や整形を諦めていたのだろうが、最低限の応急処置を施されていたのか格納庫と飛行甲板を繋ぐエレベーターは何度か往復している様子があった。ただし、ゴッサムから飛び立った機体があった訳ではなかった。
単に格納庫内に散らばっていた残骸や可燃物を効率よく飛行甲板から投棄する為にエレベーターを動かしていたようだった。まるで街にサーカスを呼んで祭りでも催しているかの様に、豪快にゴッサムの乗員達は予備機などを海に勢い良く投げ込んでいたのがハイキャッスルからも見えていたのだ。
ハイキャッスルはそんな慌ただしいゴッサムの様子と比べればましだった。即座に発艦ができる機体は、夜間飛行も覚悟の上で艦隊主力の空母か、サイパン島、またはグアム島に送り込んでいたからだ。
アジア艦隊の空母も、日本軍同様に旗艦を含む水上戦闘艦から分離されて安全が確保されているサイパン島沖合で待機していたから、誘導電波の発振や飛行甲板の照明点灯などの措置さえあれば着艦は不可能ではないという判断らしい。
ただし、大部分の搭乗員は明日以降の合流が難しくなっても施設の整ったグアム島の飛行場を目指すのではないか。これが水上戦闘による損害を決意したハイキャッスルからの退避であると搭乗員達も気がついているだろうからだ。
搭乗員達にしてみれば、明日以降もハイキャッスルが着艦可能な状態なのか、その保証は無かったのだ。
ゴッサムと同じように、慌ただしく行われた発艦作業後は危険な夜間作業になりながらハイキャッスルからも残された損傷機などが廃棄されていた。
ただし、爆弾を使い果たした航空機用弾薬庫に残されていたのは僅かな機銃弾だけだったし、退避する機体に燃料を積み込んだら航空機用燃料タンクもほぼ空になっていた。空母としてのハイキャッスルは、今日の戦闘で正に最後まで戦い抜いたと言ってよいのだろう。
ところが、ハイキャッスルは他の空母と違って戦場から退避することは許されなかった。艦隊前衛の任務はまだ続いていたからだ。
アジア艦隊は日本軍との夜戦水上戦闘を決意していた。確かに昼間の航空戦でアジア艦隊の水上戦闘艦には損害が生じていたが、それでもなお数的にはこちらが有利という認識があったからだろう。
航空戦では米日お互いに相手の戦艦を傷つけることは出来なかった。そして偵察情報によれば双方戦艦の数は6隻ずつのはずだったが、アジア艦隊には実質的には巡洋戦艦とも言えるアラスカ級大型巡洋艦のアラスカ、グアンタナモの2隻も配属されていた。
それ以下の軽快艦艇では、駆逐艦の数では不利だが、巡洋艦の数は圧倒的に有利だった。日本艦隊は空母の直掩にも若干の戦力を割かねばならないはずだから、総合的に見ればアジア艦隊の方が夜戦に投入可能な水上戦闘艦の数と質で上回っているという判断をキャラハン大将は下していたのだろう。
戦力で上回るアジア艦隊司令部の戦術は明白だった。日本艦隊の先手を取って砲火力で殲滅しようと言うのだ。
昼間の航空戦闘では一体として動いていた艦隊主力は分割されていた。最初に別れたのはサイパン島沖で待機する空母とその護衛部隊だった。これには夕方になってようやく合流したアンティータム級と随伴してきた直掩艦も含まれているようだった。
残りの水上戦闘艦は、旗艦と共に接近する日本艦隊を迎撃すべく行動を開始していたのだが、前衛として哨戒にあたっているゴッサムの分遣隊を除いても更に大きく2分割されていた。
旗艦を含む戦艦6隻とその護衛艦からアラスカ級と重巡洋艦からなる部隊が分離していたのだ。
この戦闘でキャラハン大将が恐れていたのは、おそらくは日本軍の有力な雷撃戦能力だった。日本海軍に対してアジア艦隊は砲火力では圧倒しているのだが、雷撃戦では不利だった。
同級戦闘艦との交戦では射程が不足する上に誘爆などで不利となるとの判断から米海軍では大型の軽巡洋艦であるクリーブランド級やアーカム級航空巡洋艦を含めて巡洋艦以上の水上戦闘艦から雷装を廃していたのだが、日本海軍は一発逆転でも狙っているのか重巡洋艦にも魚雷を積み込んでいた。
日本海軍側から見れば、彼らはこの雷装を利用して戦術を組み立てている可能性が高かった。艦隊主力同士の砲撃戦が開始されたタイミングを見計らって横合いから接近しての水雷襲撃を行うつもりではないか。
だが、アジア艦隊にはアラスカ級大型巡洋艦という戦い方次第では戦艦とも抗しうる戦力が存在していた。キャラハン大将は、日本艦隊が予め水雷襲撃部隊を分離しているであろう事を察した上で、これを待ち構えて撃滅すべくアラスカ級とその護衛艦を分離していたのだ。
自艦の主砲に対してやや貧弱な装甲や、高速性能を追求した結果悪化した運動性能などにはやや不安もあったが、アラスカ級の戦艦に準じる火力を持ってすれば重巡洋艦程度なら易易と撃破出来るはずだった。
ただし、それには日本海軍の配置を正確に把握する必要があった。敵戦艦群と水雷襲撃部隊の位置を把握しておかないと、下手をすればアラスカ級で戦艦を相手にする羽目になりかねないからだ。
開戦直後にグアム島沖で生起した戦闘では、敵戦艦と渡り合ったアラスカ級は僅か一発の命中弾が致命傷となって撃沈されていた。アラスカ級はあくまでも大型巡洋艦として対巡洋艦戦闘に投入すべきであり、決して敵戦艦に正面からぶつけるわけには行かなかったのだ。
ゴッサム率いる前衛艦隊は、敵艦隊を早期に発見すると共に、やはり敵艦隊も前方に展開しているであろう敵前衛を叩く為に展開していた。
日本艦隊の方が巡洋艦戦力に余裕がない事を考慮すれば、敵前衛は駆逐艦か、巡洋艦を旗艦とした駆逐隊程度と考えられていた。それならば軽巡洋艦級の戦闘艦4隻のみで構築されたこの分遣隊の方が遥かに火力では勝っている筈だった。
だが、その4隻の中にハイキャッスルを加えて良いかという点には疑問の余地があるとウイリー中尉は考えていた。そもそもアーカム級の後ろ半分以上は軽巡洋艦ではなく空母のそれだった。艦尾には高角砲の砲座が備えられているが、後方への射撃能力は無きに等しいのではないか。
それに対して大型軽巡洋艦であるにも関わらずルーズベルト政権時代に大量建造されていたクリーブランド級は、艦橋構造物の前後に2基づつの15.2cm3連装砲塔をバランス良く備えていた。
アーカム級航空巡洋艦と同時期に建造されていたブルックリン級軽巡洋艦と比べれば、量産性を考慮したのかクリーブランド級の主砲塔は1基減らされていたが、その分汎用性の高い両用砲塔が追加されていたから使い勝手は向上していたと言えるだろう。
バランスの良い重巡洋艦にも匹敵する大型の軽巡洋艦であるクリーブランド級と比べると、後部に空母の半身が鎮座しているアーカム級は水上戦闘艦としてみると歪な設計だった。
ゴッサムを含む初期建造艦の場合は、主砲塔が配置された前半部は殆どブルックリン級の設計そのままだから、火力はクリーブランド級にやや劣るといった程度だった。
ただし、砲そのものではなく、主砲火力の管制という意味では初期建造艦でも怪しいものがあった。アーカム級の艦橋構造物は船体後半の空母部分にあったからだ。
アーカム級の空母としての区画は、やや時期が経ってから建造されていたワスプ級やエセックス級に類似したものだった。
ワスプ級航空母艦は格納庫前方にコロラド級空母に倣って発艦専用のカタパルト甲板を備えていたのだが、空母として見ればアーカム級はワスプ級のこの区画を兵装に転用したものだと言えた。
まるでアーカム級は伝説の獣キメラのようだったが、艦橋構造物が空母同様ということは、水上戦闘艦としてみると艦橋の指揮機能や射撃指揮関係装置の能力に限界があるという事でもあった。
例えば艦橋上部の方位盤は、艦橋構造物前後に配置された両用砲塔の照準には十分な能力を有していたが、狭い空母の艦橋に載せるために測距儀の基線長や射撃指揮用レーダーの搭載に制限が出ていた。
これが長距離での砲撃戦にどのような悪影響を及ぼすかはまだ誰にも分からなかった。
アーカム級の初期建造艦はこの様に全く異なる艦種を強引に接続した様な無理のある配置が災いしたのか、復原性などに問題を抱えていた。1番艦アーカムはもう十年ほど前に行方不明になっていたのだが、その時の事故原因も復元性の不足によるものではないかと疑われていたのだ。
そこでハイキャッスルを含む後期建造艦では、主砲塔の削減や格納庫面積の拡張、バルジの拡大などの改良点を折り込んで建造されていたのだ。
後期建造艦はより空母としての性能を追求されたとも言えるが、現在のハイキャッスルはこれに加えて主砲塔の1基を失っていた。僅か1基、計3門にまで減少した主砲で何が出来るのか、ウイリー中尉にはそれ自体が疑問だったのだが、艦長代理のケネディ中佐にはそのような懸念はなさそうだった。
応急員達が退室していたとはいえ、空母に準じたハイキャッスルの艦橋は狭く、艦橋要員は予備配置から臨時に配属されてきた乗員ほど強く緊張した様子が伺えたのだが、ケネディ中佐だけは全くの自然体のように見えていた。
アーカム級航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cfarkham.html
ワスプ級空母の設定は下記アドレスで公開中です。
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コロラド級空母の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvcolorado.html