1951グアム島沖陽動戦15
正規の艦橋要員の他に、復旧作業を行う応急工作員まで押しかけていた事で、いつもよりも人数が多いハイキャッスルの艦橋に新たに入り込んで来たのは、白いナプキンで覆われたトレーを大事そうに抱えた黒人の司厨員だった。
トレーの中で唯一覆われていないカップからは、コーヒーの湯気と香りが勢いよく立っていたのだが、トレーをうやうやしく抱えた司厨員は雑然とした艦橋内ではいかにも場違いだった。
いつもよりも慌ただしい艦橋の様子に戸惑いながらも、司厨員は訥々として艦長はどこかと訪ねていたのだが、彼の声が聞こえたものは一斉に殺気立った視線を向けていた。
乗員達が剣呑な雰囲気を漂わせる理由が分からずに困惑していた司厨員はしばらく視線を彷徨わせていたが、唐突に艦橋左舷側の艦長席に見えた背中に露骨なまでに安堵した顔で誰彼構わずに人混みをかき分けて近づいていった。
だが、司厨員は艦長席の前で再び怪訝そうな顔になっていた。艦橋内に一つだけ配置されている艦長席に座っていたのはハイキャッスル艦長のアベンゼン大佐ではなかったからだ。
いつの間にか戦死した甲板士官に代わって艦長付き代理となっていたウイリー中尉は、艦長代理の耳目となって艦内の被害と応急工作の実施状況を確認するために電話網が怪しくなっていた艦橋を出てハイキャッスル艦内を駆け回っていた。
ようやく一段落して艦橋に戻ってくると、艦長代理のケネディ中佐の前にトレーを抱えた司厨員が突っ立っているところが見えていた。司厨員は艦長席に座っているケネディ中佐を困惑した顔で見つめていたが、中佐の方も唐突に現れた司厨員に戸惑っている様子だった。
戦闘は一段落していたが、まだ損害を受けたハイキャッスル艦内は混乱していた。艦橋内は最優先で機能の回復が行われていたはずだが、正規に配置されていた乗員の少なくない数が戦死していたから、不測の事態が起こる可能性もあった。
そう考えてウイリー中尉は強張った顔で艦長席に近づいていったのだが、司厨員は意外な様子で言った。
「あの……何故その席に座っているのですか。艦長はどこでしょうか。艦長のお食事をお持ちしたのですが……」
たどたどしい調子だったが、司厨員の声は無神経に大きかった。艦橋要員だけではなく、居合わせた応急工作員達も物々しい雰囲気になっていた。その時艦橋内にいた乗員の中には、アベンゼン大佐の遺体やその一部を直に運び出したものもいたからだ。
そのままでは問答無用で黒人の司厨員が艦橋要員に殴られてもおかしくはなかった。
おそらく艦内奥深くに設けられた炊事場に籠もっていた司厨員は、アベンゼン大佐の戦死や、下手をするとハイキャッスルの被弾にも気がついていなかったのだろう。
だが、艦橋要員や被弾から休む間もなく復旧作業を行っていた応急工作員は気が立っていたから、立場の弱い黒人司厨員の都合など配慮する気配もなかった。
しかし、無礼な司厨員に問いかけられた形となったケネディ中佐は、柔和な、むしろ司厨員を気遣うような笑みを浮かべて丁寧に返していた。
「御苦労さま。艦長のアベンゼン大佐は戦死された。今は飛行長の私が艦長職を代理している……それは艦長の食事だね。それも代行して私が頂くとしよう」
そう言いながら、育ちの良さが窺える優雅な動作でケネディ中佐は司厨員からトレーを受け取ると、コーヒーにたっぷりとクリームを落としていた。司厨員はまだ困惑した様子でケネディ中佐を見ながら言った。
「艦長はいつも持ってきてもクリームは入れませんでした……」
それでケネディ中佐は凍りついたように一瞬動きを止めたが、すぐに元の表情に戻っていた。ただし、ハイキャッスル艦内では付き合いの長い方になるウイリー中尉は中佐の顔が僅かに強張っているのに気がついていた。
「生憎だが、アベンゼン大佐と違っていつも私はクリームもシュガーも入れるんだ。ウィーン風とまでは流石にいかないがね。さて、済まないが艦橋の皆にもコーヒーを奢って差し上げたいのだが、今度はポッドで持ってきてくれないか。これは艦長代理からの命令だよ」
トレーを回収するつもりだったのか、まだ艦長席の横に居座っていた司厨員は慌てて立ち去っていったが、乗員の何人かは鋭い視線をその背中に向けたままだった。
そんな剣呑な様子に気がついているのかいないのか、ケネディ中佐はいそいそとトレーに掛かっていたナプキンをめくっていた。トレー上の皿にたっぷりと盛り付けられたものを見ると、司厨員の代わりに艦長席の横に陣取ったウイリー中尉は呆れたように言った。
「揚げ物か、戦闘中に油を加熱するのがどれだけ危険か、少しばかり頭が回れば分かりそうなものだが……」
ウイリー中尉の文句を気にする様子もなく、ケネディ中佐はもう一つの皿に律儀に盛られていたサンドイッチを手に取りながら言った。
「今日の戦闘糧食はサンドイッチとフレンチフライか。しかしこのサンドイッチ、コンビーフの塩加減は最高なんだが、玉ねぎが多すぎるな……」
ケネディ中佐はサンドイッチに豪快にかぶりついているようだったが、おそらくそれは見せかけだった。その証拠にトレーの上にはパンくず一つ落としていなかった。
―――これだから東海岸の上流階級は……
乱暴な入植者のスタイルをこんな状況でもあえて演出して見せているケネディ中佐の所作に、半ば呆れながらウイリー中尉は言った。
「今日日はフレンチフライじゃなくてフリーダムフライというのだそうですよ。何と言ってもフロッギー共は今や合衆国に宣戦布告した敵国ですからね……」
そこで始めてウイリー中尉に気がついたような顔をケネディ中佐は見せていたが、すぐに呆れたような様子で首をすくめていた。
「名前を変えても中身まで変わるわけじゃあるまいに。そもそもフレンチフライは元はベルギー料理じゃなかったかな。それに太平洋艦隊にはボノム・リシャールも配属されているはずだが、あの大食らいの空母も名前を変えるつもりかね」
そう言ったケネディ中佐の視線は、先程黒人司厨員に穏やかに話しかけていたのと同じ人物とは思えないほどに冷ややかなものだった。
だが、ようやく埒もない事を話していることに気がついたのか、気恥ずかしそうにケネディ中佐は食事の手を止めてウイリー中尉に向き直っていた。
「さて、艦内の様子を教えてくれるかい、艦長代理付代理殿」
ケネディ中佐はハイキャッスル艦橋の配置が代理だらけになってしまったことを茶化していたが、その顔はすぐに曇っていった。
交戦時間は大した長さではなかったが、空襲を切り抜けたハイキャッスルの損害は大きかった。日本軍の攻撃機が意外な手段で攻撃を加えてきたからだ。
航空戦力を増強されたアジア艦隊は、特に戦闘機隊の比率を上げていた。防空戦闘能力を向上させるためだったが、6隻の大型空母からなる日本艦隊の戦力は予想以上に大きかった。
結局、アジア艦隊から緊急発進した戦闘機隊は、日本軍攻撃隊を完全に阻止することは出来なかった。ミッドウェー島から移動中にも関わらず戦闘途中で加入したアンティータム級3隻の存在がなければ艦隊主力にまで日本軍攻撃隊の主力が達していたのではないか。
度重なる空襲の間、アーカム級航空巡洋艦ゴッサム、ハイキャッスルを中核とする小艦隊は敵艦隊と艦隊主力の間に位置していた。飛行甲板長が短く艦載機の取り回しに限界があるアーカム級は、発着艦時に頻繁に風向きに艦首を合わせるために艦隊主力に合流できなかったからだ。
あるいは、日本軍攻撃隊に秩序だった指揮統制能力があれば、アーカム級と僅かな数の護衛からなる小艦隊など無視して艦隊主力にその戦力を向けていたのかもしれないが、流石に戦闘機隊の迎撃を受けた状態では日本人達も混乱していたのだろう。
それで、戦闘機隊の阻止線を突破して最初に見えた獲物であるアーカム級に次々と襲いかかっていたのではないか。
だが、これがアーカム2隻の艦隊に日本軍攻撃隊を引き付けて、艦隊主力に向かうはずだった戦力を吸収させる結果に繋がっていた。戦闘は激しかった。対空戦闘でハイキャッスルとゴッサムは何機かの日本軍機撃墜を確認していたが、損害に釣り合うとは思えなかった。
この戦闘で日本軍の攻撃機は、航空魚雷や爆弾ではなく、大型のロケット弾を使用していた。航空魚雷と見間違える見張員も多かったから、相当大型のロケット弾だったのではないか。
最初にロケット弾が命中したのは、ハイキャッスルの護衛についていたクレムソン級駆逐艦だった。ゴッサム、ハイキャッスルの2隻のアーカム級航空巡洋艦が単縦陣を構築していたのに対して、クレムソン級駆逐艦は1隻ずつが左右舷で援護する態勢をとっていた。
日本軍の攻撃隊からすれば、そのクレムソン級駆逐艦は主力であるアーカム級を狙うのに最大の妨害となっていたはずだった。最初に集中攻撃を受けたのはそれが理由だったのだろう。
初めてのロケット弾攻撃に訳も分からずに無闇矢鱈と対空射撃を行っていたクレムソン級駆逐艦は、最初の数発は外していたものの、艦橋構造物に直撃を受けていた。
ウイリー中尉もその光景をハイキャッスル航空管制室から目撃していた。白煙を引きながら次々とこちらに向かってくるロケット弾の姿がクレムソン級の影に入って見えなくなったと思った次の瞬間には、駆逐艦の艦橋が文字通り吹き飛んでいたのだ。
クレムソン級の運命はそれで定まっていた。おそらくは、艦橋に命中した直撃弾で艦橋要員は全滅していた筈だった。それに艦橋に前後する煙突や前部の主砲などの機材も機能が失われていた。艦内の機関部にも損害が出ていたのか、クレムソン級はがくりと速度を落としていたのだ。
その後もそのクレムソン級は残存した艦後部の主砲や機銃で抗戦していたのだが、艦橋が射撃指揮装置ごと吹き飛んでいたためか、砲側で管制しているのであろう射撃の効果は低かった。
そして出鱈目に射撃を続けていたクレムソン級は、初弾に続けて執拗に行われた日本軍のロケット弾を被弾すると、弾薬に引火でもしたのか駆逐艦から発せられたものとは思えない程の爆炎を吹き上げて沈んでいった。
あまりに短時間で推移した戦闘に、次は自分たちの番かとウイリー中尉は身構えてしまったのだが、実際にはその時の戦闘は終了していた。アジア艦隊の戦闘機隊に遮られて、ハイキャッスルを襲っていた日本軍機の数が少なかったのだろう。
ウイリー中尉は、唖然として翼を翻して背中を見せている日本軍機を見送っていたのだが、日本人達はその一撃で終わる程に諦めが良くはなかった。撃沈されたクレムソン級から脱出していた僅かな数の溺者救助が終わった直後に再度の空襲が発生していたのだ。
その後は慌ただしい戦闘が続いていた。陣形の反対舷を航行していたもう一隻のクレムソン級もいつの間にか撃沈されていたが、その溺者救助が終わる間もなく、アーカム級2隻は防空戦闘と自艦から出撃していた戦闘機隊の収容と再出撃を繰り返していた。
発艦と収容、その合間の戦闘が続く間、艦隊主力との合流は果たせなかったのだが、後方から飛来する友軍戦闘機隊や、遥か上空を航過していく陸軍の重爆撃機編隊の姿は見ていたから、孤立していると言った感は不思議と無かった。というよりもそんな事を考えている余裕は多くの乗員たちには無かった。
アジア艦隊を指揮するキャラハン大将も、護衛のクレムソン級が沈んだ事は把握してる筈だった。そうでなければ艦隊主力からハイキャッスルとゴッサムの護衛に2隻ずつのクリーブランド級軽巡洋艦と新鋭駆逐艦を追加の護衛として送り込んだりしないだろう。
その代わりに、戦闘機隊の発艦と風向きの関係で結果的に突出していた2隻のアーカム級は、主力艦隊前衛の任を担う結果になっていたのだ。
増援4隻の火力がなければ危うい事態はその後も発生していた。度重なる空襲が終了するまでの間に、クレムソン級だけではなく新鋭駆逐艦も相次いで沈められていたからだ。
そして、残存する4隻の巡洋艦もどこかしら損傷を負っていたから、沈みつつある太陽を背にしながらほうほうの体で艦隊主力と合流するべき逃げ出していたはずだった。
アーカム級航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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