1951グアム島沖陽動戦13
グアム島に設けられた航空基地内の弾薬在庫を聞かされたヘイル大尉は、思わず剣呑な表情を浮かべていた。
周囲の掩体内では、B-36に取り付いている整備兵達が後部に動翼の付いた特殊な誘導爆弾を苦労しながら爆弾倉に収めようと作業していたが、その様子を指さしながら大尉は報告してきた整備下士官に言った。
「別にB-36が抱えて出撃するあんな誘導爆弾には最初から期待しとらん。どうせあの爆弾は誘導装置が特殊すぎてB-49では照準が出来ないのだろうし、それ以前に誘導機能は繊細だし高高度から投弾しなければならんのだろうから、誘導爆弾は低空侵入が基本のB-49とは相性が悪すぎる。
誘導爆弾なんかは高高度投下しか芸のない鈍亀のB-36に任せておけば良いんだ……それより千ポンドの貫通爆弾などは無かったのか。海軍に大半は持っていかれたかもしれんが、貫通爆弾なら日本人の要塞地帯辺りのコンクリートトーチカを破壊するために幾らかはグアム島にも備蓄されていたんじゃないか。
もしも戦艦を抜く貫通爆弾が贅沢だと言うなら、五百ポンドや千ポンドの半貫通爆弾でも構わん。あれなら戦艦は無理でも巡洋艦や駆逐艦なら沈められるんじゃないか……」
僅かな期待を込めて未練がましくヘイル大尉は続けていたが、整備下士官は途中で遮るように大きく首を振っていた。
「爆撃集団の弾薬庫に残ってるのは、焼夷爆弾の他は百ポンド爆弾くらいしか無いようですぜ」
「焼夷爆弾ってあのB-36が日本人の上に落としてる奴か……そりゃ日本人共の家は紙で出来ているという話だから焼夷爆弾でも簡単に燃やせるんだろうが、鉄で出来た軍艦はいくら何でも燃やせないだろう……
百ポンド爆弾は、B-36でも爆弾倉に大容量爆弾を積んだ余りの空間に詰め込んでいるはずだが、これまでは大して使われていなかったのか……」
「何でも日本人の本土爆撃には効果が派手な焼夷爆弾が多用されているようですし、いくらB-36の航続距離が恐ろしく長いといっても海を渡るのに爆弾倉を満載にするのはおっかない。それで百ポンド爆弾は余っているようです。
今も船便で大量に運び込んで来ている焼夷爆弾と、思ったより使わなかった百ポンド爆弾だけ在庫が余ってるんでしょう」
「そもそもグアム島の弾薬庫は貧弱すぎるぞ……それで、貫通爆弾は本当に一発も残ってないのか」
「そりゃ在庫を総ざらいすれば一発や二発くらい残ってるかもしれないと倉庫番の兵器科連中は言ってましたがね……でも備蓄されていたなけなしの徹甲爆弾は、ついこないだ大尉殿があのイオに抱えて滑走路やら何やらに落としてきた分で大半使い切っちまったみたいですよ」
予想以上に悪かった状況に、ヘイル大尉は思わず不機嫌そうに唸り声を上げていた。
B-36は米陸軍航空隊にとって空前の巨人機だった。その打撃力は極めて大きかったが、当然のことながら出撃の度に消費する弾薬、燃料、そして何よりも危険極まりない爆弾は膨大なものだったのだ。
ところが、残念ながらこれを備蓄するのにふさわしい程にはグアム島に設けられた弾薬庫の規模は大きくはなかった。しかも、日本本土への戦略爆撃を優先して補給が行われていたものだから、分厚い装甲を持つ敵艦に有効打を与えるために必要不可欠な徹甲爆弾の在庫は乏しかった。
一方で米領グアムには以前から複数の航空基地や港湾施設が整備されていた。
しかも、いずれの滑走路も建設当初からかなりの高規格で建設されていたから、2年ほど前に制式化されたばかりである大重量のB-36を受け入れる際も、駐機所は限界まで拡張工事が行われていたものの、滑走路自体の追加工事は僅かなもので済んでいたのだ。
グアム島の航空基地が以前から長大な滑走路を有していたのは、この島がミッドウェー島と並んで米領を結ぶ航路、そして昨今では空路の中間結節点として長期的に整備されていたからだった。
例えば米本土から米領の最西端であるフィリピンに赴く場合は、カリフォルニアからミッドウェー島、更にその先のグアム島を経由するのが常用されるルートだった。
ミッドウェー島とグアム島の中間点にあるウェーク島にも飛行場などが整備されていたが、今では同島の施設はあくまでも天候悪化時などの不時着地点として補助的な役割が与えられていただけだった。
グアム島からフィリピンまでの距離は精々三千キロといったところだが、ミッドウェー島からグアム島までは四千キロを越えており、本土最西端のカリフォルニアからミッドウェー島までは更に長い六千キロ近い距離があった。
つまり、最初の関門であるカリフォルニアからミッドウェー島までの距離を片道でたどり着けなければ、太平洋を横断すること自体が出来なかったのだ。
グアム島の滑走路が高規格で建設されていたのは、単に空路の結節点であったからだけではなかった。爆撃機に限らず太平洋を横断するほどの長距離飛行が可能な機体であれば必然的に大型機となるから、支援設備の他にそうした大重量の大型機が着陸できるだけの高規格滑走路が必要だったのだ。
ジェット化によって航続距離が減少したとよく言われるB-49でも、爆弾倉まで予備燃料槽で埋め尽くしたフェリー装備であれば六千キロ近い航続距離があったが、それも太平洋を横断できる最低限の航続距離から逆算して求められた性能だったのだ。
逆に言えば、空母の飛行甲板に載せるか、輸送艦に分解して持ち込まない限りは、ミッドウェー島以西に迅速に送り込める航空機の下限はB-49ということになる。
だが、こうした大型機が就役し始めたのはそれほど以前の事ではなかった。結局は、カリフォルニアからミッドウェー島まで飛行出来るような航続距離に優れた機体を米国は中々作れなかったのだ。
国内航空産業の育成が不十分であったことを除いても、米国は英日などに対して国外空路を巡る環境では戦略的に不利な条件が多かった。米国の太平洋空路と違って、英国とアジア植民地や日本など極東を結ぶ空路はだいぶ以前、第一次欧州大戦以後には早々と設定されていたのだ。
米英の航空技術に極端な差は無かっただろうから、航続距離で飛躍的な進化が英国機にあったわけでは無かった。実際、当時の機材は性能が貧弱で、人員の輸送には経済性から相当の重要人物でなければ使用できるような物ではなかったから、実質的に郵便機として運用されていたに過ぎなかったようだ。
だが、欧州から極東に向かう場合は、大半が英国や同盟国の植民地や保護国の上空を飛行していた。航法も単純な地文航法で済むし、航続距離が貧弱でも途中に幾らでも降りられる滑走路が設定出来たのだ。
尤も、米国でも以前から太平洋を横断する長大な空路が存在しないわけでは無かった。出発地がカリフォルニアであることに変わりはないが、陸上機ではなく大型の飛行艇が使用されていたのだ。
陸上機に対して飛行艇には無視出来ない大きな利点があった。海面に制限はないから幾らでも離着陸距離を長く取れる為に滑走路が貧弱な拠点でも運航出来たし、極端な場合は陸上施設の支援無しに海上に降りて船舶から燃料を補給することも出来るのだ。
飛行艇便の定期運航には中途半端な位置にあるウェーク島も活用されていたし、空路が設定された初期にはカリフォルニア沖に支援船が投入されて空路途中の燃料補給を行っていた。
だが、陸上機と比べると周辺施設はともかく飛行艇の運航費は高かった。機体構造は特殊で製造費がかかるし、速度性能などは同規模の陸上機よりも劣っていたのだ。それに加えて運用環境が海面に近いことで使用条件も劣悪になるから、エンジンなどの整備費用も無視出来ないほど高かった。
それに飛行艇ならば途中の海域に給油海面を設けられるといっても、太平洋上に特殊な機材を抱えた支援船を展開する手間は運航費用に加算されていたから、出来る事ならば定期運行するにしても飛行艇よりも陸上機形態を選びたいところだったのだ。
あるいは、米西戦争に前後してフィリピンと同時にハワイが米領に編入されていたのであれば、米国の空路を巡る状況は変わっていたかもしれなかった。
カリフォルニアからなら、ミッドウェー島よりもハワイ諸島の方が距離は近いし、航法支援機能を強化したところで絶海の孤島であるミッドウェー島よりもハワイ諸島のほうが辿り着くのは容易ではないか。
ハワイ経由が使えれば航路も空路も開拓はもっと進んでいただろうし、あるいは航続距離の要求が緩和される事で、技術的に無理をする事なく陸上機の生産も進んでいたかもしれない。
いずれにせよ、海軍が太平洋艦隊の前進根拠地としても以前から整備していたミッドウェー島ならともかく、グアム島は航路の支援機能を優先して整備されていた。
開戦前に想定されていた対日戦における想定では、サンディエゴなど本国の母港から出撃した戦艦を中心とする主力艦隊はミッドウェーで燃料、弾薬等の補給を受けて西太平洋に万全の体制で進出し、待ち構えていた日本艦隊を撃破して彼らの本土に迫る。そのような構想だったようだ。
だが、この場合は日本人の本拠地に近いフィリピンやグアム島などは一時的に占拠されるのもやむなしと考えていたはずだ。
実際に発生した今度の戦争では、核攻撃というこれまでになかった手段によって日本軍の初期侵攻能力を奪っていたことでそうした事態は避けられていたが、グアム島の基地能力は一旦は奪取される事も想定して整備されていたのではないか。
滑走路や港湾部、それに半地下化された所もある燃料槽や最新の電波施設を含む航法支援能力に比べると、継戦能力を左右する弾薬庫容積は見劣りしていたのは、どうせ弾薬庫を空にするほど長期間は持たないという想定もあったのかもしれない。
あるいは、単に建設時と今では弾薬の消費量が桁違いに増えていただけかもしれない。
莫大な物資を一度の出撃で消費してしまう金食い虫のB-36を大量に受け入れていた事もあって、現在グアム島に駐留する爆撃集団の継戦能力は飽和していた。
しかも、これから海軍と交戦中の日本軍艦隊を襲撃する為に、B-36は在庫の豊富な焼夷爆弾ではなく巨大な誘導爆弾を抱えていた。
どうやら陸海軍の上層部は日本艦隊の反撃をある程度は予想していたらしい。そうでなければ貴重な船便の荷を割いて誘導爆弾を備蓄などしていないだろう。
これが初陣となる誘導爆弾の技術体系は、元々ソ連からもたらされたものだった。第二次欧州大戦、ソ連が呼称するところの大祖国戦争における米国の多大な支援の対価の1つとして引き渡されたドイツ占領時に得られた技術資料に含まれていたのだ。
ソ連では誘導爆弾が実戦に投入された実績は無かったが、大戦中にドイツ空軍が使用した原型の誘導爆弾は、高高度からの投弾で英海軍の空母を一撃の元で沈めていたらしい。
報道などからその威力を知った米陸軍航空隊は、この鹵獲されたドイツ製爆弾をベースとして、合衆国の優れた技術で改良を加えた大威力の誘導爆弾を作り上げていた。
高高度からの投弾で落着時の運動量が極めて大きくなることから、着弾時の衝撃に耐えられる様に、誘導爆弾が有する重量の大半は分厚い弾殼で占められていた。
この運動量自体で装甲を貫いた上で遅延信管で艦内で起爆して破片を高速で撒き散らすという機能自体はこれまでの貫通爆弾と変わらないが、誘導爆弾の運用で従来の爆撃と違うのは投弾時の高度が極めて高いことだった。
従来の水平爆撃では高高度から投下しても様々な原因で弾道がぶれて命中精度は低かったのだが、その誤差を誘導機能で補正するのが誘導爆弾の機能だったからだ。
誘導爆弾がうまく機能すれば、重爆撃機編隊だけで敵艦隊を殲滅できると言うが、B-36の爆弾倉に収まった誘導爆弾を睨みつけながら、ヘイル大尉にはどことなくそれが都合の良すぎる考えのように思えていた。