1951グアム島沖陽動戦12
当初ジェット攻撃機として開発されながらも所要の性能に達していなかったF-87の原型機は、おそらくは艦艇建造に国防費を集中投下していたルーズベルト政権であれば、日の目を見ることなく単に数ある実験機として生涯を終えて廃棄されるか、何処かの博物館の倉庫にでも放り込まれていた筈だった。
F-87の開発計画を救ったのは、俳優出身で自らも操縦桿を握るアクロバットパイロットだったという異色の経歴を持つカーチス前大統領だった。
新政権の下で航空行政の見直しがかけられた結果、F-87はジェット戦闘機に変更されて改正された開発計画が継続されていたのだが、そもそもF-87の開発計画が開始された時期は、第二次欧州大戦で飛躍的に航空技術が進歩を遂げていた時期だった。
しかし、最後まで参戦しなかった米国陸軍航空隊には十分な戦訓の蓄積がなされていなかった。それ故にF-87原型機は計画で求められていた数値からして具体性のない、総花的なものでしか無かったとカーチス前大統領は判断していたのではないか。
尤も、パイロットとしての感覚を有していたカーチス前大統領の懸念を共有していた米国民は少なかった。
当時は陸軍に入隊したばかりだったが、ヘイル大尉にはカーチス政権が特に政権末期に批判されていた様に無意味に航空会社に税金を投入していたとは思えなかった。
ゴシップ記事ではカーチス大統領とカーチス社の関係を疑う声もあったが、実際には綴が違う両者には全く関係が無かった。それにカーチス政権が支援していた業者はカーチス社だけではなかった。
米国は航空機の黎明期こそ先端を走っていたものの、動力飛行を世界で初めて成功させたはずのライト兄弟を実質上黙殺したことでも明らかなように政府関係者の多くは航空機に疎かった。
それに航空技術を結果的に著しく発展させる切っ掛けとなった2度の欧州大戦に米国が参戦しなかったことから、航空行政の必要性に関しても航空関係者以外では今一理解が薄かった。
欧州大戦で発達したのは航空機個々の性能だけではなかった。戦時中に発生する膨大な損害に対応する為に抜本的に見直されていた量産体制に関する技術開発も無視出来なかった。
ただ一国で平和を享受していた米国産業界では、自動車産業やトラクター製造においては大量生産体制で極めて優れた能力を発揮していたにも関わらず、航空機製造に関してだけはそれが直接結びつかなかったのだ。
カーチス政権が、少数の大手業者に生じている隙間に家内工業的なベンチャー企業が乱立する航空産業を支援していたのは、その米国人の意識そのものを変えようとしたためではないか。
だが、些かその手段が場当たり的なものだったことは否めなかった。F-87開発計画の迷走はその一つの証拠とも言えるもののようにヘイル大尉には思えていた。
この攻撃機の道を絶たれたジェット機を戦闘機に転用するという案自体は計画初期の頃から検討されていたようだが、どうも肝心の搭載兵装に関して意見の相違があり、案の中には実際に試作されながらも葬り去られたものもあったようだ。
中には固定式だけではなく旋回式の銃塔案もあったというから、第二次欧州大戦に投入された各国列強の戦闘機などを見比べていた陸軍航空隊でも、このジェット攻撃機の成れの果てをどう扱えばいいのか、確固とした見解が存在していなかったのではないか。
最終的に制式化されたF-87は、無難に機首に固定された4門の機関砲と尾部の自衛用旋回機銃を装備する夜間戦闘機として就役していた。
攻撃機譲りの複座配置が、兵装やレーダーと機体自体の操縦を複数のクルーで分担しなければならない夜間戦闘機に向いていたというよりも、ジェット化で高速化した速度性能はともかく旋回性などが劣悪で純粋な戦闘機としては複合動力機のF-83どころか旧式化したP-73にも劣るという判断があったのだ。
そもそもカナダを除けば仮想敵国から遥か離れた北米大陸の本土防空は、陸軍航空隊にとってさほど真剣に取り組むべき問題とは思えなかった。
航続距離の長い長距離爆撃機を迎撃するための重武装多座戦闘機であるFM-1のような機体さえあれば十分と考えられていたから、当然夜間戦闘機も軽視されてF-87を装備する部隊も開戦前まではごく限定されたものだけだった。
だが、防御機銃座が充実していた上に高高度飛行が可能なB-36でさえ日本本土の爆撃で損害が続出しているという予想外の事態が発生していたことで、中途半端な扱いを受けていたF-87を巡る状況も一変していた。
本来複合動力機であるF-83は、ジェット化による高速化とレシプロエンジンによる燃費改善を狙った機体だったのだが、同機の機体構造は比較的軽快な単座戦闘機だから航続距離には大きくは期待できなかったし、単座機では長時間の飛行にも制限があった。
そこで本来夜間戦闘機として就役していたF-87は、なし崩し的に急遽長距離戦闘機に転用されることになっていたのだ。
ヘイル大尉もまだ実機を見たことがないが、改造を受けたF-87は兵装を最低限に抑えて軽量化した上に限界まで増槽を搭載しているらしい。
だが、小手先の改良で飛躍的な航続距離の増大を望むのは難しかった。米軍占領下で最北端のサイパン島に展開してもグアム島から稼げる距離は二百キロ程でしかないのだから、B-36の爆撃行程の全てに随伴するのは到底不可能だろう。
尤も長距離援護戦闘機としてのF-87の改造はまだ暫定的なものに過ぎないという噂もあった。開戦までのF-87は、需要の少ない夜間戦闘機としてB-36同様に限定的に生産されていたに過ぎなかったからだ。
開発元のカーチス社は、P-73/F14C、F-83/F15Cと昨今の陸海軍戦闘機を独占的に生産していたから、F-87の生産数が少なくとも特に問題はなかったのだろうが、開戦以後はF-87も急遽生産体制の強化が求められていたようだ。
そして量産体制の構築に並行して、カーチス・グラマン社では機内燃料タンクの増設や軽量化を図った改設計が行われているようだ。
積極的な戦闘を行うのではなく、敵戦闘機の妨害を行うために長距離ロケット弾が搭載されるという話もあったが、今のところヘイル大尉達が聞いていたのは既存機を改修した機体の事だけだった。
既に夜間戦闘機とは用途が変わっていたものだから、F-87にブラックホークという愛称が与えられていたのに対して、完全な暗黒の夜よりも単なる暗がりに戦闘域が変わったということなのか、非公式に長距離戦闘機仕様はシャドウホークという愛称で呼ばれているようだった。
だが、ヘイル大尉には徹底的な改良を施したところで日本本土までF-87が随伴できるとは思えなかった。本来であれば戦闘機隊の拠点はより北方の硫黄島を占領して進出すべきだったのだ。
北マリアナ諸島から日本本土までの二千キロ超という距離はあまりに遠すぎた。B-36以外にこの暴虐的な距離を安々と越えられる機体は存在しなかった。
そのせいなのか、第20爆撃群ではB-36自身の自衛火力を強化しようという案もあるらしい。なんでも緒戦の核攻撃の際に核爆弾搭載機に随伴していたという爆弾搭載量を削減する代わりに銃塔搭載数を増加させた火力増強型を正式に生産して、爆撃型に随伴する編隊翼端掩護機とするのだそうだ。
しかしながら、自衛火力をいくら増強したところで軽快な戦闘機相手には焼け石に水にしかならないことは明らかだった。命中精度の低い爆撃機の自衛火力に牽制の効果しか望めないことは、ジェット化によって機銃座が減らされていたB-49に乗り込んでいるヘイル大尉には自明の理だった。
確かにB-49がB-35と比べて機銃座が減らされたのは高速化によって不要となったという側面も無視できないのだろうが、そもそも爆撃機がごてごてと機銃座で機体を覆ったところで効果が薄いと考えられていたからではないか。
核攻撃の際には、戦闘機を機内に収容するという訳の分からない改造を受けた機体も翼端援護機と共に随伴していたという話だったが、爆撃機の胴体に収まるような小型戦闘機が日本軍の本物の戦闘機に対してまともに使えるとは思えなかった。
他にも空前の巨人機であるB-36を母機とする戦闘機の空中発進などが試みられていたらしいが、最近では戦間期にわずかに実験が行われていた空中給油を復活させるという案が有力であるようだった。
空中で燃料缶やホースを使って他機に燃料を給油する実験は、何度かの成功と数限りない失敗によって米軍内では一時的に忘れ去られた技術となっていた。
だが、ジェット機の場合は、当時行われていた実験で障害となっていた危険極まりない機首で高速回転するプロペラが無くなったものだから、唐突に空中給油の利便性が思い出されていたらしい。
あるいは、F-87の改良案とは空中給油に対応した燃料系統の改造を行うというものなのかもしれない。B-36編隊の中に燃料を満載したタンカーを潜ませるか、あるいは搭載量に余裕のあるB-36自体から随伴する戦闘機に燃料を融通するのではないか。
しかし、現状ではこれ以上に本本土爆撃を行うB-36編隊を強化するのは難しいだろう。戦時下におけるグアム島の基地機能には、見過ごすことの出来ないもう一つの欠点があったからだ。重い腰を上げながらヘイル大尉はそう考えていた。
ヘイル大尉のアロー号が収まった掩体の前に、数時間前に偵察に出していたスレーター少尉と整備隊の下士官が姿を見せていた。偵察に行かせた先は、当然だが日本艦隊やサイパン島などではなく、同じグアム島内の爆撃集団司令部だった。
若いスレーター少尉は、爆撃集団付の通信隊に予備役将校訓練課程の同期生が在籍していたから前線の様子を探らせようとしていたのだが、整備長に頭を下げて整備下士官を付き添わせたのは、下士官仲間から話を聞き出させるためだった。
第21爆撃群は状況がよく分からないまま放って置かれたようなものだから、上級者の戦死でいつの間にか飛行隊の先任士官となっていたヘイル大尉は、独自に情報を集めようとしていたのだ。
ヘイル大尉が、収集してくる情報の内容に期待していたのは、自分とペアとなる副操縦士であるスレーター少尉ではなく、整備下士官の方だった。態々整備隊の先任下士官を送り込んだのは、古参の下士官同士でしか話せない情報をかき集めさせるためだったからだ。
階級ではスレーター少尉の方が勿論上だが、聴き込む相手が情報が集まりやすい通信隊とはいえ扱っている情報の機密度が高いから、予備役将校訓練課程の同期生程度のコネでは碌な情報は集められないだろうと考えていたのだ。
だが整備下士官は、ヘイル大尉と視線が合うなり苦虫を噛み潰したような表情で首を振って見せていた。
「大尉殿、やはり駄目ですね。まだ燃料は爆撃集団まで行かなくとも爆撃群のところで確保できます。何とか生き残ったB-49の全機を腹一杯にさせることは出来そうです。
ですが、爆弾は駄目です。例の誘導爆弾は全部第20爆撃群に抑えられちまったそうです」
グアム島に設けられた航空基地の欠点は、継続的な補給がなければあっという間に干上がってしまう貧弱な兵站機能だったが、ヘイル大尉はようやくその事を実感していた。
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