1951グアム島沖陽動戦3
米国が太平洋を横断する航路の中継点としても整備していたグアム島は、地勢上南北を日本帝国の根拠地に囲まれていた。
南方には日本海軍が第二次欧州大戦に前後して大規模な根拠地として整備していたトラック諸島があったし、北方には日本帝国の西太平洋支配の中核となる政庁を置くサイパン島が存在していたのだ。
軍事的には艦隊の根拠地が置かれたトラック諸島の制圧が優先されたものの、政治的にはサイパン島の占領をもって日本帝国の南洋支配を終わらせることが出来るだろうと考えられていた。
開戦初頭に行われた核攻撃の余波を受けてトラック諸島を直接的には僅かな損害で制圧した米軍は、何故か動きの鈍い海兵隊を再編成しつつ北方のサイパン島、テニアン島の制圧に乗り出していた。
勿論政治的にも今度は威力の大きな核攻撃は使えなかった。この両島を占領して大規模な航空基地を設けられれば、制限の多いグアム島の航空基地単体で行うよりもはるかに効率的に大規模な日本本土空襲が可能となるからだ。
しかし、両島を隔てる海峡が僅かな距離しかないという地形上の問題から、テニアン島とサイパン島は同時に制圧する必要があった。
ある程度の火砲があれば海峡を隔てた砲撃さえ可能だったし、サイパン島中央のタッポーチョ山からは計算上テニアン島を目視できるらしいから、弾着観測射撃すら可能だった。
太平洋艦隊からアジア艦隊に前進配置された戦艦などの火力支援を受けつつ、各種ボートに分乗した海兵旅団は更に連隊規模に分散してテニアン島とサイパン島に上陸していたのだが、意気込んでテニアン島に上陸した海兵隊員を出迎えたのは野生の豚だけだったらしい。
元々テニアン島はスペインやドイツ領だった時代は無人だった。支配者が日本帝国に変わった後は多少の移住者もあったようだが、人口や社会インフラはサイパン島に集中していたようだった。
両島を合わせてもそれほど現地人の人口は多くはないようだから、態々テニアン島を苦労して開拓する必要はなかったのだろう。それを知らずにテニアン島に上陸した海兵連隊は、僅かな数の守備隊を残して釈然としない思いとだんだんと増えていく不調者を抱えながらサイパン島に渡っていた。
実は、第1海兵師団は潜水艦を用いて選抜した偵察隊を密かに上陸させて先行偵察させる計画を作戦を統括するアジア艦隊司令部に提案していた。本隊に先んじて両島の情報を収集するためだった。
米軍が根拠地とするグアム島の近海にあったことから、テニアン、サイパンの一般的な情報はある程度収集されていたものの、開戦前の米軍が重点的に監視していたのはやはり軍事的な脅威である南方のトラック諸島だった。
軍事的には僅かな守備隊しかなかったためか、日本帝国から公開された情報もあったが、現地の地勢などは米軍内でも詳細を把握しているものはいなかったのではないか。
だが、海兵師団による先行偵察案は、アジア艦隊司令部だけではなくグアム島の爆撃集団司令部からも反対意見が強かった。
陸軍航空隊は、早期にテニアン島、サイパン島を占領してグアム島の前哨基地として運用するつもりだった。取り敢えずは野戦飛行場からでも運用できる防空戦闘機部隊を早期に展開した上で、並行して基地を拡大してB-49を装備するヘイル大尉達の第21爆撃群も両島に移駐させる腹積もりだった。
そもそもB-49が硫黄島を爆撃する為に早々にグアムに派遣されたのは、実質的に胴体のないB-49が爆撃集団の本来の主力であるB-36に対して駐機スペースが少なくて済むからでもあった。
現状で損害の大きいB-36を無理やり送り込むよりも、B-49を利用して日本帝国の外殻陣地を崩していくほうが最終的な損害は抑えられると判断したためでもあったのだろう。
開戦直後は50機ほどのB-36がグアム島の爆撃集団に配属されていたのだが、日本本土爆撃で損失した機が使用していた分の駐機所に多くのB-49が押し込まれた結果、2機種を合わせた在島の爆撃機機数はむしろ開戦前よりも増加していた。
だが、文字通りに翼を接する様に配列された全翼機のB-49はテニアン島などに前進させて、グアム島は戦略爆撃専用の拠点としてB-36の補充を受けて開戦時の戦力を回復させたいと言うのが爆撃集団の意向だった。
その時点で日本帝国が降伏すればよいが、そうでなければいずれはテニアン島やサイパン島までB-36を運用する基地が建設される可能性もあったが、いずれにせよその為にはいち早くマリアナ諸島を完全に制圧する必要があったのだ。
陸軍航空隊は、テニアン島やサイパン島をいち早く占領することが戦争終結に直結する為に、多少の危険性は無視して先行偵察を省くべきだと主張していたのだが、ある意味でアジア艦隊司令部が海兵隊の作戦案に反対したのはもっと切実な理由だった。
海兵隊は少数の将兵を密かに潜水艦で送り込む作戦計画を立案していたのだが、実際にはアジア艦隊に配属されていた潜水艦隊は壊滅状態にあったのだ。
米海軍が現在保有する潜水艦は、旧式化した3隻のバラクーダ級巡洋潜水艦を除けば、艦種は2つに絞られていた。
一時期は米潜水艦隊保有艦の大半を締めていたカシャロット級は、超大型の偵察潜水艦として建造されたバラクーダ級に専有された排水量の煽りを受けて、軍縮条約の保有制限内で数を揃えることを優先されたものだから、艦形が過小で長期間の行動には向かなかった。
そこで、哨戒範囲の広いアジア艦隊が根拠地を置いていたルソン島には、以前から新鋭のタンバー級潜水艦が若干数配属されていた。軍縮条約が無効化されてから建造されたタンバー級は、米海軍にとっては安心して外洋で運用できる艦であるらしい。
ところが、日本海軍の空母部隊によるフィリピン空襲によってマニラ近くのスービック海軍基地は徹底的に破壊されてアジア艦隊に配属されていたタンバー級も多くが撃沈されていた。
無事だった艦も支援能力の低下したルソン島を離れてグアム島やミッドウェー島まで後退せざるを得なかったから、即座に作戦に投入できるような状況ではなかったらしい。
艦隊前衛の偵察艦として整備された為に8インチ砲を4門という重巡洋艦並の火力を備えたバラクーダ級ほどではないにせよ、そもそもタンバー級も雷装に加えて強力な連装6インチ砲を備えた重武装の潜水艦だった。
雷装もカシャロット級の反省から相当に強化されているというから、排水量が拡大されても兵装に圧迫されて艦内のスペースに余裕はないらしい。だから海兵隊を便乗させるにも制限があるはずだった。
海兵隊がどこまで把握しているかは分からないが、再整備で余剰機材の撤去等を行わなければ艦内に重武装の海兵隊員を収容することは出来なかったのではないか。
陸海軍の上級司令部が揃って反対したことから、結局海兵隊は事前偵察なしにマリアナ諸島への上陸を敢行していた。それでも沖合には太平洋艦隊から回航されてきた戦艦群が待機していたから、火力面では万全を期していると言うのがアジア艦隊の最終的な判断だったようだ。
だが、テニアン島に上陸した部隊が野豚と遭遇していた頃、サイパン島に上陸した部隊も敵兵の姿を見つけられなかったらしい。
欧州大戦で行われた上陸作戦の報道などを分析した結果、アジア艦隊の指揮で上陸岸を最初に艦砲射撃で叩いてから海兵隊は上陸したのだが、実際に吹き飛ばしたのは日本軍の防御施設ではなく、まばらに建てられた現地民の粗末な住宅だけだった。
それでも海兵隊員は緊張しながら上陸岸から前進していた。欧州大戦では、激しい艦砲射撃で破壊される海岸地帯には警戒部隊を配置する程度に留める一方で、内陸部に控えさせた機動力のある守備隊主力で上陸岸に逆襲をかける事もあると聞いていたからだ。
それにアジア艦隊の輸送力が貧弱だったから、海兵隊員達自身はともかく補給物資や自前の火砲などの上陸は遅れており、火力支援は下手をすると味方将兵を巻き込みかねない大型艦の艦砲射撃に頼るしかなかった。
弾着観測を行う艦隊から派遣された連絡要員を引き連れて市街地に向かった海兵隊員のもとに意外な知らせが入ったのは、上陸からしばらくしてからの事だった。
ほぼ無人島だったテニアン島とは違ってサイパン島にはいくつかの都市、というよりも集落があったのだが、日本帝国の政庁が建てられたガラパンを含めて無防備地区宣言が出されていたのだ。
ハーグ陸戦条約に基づく無防備地域宣言は、宣言が出された地域から軍事力を撤退させる事で戦闘を回避させるためのものだった。しかも、無防備地域宣言を伝えてきたのは現地民の代表だったらしい。
あとから分かったことだったが、日本帝国は開戦直後の核攻撃から海兵隊がもたついている間に、西太平洋の委任統治領から守備隊や日本人達を撤収させていた。
サイパン島には、開戦直後にはもっと南方の島々から引き上げてきた雑多な船や日本人、少数の現地人官僚などが在島していたようだが、海兵隊の上陸直前に彼らは現地人の代表に無防備地域宣言を出すように伝えると日本本土を目指して出港していった、らしい。
意外な事に西太平洋の日本帝国領には開戦以前から日本人の民間人はほとんどいなかったようだ。各島に長期在住していたのは官僚や商社の人間ばかりというから、物好きな冒険家でもない限り純粋な民間人の数は少なかったのだろう。
だが、その後の状況は航空隊の前線部隊まで伝わって来なかった。どうも海兵隊か海軍内部で情報が止まっているらしいが、サイパン島の市街地がいくらか艦砲射撃で吹き飛ばされたのは事実らしい。
日本軍が市街地から撤退して無防備地域宣言が出されたといっても、ジャングル内には日本軍の偵察隊が潜んで情報収集を続けている気配があるという話だった。
それに市街戦で海兵隊員に被害が出ていたとも聞くから、もしかすると無防備地域宣言は日本軍の卑劣な罠だったのかもしれない。それ以前に本当に日本人達が撤退したのだとしたら、無防備地域宣言自体が成立するかどうか怪しかった。
ハーグ陸戦条約では無防備地域を宣言することが出来るのは中央政府と定めていたが、近代的な政治体制を構築できる状態に達していない委任統治領の現地民の代表ではせいぜいが地方自治体程度の権限しか持たないのではないか。
何れにせよテニアン島から渡ってきた海兵連隊を含めて、海兵隊は旅団ごと未だにサイパン島で戦闘を継続中ということだった。
―――肝心の海兵隊がこんな調子では、硫黄島にいつ攻め込めるか分からんな……
微妙な操縦を行うの隙間にとりとめもなくそんなことを考えていたヘイル大尉の視界にふと光が走っていた。早くも硫黄島の対空砲が発砲を始めたのか、そう考えてヘイル大尉は身構えたが、光源は水平線よりも上に走っていた。
次の瞬間ヘイル大尉は獰猛な笑みを浮かべていた。硫黄島上空の光は離陸しようとしている機体の何処かが太陽光を反射したものだったからだ。しかも離陸した機体は1機や2機ではなかった。
既に硫黄島が目視できる距離に詰めていた。先頭を行く編隊長機が上昇を開始するのと同時にヘイル大尉はアロー号のレーダーを作動させていた。
やはり硫黄島基地から次々と離陸する機体があった。こちらを迎撃に上がる戦闘機隊とは思えなかった。もっと鈍重な大型機が空中退避を行おうとしているようにしか見えなかった。
バラクーダ級巡洋潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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カシャロット級潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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タンバー級潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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