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1951謀略、呉―マラッカ―キール11

 フランスによる対米宣戦布告は、高度に政治的な判断によるものではなく、激高した国内世論に押されたものだった。法的には個人でしかないナポレオン記者の死が切っ掛けだったからだ。

 先日まで日本海軍の大演習を批判的に論じていた筈のフランス内のある新聞などは、我らがナポレオンの敵討ちをせよ、独立を助けてやった恩知らずの米国を叩き潰せ、と世論を煽るような記事を連日載せていたのだ。


 奇妙な事に対米宣戦布告を叫んでいたのは旗頭を失ったフランス国内の帝政主義者だけではなかった。何故か主義主張で言えば彼らと真反対であるはずの共和主義者までもが恩知らずと米国を罵っていたからだ。

 だが、今のフランスの反応は、先の大戦時に感情の赴くままにドイツ側にたって国際連盟に喧嘩を売ったヴィシー政権と何も変わらないのだろう、傍から見ていたシュナイダー少尉はそう考えていた。

 要するに、大戦中も今回も、フランス人は自分達が世界の中心にいない事に苛立ちを覚えているだけではないのか。そして世界に対する主導権を取り戻す為に米国に宣戦布告を行うとともに、ナポレオンを持ち上げた日本に共感を覚えたのだろう。



 脱力せざるを得なかったシュナイダー少尉の推測がどうであろうと、フランスが唐突に自らの拳を高く掲げたことは世界中に混乱を引き起こしていた。

 実際のところ、フランスによる対米宣戦布告が行われたところで短期的には状況は何も変わらない筈だった。フランス本土には少なくない地上部隊や航空部隊が存在していたが、その装備の近代化や、自由フランス系とヴィシー政権軍の再編成すらまだ道半ばというところだったからだ。

 終戦間際からヴィシー政権の元で生産が始まっていたフランス国産のARL-44重戦車などが旧式車両などに代わって配備が進められつつあったが、戦時中に急速に進化を遂げた技術を反映させた日英などの最新装備と比べると性能面で見劣りするのは否めなかった。


 陸上装備だけではなく、事情は航空産業も同様だった。

 実質的に航空機製造能力が壊滅したドイツ連邦と比べればまだ最低限の補充能力程度は維持されていたが、航空行政を指導する立場の官僚は次々と入れ替わる政治家達に振り回されているだけだったから、ジェット化などの一貫した政治力が必要とされる大規模な開発計画が中々進まないらしい。

 終戦から五年以上が過ぎた今では、販路を海外に求めてフランス本土からマダガスカル共和国に移転したマルセル・ブロックのように、一部の会社は混乱するフランス政界に見切りをつけつつあるようだった。



 長距離の遠征に必要不可欠な海軍となるとそもそもが再建途上といったところだった。大戦末期の戦闘で旧ヴィシー政権軍の海上戦力は壊滅的な損害を被っていたからだ。

 元々旧フランス海軍は大半が本土に残留してヴィシー政権に忠誠を誓っていた。自由フランスに合流したのは海外領土に寄港していた警備艦艇程度しかなかったから、供与された艦艇を加えても独自の艦隊行動は難しく、戦時中は殆どの時期を船団護衛部隊に編入されていたようだ。


 新生フランス海軍は僅かに残された軽快艦艇を中核に再編成を始めていたのだが、実際には1隻だけ戦艦を保有していた。終戦間際にブレストから出港することが出来なかったドイツ海軍の戦艦ビスマルクを鹵獲していたのだ。

 戦後も賠償代わりという意味があったのか、ドイツ政府も返還要求は形ばかりのものに留まっていたのだが、端からドイツ返還する気などなかった新生フランス海軍は堂々と艦隊にビスマルクを編入すると、戦艦アルザスと命名して自国製の装備に換装して再整備を行っていた。

 だが、戦艦アルザスは現在のフランス海軍では唯一といってよい貴重な大型戦闘艦だった。虎の子も同然だし、外洋で航行可能な護衛艦艇も満足に揃えられない状況では太平洋まで進出する可能性はないだろう。



 それに、インドシナ植民地こそ手放したものの、戦後のフランスは近隣のアルジェリアや内乱の続くシリア王国などの保護国にも宗主権を主張するために一定の治安維持部隊を派遣していた。

 結局、勢い込んだ宣戦布告の文章に反して、実質的に対米戦にフランスが投入できる兵力は少なかった。

 現実的にいって少数の空挺部隊や緊急展開用の軽武装部隊を植民地通報艦という名前の警備艦と共に太平洋の海外領土に追加派遣する程度でしかないから、警備力の強化程度にしかならなかった。


 だが、フランス人の無闇矢鱈と高いプライドがその程度で満足できるとは思えなかった。何処に投入するかはともかく、フランス本土では本格的な海外派遣部隊の編成が既に開始されているとの情報も流れていた。

 それに、実際に戦力が太平洋に送られなかったとしても、潜在的なフランス軍の戦力が米国を牽制する効果はあった。太平洋に点在するフランス領は国際連盟軍の拠点となりうるし、米国の政治、経済の中核である北米東海岸に大西洋を越えて英仏艦隊が出現するのも警戒しなければならなかったからだ。



 フランス及び英国の対米宣戦布告の影響を受けているのは対峙する米国だけではなかった。彼らを対ソ連における後詰めと頼んでいたドイツ連邦軍も不安を覚えていた。

 特にドイツ連邦軍の中で、危険性が高いと考えられていたのがシュレスヴィヒ方面だった。この方面に展開する部隊の前身となっているのは、先の大戦時において侵攻するソ連軍からの圧力を受けて本土南西部に撤収した味方主力と分断された北部軍集団の残余だった。

 北部軍集団は、終戦時に辛うじてデンマーク国境とキール運河に挟まれた狭い領域を確保していたのだが、正確に言えばキール運河を手中にした為にこれ以上の危険を冒してデンマークに緊急展開した重装備の日英混成部隊と直接衝突するのをソ連軍が避けただけではないか。


 そもそも大戦末期に東部戦線で編制されていた北方軍集団は、ヒトラー総統暗殺事件の余波を受けてわけも分からずにいる所をソ連軍に包囲されていた。海上輸送で脱出することが出来たのはその中でもごく一部の部隊だけだった。

 その後は本土に後退した中央軍集団の一部と合流して同軍集団のバルト海沿岸を警戒する部隊として再編成されていたのだが、デンマーク領近くに押し込まれたために危うく2回も壊滅するところだったのだ。



 勿論、ドイツ連邦軍に再編される過程でシュレスヴィヒ方面に展開する部隊も再編制されていたのだが、連邦軍にとってこの方面に展開する部隊の手当が厄介であることは変わりなかった。ドイツ本土から直接の連絡は出来ないし、航空便もソ連占領地帯を大迂回しなければならないからだ。

 実際には連絡はドイツがかろうじてオランダ国境付近に確保している港湾部を利用した船便で行われていたから、平時でも人貨の輸送費は高く、大規模な補給はデンマーク経由に頼らざるを得なかったのだ。


 だが、ドイツ連邦軍にとって負荷が高くとも、シュレスヴィヒ方面を放棄することは出来なかった。単純に国土をこれ以上譲れないということもあるが、シュレスヴィヒ方面を抑えている事で、ソ連によるキール運河の使用に制限を加えられるからだ。

 ドイツ連邦軍はキール運河の北岸の一部を確保していた程だから、平地が広がるユトランド半島でも運河水面を射弾観測の範囲に置く事ができていた。つまり有事の際には野戦重砲などで運河水面を制圧して、ソ連軍の通行を不可能にさせられるのだ。


 第二次欧州大戦よりもはるか前に白海とバルト海は、ソ連によって戦艦級の大型艦すら航行可能な運河が建設されていた。

 つまり両海を一体として運用出来るということだが、これが更にキール運河を通じて北海までソ連海軍が何の抵抗もなしに進出できる事態を国際連盟は危惧していた。白海を経由した米ソ間の通商路が格段に短縮されるからだ。

 勿論その先は英国本土が大西洋への航路を塞ぐ蓋として存在しているのだが、戦時中ドイツ海軍がしばしば成功した様に、密かに脱出を図ることは可能だし、平時から海域を封鎖することは出来なかった。



 ところが、その様に重要な役割を期待されているにも関わらず、シュレスヴィヒ方面に展開するドイツ連邦軍に対する国際連盟軍の支援体制はこれから先は低下していく恐れがあった。

 デンマーク領のユトランド半島側、つまりシュレスヴィヒの北方に駐留する国際連盟軍デンマーク軍団から戦力を抽出するという話が出ていたのだ。


 デンマーク軍団には若干の支援部隊や司令部要員に多国籍の将兵を配置していたが、基幹戦力となっているのは、日英が派遣したそれぞれ1個師団だった。

 遠隔地であるためか、平時における充足率はさほど高くないものの、この2個師団はドイツ連邦軍と比べても重装備の装備率が高かったし、最新鋭の装備が優先して送り込まれていた。

 しかも、デンマーク本土にはこの実働の2個師団に加えて、増援部隊用に事前に集積された物資も収容する大規模な倉庫群とそれを管理する兵站部隊が置かれていた。



 シベリアーロシア帝国や満州共和国を支援する立場と位置にある日本帝国は、平時においては中国大陸やシベリアに多額の費用が必要となる大規模な部隊を配置していなかった。

 その代わりに戦車や火砲などの輸送に手間取る重装備のみを大連とウラジオストクという大陸の玄関となる港湾部に集積しておき、普段は整備のみを行っていた。有事の際は軽装備の将兵のみを日本本土から送り込んで短期間のうちに重装備の部隊を現地で編成する為だった。

 デンマーク軍団も平時の編成は小規模でも、有事の際は英本土などから将兵のみを送り込んで短時間のうちに大規模化するつもりなのだろう。勿論集積された物資はシュレスヴィヒ方面のドイツ連邦軍にも供与される筈だった。

 だからデンマーク軍団は平時の小規模な編制と比べると重要度の高い部隊なのだが、その基幹戦力である日本陸軍第13師団にはデンマークからの撤退、というよりもアジアに転戦するのではないかという噂が流れ始めていた。


 昨今の流行に抗って未だに長期間の戦闘にも耐久しうる4単位制の大規模師団編制を維持していたものの、日本陸軍は戦略単位である師団の保有数は少なかった。

 第二次欧州大戦では欧州諸国のアジア植民地などから徴用された部隊を矢面に立たせていたが、彼ら自身の本土が戦場となれば師団の増設もあり得るし、在外兵力の引き上げも行われるだろう。

 しかも日本陸軍と並んでデンマーク軍団の主力である英国陸軍も、フランス軍が本土から引き抜かれる分を補うために、デンマークからオランダやベルギーに兵力を移動させるという未確認の情報もあった。

 オランダは、第二次欧州大戦終結後も頻発する東アジアの植民地防衛に戦力を割かれており、その本土防衛体勢は以前から懸念されていたのだ。



 このような状況の中で、ただでさえ士気が高いとは言えないドイツ連邦軍の中でも、シュレスヴィヒ方面に配属された徴兵、特にシュレスヴィヒ州出身者ではなくドイツ南西部から送られてきた兵士達の士気は低かった。故郷から遠く離れた孤立した地域の防衛に意気が上がらないのだろう。

 今年徴兵されてきた新兵が行方不明と聞いて、即座にシュナイダー少尉が脱走を疑うのも無理はないことだったのだ。

戦艦アルザスの設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbalsace.html

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