1951謀略、呉―マラッカ―キール7
モハマド商会に現れた珍客は、厄介者どころの騒ぎではなかった。
どんな伝手を辿って手に入れたのか分からない紹介状まで携えてきた女が胡散臭いのは確かだが、それ以上にモハマド商会が行っている裏稼業の詳細を把握している様子だったからだ。女はモハマド商会が密かに運航し始めていた揚陸艦の存在まで把握していたのだ。
マラッカに拠点を構える中小規模の海運業者でしかないモハマド商会が本来は軍が上陸戦闘に使う為に建造された揚陸艦を仕入れたのは、マレー半島とスマトラ島間を結ぶ本格的な密貿易に投入するためだった。
モハマド商会が購入したのは、日本軍が建造していた二等輸送艦だった。この船が設計時に想定していたのは、戦車小隊と随伴する歩兵を迅速に上陸させるというものだったらしいが、特徴的だったのはその上陸方法だった。
二等輸送艦は、通常の貨物船の様に桟橋につけて舷側から荷物を下ろすのではなく、上陸戦闘時は自ら船首を海岸に座礁させて船体内部の貨物を自走させて下ろす事が出来たのだ。
大規模な上陸戦闘において、座礁式の揚陸方法は有利な点が多かった。桟橋を有する本格的な港湾部を占拠する前に戦車などの重装備を迅速に海岸に送り込めるからだ。
だが、座礁式の揚陸艦は密貿易や密入出国にも便利だった。官憲が見張っている正規の港湾部を利用することなく、警備の薄い海岸を利用して一挙に人貨を運び込めるからだ。
密貿易に使用されるのは、この辺りではありふれた機帆船が多かったが、そのような人力と風任せの小舟と比べれば効率は明らかに違っていたし、浅喫水でも使用できる使い勝手の良さがあった。
ただし、大小様々な揚陸艦の中で特にモハマド商会が二等輸送艦を選んだのは、この船の外観が理由だった。
二等輸送艦が戦車1個小隊4両の揚陸を目的としていたのに対して、より大型の特1号型輸送艦では1個中隊12両を搭載可能としていた。ここまで来ると大型過ぎるのだが、実際にはモハマド商会の規模では二等輸送艦でも大型だった。
密貿易の利益は大きいが、普段は二等輸送艦の船倉を一杯にする戦車小隊に匹敵する程の荷動きは無かった。だから商会の規模や荷動き量を考慮すればより小型の戦車2両、半個小隊程度の大型揚陸艇である特型大発動艇のほうが適していた筈だった。
しかも、裏から手を回して余計な金がかかった事もあって、これまでの裏稼業で稼いだモハマド商会の資金は二等輸送艦の購入で一時期は底をつきかけていたのだ。
だが、モハマドは新聞か何かで二等輸送艦の写真を見た時から、購入するのはこの船だと決めていた。二等輸送艦の外観は、通常の貨物船から逸脱したものではなかったからだ。
小規模な揚陸艇の場合は、原型となるのはいずれも日本陸軍が開発した大発動艇だった。この揚陸艇は船首を兼ねる道板を揚陸時におろして船内の貨物倉と一体化させる形式を初めて採用していたのだが、船首が平な道板となっている為に凌波性が悪く外洋での航行能力は低かった。
これに対して二等輸送艦よりも大型の特1号型輸送艦では道板は船内に引き込まれていた。船首には観音開きの扉がつけられており、道板は左右の扉が開けられた隙間から陸地に向けて展開するようになっていたのだ。
特型輸送艦は図体が格段に大きいから、商会での購入や運航を隠匿するのは容易ではなかった。仮に購入できたとしても大型過ぎて物珍しがられる上に、第二次欧州大戦の開戦以後に建造されたことで効率を重視した無骨な外見は、塗装や小規模な改造を行っても民間船にはとても見えなかったのだ。
その一方で軍用の揚陸艦としてみると中途半端な性能である二等輸送艦は、その外観は一見すると軍用艦には見えなかった。機能的には座礁式の揚陸艦なのだが、基本的な設計が600トン級の汎用貨物船を流用していたからだ。
大戦勃発前から、日本は戦時中の船舶喪失を考慮して量産性に優れた標準船舶を設計していたが、その中には内航用の貨物船も含まれていた。二等輸送艦はその汎用貨物船を原型とする派生型として基本的な設計を流用されていたらしい。
名前に反して戦前から建造されていたから、戦時標準規格船の中でも600トン級汎用貨物船の建造数は多かった。元々小規模港でも使いやすい汎用貨物船は同級船が多用されていたのだ。
それに600トン級の貨物船であれば、戦時建造用の標準船舶の建造に伴い余剰となった分が以前からいくらか植民地政府などに流れていた。
独立後は民間に払い下げられたものもあるから、モハマド商会の規模ではやや分不相応ではあるものの、民間企業が汎用貨物船を運用すること自体は不自然ではなかった。
日本軍で使用されていた二等輸送艦は、その多くが自衛戦闘や上陸時の火力支援用に火器を装備していたが、当然それらは払い下げの際にいずれも撤去されていた。
だが、モハマドは購入した輸送艦を使用目的に合わせて更に改造していた。購入した船の商船化工事が日本国外で施工されていたのかいい加減に焼き取られた火砲の装備跡は、再工事で痕跡を残さない様に整形させていた上に、船首扉や貨物倉側の扉も目立たない様に形状に工夫をこらしていた。
それでも不安だったモハマドは、厚化粧となるだけではなく、この辺りの民間船らしく派手な塗装をさせていた。単に民間船に見せるだけではなく、官憲の目に特殊な構造の揚陸艦が原型であることを隠す為だった。
派手な塗装は船首扉の存在を目立たなくさせる効果も狙っていた。機能上どうしても隙間が生じる船首扉は、放っておけばすぐに通常の貨物船ではありえない位置に発錆して目立ってしまうはずだが、予め派手な塗装を施すことで錆跡をも欺瞞しようとしていたのだ。
だが、モハマドが考えうる限りの手段で秘匿していた二等輸送艦の存在は、客の女にあっさりと言い当てられてしまっていた。だからこそ、この女には慎重に対応する必要があったのだが、酔っ払ったドイツ人は全く無頓着に女に絡んでいた。
ドイツ人達は自分たちの言葉で何事かを言い合いながら次々と応接室に入ってきていた。何を言っているかはモハマドには分からなかったが、彼らの意図を察するのは下卑た笑みを見るだけで十分だった。
若いものに呼びに行かせたのはモハマド自身だったが、今は最悪のタイミングで入室してきたドイツ人と、彼らに状況を誤認させた若いものの首を絞めたい気分だった。
この華人の女がどのような目になろうとモハマドは知ったことではないが、紹介状の書き手に無理やり紹介者を追い出したと知られれば、モハマドの商売が立ち行かなくなるどころか、家族郎党揃って塀の中に入れられるという可能性だってあるのだ。
ところが、予想に反して唐突に割り込んで来たドイツ人の一団を前にしても女には怯んだ様子は無かった。平然としているというよりも、値踏みする様な視線でじろじろとドイツ人共を見つめていた。それは商人が品定めをすると言うよりも、玩具を選ぶ子供の様な目だった。
無頼漢なドイツ人の中でも下っ端の男が、その視線に耐えきれなくなったのか、凄んで見せていた。自分達が出て行けば華人の小娘など大人しくなるだろうと思っていたドイツ人達にとって女の反応が予想外だったのだろう。
何かをわめきながらそのドイツ人は女の手首を掴んでいたが、モハマドの顔は青ざめていた。下っ端といっても兵隊崩れのドイツ人は頑強な体つきだったから、小柄な女が容易に振り切れるとは思えなかった。
だが、次の瞬間、室内の人間は唖然とした顔を浮かべていた。その例外だったのは当の本人達である女と下っ端だけだった。
手首を掴まれた女は、薄っすらと笑みを浮かべながら逆に下っ端の手を掴むと一気に引き寄せていた。振り解かれるのを予想していた下っ端は、それで体勢を揺さぶられていたのだが、その隙を女は見逃さなかった。
意外なほど長く白い足がスカートの下から見えたと思ったが早いか、跳び上がるように上げられた女の足が降ろされた頃には、膝で顎を強かに打たれた下っ端の男は正体をなくして床に敷かれた絨毯の上に倒れ込んでいった。
モハマドは目を白黒させていただけだったが、流石に兵隊崩れのドイツ人の動きは早かった。素早く親分を中心に散開しようとしたのだが、それよりも女のほうが一段上手だった。飛び蹴りの体勢から戻るのと一動作で脇の下から引き抜いた大型拳銃をドイツ人に向けていたのだ。
「この拳銃は元々ドイツ製だってね。ドイツ人が造った弾でドイツ人が死ぬなら帳尻が合うんじゃないかい」
女の凄みは先程の下っ端の比では無かった。ドイツ人達は一歩も動けなかったが、女の引き金は軽そうだった。何かの切欠で応接室内には血の雨が降るかもしれない。
応接室に走っていた緊迫した雰囲気を破ったのは、ドイツ人が開け放したままだった扉から聞こえてきた呆れたような声だった。
「先走って出ていったかと思ったら、お前は何をしてるんだ、美雨」
のっそりと入ってきた男を見てモハマドは眉をしかめていた。
―――そうか……こいつらは日本軍の手の掛かった連中だったんだな。
男の顔立ちは東南アジア系とは違っていた。華人に近いが、それとも微妙な差異が見えて取れた。だが、男が日本軍の関係者であれば、二等輸送艦のことを知っていてもおかしくはなかった。日本軍は二等輸送艦の売り手側だったからだ。
モハマドはまずい連中を敵に回してしまったかと思ったが、美雨と呼ばれた女は飄々とした表情のまま大型拳銃をしまい込むと、首をすくめながら気楽そうに言った。
「先生が来るのが遅いんじゃないか。私は先にコイツらを見定めてやってたのさ。まぁうちの部隊では到底やっていけないけど、ただの兵隊なら及第点、かな」
「それを判断するのはお前じゃないぞ。それに、俺は先にこの街の町長に顔を出していたんだよ」
ドイツ人を無視して女と言い合っている男は、女よりもいくらか年かさであるようだった。同じ様に背広を着込んでいたが、会社員には見えないものの女よりもはまだ様になっていた。
だが、背広姿に似つかわしくない物騒な刀を手にしているものだから、ドイツ人達以上に堅気の人間には見えなかった。
結果的に無視されたドイツ人達は戸惑ったような視線を部屋の奥と入り口に次々と向けていたが、彼らの親分格だけは男の顔と手にした刀に視線を吸い寄せられているようだった。
唐突に、ドイツ人の親分格は悲鳴を上げて腰を抜かしたように座り込むと、男から距離を置くように後ずさっていた。唖然として親分を見ている他のドイツ人に聞こえるように、大声でそいつは言った。
「こ……こいつはあの首狩りだ。シチリア島でエッターリン将軍の首を撥ねた奴だぞ」
ドイツ人は唖然とした顔のまま要領を得ない様子の男を見て、親分と同じように後ずさり始めたが、にたにたと笑う女に突き当たって次々と手を上げていた。
「シチリア島の首狩りだってよ。兄ィの方が私よりよっぽど物騒だったみたいだね」
楽しそうな女の声に憮然としながら、蚊帳の外にいたモハマドに男は視線を向けていた。
「この馬鹿がどこまで説明したか分からんが、御社の二等輸送艦に加えてこの元ドイツ兵達を傭兵として雇用したい。可能であればさらなる増員もお願いしたいのだが、御社にその余地はあるかな」
モハマドが男の言う事に気がついたのはそれからしばらくしてからだった。二等輸送艦の借用は渋っていたモハマドだったが、厄介者のドイツ人を追い払える事に気がついた彼は、唖然とした顔のまま何度も頷いていた。
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