1951謀略、呉―マラッカ―キール5
打ち捨てられたように亀ヶ首試射所待機所の片隅に置かれていた黒板を背に向けると、狸面に笑みを浮かべた板倉中佐は言った。
「まず確認しておきたいのですが、開戦前のものを含め、就役後の度重なる改装工事によって長門型の防御力向上は現代の16インチ級砲戦艦として最適化されている、と艦政本部では判断しています。
実際に先のグアム島沖海戦においても、陸奥はアイオワ級戦艦の砲撃に対して重要区画を守りきった。これは間違いないと思いますが、いかがです」
八方中佐は曖昧に頷いていた。板倉中佐が言った改装工事は、軍縮条約の延長が行われた時期に前後する十五年ほど前に長門型戦艦に相次いで行われた改装工事の事だろう。
軍縮条約では日本海軍は保有枠の拡大が許されたものの新造艦の無制限な建造は行えなかった。そこで艦齢に達するものから大規模な近代化改装工事が行われていたのだ。
艦齢延長を目的とした改装工事は規模の大小はあれども多くの国で行われていた。イタリア海軍の様に砲身の中ぐり工事という強引な手段による主砲の大口径化を含む徹底的な改装を行った国もあれば、電子兵装や高角砲の増設といった小規模なものに留めるものもあった。
英国海軍では近代化改装工事の度合いは濃淡があった。未だ戦力価値の高い巡洋戦艦などは徹底した改修工事を受けたが、逆に低速の旧式戦艦などは予算不足からか限定された延命工事しか受けなかった様だった。
日本海軍でも事情は同様だった。軍縮条約の保有枠拡大分で新規に建造された磐城型戦艦と主砲が共通化されていたためか、長門型戦艦2隻は装甲や機関部を含む大規模な改装工事を優先して受けていたが、伊勢型、扶桑型などは限定的な改装しか受けていなかった。
その一方でより旧式ながら高速の金剛型戦艦は、改装後に相次いで使い勝手の良い戦力として欧州に派遣されていた。日本海軍も空いている船渠や新造艦の工期などを睨みつつ改装計画を立てていたのだろう。
確かに当時の改装工事は、長門型戦艦に新鋭戦艦に準じる防御力を与えていた。元々ユトランド沖海戦の戦訓を設計中に半ば反映させていた長門型は、改装工事によって16インチ級砲戦艦として攻速防を高い次元で備えた戦艦として完成したといっても良いだろう。
ただし、それは直接的な防御力に限った話だった。確かに陸奥の分厚い舷側装甲が敵弾を弾いていた証拠は修理工事中も何度か確認されていたが、その一方で衝撃で主砲発射機能に障害が生じていたのも事実だった。
装甲がどんなに分厚くとも、付随被害でまともに主砲が動かせなくなるなら意味が無いのだ。
だが、八方中佐がそう言うと、板倉中佐は黒板の防御という文字に勝手に丸をつけながら言った。
「それはまた別の話ですな。これまでよりも格段に多くの情報を送る電路は、今まで以上に多重化して戦闘時の被害拡大を防がなければなりませんが、そもそも四七式は同等の性能を有した複数基で相互に管制を行うものですから、それ自体が多重化がされていると言えます。
各四七式から砲塔に電路さえ繋げておけば、基本的に目標を視認できる四七式からは同じ数値が吐き出されるはずですから、仮に射撃指揮装置の1基や2基が損傷しても戦闘行動に支障は出ないはずです」
板倉中佐がそう言う間に、今度は日暮大佐が黒板に意外なほど綺麗な字で射撃指揮能力の多重化と書いて丸をつけた。
「艦橋の換装を含む四七式射撃指揮装置の搭載によって、陸奥の射撃速度は実質的に向上するし、複数の敵艦を相手にした際に目標を切り替えるのも楽になる。
条件によっては主砲射撃中に対空戦闘を行うことも可能になるだろう」
自信ありげに日暮大佐はそう言ったが、八方中佐は頭を振っていた。
「それには2点疑問がある。多重化に関しては理解したが、この射撃指揮装置は大分重量があるのではないか。艦橋構造物に搭載される分はともかく、既存の高射装置とそのまま換装は可能なのか。
それと陸奥の高角砲配置で対空戦闘と主砲射撃は両立しうるのか」
視線を向けられた板倉中佐は、にこやかな笑みを浮かべたまま頷いていた。
「もっともな疑問と思います。四七式射撃指揮装置は既存の高射装置とほぼ同寸ですが、電探や計算機の分重量は大きく、旋回用の電動機も大出力化されています。
しかし、四七式の増設で問題となるのは実際には重量よりも電力消費となるでしょう。高射装置の架台は補強工事を行えば済みますが、建造時期から長門型の発電量はさほど大きくないですからね……
そこで艦政本部では、改装工事によって副砲群を砲郭ごと撤去する事を計画しています。その分の重量と、何よりも空間を確保して電路と発電機を増設するのです。
それと高角砲に関しても長10センチに統一します。正直に言えば、四七式に内蔵された射表の中には昨今旧式化している八九式高角砲が含まれていないんです。だから四七式で対空射撃を管制させるには、どのみち長10を積むしかないんです。いまさら八九式の射表を作り直すのも手間ですし」
眉をしかめたまま八方中佐は改装後の陸奥の姿を思い浮かべようとしていたが、どうにも旧式戦艦と最新装備の取り合わせが想像出来ずにいた。それにふと気がついたことがあった。
「ちょっと待ってくれ……四七式射撃指揮装置には高角砲の射表がないと言ったな……だが、それでは更に古い陸奥の主砲にも対応していないということになるのではないか。それとも射撃指揮装置用の三年式の射表はこれから作成するのか」
我に返って八方中佐はそう言ったが、板倉中佐は笑みを崩さなかった。
「そこで残る問題に行き着きます。陸奥の改装工事で必要なのは後は何か……言うまでありませんな。それは何よりも打撃力です。相手の装甲を食い破れなければ戦艦の価値はありません。
先の戦闘で陸奥は何度か命中弾を得ていますが、最後の一撃を除けばアイオワ級戦艦に対して有効打たり得ていません。もしも陸奥の打撃力が高ければ、敵戦艦に先んじて彼らを無力化し得たのではないか、とは思われませんか」
八方中佐は重々しく頷いてみせたが、それが困難であることも理解していた。
長門型戦艦に搭載されている三年式41センチ砲は、就役当初から長く世界最強の一角を占めていた程の砲だった。長門型戦艦はそれを連装砲塔にまとめて搭載されており、換装は難しいはずだった。
これが大和型以降の三連装砲塔であれば、門数を減らした連装砲塔とすればより大威力の主砲に換装する余地もあるかもしれないが、最初から連装砲塔として最適化している以上は変更の余地はないと考えるべきだろう。
砲塔自体はともかく、船体に埋め込まれた砲塔基部バーベットを大口径化するのは工数がかかり過ぎて新造した方がましだった。それ以前に陸奥は尾張と違って主砲塔の損害は小さいから、改装工事が行われるとしても限定的なものにとどまるのではないか。
そのように推測したことを八方中佐が言うと、日暮大佐と板倉中佐は顔を見合わせて笑みを見せていた。
「改装工事においても陸奥の主砲そのものには手を加えるつもりはありません。ただ、四七式では41センチ砲は既存砲弾の射表は既に作成済です。実は長門型ではなく常陸型や磐城型では将来的に改装工事において射撃指揮装置を換装する案があったものですから」
回りくどい言い方だったが、やはり旧式化した長門型戦艦はこれ以上多額の予算が必要な改装を行うことなく、廃艦か予備役に編入する予定だったのだろう。
だが、それ以上に八方中佐は板倉中佐の奇妙な言い回しが気にかかっていた。
「何か……既存ではない砲弾があるというのか……」
八方中佐の問いに、日暮大佐達はいたずらに成功した子供のような顔をしていたが、山岡少佐は二人に冷ややかな視線を向けていた。
「それには実物を見てもらった方が良いんですが……山岡さん現物は流石にないよね」
山岡少佐は、板倉中佐が言い終わる前に、脇にあった鍵付きの書類棚から束ねられた冊子を取り出していた。
「先日行われた試験概要の写しです。実験中に参照する為に保管しておりました」
そう言いながら山岡少佐は紙片に貼り付けられた一枚の写真を指差していた。
「これが試射中の試作砲弾、脇に写っているのが比較用の三年式用一式徹甲弾です。砲弾自体は呉工廠の砲熕部で試作されたばかりのものです」
八方中佐は首をかしげながら砲弾の写真を見つめていた。見慣れた一式徹甲弾と比べると横に置かれた砲弾は一回り大きかったからだ。
ただし、全体的な形状は一式徹甲弾と大きく違うわけではなかった。一式徹甲弾は風帽と被帽が付けられた重量級の徹甲弾で、尾部がすぼめられた同一設計の手法が取られた砲弾が、軽巡洋艦以上の備砲向けに各種口径用が製造されていた。
先の欧州大戦では、長門型戦艦は欧州の前線には派遣されなかったが、射撃演習などで搬入される数も多かったから八方中佐も徹甲弾の形状は見慣れたものだった。
写真から受けた印象では、一式徹甲弾のより大口径の試作砲弾としか見えなかったのだが、よく見てみると奇妙な点に気がついていた。砲弾の底部にはそれほど寸法差がない様だったのだ。
「もしかしてこれは長砲弾なのか……」
八方中佐の声はつぶやくようなものだったのだが、板倉中佐は満面の笑みを浮かべて頷いていた。
「そのとおりです。既存の砲身で大威力を得るために、弾体自体の寸法を伸ばして大重量化したのがこの試作砲弾なのです。風帽と被帽の形状も弾体の重量が最大となるように工夫されています。
41センチ砲の一式徹甲弾は重量が約1トン程ありますが、この試製砲弾では更に200キロ程も大重量となります。2割の重量増加が着弾時の運動量にどれほどの影響を及ぼすかは言うまでもないでしょう。
この長砲弾は元々磐城型、常陸型がいずれは艦齢延長工事を行う中で、性能の陳腐化を避けるために研究されていたものなのですが、当然磐城型と同型の砲塔を使用する陸奥でもそのまま使用できます。
砲弾が大重量化するために揚弾、装填機構には所要の改造を施す必要がありますが、それも既に研究済ですので工事自体に支障はないかと思われます」
だが、それを聞いても八方中佐の表情を渋いままだった。航海科士官とはいえ、八方中佐も兵学校を出た正規の将校だったかから、初歩的な弾道学の知識くらいはあったからだ。
「大重量化は結構だが、九一式徹甲弾や一式徹甲弾は我が海軍の技術の結晶として最適化したものではなかったのか。当然その形状は計算され尽くしたものだろう。
そこから逸脱する程の長さとなると、弾道の不安定化を招くのではないか。それに既存砲から大重量砲弾を打ち出すというとは、初速の低下も起こるはずだ。威力が向上するのは結構だが、敵艦に命中しない砲弾の威力がどんなに高くとも意味はないのではないか」
八方中佐の反論に答えた山岡少佐も渋い声になっていた。
「試射の結果から言えば、中佐の言われる通り、試製徹甲弾は一式徹甲弾と比べると弾道特性がかなり異なってきます。最大射程も短くなりますし、初速の低下で砲弾の低伸性も悪化しますから近距離での威力は低下してしまいます」
渋い顔をした二人に対して、板倉中佐と日暮大佐は笑みを消さずに続けた。
「確かに弾道は不安定化するが、四七式による射撃値算出の高速化、高精度化によって補える程度だろう。最大射程や初速の低下も実用上は気にする必要があるとは思えないな。
改造後に陸奥が戦うべき相手は米海軍の新鋭戦艦だ。当然相手もこちらも主砲戦距離での交戦を意図するのだから、まぐれ当たりを狙う遠距離砲戦や、混戦となる近距離砲戦での戦闘力が多少低下したところで大した問題ではない。場合によっては既存の一式徹甲弾に切り替えても良いんだ。四七式の電気化された計算機なら砲弾を切り替えても即座に射表を参照できるんだろう。
それに、たかが一キロやそこらの距離で戦う戦車じゃないんだから砲弾の低伸性も気にする必要なんて無いぞ。むしろ砲弾が高角度から落下してくれば薄い水平装甲をぶち抜けるんだ」
自信満々、というよりもひどく楽しそうな顔で言い切った日暮大佐の様子に、八方中佐は頭を抱えそうになっていた。改造されるのは自分が指揮する陸奥なのだが、その姿だけではなく、特性まで大きく変化させられてしまいそうだったのだ。
だが、八方中佐の受難はまだ始まったばかりだった。
磐城型戦艦の設定は以下アドレスで公開中です。
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常陸型戦艦の設定は以下アドレスで公開中です。
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陸奥(改装後)の設定は以下アドレスで公開中です。
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