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1950本土防空戦22

 強大な戦力を保有する米軍といえども連日の爆撃を行う程の能力はないらしい。レーダー表示面に敵影無しという機内から漏れ伝わってくる声を今回の飛行中も何度か聞いていた青江少尉はそう考えていた。


 青江少尉が操縦する空中指揮官機は、硫黄島基地から連日のように発進してレーダー哨戒を行っていた。手薄な日本本土南方海域の広域哨戒を行うためだった。

 先日の空襲では、おそらくグアム島が米軍重爆撃機の発進基地として使用されていたはずだった。幸いなことに南方の離島で早期に発見されたたために敵重爆撃機編隊の行動を追跡する態勢を構築して迎撃することが出来たのだが、幸運が何度も続くとは思えなかった。


 小笠原諸島から伊豆諸島に至る海域の哨戒能力強化が急務だったが、これに対応するのは難しかった。地上配置レーダーではどうしても島嶼間の間隙が大きすぎて死角が生じるからだ。

 日本空軍は、試作重爆撃機を転用した実験機に過ぎなかったはずの空中指揮官機に過大な期待をかけるようになっていた。高空に大規模なレーダーを持ち上げる空中指揮官機は単機でも広大な範囲を捜索出来る上に機動力が高かったからだ。その結果連日の哨戒飛行が実施されることになっていたのだ。



 本土の実験航空隊からは交代制をとるために補充の搭乗員が送られてきていた。本拠地から送られてきたのは搭乗員だけではなく、整備用の機材や消耗品を満載した輸送機ごと到着していたから、本隊では相当の長期戦を覚悟しているらしい。

 だが、乗員は交代できたとしても、機材の消耗は防げなかった。大型の捜索レーダーを搭載した空中指揮官機は改造された一機しか存在していなかったからだ。


 捜索範囲の広い空中指揮官機が硫黄島基地で整備を行う間は、外装式の哨戒レーダーを懸架した艦上攻撃機や本来対潜用のレーダーを備えた哨戒機が展開していたが、哨戒範囲では空中指揮官機に大きく劣っていた。

 元々地上配置の大型レーダーを空中に持ち上げるという構想の空中指揮官機と、艦隊防空範囲の拡大を目指した艦攻搭載のレーダーでは設計思想からして違いが大きかったのだろう。


 硫黄島に急遽派遣されてきた艦攻隊は、出撃回数を増やすことで単機あたりの哨戒範囲の狭さを補っていたのだが、それにも限度があったはずだ。機内空間にも余裕がないから、空中で処理できる情報量にも大きな差があった。

 硫黄島基地にも対空捜索レーダーが設置されていたから、航空機に割り当てられた哨戒海域は硫黄島から遠く離れた海域が指定されており、単発機では哨戒区への進出だけでも相当な負担になっているのではないか。


 そもそも艦隊配備のレーダー哨戒機がそれほど多くあると思えない。元々海軍の下士官搭乗員だった青江少尉が聞き込んだところによると、主に二式艦攻からなる派遣されてきた部隊は、先日まで空母に搭載されていたものだったらしい。

 しかも、地上に上がった航空隊隷下の戦闘機隊はあの迎撃戦闘に参加していた。艦攻隊に損害はなかったが、戦闘機隊の損耗は少なくなかったらしく、今は各基地で戦力の補充と再訓練を行いつつ、本土防空部隊に編入されているらしい。

 だが、彼らと入れ違いになって空母に乗り込んでいた航空隊には同数の艦攻隊が配置されているはずだった。彼らも動員できれば負担を分担できるのではないかと考えたのだが、大演習のために待機していた空母航空戦隊は既に何処かへ出動していたのか、一搭乗員には行方が掴めなくなっていた。


 青江少尉がそう考えていたのは、レーダー装備の艦攻隊はともかく、空中指揮官機を連日のように飛ばすのも限界があったからだ。空中指揮官機の原型となっていたのが大型爆撃機の増加試作機であったからだ。

 改造された範囲を除くにしても、実験機のようなものだから消耗品の定数すら定まっていない為に連日の飛行時間を考慮して部品の交換時期も短期に設定せざるを得なかった。

 これでは整備隊が持ち込んできた消耗品もあっという間に底をつくだろう。整備隊が硫黄島に到着した当初は、青江少尉もそう考えざるを得なかったのだ。



 ところが、増加試作機に過ぎないはずの試作重爆撃機の予備部品はその後も潤沢に輸送されていた。中島飛行機ではかなりの量の部品製造に乗り出しているはずだった。

 むしろ空中指揮官機の連日の飛行自体が、試作重爆撃機の耐久試験を行っているかのようだったが、青江少尉はこれに関連したのか最近ある噂を聞くようになっていた。


 第二次欧州大戦後の対米関係悪化を懸念していた英国空軍は、かねてからのジェットエンジンを搭載した新型重爆撃機の導入計画を立ち上げていた。有事の際に米国やソ連への戦略爆撃を実施するためだ。

 下馬評では英国企業が開発している画期的な性能の機体が本命馬だったらしいが、ここに来て繋ぎや保険の意味を込めて中島飛行機と英ホーカー・シドレーの共同開発機が一部改設計の上で正式導入される事になったらしい。

 しかも、対米開戦を受けて日本空軍でも俄に同機の導入が内々に伝えられているというのだ。それが本当なら泥縄も良いところだが、交換部品の中には最近になって中島飛行機で生産されたばかりと思われるものもあったようだから、実際には開戦を見越して既に計画は進められていたのかもしれなかった。



 ただし、ここ最近の日本空軍、というよりも統合参謀部を含む全軍の動きを見ると、試作重爆撃機が制式化されるとしても純粋な爆撃機として投入されるかどうかは分からなかった。

 手のひらを返したように空中指揮官機が重要視され始めたように、レーダー搭載の派生型が製造されるのではないか。それに、実験機である空中指揮官機と同じ姿になるとも限らなかった。

 すでに英国に渡っている機体はこれまでにない六発のジェットエンジンを後退させた主翼に装備しているというから、原型機からは相当な変更点が織り込まれているはずだ。


 派生型も、当然だがこの後退翼の完全ジェットエンジン機が元となるだろう。そういえば空中指揮官機の開発責任者である篠岡大佐は米軍重爆撃機の初空襲からしばらくして副長に空中指揮官機を任せて硫黄島基地から姿を消していた。

 本土でなにか画策しているらしいが、青江少尉はあえて関わり合いたいとは思わなかった。それよりも米軍の動きのほうが気になっていた。二度目の空襲があるとすればいつなのか、そしてどのような陣容で挑んでくるのか、それが気にかかっていたのだ。



 奇妙な噂が流れていた。噂の発信源は本土から移動してきた整備員だった。その整備員によれば、大島上空での戦闘で銃撃を受けて損傷したB-36の一機が房総半島南部に不時着したというのだが、近隣の海軍館山基地警備隊が出動したところ機内から講和を呼びかける伝単が押収されたらしい。

 だが、これを素直に受け取るものは少なかった。数を減らしながらも本土上空に達した敵重爆撃機編隊によって、現実に街一つが焼かれていたからだ。それに損傷した敵機の中には、編隊に追随するのを諦めて海上に爆弾を投下して遁走を図る機体も目撃されていた。

 むしろ隊内では噂の出処となっていた整備員を白い目で見るものが多かった。もしも鎌倉出身の隊員がその場にいれば、問答無用で殴られていたかもしれない。


 実際に米軍の思惑を想定するとすれば、爆弾と同時に伝単も投下する予定だったのではないか。伝単を投下するのも機内に直接用紙を搭載するのではなく、爆弾倉内に爆弾と同様の形状をした容器に集束爆弾の様に収められていたのかもしれない。

 丹念に被災地を探していけば燃え残った伝単が見つかるかもしれないが、それは単純に講和を呼びかけるものではないだろう。



 おそらく米国は、開戦初撃でトラック諸島の連合艦隊に大きな損害を与えた上に、日本本土を爆撃する能力を示す事で米国の優位を明らかにしようとしていたのだろう。

 トラック諸島で使用された何隻もの戦艦を屠ったという新型爆弾の威力を考えれば、仮にこれが本土に使用されれば都市一つをまるごと灰燼に帰してしまうだろうからだ。


 そう考えると、不時着機から発見されたという伝単の文章を記述した米軍の思惑も透けて見えるようだった。

 直接見たわけではないが、おそらく伝単の内容は単純に和平を求めるようなものではなく、自分達の力を誇示した上で有利な条件での講和を呼びかけるという、むしろ降伏を促すものに近かったのではないか。

 そして、その大きな要因となっていたのが正体不明の新型爆弾が示した大威力だった。必ずしも現実に使用する必要はなかった。トラック諸島の壊滅と本土への空襲という事態が同時に起きれば両者を結びつけて考えるものは多いはずだったからだ。



 ところが意外な事に日本側から新型爆弾の詳細が開示されていた。どうやら状況からして米軍がトラック諸島で使用したのは原子核分裂を使用した核爆弾とか言うものらしい。

 だが、核分裂反応は従来の爆弾とは異なり、人体に有害な影響を及ぼすもの、らしい。本土では各国報道陣に向けて出処不明の事故事例を用いてトラック諸島の損害を説明しているようだ。

 つまり日本はトラック諸島の壊滅という現実を受け入れた上で、その非人道性を訴えるという姿勢でいたのだ。勿論日本が向いていたのは米国ではなかった。広く世界に向けて情報を流していたからだ。


 短期的には、米軍の思惑は半ばしか成功しなかったといえるだろう。当初トラック諸島の余りに大きな損害に恐れおののいていた国民の多くは、核分裂反応の悲惨さや都市爆撃の損害が報道されると対米報復を叫び出していたからだ。

 むしろ本土では過剰に敵愾心が高まっているらしく、軍への志願者が役場に入りきれないほどでどこも列を作っている、との報道もされていた。国際世論も日本に同情的な声が大きくなっているようだが、まだ各国の反応が出揃うには時間がかかるだろう。



 こうした世論の後押しもあって本土防空の強化が急務とされていたのだが、酷使されていた空中指揮官機もようやく時間をとって本格的な整備が出来そうだった。三陸沖に展開していた特設哨戒艦が硫黄島まで回航されて来たからだ。

 特設哨戒艦の実態は、防空巡洋艦並みの大型捜索レーダーを備えただけの戦時標準規格船に過ぎなかった。艦艇並みの防御力や機動性は期待できないのだが、原型が余裕のある一万トン級の汎用貨物船だから居住区画や発電機の増設は容易だった。

 燃料タンクも増設されているらしいから、長期間の哨戒任務には適しているのだろう。この特設哨戒艦も増強が議論されているらしいが、哨戒期間は短くとも機動力のある空中指揮官機とどちらが広域捜索の主力となるのかは分からなかった。


 その特設哨戒艦も一度は補給のために硫黄島に寄港する予定だった。硫黄島を拠点に周辺海域に展開するらしい。

 すでに空中指揮官機は硫黄島への接近針路に入っていた。もしかすると特設哨戒艦の姿も見えるのだろうか、そう考えて青江少尉は海面に目を向けたのだが、すぐにその目は鋭くなっていた。


 硫黄島近くの真っ青な海面に、一条の航跡波らしい白線が見えたのだ。咄嗟に針路を確かめた青江少尉は首を傾げていた。

 三陸沖から本州の太平洋岸沿いに南下してくる特設哨戒艦が硫黄島に接近するとすれば北方からだと思われるが、青江少尉が発見した航跡は南東から本州に向かう針路だった。

 それにこのまま針路を延長しても、硫黄島をかすめるだけで視界にも入らない可能性も高かった。独航する敵艦とも思えないが、索敵中の敵潜水艦という可能性は無視出来ない。


 青江少尉は機内通信機に手早く航跡発見を告げていたが、少尉がこの航跡の正体を知ったのはそれからしばらく経ってからの事だった。

五二式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/52hb.html

二式艦上攻撃機天山の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/b6n.html

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